■ ■ ■
「待っていろ、なまえ」
「言ったであろう。貴様の願いは我が叶えると」
「我は叶えた気になっておらぬからな。……今だけは、先に逝く事を許してやろう。だが、次に会えた時は決して逃さぬぞ。貴様が――なまえが泣いて許しを請うても、逃さぬ。勝手に逝く事も許さぬ」
赤い瞳がわたしを射抜く。その赤にすべてを委ねそうになった時、意識がふっと浮上した。
「……………、また、おなじ夢………」
真っ暗な部屋。うっすらと見える天井をぼうっと眺めながら、なまえはぼそりと呟いた。部屋の中は丁度良い温度を保っており、二度寝の誘惑に襲われる。実際いつも起きる時間よりもまだ早く、きっと起きてる人間は少ないだろう。右腕を持ち上げて目の上に置く。何も映らなくなったせいで、夢の内容をぼんやりと思い返してしまった。
ここ最近何度も見る夢は、初めこそ内容なんて覚えていなかったものの、こう何度も見てしまえば流石に覚えてしまった。けれど夢の声にはまったく聞き覚えがなく、余計になまえは翻弄されていた。更に強く印象に残っているのは“赤い瞳”。あれに見つめられてしまったら最後、何もかも絡め取られそうな気持ちになってしまう。
「………起きるかあ」
このままベッドで横になっていても、余計なことを考えてしまうだけだ。身体を伸ばし、布団から出て備え付けのデスクの上にあるパソコンを起動させる。数秒後、立ち上がったそれの前に座ってキーボードを弾き、文字と数字の羅列を追いながら別のモニターに映る複数のグラフを見比べる。その表情は厳しく、起きたてのものではなかった。
「(だめだ、頭が働かない。顔洗ってエナジードリンクでも飲もう)」
朝からエナジードリンク!?、とツッコむ者はいない。部屋から出て顔を洗い、まだ誰もいないキッチンの冷蔵庫からエナジードリンクを手に取った。カシュッとプルタブを開けながら部屋に戻り、飲みながら椅子に座る。そうしてなまえは日が昇るまで自室にこもってパソコンを操作し続けた。
何度でも君を求めるよ
みょうじなまえは、人類の絶滅を防ぐためにある人類継続保障機関『カルデア』に所属する職員だ。狂った人類史を正すため、召喚した英霊達と共に七つの聖杯探索を巡っている唯一のマスター、藤丸と立香の二人が異常なくこのカルデアに帰って来られるように、レイシフト調整やドクター・ロマンとの通信、カルデア内の守り、その他等々あらゆる事をプログラム・調整するエンジニアの仕事をしている。中でもなまえは、カルデア――否、世界でも五本の指に入ると思われるプログラムの天才だ。
パソコン一台渡してしまえば、このカルデアのプログラムを全て書き換える事は可能だし、何なら世界の理すらもそれで変換させてしまう事も可能なのだから、“天才”とは彼女の為にある言葉だと彼女の周囲の人間は思う。
そんななまえの名前を、藤丸も立香も、彼らのサーヴァントすらも知らない。それは彼らが知ろうともしないという事ではなく、彼女が意図的に隠しているからだ。目立ちたくない、ひっそりと生きていたい。そんな彼女の想いを汲み取った同じ部署で働く人達が、巧妙に、自然に彼女の存在を隠すものだから知れる筈もないのである。
そんな中、ドクター・ロマンは彼女の存在を知っていた。仕事柄職員の名前は知る必要があった事もあるが、それ以外にも理由があった。なまえは良く貧血や過労で医務室に運ばれて来るのだ。普段はレイシフトしたマスター達の補助をする為に通信室にいるロマンには、彼女も普通に関わっていた。
「あ、おはようなまえ」
「おはようございます」
「はよ、みょうじ! 早速で悪いんだが、これとこれ……あとこれ、頼んでもいいか?」
「ふんふん………了解です。あとはないです?」
「みょうじ〜〜〜!! こっこれぇ! むり! わかんねぇ!」
「うわっ! い、いきなり後ろから飛びつくのはやめろとあれほど………あー、これは回帰分析を用いた方がやりやすいと思いますよ。それとここ、2次元以上なんでこれは重回帰です」
「マ!?」
「ネットスラングはネットでどうぞ」
「冷てぇ…………」
シクシクと泣き真似をしながらも時間が無いのは皆一緒。男は礼を言いながら自分のデスクに戻って、早速パソコンを操作し始めた。
その後も同じようなやり取りを数回してからなまえもやっと自分のデスクに着く。積まれた書類の多さに目をつぶりながらパソコンの電源を入れてからパラパラと書類内容を確認すると、起動したパソコンに向かいマウスを操作する。いつしか部屋内はキーボードを叩く音だけが聞こえていた。
「コーヒーいる人ー」
「はーい」
「あ、俺も」
「私もよろしくー!」
「ういーっす………、みょうじー」
「だめだめ、なまえは今何も聞こえてないよ」
「だよなぁ…。ま、アイツのは分かってるからいいけど。じゃ、淹れてくる」
男がコーヒーを淹れに行った事すら気づかないなまえは、ひたすらにキーボードを叩き続ける。その様子に周囲の人達は慣れたように苦笑した。
戻ってきた男はコーヒーをそれぞれに渡し、最後になまえの側にエナジードリンクをそっと置く。その後何事も無かったかのように、またキーボードの音だけが響いた。
「(………あ、エナドリ)」
また気づかなかったか、と反省しつつプルタブを開けて一口飲む。しゅわしゅわと炭酸が弾けて喉が刺激される。
「あ、立香ちゃんがサーヴァントを召喚したって」
「この前は藤丸くんだったっけ? 今回のサーヴァントはどのクラスかなー」
「ま、どっちみち俺らはあんま関わんねーけど」
マスターである藤丸と立香、そして二人のサーヴァントはあまりここら辺には近づかない。彼らにとってここは全く用事がないし、レイシフトから帰ってきても数日したらすぐにまたレイシフトする為、この部署にこもりきりのなまえ達には会う機会がないのだ。
「………あ、」
「ん?」
「ドクターからお呼び出し………」
「はは、一週間ぶりじゃね? どうせ体調確認だろ」
「行きたくないですね……。絶対お小言言われますし…」
「早いとこ行った方がいいんじゃない?」
「ですね………よしっ、行ってきます」
「行ってらー」
同僚に見送られ、なまえはとぼとぼとロマンの元へ向かう。その途中、何か強い気に引っ張られた。途端に足はピタリと止まり、鼓動がドクドクと波打つ。はやる気持ちを抑えてその気を頼りに早歩きで廊下を歩くと、着いた先は普段マスターである藤丸と立香がサーヴァントの召喚を行う部屋だった。
この扉を開けたら、もう戻れない。そんな気がしながらもなまえは躊躇うことなく部屋に入った。
「聞いているのか、雑種」
「聞いてます聞いてます! だから宝具は――って、誰……?」
「あ………」
「エンジニアの方ですよ、先輩」
「エンジニア! 超頭良い人!」
立香とマシュが話しているが、なまえの目は中心にいる男に目を奪われていた。金を連想させる髪に鎧。何よりも、彼のその赤い瞳から逃げられなかった。
「フン、また雑種が増えたか」
「ちょ、王さま! また雑種って………」
「雑種を雑種と呼んで何が悪い。 我に指図するでないわ」
ドクンと、今まで以上に心臓が跳ねた。頭が割れそうなくらい痛い。呼吸も荒く、視界もぶれる。これは、なんだ。
「は、っぁ………」
「だっ大丈夫ですか!?」
「すみ、ませっ……」
「先輩、ドクターのところに運びましょう!」
「そそそそ、そうだね! 王さま、悪いんだけど運んでくれる?」
「何故我がそんなことをせねばならん。王が運ぶなど愚の骨頂だ」
「もう! じゃあえっと………あっ!」
立香が扉を開けると、ちょうどランサーのクー・フーリンが通りかかった。立香は問答無用で彼を引き込むと、「お願い! あの人をロマニの所まで連れてって!」と手を合わせる。クー・フーリンは一瞬だけ驚いた顔をしたが、なんだそんなことかと一つ返事で頷いた。
意識が朦朧とする中、突然の浮遊感がなまえを襲う。薄く目を開けると、クー・フーリンの横顔がぼんやりと映った。当然彼女が彼を見るのは初めてだが、何故か不安な気持ちは無い。そのまま彼の腕の中で必死に意識を繋ぎとめていると、すぐにロマンの元に着いた。
「いきなりどうした………って、なまえちゃん!?」
「ど、くたあ………」
「ひどい汗……ランサー、そのベッドにゆっくり降ろしてくれるかい? 熱は……少しあるね。気分はどう?」
「きもち、わるい……です…」
「分かった。とりあえず目を閉じて、吐きたくなったらこれに吐いて」
そう言ってロマンが置いたのは袋。それを頼りなさげにきゅっと握りしめるなまえは、ぐるぐると回る視界をシャットダウンしようと目を閉じる。なんとか保っていた意識を失う寸前、どこか耳によく馴染む声が聞こえた気がした。
***
「………よし。誰もまだ分かってない、と」
暗い部屋にモニターの明かりが煌々と照らされる。カタカタカタ…と微かに聴こえる音の他には、女の声しか聞こえない。すると突然部屋の明かりがパッと点き、女はビクッと大袈裟なくらい肩を揺らした。
「何をしている」
「っ〜〜〜〜! く、来るなら来るって言って下さいよ! ■■■!」
「何故我がわざわざ言わなければならんのだ。戯言を言うな、雑種」
「突然現れるのは寿命が縮むって言ってんですよ! もう!」
ぽんぽん飛び交う言い合いは、互いに遠慮がない。こんな風に彼に物申せるのは、女を置いてあとは教会の激辛麻婆豆腐好き男しかいないだろう。
二人はいつだって、この狭い箱の中で会っていた。女から会いに行くことはなく、決まって男の方がこの部屋に訪れていた。
「はぁ…………」
「雑種如きが我の顔を見て溜め息を吐くなど、極刑ものだぞ」
「極刑!? べっ別にそんな変な意味じゃないですよ! その赤い目が綺麗だなっていう溜め息です!」
「我の瞳が綺麗なのは当たり前のことだ。それをわざわざ言うなど、本当につまらん奴だな」
「そうですね」
「貴様っ! こっちを見ろ!」
「わかりました! わかりましたから! パソコンの電源抜こうとしないで下さい!」
こんなくだらないやり取りが、二人にとっては日常だった。殺伐とした外の世界とはまるで切り離されたこの狭い世界だが、女にも男にも充分だった。
「あれ?」
「貴様、どこに行っていた!」
「どこって、近くのケーキ屋さんですけど」
「ケーキ屋? 貴様が出歩くなど天変地異の前触れか?」
「すっごい失礼なこと言ってるの自覚してます? もう、そんな風に言うならあげませんよ」
箱を開けて中からケーキを二つ取り出す。真っ赤な苺が乗ったショートケーキと、キラキラと輝く色とりどりのフルーツタルト。どちらも男の興味をそそられたらしく、ひたすら眺めている。
「これは………!」
「ふふん、美味しそうでしょう? 冬木一、とまではいかないかもしれませんが、そこそこ有名なケーキ屋さんです」
「…………赦す」
「は?」
「我に貢ぐことを赦してやろう」
「みつっ………ちょ、ほんと何言って………いや、貴方は王サマでしたね………」
遠い目をしながら皿にケーキを置いていく。ソファーでふんぞり返る男に差し出したのは、色とりどりに輝くフルーツタルト。すると男は見るからに頬を赤らめさせ、口元もほんのり口角が上がっている。
ああ、よほど嬉しいんだな……と、女は思いながら自分には苺のショートケーキを準備する。フォークを男に手渡すと、赤い目を子どものように輝かせてケーキをフォークの上に一口分乗せる。パクッと口に頬張ると、次第に彼はプルプルと震えて「美味だな」とご満悦。その様子を、女はエメラルド色の瞳を細めて笑んだ。
「うむ、良いぞ。綺礼の所でも時臣の所でもこのような菓子は出てこなかった」
「あー………あの二人はもっと洒落たもの食べてそうですね」
クスクスと笑う声が部屋に小さく響く。その和やかな空気は、二人がケーキを食べ終わった後も続いた。
「次は、なにを食べます?」
「フン、次は我が直々に選んでやろう」
“次”を信じて話す二人は、友人と呼ぶには可笑しく、恋人と言うにはあまりにも不似合いで。彼らの関係性を名付けるならば、それは何と呼ぶのだろうか。
***
「――…………ん…」
ゆっくりとエメラルド色の瞳が開かれる。暫くの間ぼんやりと天井を眺めていたが、やがて自分の瞳から涙が流れていることに気づき、なまえは驚いて手のひらを頬に当てる。すぐに手は涙で濡れ、やがて受け止め切らずにぽたぽたとシーツに落ちていく。「なんで、こんな、」なまえは戸惑う声を抑えきれずに必死に目を擦るが、涙が止まることはない。
「っ、う、ぅぅ……っ………」
喉奥から絞り出すような嗚咽が、医務室にこもる。何故泣いているのか自分でも分からないのに、どうしてか、とても――哀しくて仕方がなかった。
「あ、目が覚めた!?」
「ドクター」
ドクター・ロマンが医務室にやって来たのは、なまえの涙が止まってから三十分程経った頃だった。
「良かったあ……。顔色が真っ青でどうしようかと思ったよ」
「すみません」
「あれ、目元が赤いけど………」
「あはは、目をこすり過ぎちゃいました」
「もう……。で、どうだい? 体調は」
「充分な睡眠を取ることができましたので、すっかり回復しました」
瞳を細めて笑うと、ロマンは仕方が無さそうに溜め息を吐いてガシガシと頭を掻いた。
「立香ちゃんも心配してたよ。もう種火集めに行っちゃったけどね」
「それは……申し訳ないですね。世界を救う為に戦っていらっしゃる方に、ご心労をかけてしまうのは」
「立香ちゃんはそんな事気にしないから大丈夫。それで、なんで急に体調が悪くなったの?」
コーヒーの匂いがふわりと鼻孔をくすぐる。コポコポと心地よい音を聞きながら、なまえは体調が悪くなった時のことを思い出した。
「それは………」
原因なんて、分かりきっている。あの赤い瞳を見たから。まるで全てを絡め取るような、血のような、けれどとても透き通った赤。その色を見た瞬間、鼓動がうるさく鳴り、急な眩暈に襲われた。結局、どうしてその赤を見てそうなったのかは未だ分からずじまい――。
「(分からず、じまい? いや、違う。あれは、あの赤は――)」
「なまえちゃん?」
「っあ、え、えっと、……あははー、いつも通りですう」
「はぁ………。きちんと睡眠はとってね」
「はい……」
その返事を聞いたロマンは、苦笑しながら湯気が立つマグカップを手渡した。受け取ったそれにはコーヒーが淹れられており、なまえはすぐに口付ける。いつもカフェインはエナジードリンクで摂っているなまえだが、コーヒーも大好きだ。しかしどうにもエナジードリンクのあのしゅわしゅわと弾ける炭酸が好きで、なかなかコーヒーを飲むことがない。
「それじゃあ、もう暫くはここで休んでね」ドクター・ロマンはそう言うと、医務室から出て行った。残されたなまえは、マグカップの中で揺らぐコーヒーに映る自分の姿を見つめながら、震える息を吐き出した。
「は、ははっ………」
自嘲めいた笑いがこぼれた。ああ、どうして忘れていたのだろう。
やっと止まったはずの涙がまたじわりと目尻に滲み、頬を伝う。降り注ぐそれは手のひらの中のマグカップにもぽちゃんぽちゃんと落ちた。波打つコーヒーに映るなまえの顔は、くしゃりと歪んでいる。
「わたし、なんで……忘れてっ……!」
爆発した感情を、抑えることができない。彼女はぎゅうっと強くマグカップを握りしめて、何も考えずに声をもらす。
「っ、あの赤は、あれは!」
がくりと項垂れる。シンと静まり返った医務室に、なまえは小さな声で呟いた。
「……………ギルガメッシュ。……あなたの、赤ですね…」
時にして凡そ二十一年。みょうじなまえは今世に生まれて、初めてその名を口にした。
・
・
・
――あれから数日。彼女は変わらずエンジニアとしてパソコンと向き合っていた。
「なまえー、ごめん、それ終わったらでいいからまたこれ見ておいてくれる?」
「いいですよ。データをUSBに移しておいてくれます?」
「はーい! ありがとう!」
時刻は日付が変わった頃。ちらほらと部屋に戻っていく者もいる中、なまえはまだ椅子にしっかりと座っていた。やがて最後の一人が居なくなっても、彼女だけは帰るそぶりすら見せない。
「(………ギルガメッシュも、覚えていなかった)」
しかし、突如キーボードをタッチする音が止む。ぼうっとグラフを眺める振りをしながら、考えることはつい先日思い出した英雄王・ギルガメッシュの事だった。
思い出したあの日、彼女は彼に会いに行こうとした。涙を拭うことすら忘れてベッドから起き上がったが、裸足だったせいで直に伝わる床の冷たさに冷静さを取り戻したなまえは、力が抜けたようにぽすっとベッドの上に座る。
そう、覚えていなかったのは自分だけでは無かったのだ。ギルガメッシュもまた、なまえのことを忘れていた。
「フン、また雑種が増えたか」
「ちょ、王さま! また雑種って………」
「雑種を雑種と呼んで何が悪い。 我に指図するでないわ」
あの冷たい眼差しを向けられたのは、前世でもあまり無かった。だからこそ、なまえは何も行動が出来なかった。彼に自分のことを伝えることさえも、出来なかった。
「(何も覚えていない人に、実は前世の記憶があってーって話すのは無理だよねぇ…。気持ち悪いし、何より――また、あの目を向けられる)」
ギルガメッシュの冷たい眼差しが相当堪えたなまえは、とどのつまり彼に嫌われることを恐れたのだ。彼に嫌われるくらいなら、認知されない方がいい。
もともとサーヴァントとはあまり出会わないし、向こうだってきっと自分のことはもう忘れているに違いない。今更前世の話を持ち出して、彼だけでなく周りの人間にも迷惑をかけてしまうのは良くない。
世界を救う為に戦っている彼らを、こんな下らないことで混乱させたくない。なまえはそう思い、前世の記憶を思い出したことは誰にも言わず、今まで通りの生活を続けた。
「んーっ………。考えすぎは良くない、か。今度はコーヒーでも飲むかあ」
エナジードリンクの空き缶を手に取り、立ち上がる。すると「誰か居んのかー?」とこの時間にそぐわない明るい声が室内に響く。
「うわっ!? もう、いきなり驚かさないでくださ、い……って、貴方は……」
「お、嬢ちゃんは………ああ! 召喚室でぶっ倒れてた!」
「じ、嬢ちゃん………えっと、初めまして。みょうじなまえと申します。先日は医務室まで運んでいただいてありがとうございました。礼を言うのが遅くなり、すみません」
「いーっていーって! なまえな。オレはランサーのクー・フーリンだ。マスターは立香。よろしくな」
「はい」
なんと、サーヴァントの知り合いが出来るとは思っていなかったなまえは、不思議な縁があるものだと思いながら差し出された手を握り返した。「こんな時間まで仕事してんのか?」と、クー・フーリンは物珍しそうにキョロキョロと部屋を見渡す。普段ここに来ないサーヴァントからすれば、なかなか見ないものばかりらしい。
なまえは空き缶を捨てて新しいエナジードリンクを取ると、また自分の席に座った。
「あとちょっとで終わりますよ」
「へぇ……残ってんのはアンタだけ?」
「わたしは最後の確認作業が残っていたので」
「でも、人間ってのは睡眠が大事なんだろ?」
マスターが言ってたぞと、クー・フーリンは腕を組んでなまえを見る。後ろ姿しか見えないが、随分と疲弊しているように感じるのは気のせいではないだろう。
「最近は結構寝れてますよ。どっかのドクターが寝ろってうるさいので」
「フハッ、そうか」
満足したのか、クー・フーリンはくるりと踵を返す。やっと帰るのかと椅子をくるりと回して振り向けば、彼は予想に反してぴたりと足を止めてこちらを見ていた。彼の瞳に見つめられて不覚にもドキッとなるなまえは、それを誤魔化すように笑い返した。
「明日、朝飯に誘いに来るわ」
「……………へ?」
「ちゃんと起きてろよー」
じゃあなと手をひらりと振って出て行ったクー・フーリン。なまえはぽかんと口を開けて、しばらくの間呆然としていた。
「朝飯、誘うって………」
普段、エンジニア達は藤丸や立香、それからサーヴァント達が食事をするところには行かず、各自で食事を取っている。その為彼らの集まる食堂には行ったことがなかった。なまえはだんだんと現実味を帯びてきたのか、一人きりの室内で「えええぇぇ!?」と叫んだ。
――翌日。なまえは寝ずに朝を迎えた。仕事が終わらなかったせいもあるが、一番はクー・フーリンのせいだ。朝飯に誘うなどと言うから、なまえは寝られずにいたのだ。
「うわ、また徹夜か? みょうじ」
「あははー、おはようございます」
一人、二人と部署内に人が集まる。次々に埋まっていく椅子に、なまえはドキドキとしながらモニターを眺めていると、「なまえー」と呑気な声が響いた。
まだ騒ついていた室内は一気に静かになり、皆が出入り口に立つ男を見やる。青い髪に、赤い瞳。そう、昨日なまえを朝飯に誘うと言ったランサーのクー・フーリンだ。(嘘じゃなかった……)なまえは溜め息を吐いて立ち上がり、「朝食貰ってきまーす……」と覇気のない声で言いながらクー・フーリンの元へ。
「おはようございます、クー・フーリン」
「おう。んじゃ、早速行くかー。もうマスターはアーチャーの飯食い終わってたぞ」
「アーチャーの………?」
なまえが知るアーチャーとは、ギルガメッシュしか知らない。まさか彼が他人の為に手料理を振る舞っているのかと、驚愕の眼差しでクー・フーリンを見上げれば、「おう、エミヤっつー名前。オレはアーチャーって呼んでるけどな」と、クー・フーリンにしては冷めた声色で話す。それに気づかないフリをしながら、なまえはそっかと軽く頷いた。
「リクエストしたら何でも作ってくれるぞ」
「何でも………うぅん、イマイチ自分の食べたい物が何なのか、自分でもわかんないです」
「マジで?」
「はい……。普段から食事は二の次なので」
「それ、ドクターが聞いたら怒るんじゃねえか?」
「確実に怒られます。ので、黙っててくださいね」
「ハハッ、最高だあんた!」
「どーも」
初めて楽しそうに笑ったクー・フーリンに、なまえもどこか心が暖かく感じた。最近同僚達以外とこうして話す機会がなかなか無かったからか、とても新鮮だ。
「着いたぞ」
「お、おお………」
食堂にはちらほらとサーヴァント達が居た。その輪の中には藤丸が笑いながら食事をしている。これは挨拶しなければと、なまえはクー・フーリンに話すと彼は快く頷き、藤丸の元へ向かう。その後ろをついていけば、豪奢な椅子に座って朝食を取るギルガメッシュの姿が。まさかあの男がこんな場所で誰かと一緒に食事をとるなど思ってもみなかった為、なまえはぎょっと驚きの目でギルガメッシュを見る。そんな彼女に気づいたのか、彼の赤い目が皿からなまえへ。一瞬だけ重なった視線に、なまえは慌てて目をそらして藤丸の元へ急いだ。
「ぶっ」
「おいおい、ちゃんと前見て歩けよ」
「す、すみません。えっと……初めまして、みょうじなまえと申します。エンジニアとしてこのカルデアで働いております」
「こっこちらこそ初めまして! 藤丸です! エンジニアって……なんかスゴイ賢そうなイメージが……」
「あはは、自分ではあまりそう思わないですけど。でもまあ、優秀なスタッフが多いとは思いますよ」
「ですよね……あ、一緒に食べましょう!」
「すみません、お言葉に甘えて失礼します」
藤丸の前の席に座り、彼女の横にクー・フーリンが座る。周りには他のサーヴァントも居るが、今挨拶やら話を始めてしまえばきっと長引いてしまうと、なまえは朝食の注文をお願いした。
「フルーツタルト、ですか? 朝から?」
「何が食べたいって、それくらいしか思い浮かばなくて…。すみません、お手間かけますがお願いします」
「承知した。すぐに持ってこよう」
藤丸の驚く声に苦笑しつつエミヤに頼むと、彼はすぐに頷いて調理に取り掛かった。
少し頭を動かすだけでギルガメッシュと目が合ってしまうため、必死に藤丸に彼を重ねようとなるべく頭を固定する。そのため、彼が考え込んでいる様子を見ることが出来なかった。
「(フルーツタルト………? なんだ、何処かで聞いた覚えが……)」
顎に手を当てて考えるギルガメッシュは、断片的に浮かんだ情景のせいで、突然周りの音が聞こえなくなった。
「ふふん、美味しそうでしょう? 冬木一、とまではいかないかもしれませんが、そこそこ有名なケーキ屋さんです」
「――っ………?」
この声は、誰だ。まったく知らないはずなのに、自分はこの声をずっと聞いていた気がした。しかし思い当たる人物など浮かんでこず、ギルガメッシュは次第に苛立ってきた。軽く舌を打って前を見ると、ちょうど運び込まれてきたフルーツタルトを美味しそうに頬張っているなまえが見える。
ここに召喚されてから、ギルガメッシュはフルーツタルトなど食べたことがない。食べようとも思わなかった。それなのに、どうして自分は
フルーツタルトを懐かしいと思うのだろうか。――どうして、
なまえが食べている姿に既視感を覚えるのだろうか。
「んっっっま……! 超美味しいです!」
「そうだろー! エミヤが作る料理はなんでも美味しいんだよ!」
「ま、お前調理スキルEXだもんなあ」
「なんだそのスキルは!」
ワイワイと騒がしいせいで、ちっとも頭の靄が晴れない。ギルガメッシュは椅子から立ち上がってさっさと食堂から姿を消した。もちろん豪奢な椅子も忘れずに。
ギルガメッシュが居なくなった事にすぐに気がついたなまえは、人知れずホッと息を吐いた。あのまま彼がここにいれば、余計なことを思い出してしまっていたかもしれない。それは彼にとって良くない事だと、なまえは思っていた。
あの第四次聖杯戦争で共に笑い合った日々は、自分だけが覚えていればいい。あんな約束で彼を縛り付ける訳にはいかない。彼女はキシリと心が軋んだ気がしたが、知らないフリをしてフルーツタルトを食べた。