思い出を噛み締めて

浅草が炎に飲み込まれ、人々は恐怖に慄く。焔ビトがいつ現れるのか分からない、そしていつ自分が焔ビトになるかも分からない。そんな混乱に満ちた浅草を、この町のリーダー的存在である新門紅丸は必死に事態の収集に動いていた。
例え喉が焼けそうでも、声を張り上げることをやめない。けれど身体はそうもいかず、発火限界を迎えた手は情けなく震えていた。――目の前に、この浅草をまた戦禍に陥れた元凶である白装束と鬼の焔ビトがいるのに。限界を迎えてしまった自分では十分な火力が出せない。

どうする、と焦りながら思案した時だった。片膝をつく自分の前に、第7の防火服を見に纏った一人の消防官が立っていた。その人物を自分は誰よりもよく知っている。知っているからこそ、ここには来て欲しくなかった。

「退がれ名前! そいつはお前が敵うような相手じゃねェ!」

焼けた喉で精一杯叫ぶ紅丸。けれど名前は振り返らない。

「大隊長が死んでしまったら、この浅草はどうなるんですか」
「俺は死なねェ、だから――」
「限界も来てるくせに馬鹿言わないで下さい」
「テメェ……」
「それに、」

顔だけ紅丸の方へちらりと向け、柔く微笑む。それはここが戦場だと忘れてしまうほど、普段詰所で見る表情と一緒だった。

「私だって、大隊長と同じ煉合消防官です。鬼の一人や二人すぐ片付けますから」
「聞き捨てならんな。たかが消防官に鬼が倒せるとでも?」
「…倒せる倒せないじゃない、倒すんだよ。その後でお前もね」

話に割って入ってきた白装束を容赦なく睨みつける名前。

三度みたびこの浅草を炎に巻き込んだこと、精々あの世で後悔することね」

強い口調で宣戦布告した名前を紅丸はそれでも「やめろ! さっさと逃げろ!」と引き止める。だがもう名前には“退く”という選択肢は消えていた。
今ここで自分が退けば、確実に大隊長は死ぬ。そう確信していたからこそ、彼女はどれだけ怖くても立っていられたのだ。

恐らく良くて相討ちになるだろう。自分の力量を彼女は正しく理解していた。だから――、

「大隊長」
「退がれ、名前…」
「私……」

――第7に入れて、大隊長の傍にいられて、本当に幸せでした。
それが、名字名前が紅丸に向けて放った最期の言葉だった。







ぐるりと360度取り囲む観客やプローヒーロー達は、中央のステージで行われている戦いに目を奪われた。それは普段から焦凍と名前の両者を知っているA組のクラスメイト達も同様で、全員食い入るように見つめている。
土煙が舞い、セメントスが作り上げたステージも所々崩れている。焦凍が氷で攻めれば、名前は炎で全て燃やした。

「正直轟兄の方は推薦だし、授業でもクソ強えから実力は分かってたけど……。妹の方ってあんなに強かったっけか?」
「いや、正直二人を比べても力量差は明確だった。轟さんの火力だってもっと威力は低かったはず……なのに、轟君の大氷壁をあんないとも簡単に溶かすなんて…」

切島の問いに緑谷はブツブツと言いながら、今までの授業での二人を思い返す。名前はどちらかと言えば、戦いに不慣れだという印象だったのに、今目の前で繰り広げられている戦いは全く違う。まるで手練れのそれだ。“個性”である炎の扱いだってあまり得意そうではなかったのに、今では自由自在に炎を発火させて操っている。

すると、一際大きな爆発音が響いたかと思えば、あたりは静寂に包まれた。

「……お前、こんなに動けたのか」
「今までろくに話し合っても来なかったのに、私の力量を把握してるみたいな言い方やめて」

それより、と名前は視線を焦凍の左に定めた。

そっち、使わないの」

理由を知っているくせに聞いてくるあたり、性格が悪い。自分でも思いながら名前は敢えて訊ねた。緑谷と戦ったことで気持ちが少し揺らいできた焦凍だが、まだ考えは纏まっていない。そんな中で自分の地雷を堂々と踏んできた双子の妹に苛立ちを覚えた。

「緑谷君の時は使ってたのに」
「……お前は、親父アイツのことどう思ってんだ」
「……別に、好きでも嫌いでもないけど」
「じゃあ何で躊躇いなく“個性”を使えるんだよ」
「はあ?」

投げられた質問が、名前の想像よりも遥かに馬鹿げていたため、思わず態度が悪くなってしまった。だが焦凍の顔は真剣で、揶揄っている訳ではないらしい。仕方なく名前は口を開き、彼の問いに答えた。

「自分の力を使って何が悪いの?」
「だけどそれは、アイツの…」
「この炎は私の中にある、私だけの力! 父さんのものでも焦凍のものでもない!」
「ッ、じゃあ! お母さんとアイツの力、両方持った俺は――」
「それは焦凍の力でしょう! 焦凍がいつも使う氷は母さんのものじゃないし、忌み嫌ってる炎は父さんのものじゃない! 全部、全部あんたの力! 勝手な被害妄想で他人に押し付けんな!」

思い出すのは、前世。悪魔と呼ばれていた第8の少年、新羅だ。彼は第三世代というだけでなく、かつて己を殺した白装束達が狙うアドラバーストと呼ばれる力を持っていた。そのせいで弟は拐われ、母親は鬼にされてしまい、結果――周囲から“悪魔みたいな奴”だと蔑まれて生きてきた。
それでも彼は俯かなかった。立ち止まらなかった。例え敵の手に弟がいたとしても、救うという信念は曲げずに戦い続けていた。そんな新羅だからこそ新門大隊長も修行することに頷いたのだろう。

「俺、は……」
「別に、いつまでもぐずぐずうじうじしてればいい。その間に私は……!」

手のひらに炎を出現させ、人差し指と中指を立てればそれは細く絞られる。圧縮された炎のせいで、名前を中心に風が巻き起こっていた。

「あの人みたいな、最強の消防官ヒーローになる!」

瞬足の域を超えたスピードで焦凍の懐に潜ると、腕に炎がギュルッと現れる。そのままかつて最強の消防官と呼ばれた男に教えられた通りの手の型をすれば、ドン!という音と共に強烈な炎の爆撃が焦凍に撃ち込まれた。その衝撃により焦凍は意識を保っていられず、そのまま場外へ飛ばされてしまった。

《轟焦凍、場外! 轟名前――決勝戦進出!》

審判のミッドナイトの号令に、会場中が湧き上がる。ふと上を見てみれば、険しい顔つきで自分達を見下ろすNo.2ヒーロー、エンデヴァーと目が合った。恐らく彼の思考としては『いつの間にあんな力をつけたのか』と言ったところだろうか。

「(…くだらない、焦凍も、父親も)」

会場を後にして、控え室に向かう。クラスメイトが居るところには今は行かない方がいいだろう。
普段落ちこぼれを演じてきたが、会場の熱気と相手が双子の兄だということで演技を忘れてしまい、結果自分の実力を見せることになってしまった。全力ではないとは言え、面倒な質問攻めに会うのは目に見えている。落ち着くまでは控え室で籠もっていよう。

「オイ、落ちこぼれ女」
「絡むのは決勝で良くない? …爆豪君」
「うるせェ! テメェ、今まで実力を隠してたんか? アァ!?」
「別に、君には関係ない」
「あァ、関係ねェよ! ただ次俺とやる時は全力でやれ。俺が目指すのは完膚なきまでの一位だからなァ!」
「ふふ、いいね」

まさかそんな風に返されるとは思わず、爆豪は怪訝そうに彼女を見返した。だが名前はクスクスと笑うばかりで、やがて笑いが収まると笑顔のまま言葉を続けた。

「火事と喧嘩は江戸の華、ってね」

この後二人とも派手に戦い合ったせいでステージはめちゃくちゃになり、互いに着地できる場所が無くなってしまったということで、両者引き分けという結果で体育祭は幕引きとなったのである。

その後、当然クラスメイト達に問い詰められた名前。引き分けになって苛立ちを隠しもしない爆豪や、手当て済みの焦凍もいる中、八百万が次の質問を投げた。

「あのような戦い方、一体どなたに習いましたの?」

皆が訊きたかったそれに、名前は目を細めた。

「最強の消防官」

その時の名前の表情は、クラスメイトも――双子の兄である焦凍も見たことがないほど、愛おしさが詰め込まれた優しいものだった。