「ねぇきみ。暇ならボクと遊ぼうよ」
人気のない路地裏で話しかけてきた男が殺気をぎらぎら放ちながら笑うので、私は彼を睨みつけた。
「そんなに警戒しないで。怪しい輩だと思ってる?」
この治安の悪いスラム街で女に声をかけるなんて怪しくないわけがない。目的は体か臓器か知らないけれど、生憎私はまだ貞操も命も失うわけにはいかないのだ。
「別に人身売買しようとかそういうのじゃなくて、これはただの素朴なナンパだよ」
黙っている私に向かって男は言った。
「ただきみとやり合いたいだけなんだ」
「やり合う?」
「殺し合うってこと」
「ああ、なるほど」
そういうタイプの人かと納得した私は丁重にお断りすることにした。
「悪いけど暇じゃないから、他の人を当たって」
「でもボク、きみがいいなぁ。一度だけでいいから……だめ?」
彼は、語尾にハートがついているといわんばかりに甘やかな声を出す。こんなふうに、愛を囁くかのような台詞で決闘を申し込まれたのは生まれて初めてだ。
「だめ」
私は言下に断った。すると相手は見るからにがっかりした顔で「ならきみが暇じゃなくなるまで待つよ」と、これまた官能的に告げるのだった。



それから二年ほど彼にストーキングされながら、私は彼について知っていった。ヒソカという名前をはじめ、ゾロ目の誕生日、戦闘という趣味、奇妙な念能力、などなど。知れば知るほど彼は変わり者であり、就中その性癖は異常者のそれでしかなかったため、私は彼をあまり好かなかった。
けれど「きみが暇になるまで待つ」と宣言した通り、なんだかんだ私が忙しくなくなるまで手を出さずにいてくれる男なので、それなりに話の通じる奴だとも思う。彼曰く、「やる気のない相手と戦っても本気の決闘はできないのでつまらない」のだとか。



しかしながら、そんな彼でもさすがに二年間待たされると我慢の限界が来るらしい。私を追いかけ回すのにもほとほと疲れたヒソカが、
「ねぇ、いつになったら暇になるの」
と不貞腐れた顔で文句を言ってきた。私にはヒソカの相手をしている暇なんてないと知っているくせに。私は彼の問いかけに返事をせず、スラム街のはずれにある墓地へ向かう。ヒソカはそんな私の背後をついてきて、一緒に墓地へ踏み入った。私は彼の存在を無視し、家族の名が彫られたボロボロの墓石に花を手向ける。
「きみってさ、ここに来ると顔が変わるよね」
私のことを長い間ストーキングしてきた彼は、私が年に一度だけ家族の墓参りをすることを知っているし、この場所が私にとって唯一感情的になれる場所であることも知っている。
「きみのその顔、たまらなく唆るよ。めちゃくちゃにしたくなる」
ヒソカは早く私を殺したいという感情をねっとり込めた低い声で告げた。
「ねぇ、その殺人鬼が死んだらきみは暇になるんだろ?……なら、ボクが良い殺し屋を紹介してあげようか。ちょうど友達にプロの殺し屋がいるんだ」
彼はあえて私の神経を逆撫でするような言葉を吐いてみせた。私を怒らせたくて。こうやって煽りでもしない限り、私がヒソカに本気の殺意を抱く日が来ないことを、彼はよく知っている。私が殺意を抱く人間はいつだってこの世に一人しかいなくて、その「一人」はヒソカではなかった。
「そんなに求愛したってダメだよ。今の私にはヒソカなんて見えてないから。私の一生分の憎しみを買いたいなら、私の生きる意味すべてを奪うとか……そのくらいしてくれないと」
私が墓を見つめながら冗談のつもりで呟いたこの言葉に、ヒソカはなにか閃いた様子でニヤリと笑ったかと思うと、サッと姿を消し、それから長いこと、彼は私の前に姿を現さなかった。



ヒソカが私をストーキングしなくなってから数ヶ月たったある日。正午の鐘で起床した私はその日の朝刊を見て愕然とした。一面に大きく取り上げられているのは「長らく指名手配されていた行方不明の連続殺人犯、死体で見つかる」の記事。瞬時にヒソカの顔が脳裏をよぎる。まさか本当に奪ってしまうなんて。ここまでされると、もはや怒りよりも呆れや虚無感がこみ上げるばかりだ。



その日の昼過ぎに私の家を訪れたヒソカは満面の笑みで言った。
「さぁ、これで暇になったろ?」
馬鹿な男だ。こんなことをして、私の殺意を買えるとでも思っているのだろうか。ヒソカと出会う前からとっくに私は独りぼっちで、これ以上不幸になりようもないのだから、もう私の身体には悲しむ元気も怒る気力も残っていないというのに。
それにしても、なぜ私が数年間探し回って尻尾すら掴めなかった凶悪犯を彼は易易と殺せたのか。しかもその凶悪犯は相当な念の使い手だったはずだが。……と、首を捻る私の心を読んだように彼は告げた。
「言ったろ? 知り合いにプロの殺し屋がいるって」
しばらくの間、ヒソカは不敵に笑っていたけれど、私がちっとも怒っていないことに気づくや否やしらけた顔をした。
「ああ……やっぱりきみって、ボクにちっとも興味ないんだね。ボクはこんなにもきみに振り向いてもらおうと頑張ってるのに」
そう言ってから、彼はもう一度、強請る。
「ねぇ……ボクと殺し合おうよ。ボク、きみのことをずっと追いかけてきたんだよ。だからきみも少しくらい、ボクに何か返してくれたって良いじゃないか」
まるで呼吸をするのと同じように、はたまた男が女に愛を求めるのと同じように、さも当然と言わんばかりの顔で決闘をせびるこの男は、私よりずっと歪んでいる。一体どうしてここまで狂うことができたのだろう。私も狂乱したかった。彼のようなイカれ方ができれば、私だって残りの人生に楽しみを見出すことができたかも知れない。そして彼の愛に応えることも、あるいはできたかも……。
精彩を欠く私の無表情を見て意気消沈したヒソカは黙ったまま背を向けて去っていく。私の生きる意味を一瞬でかっさらったくせに命は消してくれなかった。身勝手で気まぐれでこすくて最低な男。きっともう、彼は私の前に現れない。


こころは墓場へ忘れてきた



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