■ ■ ■

それは、いつも通り部署内にてパソコンを操作していた時のことだった。静かな部屋にキーボードをタッチする音が響く中、なまえはピタッと手を止めて立ち上がる。皆が驚いて彼女を見ると、当の本人もまた驚いた顔をしてワナワナと震えていた。

「ど、どうした? みょうじ……」
「……、少し、部屋に戻ってきます」
「ほあ? 部屋?」
「はい。………もしも万が一、このままわたしが戻ってこないようでしたら、藤丸さんか立香さんを呼んでください」
「万が一!?」
「では、お願いします」

後ろから自分を呼ぶ声を気に止めず、なまえは急ぎ足で自室へ向かった。そのせいであまりよく周囲を見ておらず、曲がり角を曲がった瞬間思いきり誰かとぶつかってしまった。ぶつけた顔を抑えながら慌ててすみませんと謝ると、上から「何だ、その態度は」と不遜な声が降ってきた。その声にぱっと顔を上げると、そこには不機嫌な表情を隠しもしないで立っている王様がいた。

「あ、」
「この我にぶつかっておいて、その態度は何だ。死んで詫びるか?」
「す、みません! その、急いでおりまして」

ああ、もう。彼の瞳に自分が映ることがこれほど嬉しいなんて。なまえは泣きそうになる目に力を入れて、涙を見せるまいと不恰好な笑みを浮かべた。

「……フン」

興が冷めたとギルガメッシュはなまえの横を通り過ぎる。興味のないものにはとことん冷たい彼の態度に、きゅうっと心臓が痛くなる。
だが今はそんなことに気を落としている場合ではない。そっと振り返り「最期に会えて、良かったです」と呟くと、彼女は金色に輝くギルガメッシュの後ろ姿を目に焼き付けて自室へ急いだ。だからなまえは知らない。その呟きを確と聞いた彼が、赤い瞳をこちらに向けていたことなど。

「着い、た………」

はぁ、と息を乱し、なまえは自分の部屋の扉の前で呼吸を整える。どれくらいそうしていただろうか、彼女はごくりと生唾を飲み込むとゆっくりと扉を開けた。

「やぁ、待っていたよ」

誰もいないはずなのに、そこにいたのはカルデアの裏切り者にして最大の敵――レフ・ライノールだった。彼がまだ裏切る前、数回程度話を交わしたくらいの接点だったが、レフ・ライノールはなまえをいたく気に入っていた。

「……来るところを間違えていませんか? レフさん」
「間違えていないよ。私は君を迎えに来たんだ」
「迎えに?」

シュンと扉が閉まる。レフ・ライノールの話を聞きながら、なまえは扉の取っ手部分より五センチ下をトントンと二回叩いた。一見何も変わっていないように見えるが、これで扉には結界が張られ、外からは入れないようになった。そして内からも開けられないようにと、今度は取っ手の五センチ上を同じように二回叩く。――完全な密室の完成だ。

「君のその頭脳! ここで腐らせるには勿体ない。私とともにおいで」
「そこまで評価して下さっているとは思いませんでした。……ですが、丁重にお断りします」
「……ふむ。もう一度、答えを問おう。賢い君ならなんと答えれば良いか……解るね?」
「何度聞いても答えは同じです。わたしは貴方とともには行かない。……ここで、倒してみせます」

エメラルド色の瞳で強くレフ・ライノールを見やると、彼女は手のひらにあるボタンを握りしめた。すると天井の至る所に穴が空き、そこから銃火器が飛び出した。それは勝手に目標をレフ・ライノールに定めると、何の合図もなくズドドドド!と鉛玉を撃ち込んでゆく。その間を掻い潜って、レフ・ライノールはニヤリと笑いながらなまえに突っ込み、刃を振るう。

「君はもっと賢いと思っていたよ」
「知らなかったんです? わたしは誰よりも――馬鹿ですよ」

さあ、殺し合いの始まりだ。







所変わってエンジニアの部署内では、あれだけ静かだったのが嘘みたいに騒がしくなっていた。なまえに用事があって訪ねてきたドクター・ロマンは珍しいこともあるもんだと驚きつつ、目当ての人物を探す。

「なまえですか? あの子、自室に用事があるとかで出てったきり帰ってこないんですよ」
「部屋?」
「はい。もうかれこれ三時間……いくら睡眠不足でぶっ倒れていても、なまえは仮眠を取るならちゃんと隠さず言います。それに……」
「それに……なんだい?」

嫌な予感がすると、ロマンは思った。

「それに、ここを出て行くあの子、ひどく怯えていたというか……何か覚悟を決めた様な顔だったんです」

それを聞くと、ロマンは部署を飛び出して藤丸と立香の元へ急いだ。突然やって来たロマンに驚く二人と英霊達。それもそうだ。彼がここまで焦る事など、何か特異点が見つかったとしか思えない。

「ドクター!? どうしたんですか!?」
「マシュ、君も居たのか! っ……急いで、急いであの子の部屋に向かってほしい!」
「あの子? ロマニ、あの子って……」

立香が先を促す。ロマンは泣きそうになりながら、やっとのことで名前を告げた。

「みょうじなまえちゃんの部屋に……!」

ドタドタと慌ただしい足音が廊下に響く。そのせいでゆったりとワインを飲んでいたギルガメッシュは、眉間に皺を寄せながらなんだと扉を開けた。

「あっ、王さま!」
「この騒ぎは何だ、雑種」
「いや、えっと……ある職員さんが大変みたいで」
「ある職員?」
「先輩! 急いでください!」
「あああごめん! てなわけで、邪魔しちゃってごめんね王さま!」

颯爽と去るのは己のマスターである立香。その先にはマシュと藤丸、そして複数の英霊達がいた。詳しい説明が一切無かったことに憤りを感じるも、自分には関係ないことたどギルガメッシュは部屋に戻ろうと踵を返す。
しかし、ふわりと浮く何かが彼の視界を掠めた。魔術師の使う使い魔だ。何故こんなところにと、ギルガメッシュは睨む様に使い魔を見る。それに手を伸ばす前に、彼はまたも既視感を覚えた。――何かが違う。

使い魔はギルガメッシュが違和感を覚えたことを確認すると、そのまま立香達が消えた方へスイーっと飛んでいく。まるで彼を誘っているようだ。

「フン。暇つぶし程度に付き合ってやろう」

可笑しそうに笑うと、ギルガメッシュは使い魔の後を追った。
着いた先には立香や藤丸が焦ったように扉を叩いていた。他のサーヴァントが己の武器を使って壊そうとしても、傷一つつかない。その混乱の中、ギルガメッシュは「何をしている」と静かに問うた。

「王さま! 来てくれたんだね」
「我の質問に答えろ。何をしている?」
「エンジニアのみょうじなまえさんっていう人の部屋なんだけど、扉が開かなくて……。なんかやばそうなんだよ……」
「………みょうじ、なまえ……?」
「うん。私もサーヴァント達も、エンジニアの人とはあまり会わないから接点なんてないと思うけど…」
「マスター、やはり開きません」
「うーん……どうしような……」

藤丸のサーヴァント、セイバーのアルトリア・ペンドラゴンが剣を振り下ろしてみるが、扉はまったくの無傷。その様子にギルガメッシュは、立香や藤丸の間を通り抜けて件の扉の目の前に立つ。皆が彼に注目する中、ゆっくりと己の手のひらを扉に触れさせる。
――瞬間、ギルガメッシュはドクリと心臓が強く波打つのを感じた。

「これ、は――」
「王さま、何かわかった!?」
「……………あぁ」

扉に触れて初めて分かった。
この扉には部屋の住人であるみょうじなまえの魔力がびっちりと張られてある。故に彼は、扉に触れたと同時に彼女の魔力にも触れたことになる。だからこそギルガメッシュは思い出した。

「ハハッ、フハハハハッ!」
「おっ王さま!?」
「この我が忘れるとはな」
「な、何言って――」
「おい、ここを開けろ、雑種」
「だから開けれないって、」
「貴様ではない。中にいる奴に言っているのだ」
「中にって………」

(ギルガメッシュの声が聴こえる……。幻聴?)なまえはついに頭がおかしくなったかと笑いながら、迫り来る攻撃をなんとか退けていた。室内はすでに半壊状態。
いつ崩壊してもおかしくないはずなのに形を保っていられるのは、部屋全体に結界を張っているからだ。「こんな時に考え事かね?」レフ・ライノールの穏やかな声が轟音にかき消されながらなんとか聞こえた。「あんたをどうするか考えてんですよ!」と言いながらなまえは壁に触れる。すると赤いレーザーがチュンっと音を立ててレフ・ライノールを襲う。

「この部屋は武器倉庫か?」
「いつ命を狙われてもいいように、一通り揃えてあるんです」
「ほう? 命を狙われた事があるような言い方だな?」
「残念ながら」

言葉の応酬も終わりを迎えようとしている。なまえはあちこちから流れる血を拭うことすらせず、立っているのもやっとの状態だった。だがレフ・ライノールとて無傷ではない。嘲笑を浮かべる口元は血で濡れていて、脇腹からは今なお血が滴っている。

「そろそろ、終わらせようか」

それでも、レフ・ライノールの方が優位だった。当たり前だ。なまえはかろうじて前世の名残で魔術を使うことが出来ているが、本来は一般人。ここまで生きていること自体奇跡のようなものだ。
どうするかと思考を巡らせていた時だった。ヌゥッと使い魔が壁を通り抜けてきたのだ。いつの間に、となまえは驚いていると眼前にレフ・ライノールの攻撃が迫る。寸でのところでそれを躱すが、少し掠ったようで頬に傷が走る。

「(………死んじゃうね、これは)」

戦いながら思い出すのは、前世での記憶。衛宮切嗣に見つかり、戦闘し、ギルガメッシュに看取られた。きっと今世では彼に看取られることなど無いだろう。だって彼は、わたしを忘れているのだから。
ああでも、出来ることなら――最期にこの瞳に映るのは、彼がいい。

「(わたしも案外、わがままだ)」

レフ・ライノールの刃が心臓をめがけて迫り来る。どこかスローモーションのように感じるそれに、ゆっくりと目を閉じて来たる痛みを待つ。しかし、想像していた痛みはこなかった。――ガキィン!と、激しい金属音が響いた。もう武器も底をついた筈なのに、一体何が。そろりと目を開けると、そこには金の髪をなびかせて立っている男――ギルガメッシュがいた。

「ぎる、がめっしゅ………?」

あまりにも驚きすぎたせいで、なまえは彼を忘れた自分を取り繕うことが出来なかった。すぐにハッとなって弁明しようとするが、それよりも先に自分に背を向けたままのギルガメッシュがチラリと赤い目を向けてきた。その瞳に捕らえられてしまうともう何も言えず、なまえはつい口を噤んでしまう。ギルガメッシュはその様子に満足したのか、もう自分を見るのをやめてレフ・ライノールへと視線を戻す。

「此奴を殺そうなどとするとは、愚かしいな」
「…何故サーヴァントが、こんな小娘に味方する?」
「『こんな小娘』? ハッ、ああ、確かに此奴は道理を知っている様で知らぬ小娘だ。だが、それを貴様のような虫ケラが言っていいことではない」

相手を心底馬鹿にしたように吐き捨てると、背後に無数の宝具を出現させる。なまえは前世以来の光景に興奮して目が奪われてしまう。眩しい輝きを放ちながらレフ・ライノールと言葉を交わすギルガメッシュに、(そんな台詞…勘違いしちゃうじゃないですか…)と泣きそうに奥歯を噛み締める。だってそうだろう。ギルガメッシュは自分のことを忘れているのだから。

「此奴は我のものだ。それを奪うどころか殺そうとするなど、よもや命が惜しくないと見える」
「サーヴァントとの繋がりなど無かった筈だ……! しかも英雄王だと……」
「フハハハハ! なまえアレの魂は我の物だ。たとえ輪廻を巡ったとしてもな」

「で、どうする」ギルガメッシュは赤い瞳を細めてレフ・ライノールを見下ろした。敗北の二文字を悟ったレフは悔しげに拳を握り、その場からフッと姿を消した。呆気なく去った敵にギルガメッシュはつまらんと吐き捨てると、背後でドサッと物音が聞こえた。見ればなまえが壁に背を預けて座り込んでいる。

「結界を解除しろ」
「っ………」
「雑種共が煩く喚いている。貴様の手当ても必要だろう」
「……どうして、助けたんですか…」
「何?」
「どうして! どうしてわたしを助けたんですか! よりにもよって貴方が!」
「ほう? その言い草だと、まるで我には助けて欲しくなかったと言うつもりか?」
「そう言ってるんです! わたしと貴方にはなんの接点もない!」

感情が高ぶり、なまえは思うがままの台詞をギルガメッシュに投げつける。普段なら不敬だと問答無用で己の宝具を持ってその首を刎ねるが、今日の王様は違う。女をジッと見下ろし、その全てを受け入れていた。

「わたしはただのエンジニアで、しがない局員です。魔術師でもなければっ………」

貴方が興味を引いた、八人目のマスターでもない。そう言いかけて咄嗟に言葉を飲み込み俯くなまえに、彼はゆっくりと言葉をかけた。

「言っただろう。『次に会えた時は決して逃さぬ』と」
「――っ、」

それって、となまえは顔を上げて彼の顔を見た。赤い瞳が自分を見ている。それだけで彼女のエメラルド色の瞳からは大粒の涙が溢れ出した。

「おもい、だして………?」
「この我が忘れていたとはな。許せよ」

ぽろぽろと頬を滑る大粒の涙を、ギルガメッシュは親指の腹で優しく拭う。そのまま両手で彼女の顔を包み込むと、まだ涙を流す目尻にキスを落とした。「ちょっ、ギル、」と抵抗するなまえに構わず、ちゅ、ちゅ、と顔中にその美しい唇を滑らせ、彼女の抵抗すら飲み込んでゆく。

「我に話すことを赦そう」
「へ………」
「お前の願いは何だ」

その台詞に思い出すのは、前世の記憶。真っ赤な瞳に射抜かれながら、なまえはぎゅうっと抱きついた。突然のことに驚くギルガメッシュに向かってくすりと笑い、彼女は願いを囁いた。
その願いに彼は赤い瞳を丸くしたかと思えば、いつもの高笑いを部屋中に響かせる。

「フハハハハ!! 貴様は本当に飽きないな、なまえ!」
「なんで笑うんですか!」
「ククッ、いや、良いぞ。――その願い、聖杯なんぞにくれてやる必要はない。この我が叶えてやろう」

愛しさを孕んだ声が自分の内を支配してゆくのを感じながら、なまえは生きていることをやっと実感した。







「まさか王さまと関係があったなんて知らなかったです!」
「わたしも思い出したのはつい最近で……。ギルガメッシュなんて、レフ・ライノールの襲撃があるまで気づかなかったみたいですし」
「何だ、怒っているのか? 愛い奴め」
「……キャラ変してません? 以前はそんな台詞言わなかったじゃないですか……」
「言わねばなまえは分からんだろう」

食堂で金色に光る豪奢な椅子に座るのは、ウルクの王・ギルガメッシュ。その膝上には局員のなまえが座っていた。今まであの古代王が膝の上に女、しかも特定の人物を乗せるだなんて無かった為、藤丸や立花、サーヴァント達は興味津々に二人を見ていた。藤丸と立花以外話しかけられなかったが、ここへ来て予想にしていなかった者がなまえに声をかけた。

「よっ」
「あ、クー・フーリン」
「何だ、厄介なのに捕まってんじゃねェか」
「ぷっ、厄介……」
「なまえ」
「すみません」
「たかが犬が、気安く我の女に声をかけるな」

クー・フーリンの目から隠すように自身の腕でなまえを包み込むと、ギルガメッシュは赤い瞳を鈍く光らせ、背後には無数の宝具を出現させる。目を塞がれているなまえには一体何が起きているか分からないが、周囲の慌てようが耳から入り込んでくるため、ギルガメッシュが何かしていることだけは分かる。

「何してんですか、ギルガメッシュ!」
「なまえは何も心配せずとも良い。我が全て終わらせてやる」
「何を終わらせるってんですか! ちょっ……ほっ、宝具をしまって下さい!」

やっと腕から脱出したなまえは、今にも飛び出して行きそうな宝具をしまうように説得し、藤丸や立香、サーヴァント達にひたすら謝り倒すと、テーブルに置いてあるまだ手のつけられていないフルーツタルトを持って、立ち上がった。その反対の手でギルガメッシュの手を取ると、「行きますよ!」と言いながら食堂から出て行く。その時のギルガメッシュの表情と言ったら――。

「何だ、あの男のあの顔は」
「エミヤ」

キッチンから出てきたのは、エプロン姿のアーチャー・エミヤ。心底嫌そうに歪められた表情に、藤丸はあはは…と笑うしかない。「でも、」立香は二人が消えた方を見ながら呟いた。

「あんなに嬉しそうな王さま、見たことなかったね」

己のサーヴァントだが、その素性は表面上のものしか知らない。自分の知らないギルガメッシュが、いとも簡単に引き出されたことは悔しいが、それ以上に嬉しかった。

「――何処に行く?」
「部屋に決まってます。わたし、これからまだ仕事があるので、ギルは部屋でタルトでも食べていて下さい」
「我が何故部屋で待たねばならんのだ」
「わたしの部署にギルが来たら、それこそ大問題です。みんな仕事に手がつきません」

たった一日で修復したなまえの部屋に、ぐいぐいとギルガメッシュを押し込める。まだ何か文句が言いたそうにする王様の手に、タルトの乗った皿を手渡す。

「必ず帰ってきますから」

笑ったその顔は、不覚にもギルガメッシュが好きな顔だった。押し黙った王様に手を振り、今度こそなまえは仕事場へ向かう。

一人部屋に残されたギルガメッシュは、手の上に置かれたフルーツタルトを一瞥して、すぐに冷蔵庫へ。一人で食べる気など毛頭ない彼は、そのままベッドに横になった。ふわりと香るのは彼女の匂い。

「……フン」

目を閉じると、ギルガメッシュはそのまま静かに眠りについた。

――誰か大切な人とずっと一緒にいたい。
かつてそう言った彼女は、もういない。今の彼女の願いは、聖杯に頼らなくてももう既に叶っているのだから。

「ギルガメッシュと、ずっと一緒にいたいです」



「――ただいま帰りました、ギルガメッシュ!」
「遅い! だが、寛容な我に感謝しろ。フルーツタルトは残してある」
「やったー! ありがとうございます!」

そんな会話をする光景は、昔の彼らと重なって見えた。