※全体的になんでも許せる方向けです


刀剣男士たちとともに戦場に出る私に、政府はいい顔をしなかった。審神者は神聖なもの。物の心を励起する技力を持ち、眠っている物の想いや心を目覚めさせ、自ら戦う力を与える。刀剣に命を吹き込みこそすれど、ともに戦うなど審神者の役目ではないと、政府は私に何度も何度も注意をしてきた。それでも私は戦場に出ることをやめられなかった。戦場に出て、指揮を執る。直接歴史遡行軍と戦うすべを持たない審神者が戦場にいてはただの足手纏いにしかならないと人は言うかもしれない。それでも私は、彼らと同じ戦場に立つことで、ともに戦うことで、彼らのもとの主と対等になれるような気がしたのだ。私は刀を手にして戦うすべを持たない。刀を手にしての戦い方を知らない。だからこそ。ともに戦場に立つことで、少しでも、彼らに近付きたかった。彼らを手にして戦ってきた、彼らのもとの主と対等になりたかった。そして叶うのならば。


「主、ご命令を」


私を背に庇うようにしてそう言った私の近侍に、命を下す。彼は手にした刀で歴史遡行軍の最後の一人を切り捨てた。第一部隊の隊長である彼は、くるりと刀身をまわして鞘におさめる。そうして私の前に膝をつく。ほかの刀剣たちは大げさだ、またやっていると笑っている。それを気にも留めず、ゆっくりと顔を上げた彼は、「お怪我はありませんか、主」と優しい声で問いかけてくれる。「長谷部たちが守ってくれたから」そう答えれば、彼は嬉しそうに笑った。それが嬉しくて、仕方がない。私は刀を手にして戦うすべを持たない。刀を手にしての戦い方を知らない。だからこそ。ともに戦場に立つことで、少しでも、彼らに近付きたかった。彼らを手にして戦ってきた、彼らのもとの主と対等になりたかった。そして叶うのならば、私は。


「長谷部。戦ってくれて、守ってくれて、ありがとう」


私は、歴史上彼を手にしてきたどの主よりも、彼の一番になりたかった。今だけの一番じゃない。今の主だからというだけの一番じゃない。今までも、これから先も、すべてを通しての一番になりたかった。私は、彼の生涯にとっての一番になりたかった。いつかこの戦いが終わったその時に、私が主でよかったと、私が一番の主だったと、思ってほしかった。だから私は戦場に立つことをやめられない。元の主たちと対等に。そうしていつか、彼の一番に。そう願って、戦う力を持たない私は戦場に立つ。第一部隊の刀剣たちは私が審神者になってから長く付き合っている刀剣たちで、長谷部を含めてみな優秀だった。多くの戦場で多くの遡行軍を倒してきた。私の側には常に長谷部がいてくれて、私が危険に晒されることなんてほとんどなかった。戦いが終わるたびに膝をついて、お怪我はありませんかと問いかけてくれる長谷部が大きな傷を負うことだってほとんどなかった。だから私は安心していたのかもしれない。私はきっと、審神者が自ら戦場に出るというその危険性を、理解しきれていなかった。





いつもと同じだと思った。私と第一部隊の刀剣たちはいつものように戦場に出向き、いつものように指示を下し、いつものように戦えていた。そのはずだった。歴史遡行軍側はいつだって目の前にいる刀剣男子たちを狙っていた。それが今日は、違っていた。標的は明らかに審神者である私だった。私を庇うように立つ刀剣男士たちには目もくれず、私にむかって斬りかかってくるその異常さに気付いたときには、もう遅かった。私たちを取り囲む敵軍の数は今まで各時代に現れていた歴史遡行軍の数の比ではなかった。強さも桁違いであると気付いたのは重い刃を受け止めた長谷部が苦痛の声を漏らした時だった。戦っても勝ち目がないとこちらが判断すると同時に、歴史遡行軍は私たちへの攻撃を開始した。反撃なんて出来なかった。防戦という選択肢だってなかった。圧倒的な戦力差に、私たちはただ逃げることしか、出来なかった。そして夜戦という状況がそれを悪化させていた。物の心を励起する技力を持ち、眠っている物の想いや心を目覚めさせ、自ら戦う力を与える。それが審神者の役目だ。刀剣は審神者によって刀剣男士として目覚め、歴史遡行軍を滅ぼすために戦う。刀剣男士は審神者があって初めてその力を振るうことが出来る。歴史を修正することを望む歴史遡行軍にとって邪魔なのは刀剣男士そのものじゃない。歴史修正を阻止するために刀剣男士を過去に派遣する審神者が邪魔なのだ。審神者がいなければ、歴史遡行軍が戦いやすくなるなんてそんなこと、少し考えればわかることだった。それなのに。ともに戦場に立つことで少しでも彼らに近付きたかったなんて、彼らを手にして戦ってきた彼らのもとの主と対等になりたかったなんて、そんな理由で、私は戦場に立ち続けた。その愚かさに、こうなるまで気が付かないまま。


この事態を招いたのは、ほかならぬ、私だ。


「お怪我はありませんか、主」


長谷部が私のもとに跪いたのが、気配でわかった。大げさだ、またやっていると笑う仲間たちはもういない。代わりに虫の鳴き声や獣の遠吠えが響く。まるで私を嗤っているかのようだ。だいじょうぶ。はせべがまもってくれたから。そう返したいのに声が出ない。あたりに充満するむせかえるような鉄のようなにおい。私たちのまわりに倒れているのは歴史遡行軍の者たちだった。私を殺そうとした彼らは、今はもう、ぴくりとも動かない。


「主」


長谷部が私の頬に手を伸ばそうとする。伸ばそうとしたその手は私の頬には届かず、彼はそのまま私にむかって倒れこんできた。私の体に、私よりずっと大きくたくましい長谷部の体がのしかかる。その体は驚くほどに熱くて、息が詰まりそうになる。


「申し訳ございません、主…。少し、疲れてしまったようです」


耳元で長谷部の声が聞こえる。苦しそうな呼吸が聞こえる。はせべ。呼びたいのにどうしても声が出ない。のどを掻き切られたわけでも唇を縫い付けられたわけでもないのに、私の口から音が出ない。ぶるぶると震える手をなんとか動かして、長谷部の背に回す。長谷部の背は濡れていた。ぬるりと手に纏わりつくそれがなんなのか、私は知っている。指を立てれば、裂けた衣服の奥で、肌ではない何かに手が触れた。


「はせ、べ」


絞り出すように彼を呼ぶ。虫の声にかき消されてしまいそうな私の声が、長谷部に届いたのか分からない。けれど長谷部は私の背に、私がそうしたように、自分の腕を回した。震えた手のひらが、私の背中をなぞる。まるで、傷がないかを確かめるように。私が身に纏う巫女装束は汚れてこそいれど破れてはいない。私の体にはひとつの傷もついてはいない。抱きしめあっているような態勢のまま、長谷部が耳元で「主がご無事で、よかった」と小さく呟いた。自分が傷だらけになったこの状況で、そう言える長谷部のことが、私はわらかなかった。何も、何もよくない。長谷部は私を責めるべきだ。長谷部は私を殺すべきだ。この結末を招いた私に、ご無事でよかったなんて、そんなこと言う必要なんてない。それなのに長谷部は私を抱きしめたまま、「よかった」と繰り返す。


最初にやられたのは愛染だった。「へへ、やられちまった」と体中を真っ赤に染めて笑った彼は私がこの手で最初に顕現させた刀剣だった。弟のようにかわいがっていた彼は、私の目の前で破壊された。次に破壊されたのは燭台切だった。「はやく行くんだ。…かっこ悪い所は、見せたくないからね」そう言っていつものように私の髪に触れたその手は既に刀を握ることが出来なくなっていた。残った刀剣たちに手を引かれる私を、燭台切は微笑みながら見つめていた。彼の背後に立つ敵の太刀のぎらりと光った刃は私の網膜にこびりついている。私たちを逃がすためにおとりになったのは獅子王と和泉守だった。「すぐに追いつくから待っててくれよ」「なに心配そうな面してんだよ。俺はかっこよくて強いんだぜ。負けたりしねえよ」いつもと何も変わらない言い方で私に背を向けた二人の名前を叫んだけれど、いつもならば私が呼び掛ければ振り返って笑ってくれる二人は、私に背を向けたまま一度だって、振り返ってはくれなかった。私は二人がどうなったのかを知らない。陸奥守は私に謝っていた。最後までともにいられなくてすまないと。最初に私が出会った刀剣は、最後までともにいられないことを謝っていた。「さぁ、派手にいくぜよ!」響いた銃声と彼の声が、まだ耳に残っている。最後に残った長谷部は、私を狙う歴史遡行軍の残党をすべて蹴散らしてくれた。そのせいで、身体中にひどい傷を負って。長谷部はきっともう動くことが出来ない。長谷部はきっともう長くない。少し疲れた、なんてものではない。審神者である私にはわかる。愛染だけじゃない。燭台切も獅子王も和泉守も陸奥守も、もういない。私のせいで、破壊された。


「は、…長谷部」
「はい、主。…どうしたんですか、そのように、泣き出しそうな声を…出さないでください」


耳元で聞こえる声は優しい。私は、彼らの元の主に少しでも近づきたかった。本丸で待つだけじゃなく、ともに戦いたかった。戦うことで近付けるような気がした。そうすることで、歴史上彼を手にしてきたどの主よりも、長谷部、あなたの一番になりたかった。今だけの一番じゃない。今の主だからというだけの一番じゃない。今までも、これから先も、すべてを通しての一番になりたかった。けれど、これでは。こんなの。彼らの元の主はこんなことはしなかっただろう。刀をこんなにも傷付けて自分だけが生き残るなんてそんなことはなかっただろう。どうしてなんでこんなことになってしまったんだろう。いや違うどうしてこうなるということに考えが至らなかったのだろう。元の主に近付くどころか、彼の一番になるどころか、私は。


「私のせいで…」


長谷部の肩が上下している。苦しそうな浅い呼吸が耳元で聞こえている。戦場になんて出なければよかった。自分勝手な願いのままに戦場になんて出るべきではなかった。政府の言うとおりにするべきだった。直接歴史遡行軍と戦うすべを持たない審神者が戦場にいてはただの足手纏いにしかならないなんて当然だった。私はただ、本丸で静かに彼らの無事を願っていればよかった。彼らの元の主には近付けなかったかもしれない。長谷部の一番にはなれなかったかもしれない。けれどきっと、平和で幸せな日常がずっとあった。彼らはきっと幸せだった。幸せだったはずだ。私が戦場になんて出なければ、彼らはこうはならなかった。こんなことにはならなかった。


初めての鍛刀を終えて緊張で震える私を見て「よろしくな」と笑ってくれた愛染も。「身だしなみには気をつけなくちゃ」と私の寝癖を見つけては大きな手で直してくれた燭台切も。店に連れて行くたびに「買い物って楽しいよな」と目を輝かせていた獅子王も。畑仕事をお願いすれば「おいおい本気かぁ?」と言いながらもちゃんとやってくれた和泉守も。右も左も分からわからなかった私の手を引いて「さぁ、世界を掴むぜよ!」と言ってくれた陸奥守も。主と、いつだって優しく何度も私を呼んでくれた長谷部のことも。私は、私が。


「わたし、の…私のせいで、ごめんなさい…」


私にのしかかっていた長谷部が、ゆっくりと体を起こす。苦痛に漏れた声が耳に届く。長谷部は片手で私の頬に触れた。その手は今度は確かに、私の頬に触れた。長谷部の手は血で汚れている。長谷部の血か、それとも敵の血か、もう判断がつかなかった。雲間から漏れる月の光が、長谷部の瞳を輝かせる。綺麗な色の瞳だった。苦しいはずなのに痛いはずなのに長谷部はその綺麗な色の瞳を優しく細める。主。そう私を呼ぶ時の瞳だ。優しいこの瞳が好きだった。優しいこの瞳に見つめられることが好きだった。だから私は、この人の一番になりたかった。


「主、俺には、あなたが謝る理由がわかりません」
「だって、私のせいで、私が考えなしに戦場に出ていたせいで、」
「主」

長谷部の濡れた手が私の頬をなぞる。爪の剥げた指先が見えた。体はあんなにも熱かったというのに、血に濡れた手は冷たい。その手に、涙が止まらない。長谷部の破れた、血塗れの装束をぎゅ、っと握れば、彼は笑った。この人はいつもそうだ。私を主と呼び、私を見つめて、笑ってくれる。いつだって隣にいてくれた。


「俺は、あなたと誇りに思います。ただ俺たちの帰りを待つだけではない。ともに戦場に立ち、常に俺たちを導いてくれたあなたを誇りに思います。胸を張って、俺の自慢の主だと答えることが出来ます。…だから、謝らないでください、主」


欲しかった言葉が胸に刺さる。自慢の主だなんてそんなわけがない。こんな状況になったのはすべてが私のせいなのに自慢の主だなんてあるわけがない。そんなわけがないのに、長谷部は言葉を続ける。


「…主。俺はあなたに出会えて、あなたのお側に控えることが出来て、あなたのお声を聞くことができて、あなたと戦うことが出来て、あなたを守ることが出来て、とても幸せでしたよ」


全員そう思っていますよと言葉を続けて、長谷部が笑う。すべてを過去形にして笑う。違う、違う、違う。幸せじゃない。こんなの少しも幸せなんかじゃない。違うのに、長谷部は笑う。しあわせでした。その言葉通りに、本当に優しく、笑う。私を罵ることも軽蔑することも殺すこともせずに、笑ってくれる。私の頬をいとおしむように撫でて、今まで通り、私を主と呼んでくれる。長谷部の呼吸が苦しそうになっていく。手の温度が下がっていく。空に浮かぶ月が、長谷部の傷付いた体を照らす。綺麗な瞳は私だけを映していた。


「だからどうか泣かないでください。謝らないでください。…主、俺はあなたに泣いてほしいわけでも、謝ってほしいわけでもない」


長谷部の指先が、そっと私の口の端に触れる。震える指先が私の口の端を押し上げようとする。眉間に皺を寄せて、ひゅうひゅうと聞いたこともないような呼吸をして、それでも長谷部は私を見て笑う。私はうまく笑えない。冷たい手が、苦しい呼吸が、揺れる瞳が、長谷部の最期を私に教える。無理やりにでも笑わなければいけないのに笑えない。長谷部はきっと私に笑ってほしいのに。いつものように言わなくてはいけないのに。戦ってくれて、守ってくれて、ありがとう。私は今までどうやってその言葉を言っていたのだろう、どうやって笑っていたのだろう、私は、今まで、今までどうやって。


「あるじ」


頬をなぞって長谷部が笑う。痛いはずなのに苦しいはずなのにつらいはずなのに彼は私を呼ぶ。しあわせでしたと言った彼は、笑う。指先の力が抜けるのと、長谷部の瞳が閉じるのと、長谷部の体が暗闇に溶けていくのと、果たしてどれが一番早かっただろうか。呼吸のなくなった彼と共に私の呼吸が出来なくなればいいのに。私もこのまま死んでしまえたらよかったのに。長谷部の呼吸はもう聞こえない。長谷部の体には触れられない。自慢の主。そう言ってくれた長谷部の声が耳に残っている。ああ自慢の主じゃなくてもいいから。長谷部、あなたの一番でなくてもいいから。お願いだから。もう一度もう一度私に触れて私を呼んで私の前で呼吸をして。願ったところでもうどうにもならない。暗闇に溶けた長谷場がいた場所には、折れた刀が転がっている。


愛するように呼吸をしてください



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