「お、おはよー…」

美歌が教室に入ってきた。
いつもならつかさがすかさず彼女の元へと歩み寄り、毎回恒例の会議へと流れていくはずだったが、今日はそうならなかった。
先日の出来事を振り返れば無理も無いかもしれない。
美歌は一人寂しく自分の席に着いた。
その様子を見て同じクラスの向日 岳人は不審に思う。
彼は密かに二人の恋を応援し、会話を誰よりも楽しみにしていたからだ。

(そう言えば、最近男連中の方も変だよな…)

あれ程までもつかさにアプローチを掛けていた忍足は影を潜め、向日から見てもいい感じだと思っていた宍戸は完全に美歌と距離をとっている。
4人がバラバラになりつつある事に、向日は気付いていた。

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「駄目だ…」

数日経っても尚、美歌はつかさと宍戸のどちらともコンタクトを取れずにいる事に焦りを感じていた。
つかさの事に関しては原因が解っている分、自分で何とか解決する術はみえているが…問題は宍戸だった。
彼については何が原因なのかわからない。
こちらからアプローチを掛けても一言目には「長太郎」だ。
一体どうしてそうなってしまうのか、美歌には解らないでいた。

「奥の手を使う他無いか…」

そう呟くや否や美歌は昼休みを告げるチャイムと共に教室を飛び出した。
その様子をつかさが少々心配そうに見ている事に、彼女は気付かない。
美歌が向かうは3年H組。
端の方にあるクラスまで駆け抜ける。
途中、生徒会役員らしき生徒に「廊下を走るな」と注意を受け、速度を緩めるもすぐに目的地に辿り着いた。
そして教室の扉を勢い良く開けた事によって、クラスの注目をかき集めたのである。
当の本人気にするでもなく(…またはそこまで余裕が無かったのかもしれない…)、目的の人物を視界に入れるとズンズン目標まで近づいた。

「忍足君…、話があります。」

先程の授業で使った教科書やらプリントやらを纏めて机に仕舞う忍足は、美歌の顔を見るなり一瞬驚きを見せた。
が、すぐに不敵な余裕のある表情になる。

「ええで?どこで話す?」

この意味深な忍足の発言にクラスはこれでもかという程ざわめいたのだった。

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「なっなんであんな言い方するかなぁ!!!!」

処変わって氷帝学園の食堂、カツ丼を前に顔を真っ赤にする美歌とサバ味噌煮定食を前に涼しい顔をする忍足。
2人は食堂の机に向かい合うようにして腰掛けていた。
先程、忍足の教室で意味深な発言を隠すこともなく注目の中発し、それに対し忍足がまた意味深な表情で意味深な返答をした事により、きっとその会話を聞いていた生徒達は勘違いした事だろう…
ただでさえつかさに勘違いさせてしまっているのだ。これ以上ややこしくなってほしくないのに…と美歌は頭を抱えた。

「いやぁ、どちらかと言うと胡桃沢さんの方が爆弾投下してったと思うけどなぁ…?」

お箸を指の間に挟み、いただきますのポーズをとりながら然程焦った様子もなく忍足はそう言った。
その様子を見て、あぁ…こいつとつかさってちょっと似てる。と少々呆れる。
というかどいつもこいつも話より食い気かよ!?と突っ込みたくなるのを美歌はグッと堪えた。

「ほんで?胡桃沢さんの方から声掛けてくるなんて珍しいやんか」

箸を綺麗に持つ忍足はサバの身を解し、掴んで口元へと持っていく。
あながち自分の話に興味がない訳ではない事を知り、美歌は少々安堵した。

「き、気付いていると思うけどわたし…今頼れる人が居ないんだよね…」

プライドも何もかもかなぐり捨てて打ち明けた事だった。
恥を承知でその事実を吐露するも、忍足は穏やかに笑った。

「胡桃沢さん、どこか食えんようなとこあったから安心したわ。」
「はて?わたしなんか食べても美味しくないでしょうに」
「それはガチで言うとんのか、敢えての返しなんか読めんとこが食えんと言うとるんやけどな…」

どんどん進む忍足の箸に対し、美歌はと言うと、やっと箸を手に取ったくらいだ。

「まぁ…、俺も胡桃沢さんに助けてもろてばっかやったから、何か返さななー…とは思っとったとこやねん。俺、何したらええ?」
「まず、相談会はこれで最後にしよう…という提案。」
「なんとなぁ〜くわかっとったけど、つかさちゃんに見られてしもたとか?」

つかさも忍足も侮れないと常々美歌は思っていた。
その理由は、その勘の良さだ。
皆まで話す前に的確に的を射てくる辺り、ある意味脅威に値する。
グッと黙った美歌を見て、また忍足は事の重大さを理解した。

「わかった。別に胡桃沢さん困らせたいわけちゃうし。色々ややこしなってしまったんは俺のせいでもあるもんな。」
「なんと察しがいいのか」
「そんなん言って、まだあるんやろ?」

定食に付いている味噌汁のお椀を持ち上げ口元で傾ける忍足を見て、美歌はほんとに敵わないと悟った。

「それと…宍戸さんに突然距離を置かれました。何かお心当たりは…?」

美歌の問いに忍足は箸を置いた。
顎に手を当て、考える。
その様子を見て微かに額に汗を掻く、次の言葉を美歌はじっと黙って待った。

「逆に胡桃沢さんに心当たりはあらへんの?」
「えっ、わ、わたし…?」

言われて考えない様にしていた事が頭を過る。
いくら考えども理由が分からなかった…いや、ただ一つの可能性を考えない様にしていた。
そう、彼は…宍戸さんは自分に愛想を尽かしたのではないか。
あまりのウザさに嫌悪したのではないか。
と、美歌はそうどこかで懸念していた。
黙りこくる美歌のその反応に忍足は少し助け舟を寄越すつもりでこう言った。

「まぁ、今回の件…、恐らく原因は胡桃沢さんにあるんちゃうかと俺は思ってる。」
「やっぱり…」

一瞬、頭が真っ白になってしまった美歌。
やはり自分は彼にがっつき過ぎていたのかと…だから、厄介払いをしたかったのだと…。
考えはどす黒い渦の中に飲み込まれてしまった。

「まぁ、胡桃沢さんちょぉっとばかし変な行動取る事あるから、宍戸が勘違いするのも無理ないで。ちゃんと自分から誤解解いて…て、あれ?」

忍足の前には既に、殆ど手付かずのカツ丼と引かれた椅子しか無かった。

「アカン…、胡桃沢さん勘違いしたんちゃうか…」

忍足としては、彼女を責めるつもりは欠片もなかったのだ。
しかし、誤解というのは本人の手で解かなくてはならない。
そういう意味での“原因は彼女にある”だった。
今の彼女はつかさとの一件で、考えがネガティブ方面に傾きがちであることまでは、忍足には考え至らなかったようだ。

「また…ややこししてしもたかな…」

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“奥の手”
彼女が言うほど奥にある訳でもないその“奥の手”は、何の事はない。
先日、つかさとの喧嘩にも関わる人物だった。
あんな事があった今、彼に接触するのは得策でない事は百も承知の上で、美歌は忍足を相談役として選んだのである。
それ程までにも、今の彼女には頼れる人物が居ない。
つかさと揉めてしまった事もあり、これを最後に助言を頂こうと意を決めた…結果がこれである。

「はぁ…、やっぱそうだよね…」

美歌はと言うと、一人中庭までとぼとぼ歩いていた。
ここに来て独りぼっちを痛感する。
中庭の大きな木の下にある煉瓦の塀に腰掛けた。

「こんな所で1人でなにやってんだよ」

足元に視線を落としていた美歌の目に一つの人影が映る。
ふと顔を上げるとそこに居たのはクラスメートの向日 岳人だ。
美歌が座る煉瓦の横に腰掛ける。
そんな彼に美歌は、捨てられた子犬のような表情を向けた。

「がっくん〜」
「情けない声出すなって。藍川と何かあったのか?」
「流石にバレちゃってるかー」
「そりゃ、毎日一緒に居るのに今日は居ねぇもんわかるわ」

言われ美歌は、乾いた笑いを零した。
流石に塞ぎ込んでしまっている彼女を見て、向日もいたたまれない気持ちになる。
少し考え込んだと思ったら、向日は、よし!と声を上げ勢いよく立ち上がった。
何事だと思った美歌の視線も上がった。

「俺に任せとけ!」

頼れる人間は居ないと思い込んでいた美歌だったが、思わぬ所でのピンチヒッターが彼女の前に現れたのだった。