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豪華客船で行くニューヨークの旅――世界一豪華と言われている、カンパニア号処女航海。桁外れのデカさにほとほと呆れながら、彼女はデッキに並ぶ人の多さに肩を竦め、潮風を一身に浴びた。


神の使徒、遭遇する




「はぁ…。なんとか乗り込めた、か」

慣れないドレスに身を包み、一介の貴族に成りすました彼女の名は、なまえ・みょうじ。黒の教団に所属する、神に選ばれた使徒――エクソシストである。
アメジストを思わせる双眸に海を映し、これからを憂いて悩ましげな溜め息を吐いたなまえは、二日間はゆっくり休もうと一等旅客用の自身の客室へと足を向けたのであった。

嫌な日ほど早く迎えるもので、二日経った今夜はやはりドレスを纏って一等旅客用ラウンジに出向いた。煌びやかな世界に出迎えられ、なまえは思わず足を止めそうになったがこれも仕事。すぐにすました顔を作ってワイングラスを手に持った。もちろん、口はつけない。

今回の彼女の御目当ては、『死者が蘇る』などと馬鹿げた話の真相を突き止めるためだ。それにAKUMA製造者“千年伯爵”が関わっているかもしれないと踏んだ教団は、早々に調査することを決めた。その白羽の矢が立ったのがなまえである。

そのような噂を立てた『カルンスタイン病院』は、院長であるリアン・ストーカーをはじめとした上層部の医師が、“アウローラ学会”と称した会合を開いていることが分かり、さらにその学会の実態は非合法な人体実験を行っていることも判明。実験の成果は定期的に発表会を催し、貴族などから寄付を募っているのだそう。

そして4月17日の今夜、この豪華客船『カンパニア号』内にて集会が開かれるのだ。

「……(合図、か)」

“暁学会”開会の合図は、ウエイターが空のグラスを持ち、ホールを巡回すること。参加者はそれを受け取り、会場へと行く。
なまえも例に習って会場に潜入しようと思ったのだが、あまりに危険だと同業者である神田ユウに鬼の形相で止められ(脅され)、結局合図があっても動かなかった。――きっと、あとで嫌でも動くことになる。何故かそう確信して。

そして、その確信は的中することになる。

キャァァァアアア!!!
ヒィィ!! だ、誰か!! 誰か助けてくれ!!!

阿鼻叫喚。その言葉がぴったりな程に、カンパニア号はパニックに陥っていた。手足はツギハギで、口は裂けるぐらいに大きくあけて人間を求め彷徨い、喰らう人間――もとい、蘇生された者達で船内は溢れていた。

ラウンジに居たなまえは動きにくいドレスをそのままに、迫る口や手を避けながら走り回る。やはり、死者蘇生などあり得なかった。それだけではない。
この件に、千年伯爵は関わっていない。すぐにそれを確信したなまえは、さっさとこの場から逃げ出したい思いをぐっと堪えて、自分の客室まで急いだ。

「やっとこのドレス脱げる! チル、コムイに繋いで!」
「ぴっ!」

転がり込むように部屋に入ると、乱雑にドレスを脱いでコルセットを取り、エクソシストの服に着替える。その間に師匠のクロスお手製の通信用ゴーレム“チル”に、『黒の教団』室長のコムイに通信するように呼びかけた。
可愛らしい鳴き声を上げたチルは、すぐにザザッ…と本部と繋げる。

《…、…ちゃん、…っ…なまえちゃん!? 大丈夫かい!?》
「私は大丈夫。今のところはね」

最後にバサっとコートを羽織った瞬間、船がとてつもない揺れに襲われた。家具は大きく倒れ、なまえも「うわっ!?」と予想外の事態に戸惑いながら壁に掴まり、なんとか立ち続ける。
その声と音に反応したコムイが《なまえちゃん!?》と名前を呼んだ。

「大丈夫。多分、船が何かにぶつかったんじゃないかしら…。この騒ぎだもの、何があっても不思議じゃないわ」
《やっぱり、死者蘇生はなかった…ということかい?》
「えぇ。あれを蘇生だなんて言ってのける奴の神経がわからないわ。ついでに言うと、千年伯爵との関与も無いと思う。あれはアクマなんかじゃなかった」
《そうか…。早く戻っておいで、と言いたいところだけど、そうもいかないね》
「そうね。この船に乗り込んだ人達を放ってはおけないし、まだ不可解なことも多いもの」

苦く笑うなまえに、映像の中のコムイは悔しそうな、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

《ごめんね、そんな危険なところに行かせてしまって》
「いいわよ、別に。これがリナリーじゃなくて良かった」
《なまえちゃん……》
「…そんな顔しないの、コムイ。大丈夫だってさっきから言ってるでしょ? 私は、生きて帰るから」

その時はちゃんと出迎えてね?
努めて明るく笑うと、コムイもうっすらとではあるが笑顔を見せてくれた。

通信を切ってブーツに履き替えたなまえは、カツンと足音を立てて部屋の扉を開けた。――瞬間、飛び込んできた血まみれの顔と手になまえは臆することなく足を振り上げた。鳩尾を容赦なく蹴られた女は廊下の壁にぶつかり、やがて「あ゛ぁ゛ーー!!」と叫びながらまたなまえに飛びかかる。哀れな姿に眉を顰めた彼女は、忍び込ませていた果物用ナイフで心臓を一突きにした。

「……は!? これでも死なないの!?」

ゾンビのような彼女らを殺す方法など知るはずもないなまえは、心臓を刺されても死なないことに驚き、焦る。仕方がないと自分に言い聞かせ、ぼそりと「イノセンス、発動」と呟くと、手にしっかりと己の武器を持ったことを確認して目の前の女の首を胴体から切り離した。
血飛沫が上がり、床に容赦なく降り注ぐ。幸い顔や髪に血はかからなかったが、きっとこの黒いコートにはべったりとついているんだろうなと内心溜め息を吐き、なまえは廊下に蔓延るゾンビもどきを己のイノセンスである刀で掃討していった。

ザザ…ザ……ちゃん…? なまえちゃん、聞こえるかい?》
「コムイ」
《生存者の確保に努めながら、リアン・ストーカーを捕縛して欲しいんだ。彼はこの一件の首謀者と言っても過言じゃないからね》
「了解」
《……気をつけてね》

最後に心配そうな声色でそう言うと、今度こそ通信は切れた。なまえはチルにリアン・ストーカーを探してもらい、一直線に駆け抜けた。勿論、道中でゾンビもどきに襲われそうになっている場面を見たら、しっかりと助けながら。
着いた先はなまえも良く知る、一等旅客用ラウンジだった。そこでは今まさに、死闘とも呼ぶべき戦いが繰り広げられていた。

「……なに、これ」

呆然と呟くなまえ。だがすぐに覚醒して、リアン・ストーカーを探した。目当ての男はものの数秒で見つかったが、大分距離がある。あそこまで行くということは、この戦乱の中を潜り抜けなければならないということ。

悩む暇などなかった。なまえは黒いコートをはためかせ、一気に突っ込んだ。けれど、それをこの場にいる者達がそうやすやすと見逃すはずもなく。なまえは迫り来るシルバーナイフを寸でのところで躱した。

「女性がこのようなところへ、何用でしょうか」
「誰よアンタ、見たことないわネ」
「ずいぶんなかわい子ちゃんじゃん! まあ…こんなところにわざわざ来るくらいだから、普通の奴じゃあないんだろうけど」

シルバーナイフを投げつけた燕尾服の男、ファントムハイヴ伯爵の執事であるセバスチャン。
それぞれ死神の鎌デスサイズを構えながら此方を見る死神のグレル・サトクリフとロナルド・ノックス。
遠目からまじまじとなまえを観察する、ファントムハイヴ伯爵家当主、シエル・ファントムハイヴ。
銀の髪を靡かせ、微かに死神と同じ緑の燐光を光らせる元死神、葬儀屋アンダーテイカー

それぞれをアメジスト色の双眸に映したなまえは、ゆっくりと口を開いた。

「リアン・ストーカーを捕らえに来ただけよ。貴方達の邪魔はしないから、安心して」
「リアン・ストーカーを? 何故です?」
「それは…貴方達に言えることではないわ」

目を細めると、なまえはまた歩き始める。勿論、セバスチャン達はそうはさせまいと葬儀屋に振りかざしていた攻撃をなまえにも向けた。襲いかかる矛に、彼女はなんの抵抗もせず背を向けたまま歩き続ける。
シエルがなまえの死を確信した瞬間、ガキィィン!と甲高い音がラウンジ全体に響いた。

「な、……っ!?」
死神の鎌デスサイズを受け止めている、だと…!?」
「ヒッヒッ…何者かと思ったらその十字架の紋章ローズクロス……君、『黒の教団』に所属するエクソシストだねぇ〜?」

葬儀屋の台詞に一同が目を瞠ってなまえを見る。当の本人は別に隠していることでもないからか、おどけたように肩を竦めた。

「エクソシストだと……。何故そんな奴らがこんなところに――」
「死者蘇生」
「!!」
「……その調査を任されてね。私達の敵が関わっているのかいないのか、まずはそれを確認しなければならなかった」
「そんなことはどうだっていいワヨ! なんで死神の鎌デスサイズの刃が通らないワケ!?」
「…ふ、っふふ……。通るわけないじゃない。これは“神の結晶”――イノセンスよ? そこら辺の武器と一緒にしないで欲しいわ」

可笑しそうに笑うと、なまえは対AKUMA武器である刀を構えた。このままリアン・ストーカーを捕縛して連れ去ることは可能だが、それをするにしてもこの邪魔な存在をなんとかしなければ。
面倒臭そうに一つ息を吐くと、なまえはグッと足を踏み込んだ。

「アタシ達の邪魔をしないでくれる!?」
「邪魔はそっちでしょう?」
「かわい子ちゃんを痛めつける趣味はないけど…残業はしない主義なんでね!!」

二つの死神の鎌デスサイズがなまえを襲う。タン、と軽やかに跳び、刀を横に一線引いた。無数の斬撃が重なり合い、グレルとロナルドの体に傷を作る。
なまえが空中で身体を一回転させると、シュッとシルバーが飛んできた。芸がないと呆れて刀でそれを弾くと、いつの間にか目の前にある赤の燐光が、己を貫いた。

「は…っ…!」
「おやおや、人間にしては反応がよろしいようで」
「(…“人間にしては”…? どういう…)――っ!」

グワッと迫り来る靴の裏に、なまえは大きく仰け反って避け、二階の手摺に着地した。すると、待ってましたとばかりに口を開けたゾンビもどきが彼女を狙って襲いかかる。そんな隙を与えるかと力強く手摺を蹴ると、葬儀屋と相対するセバスチャンに刀を振り上げた。

「人間にしては…って、さっき言ったわよね」
「…それが?」
「だったら、貴方は何なのかしら」

キンキンと互いに激しいやり取りをしながら、なまえは鋭い眼光でセバスチャンを睨む。幾度となく問いかけられたそれに、セバスチャンはニヤリといやらしく笑った。

「私は、あくまで執事ですから」

カッと眩い光がラウンジを包み、やがて爆発する。煙が舞う中、なまえはスーッと刀身を人差し指と中指の二本で撫で付けた。

「イノセンス発動!」

撫でられた刀身は、みるみるうちにただの鈍色のそれから真っ白へと変化する。柄まで白に変わった刀――“白蓮”を、ただセバスチャンにだけ向けた。

「なんとも、不思議な刀ですね」
蓮々幻舞れんれんげんぶ

蓮が舞う。真っ白な蓮が。視界いっぱいに覆い尽くされた蓮の花弁はぺたりぺたりとセバスチャンに張り付き、やがて全身を埋め尽くした。必死にもがいて花弁を取ろうとしても取れず、むしろだんだんと力が無くなってきた。

「あくまで執事……アクマ…。ねえ、貴方――」

スゥ…っと刀を振りかざしたときだった。まるでなまえの身体を屠ろうと、大鎌がヌゥッと現れた。良いところで邪魔をされ思わず舌を打ってしまったなまえは、くるくると回転しながら地面に着地した。
葬儀屋を中心に、グレル、ロナルド、セバスチャン、なまえと円を描くように囲む。誰がどうみても狩られる兎は葬儀屋だが、戦いの最中に身を置く彼らにはそう思えなかった。気を抜けば自分が兎になると確信しているから。

誰が動くか――牽制し合う彼らを嘲笑うように、一人の男の笑い声が頭上から降り注いだ。

「ハハッ、何だこれ? 何の戦い?」
「……また、新しいお客人のご登場ですか」
「いい加減帰りたいんすけどねー」
「おやぁ? 小生でも知らないなぁ」
「アラ! セバスちゃんと張るくらいのイケメンじゃない!」

三者三様の反応を見せる中、なまえだけは違った。ギャリッと地面が抉れるほどブーツで踏み込み、“白蓮”を容赦なく振り下ろした。

「おいおい、いきなりかよ。ちょっとはゆっくりさせろって」
「何で……なんでお前がここにいる! ティキ・ミック!!」

巧みにイノセンスを操るなまえに、褐色の男――ティキ・ミックは「お前と同じだよ」と言ってのけた。
AKUMA製造者“千年伯爵”から、今話題になっている死者蘇生とはどういう仕組みで、誰が主として行なっているのか。本当に生き返っているのか。ノアの一族である自分にそれらを調査するという命が下った。

「つか何? アクマうちのに似てるけど……命令の通らないガラクタに興味はないな」
「随分な言い草だねぇ〜〜。それじゃあ…命令の聞く人形を君は持ってるのかい?」
「当たり前だろ? というか…葬儀屋ともあろう奴が知らないわけ? ――AKUMAの存在を」

グワッと刀がティキに迫った。不意打ちにもかかわらずそれをひょいっと軽やかに避けたティキは、楽しそうな笑みを浮かべる。

「説明ぐらいさせろよ」
「あんたが一人で来るはずがない…。どうせアクマもいるんでしょう?」
「うわ、やっぱりこっちの行動パターンは筒抜けかァ。なら、隠しててもしゃーねぇな」

二人の会話に訝しげな眼差しを送るセバスチャン達だが、突然若い女がラウンジに現れた。この場の雰囲気には似合わない、汚れひとつない綺麗なドレスに、乱れていない髪。優しげな笑顔を浮かべる女は、階段上に居たシエルに近づいた。
その女の雰囲気が普通の人間と同じだからか、グレル達は動かない。だが――なまえだけは違った。

「貴方のお名前は?」
「は? この状況で何を言っている」
「あら、別にいいじゃない。私はマリエルっていうの」

スッとシエルの頬に手を伸ばす。その自然な動作に、セバスチャンも動けなかった。
あともう少しでシエルに触れる――その瞬間、女の腕がストンと斬り落とされた。

「な、っ!?」
「うーわ、あそこまで躊躇いなく人間を斬れるって相当じゃね?」
「……いいえ、あれは…人間ではありませんね」

腕を斬り落とされた女は途端に苦しみ、ズルッと人間の皮から這い出た。全貌を露わにしたそれは、とてもじゃないが“人間”とは言い難い“何か”だった。
目の前でその物体を見たシエルは恐れ慄き、無意識にズリズリと後ろへ下がる。

「な、な、なんだ…これは…!」
「……そこにいるゾンビもどきを“動物兵器”と名付けるなら、これは“AKUMA”と呼ばれる“悪性兵器”」
「レベル1しか連れてきてないから、安心しろ」

空中に浮きながら、ティキが言う。しかし安心なんて出来るはずもない。何せティキの言うことをバカ真面目に信じるほど、なまえはこの男を信用していないのだから。

「それ、一番安心できない奴が言う台詞じゃあないわよね?」
「ちょっとは俺を信じろって! 戦友だろ?」
「敵同士のね!」

アクマがシエルに攻撃する前に倒し、再びティキに向かって猛攻する。しかし、ティキは突如として現れた扉に手をかけ、開いた。
その扉の意味がわかったなまえは悔しげに歯噛みし、ストンと地に足をつける。セバスチャン達は突然現れた扉に驚いているようだ。

「ま、なかなかに楽しかったぜ。結局はまだ施策の段階ってことも分かったし、収穫はほどほどにあったかな」

ニヒルに笑ったティキは、そのまま扉を潜っていった。
ラウンジに残った者たちは、また事の元凶である葬儀屋に刃を向ける。けれど船が侵入した水の重みに耐えきれず、船首が持ち上がってしまったせいで、大きく傾いてしまった。

どうすることも出来なかったリアン・ストーカーは転落し、死亡。ただ利用されていただけの、愚かな男の結末のなんと哀れなことか。
彼の死を見届けたなまえは、葬儀屋が船を分断したおかげでラウンジから脱出することが出来た。出来たのだが、ここからが問題だ。何せここは水上。逃げ場などどこにもないのだ。

「チッ……」

思わず舌を鳴らすと、セバスチャンがシエルを水面に向かって投げている光景を目にした。なまえはこの際なりふり構ってられないと、後を追うように沈みゆく船から離脱した。







命令だセバスチャン、掃討しろ!!
御意イエスご主人様マイロード

セバスチャンは、暗い海に蔓延る死者蘇生の実験体達を一人で仕留めて行く。しかし、死神の鎌デスサイズで受けた傷は治りが悪く、徐々に彼の体力を奪っていった。
セバスチャンの目を掻い潜って、シエルに手を伸ばす実験体が一人。叫び声すら上げられないシエルを、セバスチャンが助けようと手を伸ばすよりも先に、スパッと目の前の実験体の首がなくなった。

「な、なん……」
「どうも」
「!! おっお前…! あの時のエクソシスト!!」
「お前って…まぁいいか」

なまえを気にしながらも戦う手を止めないセバスチャンを一瞥したあと、彼女はイノセンスを構えた。

「私も早く帰りたいのよ。殲滅を手伝ってあげるから、救助船が来るまで乗せてくれないかしら?」
「得体の知れない人間の手など…(いや、待て。この女…アクマだとかいう悪性兵器とやらのことを何か言っていたな。……女王の敵になるやもしれんものを、放っておくことは出来ない)」

そこまで考えたシエルは「仕方ない」と頷いた。主人の思惑を図ったセバスチャンも何も言わず、なまえに背中を合わせた。

「…じゃ、やりますか」

その言葉が合図だったようで、二人はとびかかって来る敵を躊躇いなく殺していった。

「――…ふー、…疲れたぁ」

朝日が昇り、血に塗れた三人を明るく照らす。
へにゃりとなまえがボートに座り込むと、後ろで戦っていたセバスチャンが呻き声を上げながら片膝をついた。

「セバスチャン!」
「さすがの私も…死神の鎌デスサイズでの一撃は応えました…」

見ると、抑えている胸元からじわりと血が溢れ出てきた。なまえは膝をつくセバスチャンの傷口を見ながら、己の手首から流れる血を悩むように見つめたあと、それを彼の口元に持っていった。

「これは…何の真似です?」
「飲んで」
「お前、何を突然……」
「私の血には、治癒能力があるの。早くしないと傷口が塞がってしまうわ」

言ってるそばからなまえの体は傷がなくなっていく。すっかり消えた手首の傷を、なまえが自分で新たに作るとまたセバスチャンの元へ近づけた。
明らかに人とは異なる治癒速度に驚きながらも、セバスチャンはなまえの申し出を受け入れ、ソッと手首に口付けた。ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らしながら血を飲むと、死神の鎌デスサイズにやられた傷が塞がっていくのが分かった。

「これは……」
「…お前は、何者なんだ」

シエルが尋ねると、なまえはきょとんとしたあと憂うように笑った。

「……ただの、エクソシストよ」

ボォー…ボォー…。救助船が音を鳴らしながらやって来た。爽やかな風が吹くのを肌で感じながら、なまえは安心したように目を閉じた。





「──それではさようなら。ファントムファイヴ伯爵……そして、その執事さん」
「待て。お前には詳しく話を聞かねばならない。我が屋敷に来い」
「ごめんなさい。私も早くホームに帰りたいの。疲れた体を癒したいし、何よりアクマはそこら中に蔓延っている。不足しているエクソシストに、暇なんてないのよ」

口では謝っているが、その態度はまったく謝罪の意を示していない。
シエルがセバスチャンに無理やり捕えるように命令しようとした時だった。なまえの後ろから彼女と同じ服装で、黒く長い髪を一纏めにした男がやって来た。

「なまえ」
「ユウ……」

どうやら仲間らしい。運が悪いと舌を打ったシエルは、フンと鼻を鳴らして踵を返した。その後ろを忠実に着いて行くセバスチャンを、何故かなまえが止めた。

「……何でしょう?」
「貴方の正体、きちんと詳しく教えてくれるのなら……私だって言える範囲でならお教えするわ。それを、あの小さな伯爵様に伝えてくれる?」
「分かりました。必ずお伝え致します」

今度こそ別れだと言うように、なまえも神田とともに歩き出した。その後ろ姿を最後まで見ていたセバスチャンは、面白そうに口を歪め、赤い燐光を惜しみなくなまえに注いだ。

「汚ぇ格好だな」
「昨日の夜からずっと戦ってたのよ。そりゃあ汚くもなるわ」
「……アクマは」
「レベル1が一体。あとはティキ・ミックがいたわ」
「ノアか……」

深刻な表情で話していた二人だが、人混み離れたところでなまえがぺたんと地面に座り込んだことで終了した。

「もう疲れたぁ! 歩けない!」
「お、っ前……!」
「ユウ! おんぶ!」
「うるせェよ!」
「おーんーぶー!」
「テメェ、猫被りも大概にしやがれ…」
「いーじゃない。ほら、はやく!」
「チッ……覚えとけよ」

鋭い眼光で睨まれたかと思うと、ひょいっと軽々となまえをおぶって歩き出した神田。
やっと感じることが出来た温もりにホッとしたのか、なまえはそのまま目を閉じて意識を手放したのだった。
戦いは容赦なく仲間の命を奪い、血を流す。
自分たちに休息の暇など無いと分かっていても、今だけはただ――この温もりを感じていたい。

そう願うのは、罪なのだろうか。