見て見ぬ振りの呼吸音

*恋人関係


リビングの扉が開く音に振り向けば、そこには誕生したばかりの小さなベイビィフェイスを腕に抱えたメローネが立っていた。キッチンに立つシルビアの隣に並ぶと手元を覗き込む。

「おかえり」
「ただいま。何つくってるんだ?」
「アクアパッツァだよ」
「それにしては量が少なくないか?」
「今日はみんな外に出てるから夜ご飯はいらないんだって。明日の夕方くらいまで帰らないみたい」
「ふーん?」
「メローネの分もあるけど食べる?」
「さすが。俺シルビアのアクアパッツァ好きなんだよ」
「もう少しでできるから待っててね」
「Grazie.」

そう言ってひらひらと手を振るとソファに座りパソコンを開いた。ベイビィを育成する後ろ姿を見つめながらどこか違和感を覚える。

「メローネ」
「ん?」
「今日何かあった?」
「どうしたんだ、藪から棒に」
「いや、何かいつもと様子が違う気がして」
「そうか?別にいつも通りだけど」
「ギアッチョと喧嘩した?」
「いいや?」
「いい母体は見つかった?」
「ああ、それなりに優秀なやつがな」
「そっか」

本人が言うのだから気のせいだろうか。ざくざくと具材を切りながら拭えない違和感に首を傾げる。するとメローネが立ちあがりこちらに歩いてくる気配を感じた。シルビアがどうかしたのかと聞くよりも早く彼女の隣にある冷蔵庫の中からガス入りのミネラルウォーターを取り出した。キャップを開けながらまた元の位置に戻っていく。

「…あ」

そこでようやく違和感の正体に気付いた。いつもの過激なスキンシップが無いのだ。今だって、いつもなら覆いかぶさるように背後から抱きしめてきて首筋に顔を埋めてくるのに。カタカタとキーボードを叩く後ろ姿を思わずじっと見つめる。

「(まさか…)」

スタンド攻撃を疑い調理を続けながら何度か様子を窺うが、特別変わった様子はない。順調に育つベイビィを熱心に教育する様子はいつも通りだ。シルビアに対する態度だけがいつもと違っていた。

「…」

まあでもそういう日もあるだろう、と思う。スキンシップが無い日もあるだろう。むしろ毎日あそこまで密着してくる方がおかしいのだ。…だが。

「ねえメローネ」
「んー?」
「私何かメローネを怒らせることした?」
「俺がシルビアを怒らせることはあっても逆はないだろ?」
「だよね」

反射的に頷いてしまうほどの正論を返された。ここ数年を振り返ってみてもシルビアがメローネの怒りを買ったことはない、はず(本人が言うのだから間違いはないだろう)。彼の度を過ぎたスキンシップにスタンドを出して対抗することは度々あるが、そのような場合でも彼が怒ることは無い。もっともそれはメローネに非があるから逆ギレされたところでお門違いというものだが。そんなわけで、シルビアは突然淡泊な態度をとられるようになった理由に思い当たる節はない。ここにきてようやく反省したのか?と思うが彼の執拗さを知っているからこそ余計に困惑してしまう。メタリカとグレフルをダブルで食らってもめげずに挑んでくるのは世界中探してもメローネくらいだろう。それにスキンシップが無いこと以外は至って普通なのだ。それがまたシルビアを困惑させる。

何となくもやもやしたものを抱えながら白ワインを開けて流し込めば芳醇な香りが鼻孔を擽った。魚と野菜が焼けていく間にも何となく背後が気になって振り返るが、相変わらずメローネはこちらに目を向けることなくベイビィを育成している。

「メローネ、もう少しで出来るからそこ空けてもらっていい?」
「ん、いいぜ」

小皿とフォークを取り出して振り返ればメローネも一段落ついたのかパソコンを畳んでテーブルの端に置いた。いつの間に成長したのか、来た時よりも数倍大きくなったベイビィは向かい側のソファで絵本を読んでいる。その様子を横目に出来上がったアクアパッツァを綺麗に盛り付けていく。

「はい、どうぞ」
「Grazie. お、美味そう」
「…」

いつもなら腕ごと掴んで動作を妨害するのに、それだけ言うと大人しく皿を受け取った。

「(何か…、…何だろう)」

言葉にできないもやっとしたものが胸に渦巻いたシルビアは考えるよりも先にソファに手をついていた。

「ねえメローネ、ちょっとこっち向いて」
「ん?」

振り向いたメローネの頬を両手で固定して、口のすぐ隣に唇を押し付けた。ちゅ、と可愛らしいリップ音を立てて離れる。

「たまには私からイタズラとか、どうかなぁ、なんて」

顔を離して笑えば、メローネはぽかんとした表情でこっちを見つめていた。何が起こったのか理解できないといった様子だ。彼の周りだけ完全に時が止まっている。

「…ご、ごめん」

自分でやっておきながらとてつもない後悔と羞恥心に襲われて手を離そうとした瞬間、手のひらの上にさらに手が重なった。その行為に驚く間もなく、噛み付くようなキスが降ってくる。

「ッんんん〜〜〜!?」

あまりの勢いに顔どころか腰を反らせば、ぐるりと視界が反転して背中がソファに沈んだ。息継ぎをする暇もなく何度も唇が重なり、言葉は意味を成すよりも前に全て飲み込まれてしまう。まるで呼吸を奪われているみたいだ。
しばらくしてメローネが顔を上げると、二人を繋いでいた銀糸がぷつりと切れた。浅い呼吸を繰り返して、酸欠でふわふわした頭に必死に酸素を送り込む。

「っはぁ、っふ…は、」
「はーーー…」

一度深く溜息をついたメローネが顔を上げると、ギラギラと獣のような目がシルビアを射抜いた。もしかしてこれはやってしまったのでは、と今更ながら事の重大さを痛感する。

「シルビアさ、マジで何なの?」
「ちょっとしたイタズラのつもり、だったんだけど」
「勘弁してくれほんと…。さっきからずっとソワソワして何回も俺のこと見てただろ?何でそんなに可愛いわけ?俺そろそろ気が狂いそうなんだけど」
「き、気付いてたの…?」
「ずっとパソコンの画面に映ってた」
「なるほど…っていうか、だったらわざとやってたってこと?」
「押してダメなら引いてみろって言うだろ?シルビアがどんな反応してくれるか見たくて。でもさぁ、さすがにこれは反則だろ?」

ぎゅうっと力強く抱きしめられたかと思えば、首筋に顔を埋めてくる。首筋に当たる髪がこそばゆい。

「やだメローネ、そこくすぐった…っあ!」

突然肩をかぷりと噛み付かれた感覚に驚いて声が出る。反射的にスタンドを発現させるがそれは許さないといわんばかりに抱きしめる力が強まった。

「言っとくけど今日はスタンド禁止。今回ばかりはシルビアが悪いんだからな」
「それは重々承知してます…」

まさかここまで効果覿面だとは思わなかったが。スタンドを解除して鈍い痛みが残る首元を擦っていれば、反対の肩にメローネが頭を置いた。ざらりとした舌の感覚が喉を撫でる。

「それでシルビア、今からどうする?」
「っ…な、なにが…?」
「おいおい、まさかこの状態で”ハイ、終わり”なんてことはないだろ?今アジトには示し合わせたように誰もいない。つまり、いつも邪魔をしてくるプロシュートも過保護なリゾットも、その他大勢の目障りな外野もいないってワケだ」
「…つまり?」
「ベッドかソファならどっちの方がお好みだ?」

いつの間にか腹部に置かれていた手がするりと上昇し、反射的にびくりと体が震える。視線を感じて向かい側のソファを見れば、絵本を読んでいたはずのベイビィと目が合った。じっと見つめてくる瞳から逃げるように顔を覆う。

「…ベイビィの目につかないところで」
Come si desidera, principessa仰せのままに、お姫様

そう言って色気たっぷりに微笑んだメローネはシルビアの額にキスを落とすと、膝の裏と後頭部に手を回して持ち上げた。