さて、あの朝から変わったことがある。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「あい、よろしく頼んます。今日は……ユリですか?」
「正解です。大ぶりな白のいいのがあったので」
「そう。「見」ても?」
「どうぞ。今日の予定は鑑賞が済んでからにしましょうか」
カクイチは、オフィスに花を生けるようになった。あの中庭はそう気軽に行ける場所でもないし、近くに多少でもあればいいだろう、と言うので許可した。
大将さん顔厳ちぃから、花でもあれば下の子らもちょっとは緊張しないでいいんじゃないですか、と言われたのは、聞き逃したことにしている。カクイチが可愛い可愛いと誉めそやすので、イッショウはすっかり「自分の顔は見ないうちに可愛い部類に入る顔になっちまったんだ」と思っていた。
そうこうしているうち、イッショウの暗闇のなかで、カクイチを識別する符号が増えた。食えない気配、しずかな足音、糸。そして乾いた木と花の香り。
悪癖の自覚はあるが、イッショウは一度懐に入れた人間に対して甘い。気に入っているカクイチがどんどん男を上げていく心地がして、嬉しいような焦るような気がしている。
「――以上が本日の予定です。日程はまだ未定ですが、またシャボンディ諸島での哨戒視察があります」
「わかりやした。麾下の編成は如何で?」
「メイナードさんが担当しています。今日の昼にも確認が上がってくる予定ですが、あの人昨日深酒したみたいで」
「いいですなあ。カクイチさん、今度一献付き合っちゃくれやせんか」
「仕事が終わったらね……」
進捗の心配をしているってのに……とため息交じりに呆れた声がする。が、きっと顔は笑っている。
「……話を続けます」
しかし。
うっかり紙で手を切ったときのような緊張。声音が凍る。カクイチは鋭い声で続けた。
「王下七武海、ドンキホーテ・ドフラミンゴの動きがきな臭い。パンクハザード周辺海域への頻繁な出入りが確認されています。あそこは今……」
「赤犬さんと青雉さんが大喧嘩したんで、島の気候が永遠に変わっとるって話であってやしたか」
「ええ、それもなんですが。以前から金の流れといいますか、利回りといいますか。そこいらがどうにもきな臭い」
「……」
「まだ調査も完了してない状態で言うのもなんですが、奴ぁ戦争屋です。海賊に基づかない戦火の何割かは、あいつによって起きているんじゃないかとすら思えます」
カクイチの故郷は常に戦火が絶えない土地であった。海賊による被害はもちろんのこと、隣国の不穏な動きや犯罪組織の横行で、お世辞にも治安がいい、平和とはいえない国の軍人を長く務めたカクイチは、ここへきて自分の方針を改めた。
「もうない国の治安を願ったってしょうがない。ここまでくりゃあ、根絶を目論んでもバチは当たらんでしょう。なにも守れなかった男のままでいるより、なにかに成ろうとするほうがよっぽど健全ってもんです。そうでしょ?」
カクイチの糸は、今も変わらずイッショウに向かって伸びている。
が、変化した。
疲れくたびれほつれかけていた糸を、覆うように別の糸が撚られている。太さを増した糸が、イッショウの暗闇のなかにあった。
糸の色も、材料も変わらない。が、強くなっている。イッショウは、ドフラミンゴを戦争屋だと言い切ったカクイチの顔を見るともなしに見て、首を傾げた。
疑問はない。期待だけがある。
「へえ……面白いことを言いなさる。あっしも思うところがあって世界徴兵に乗った口、どれ、ひとつその野望、聞かせちゃいただけやせんか」
「俺だけですか? 嫌ですよ恥ずかしい。せーのでなら良いですよ」
「……」
「いいんですね? いきますよ。せーの」
ご丁寧に指揮者よろしく身振りまでつけて、カクイチは言った。カクイチは心臓に毛が髪ほど生えたメンタルクソつよ人間なので、相手が大将だろうが躊躇わない。
別に隠し立てすることもない。彼になら教えても構わない。彼の今の望みが聞けるなら安い。重厚な経験に基づく計算は、イッショウに口を開かせた。
「王下七武海の完全撤廃」
「王下七武海の完全撤廃」
綺麗にハモった。
イッショウもカクイチも、言い切ってからしばらく黙った。まさかユニゾンすると思わなかったのである。こんな荒唐無稽、願うのは自分くらいだろうとばかり。
「……ぷ!」
「うふふ! 何笑ってるんですか」
「そりゃあンたもでしょう。おかしいね、こんな酔狂本気でやろうってな自分一人だとばかり思ってやしたから」
「面白い面白い、最高も最高ですよ。俺あなたとかいうワンマンアーミーの側仕えでマジでよかったなあ。理解のある職場と最高の上司、何にも代えられやしねえ」
「ふふふふふ。算段はついてるんで? もうなんでも言ってくだせえ、こんなにやる気の出る仕事もそうありやしませんでしょう」
「現状なんとなくですけどね。それはどっちの意味で言ってるんです?」
「どっちもでさ」
野望が叶うのか、カクイチの策が気になるのか。イッショウは両方だと言った。
ここではひとまず、「信頼のおける」とする。信頼のおける男と同じ野望を共有し、まして信頼のおける男が算段があると言った。愉快でたまらなかった。こんなことが許されていいかと思うほどに。イッショウは眉を寄せながら笑った。泣いているみたいな顔になっていることは、カクイチしか知らない。
知っても、カクイチは言わない。
「だので、メイナードさんには威力偵察の編成を急いでほしいんです。なんなら予定もさっさと出してほしいんです。行きたいとこと動きたいことがいっぱいありますからね」
「あいわかりやした。遅れるようならバスティーユさんにも働いてもらっていいでしょう。あっしの艦は目立ちやすから、何か別のを工面したほうが」
「待て待て待て、待ってください。気持ちは分かりますけど、正直これサカズキ殿の耳に入ったら俺ら大目玉ですよ。ちょっとずつやりましょう、いい酒みたいに」
言葉こそ諫めながらも、カクイチの声もまた心底楽しそうだ。わっくわくしている。
カクイチは手元で紙をガサガサやって、気を付けをした。
「ちょっと逸れましたけど、ということで。本日は顔合わせが二件、会議が一件、確認してほしい書類が予定通りなら四件です。今日も一日よろしくお願いします」
「あい、頼みます」
カクイチが頭を下げる。聞けば長いらしい髪にも草花の香りは染みついて、さらさら流れる音がして、ユリの香りがした。
***
結局威力偵察の編成案は上がってこなかったので、そんならいいや、と二人は、というかカクイチは勝手に動くことにした。元々「藤虎隊」みたいなものがあるわけでもなし、時たま行動を共にするというか、麾下に入ることが多いのがメイナードとバスティーユなだけで、現状カクイチ以外は固定の麾下のようなものは存在しない。准将を側仕えにしている大将、イッショウの扱いはカクイチの言うとおり「ワンマンアーミー」であった。
加えて、イッショウは「海軍」というより「任侠」の男であったので、存外あっちこっちふらふら出歩く。ワンマンアーミーという名の放浪、もとい自己判断に基づく単独行動は許されたことであったし、そも叱責できるのがサカズキしかいないし、部下もカクイチ以外には連れて回らないので、必ず本部などにいて欲しいタイミングさえ守れば大抵のことは許された。というか、怒られなかった。海軍ならびに世界政府が先の頂上戦争での損失を埋めるべく、質より火力を優先した結果である。イッショウは大将を特認されるくらい強いので、多少のことは大抵許された。
さて、二人がひそかに目論む作戦は、大きく分けて三つの段階になった。
王下七武海の完全撤廃、その第一歩。情報を集める。証拠を集める。裏を取って、ただしい記録を可能な限り入手する。
次いで、世界会議参列国のトップかそれに近い立場の人間に、これを提供する。できれば七武海に否定的な価値観の国、最も望みが高いのはアラバスタ。かの国は元王下七武海クロコダイルに国家を転覆ないし簒奪寸前までやられた過去がある。ここへ情報を持ち込む。
最後の一手は、祈るしかない。
王下七武海は「王下」だけあって、管轄は海軍ではなく世界政府である。なんなら七武海と海軍は同僚みたいなもんである。これを消したければ、雇い主たる世界政府を動かすしかない。
世界会議。世界政府が定義するところの「世界」で取り組むべき問題を議論する場。
世界政府が定義するところの「世界」とは、結局金が払える国、加盟国とその国民でしかない。非加盟国のことなんざ、マジ知ったこっちゃねえを地で行くのが世界会議だ。
そこに、非加盟国出身の二人が暗躍してブチ立てた理想が議題として挙がったら、可決されたら、そんなに最高な事ほかにないだろうが。
イッショウもカクイチも軍人である。まかり間違っても世界会議の席につける人間ではないし、なろうとも思わない。最後のひと押しが他人任せなのは少々口惜しいが、おそらくこれが今できる最善であった。
「じゃあ、しばらく放浪しますので。戸棚の饅頭、明日中には食いなさいよ。もう悪くなりますからね。悪くなった饅頭食って海軍大将が動けなくなったなんて目も当てられないんですから。あと部屋、片付けてありますからあの状態を維持してくださいね。帰ってきて最初にやること掃除になってたら俺は怒りますよ。簡単な引継ぎは済ませてありますけど、何かあればこの電伝虫に連絡ください」
「……」
問題児を置いて買い物に行くときの母親か。
イッショウは無限にあれこれ出てくるカクイチを前に、相槌もなく黙った。マジで無限に出てくるので、本気で怒られている気がしてきたのである。めげそう。日頃これだけ世話をかけてたんだなあと申し訳なくなる。カクイチは日頃あんまり言わないタイプなので、こういう機会があるとなおさら。
フ、と息の吐かれる音がして。カクイチがイッショウの手を包んだ。親指で慰めるように手の甲を撫でる。
「……口が減らなくてすいません。浮かれてます」
「浮かれてるんで」
「ええ。焦ってるのかも。こんな大事にしてくれる人置いて、好き放題しに行きますし」
「……好き放題暴れてくれにゃあ困りやす。それにあンた、今まで散々人のためばっかりやってきたんですから、これだって結局人のためにやろうってんですから。諫めるもんがありやしょうか」
「……あなたが言うと、本当にそうに思えてくるな。誑かさないでください」
「へえ、本当のことを言っていやすから」
カクイチの手を握り返して、イッショウは息を吸う。
「暴れておくんな」
「任せんさいよ」
カクイチは笑った。その快活さが、イッショウにはなにだか苦しく感じられたのが気がかりだった。
***
それから、イッショウのオフィスには時折花が届く。カスミ草やミモザから胡蝶蘭まで、さらにその土地土地の果物などまで。イッショウはカクイチからの報告と花々を日々受け取りながら、しかし何ともない空虚があった。
時たまかかってくる電伝虫の通話を聞くかぎり、成果は実に上々である。健やかにやっているらしい。楽しくもあるようだ。
が、それがここでないことが少し苦しい。
いつからこんなに我儘になったろう。カクイチが片付けていったはずのオフィスはいつしかむせ返るような花であふれ、しかし一番ここにあってほしい要素がない。
静かな足音、食えない空気。糸。
いくら期待されているのは戦力だとして、イッショウには海軍大将の立場がある。やろうとしていることを考えればカクイチが実働するほかない。それも各支部への視察の名目で行っているものであるので、やっていることは暗躍なり密偵なり、そういったニュアンスの事である。
イッショウはまんじりともせず、手持無沙汰に花に触れた。春の匂いがする。
カクイチがいなければ、イッショウはこれを花菖蒲だと知り得なかった。
「イッショウさん、ちょっとマズった。しばらく沙汰取れなくなります。躱して帰りますので、すいませんが情報収集に努めてください」
ある日、夜中。
カクイチに持たされた電伝虫が鳴ったかと思えば、硬い声で用件だけを吐いて切れた。
それでも、以前より大きく間隔を開けてにはなったが、花は届いた。
カクイチは「躱して」と言った。追われる状況にあるということだ。イッショウも理解している。相手は王下七武海、本来単独で密偵をしてここまで無事でこれたこと自体が稀有な集団である。理解、している。
が、花以上に帰ってきてほしい人間がいつまでも帰ってこない。
そうしてそのうち花も来なくなった。イッショウのオフィスにあった花たちはどれも下を向いている。電伝虫も黙ったままで、イッショウは時折「うんとかすんとか言ってくれやせんかね」とつつくが、無為だった。
「カクイチさん、帰ってきませんね」
引継ぎを受けていた海兵が、確認書類を読み上げてから言った。まだ焦りが見えるものの、その仕草はカクイチの不在の間に着実に板についている。
イッショウは焦った。カクイチが帰ってきたら一緒に食べようと思っていた菓子はとっくに期限が過ぎたし、溢れかえるほどだった花も着々と減っている。静かな足音も食えない気配も、遠のいて久しい。
物理的に、カクイチはイッショウの身の回りから消え始めている。記憶の中にある糸のイメージだけがよすがだった。
「あのお人は帰ってきやすよ。頑固な人ですから」
「自分、最初こんな大役嫌ですって言ったんですよ」
「……」
「す、すみません、でもだって、ねえ。でも、あの人「いいやお前だ」って言っても言っても聞かなかったんですよね。折れやしなかったんですよ。こっちが折れる形で話受けたんですけど」
「そうでしょう。一度こうと言ったらあっしが相手でも変えねェんです。あのお人は「一旦帰ります」って言いやしたから、あっしらは待ちやしょう。待つしかできねェ」
自分に言い聞かせるみたいな言い方をしたが、海兵は素直に返事をした。失礼します、と言ってオフィスを出る足取りは、快活だ。
静かではなかった。
数日後、電伝虫が鳴った。
「あ、もしもし? ご無沙汰しててすいません、カクイチです。やっと目処がたちましたんで、お待たせしてすいません、じきに帰ります」
「……本当に?」
イッショウは問うた。声音はいつも通り穏やかで、不穏な気配もない。騒々しいわけでもない。が、主語がない。なぜか本当のことを言われていない気がした。
「ホントですよ。俺があんたに嘘ついたことありますか? ……戸棚の右の扉開けて、ちょっと奥のほう。あれから変わってなけりゃ、たぶん本の下かなあ。日持ちする菓子入れてたんで、戻ったらそれで一献やりましょう」
「……なら、いいでしょう。酒はあっしが用意しやす」
「え嫌だぁ、あんたの酒性格悪いんだもん」
「なんですって? カクイチさんの酒だって、甘くて飲めたもんじゃあねェや」
「ふふ、ふふふふ! あんた勝手に俺の酒に手ェつけたな? 鬼の居ぬ間に」
「……黙秘権を行使しやす」
「あははは。あーあ。ねえ、沈丁花が手に入ったんですよ。春の花です。これでやれる酒を用意してください」
「あいわかりやした。道中、何卒お気をつけて」
「ありがとうございます。成功を祈ってます。そちらさんも、どうぞ達者で」
ともあれ、久方ぶりに声が聞けてよかった。息災そうでよかった。無事でよかった。通話が終わり、隣にいた海兵の気配がぱっと明るくなる。
「よかったですね! 引継ぎ準備しなきゃ!」
「惜しくなりやす。あンたもよく働いてくれやした」
「ありがとうございます、でも、カクイチさんには及びませんでしたよ」
「それはそう。精進してくんな」
「手厳しい……」
海兵はしかし晴れやかだ。
さて、カクイチがやっと帰ってくる。戸棚の奥の菓子はなんだろう。甘いものに合わすならどれがいいだろう。沈丁花、どんな香の花だろう。
イッショウは珍しくご機嫌に、小唄をやりながらオフィスを出た。用意するものが多い。
ドアの閉まったあとに、ミヤコワスレが落ちた。
後日。
人が集まっていた。
メイナードやバスティーユ、部下や海兵たちが言葉を失い、どよめきが満ちる。空気が不味い。
「何事で?」
「あ……た、大将……」
カクイチへの引継ぎを用意しないと、とうきうきしていた海兵は、今や滂沱と涙していた。
小さくはないが、大きくもない。なんとなく、一般的な体格の男性なら、両手で抱えられる程度の箱を抱いて、泣いている。
海兵が身じろぐと、箱が香り立った。がさ、と音がした。
鈴蘭と檸檬を足したような、思いのほか遠くまで届く芳香。花の香り。春の匂い。
イッショウは杖を取り落とした。
「……中将、カクイチ。……殉職です……!」
それが体にぶつかるまで、メイナードが「労ってやってください」と声をかけるまで、箱を差し出されていることにも気づかなかった。
渡された箱を持つ。イッショウは体格が大きいので、海兵が抱えていたときよりも一層小さく見える。
箱には、花と、電伝虫と糸が入っていた。
「……ああ、ああ……! そうですか……! これが、カクイチさんですか。そうですか……!」
こんな小さな箱一つが、カクイチなわけがない。いくら静かでもカクイチは身じろぐし、こんな物言わぬ箱に収まる男ではない。食えない気配がしない。花のにおいがするのは沈丁花が入っているからで、何より、あの糸がない。
そう思って、そう思ったから箱の中身に触れたのに、中に入っている糸は、今までイッショウが見てきたカクイチの糸の、想像でしかなかった手触りを如実に表したものだった。荒く束ねられた絹糸、のような。
理性よりも本能が納得した。
これはカクイチだ。
カクイチは約束通り帰ってきた。
しかし小箱に収まる糸になって。
「あンた、よくもあっしに向かって性格が悪いなんて言えたね。あんな電話寄こしておいて……」
思い返して、カクイチが主語を徹底して省いたのは、敵の眼前だったからではないかと思いいたる。
加えて、「祈ってます」と「達者で」。あれは、今際の際の言葉だ。
そうか、そんな、そうか。イッショウは深い絶望の淵で、忘我のまま箱の中身を混ぜっ返し続ける。それしかできなかった。それすら無意識だった。
その指先に、糸ではないものが触れた。絡まりながら取り出してみれば、それは手紙であるらしい。カクイチに代わって側仕えを務めた海兵に渡すと、彼は再び泣き出して、代読どころではなくなってしまった。
あのカクイチが、イッショウにわからない形でメッセージを遺すことが、そして内容にもよるが検閲されればこちらの真意がバレそうな方法で言葉を遺すことが、なんだか意外だった。
「よ……! 読みまず……!」
海兵は鼻をすする。
「沈丁花の花言葉は栄冠と不滅です。冬来たりなば春遠からじ。俺のことはうまく使ってください」
震えた。
怒りで、体が。
この男。この男、この野郎!
あれだけ言ってカクイチは、死後すらも役立てろと言うのだ。腹も立つ。
無論何より自分自身にも、ありえないほど怒っている。二兎を追って、相棒を喪った。この男も生きて悲願を達成することが、イッショウの願いであったというのに。
そしてこの手紙を同封しても問題ないと思っただろう送り主を、憎んだ。
ナメられすぎている。
「……違うとお思いなら降りてくだすって構いやせん。他所に言いたければ言ってくだすって構いやせん。カクイチさんはあっしと志を同じくして、あっしの代わりに動いてくれていやした」
ぽつり。呟くような。しかし、ここにいる全員に届くような。
怒りに身を震わせるイッショウは言う。遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ。
「目的は、王下七武海の完全撤廃」
「……!」
「!」
どよめき。
黙れ。まだ喋っている。
「カクイチさんは、あっしらに託しやした。大将になって歴も浅いあっしでござんすが、あちらさんの蛮行なんざもう見たくねェほど思い知っていやす。……これは、決定打」
抑えきれない覇気がどよめきを塗りつぶす。
しかし、普通なら頽れる海兵の下級士官たちも、膝を震わせながら必死に立っていた。
イッショウの言わんとしていることを、なんとなくでも予感していたから。
「すみませんが、シャボンディ諸島への威力偵察、他の支部へ回してくんな。あっしらはやることができやした」
「……はっ、すぐに!」
「部隊を編成します」
「軍艦の手配も」
「やっとあそこを叩けるぞ」
「パンクハザードもきな臭かったですからね」
「航海士を呼びます! 航行計画立ててきます」
「ありったけ新聞用意しろ! 情報の確度を上げるぞ」
「政府の方に話が通じる奴がいます、話通してきます!」
「内密にだぞ! 大将赤犬の耳には絶対に入れるな」
部下たちは、イッショウが言うでもカクイチが言うでもなく、恐ろしく迅速に動き出した。情のある世捨て人の、なんと恐ろしく、なんと切ないものか。本人がどれほど自分を軽んじたところで、その価値を十二分に理解し、また慕う人間はいるものだ。
イッショウは、手のひらを返したように騒がしくなった場の真ん中で、箱を抱いて立っていた。海兵たちはイッショウが盲目なのを知っているので、バレやしないだろうと思っている。
が、イッショウには見えている。暗闇の中で、気配が見える。
大勢泣いている。威勢のいい大声は、ただやけっぱちで叫ばれているだけだ。
「……これを、あンたに見せてやりたかったね。後悔してももう遅いですが」
イッショウは糸を撫でて言った。
動き出している。望まざるきっかけによって、ふたりの夢が現実に向かって。
「カクイチ」の送り主、発送された場所はドレスローザだった。
あの国は、十年前に王位がすげ変わっている。それも、イトイトの実の能力者を頭領とするやくざものに。
ファミリーのボス、現ドレスローザ国王、そして王下七武海。ドンキホーテ・ドフラミンゴ。
あの男が、カクイチを、殺したのだ。
そしてその殺害の証拠を、カクイチはイッショウに託した。
「……皆さん、おわかりでございやしょうが」
イッショウの言葉に、慌ただしく行き来していた海兵たちはぴたりと止まる。
気配は、いくぶんか落ち着いてきた。が、逸っている。待っている。待ち望んでいる。言われなくとも理解している。そうでない者は既にこの場を離れているし、そもそもこの場を離れたものはいなかった。
待っている。
イッショウの許しが出るのを。
「やっこさんはあっしらに、カクイチに後ろ足で砂かけてくれやがった! こいつァ弔い合戦でさァ! 忌憚なくやっておくんな!!」
そうでなければ、あまりに無為だ。海兵たちはごうごうと応を吠える。そうでなければ、あまりに無情だ。
再び忙しなく動き出した空気の中で、イッショウは箱を抱きなおす。沈丁花が香る。
冬来たりなば春遠からじ。
もういいだけ耐え忍んだ。ここからはこちらが仕掛ける番だ。これ以上春を待って斃れる人のいる冬を終わらせる。春が来ないならひっ掴み取りにいくまでよ。
正直博打ではある。が、前々から懸念事項だったことだ。正義を戴いた海軍が、悪を正しに行くのだ。なんの謂れがあろうことか。
「あんたのそういう博徒っぽいところ、良くはないけど、嫌いじゃないですよ」
何より、カクイチがそう言った。
何より、カクイチがこの博打に誰より先に命を張った。
イッショウがここで降りるなど、到底出来はしないのだ。
国を滅ぼし世界を揺るがす大博打、そのはじまりのひとつ。
幾百の喪われた命のひとつ。
張りつめた水が溢れる一滴。
そういうものに、カクイチは成った。
成って、死んだ。
一人の男と、何人かの部下と、ひとつの酒瓶が春を待っている。