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「……何か、御用でしょうか。ドンキホーテ・ドフラミンゴ様」
「フッフッフ! そんな他人行儀に話すなよ、悲しくなるだろ」
「海賊と言えど、貴方様は七武海のお一人ですので。敬語を使うのは当たり前かと」
「海軍本部少将ともなると、お固いなァ」
「お固くて結構。会議が終わったのなら、さっさとお国に帰られたらどうですか?」
「いーじゃねェか。遊ぼうぜ」

カツカツと足音を立てながら早足で歩き、纏わりつくドフラミンゴをあしらうのは、海軍本部少将のみょうじ・なまえ。腰まである薄紫の髪を靡かせ、『正義』と書かれた白いコートを羽織る彼女は、いつまでもついてくる男にいい加減苛立ちを露わにした。

「あのねェ、何? 何なの? 私に気があるわけ!? もうすぐ火拳のエースの公開処刑があるんだから、武器の手入れとかしたいの! あんたに構ってる暇なんてないわけ。わかる!?」

噛みつくように吠えるなまえに、ドフラミンゴはやっとかとでも言いたげにニヤリと笑った。こうなってしまえば、あとはいつも通り。

「そっちの方がお前らしいぜ、なまえ」
「名前を呼ぶな、名前を。あんたも戦争には参加しなきゃいけないんだから、一回国に帰って国民を安心させてやれば? 仮にも国王なんだから」
「仮にもってひでェな。おれァ立派な王だぜ?」
「私があんたの悪行を知らないとでも?」

ああ言えばこう言うなまえとのやり取りを、ドフラミンゴはいつも楽しんでいた。
マリージョアへは定期的に開かれる会議のために足を運ぶが、彼がこうしてきちんとやって来るようになったのはここ二、三年の話だ。それまでは欠席の方が多かった。
何故近年は参加する方が多くなったのか。理由は簡単。なまえが居るからだ。

メキメキと頭角を現したなまえは、最年少で海軍本部少将の地位を手に入れた。それまでは支部を転々としていたのだが、少将の地位を手に入れ、本部で働くことになったその日にこのドンキホーテ・ドフラミンゴと運悪く出逢ってしまったのだ。
その日はちょうど七武海との会議が開かれ、いつもは欠席するドフラミンゴが気紛れに参加していて、偶然廊下を歩いていたなまえと遭遇したのだ。本当に、一言で言うなれば『運が悪かった』。

「んァ? 見慣れねェ顔があるな」
「どっ……!? ゴホン、いえ、失礼いたしました。本日付けで海軍本部少将となりました、みょうじ・なまえと申します」
「フーン…お固いねェ」
「……七武海のお方に対して、これが当たり前だと思っているのですが」


あの日も、今みたいなやり取りをしていた。そのままにっこり笑顔で立ち去ろうとしたなまえを、ドフラミンゴが能力で無理やり体の動きを封じ、さらに己に抱きつかせたのだ。
海賊を毛嫌いしているなまえにとって、これほどの屈辱はない。カッと怒りを募らせてなんとか能力を振り切り、刀を抜いてドフラミンゴに斬りかかった。

それからだ。彼がこの聖地マリージョアへやって来るようになったのは。会議には必ず出席して、終わると同時に部屋から出てなまえの元へ直行する。
そんな関係が二、三年続いていた。

「それじゃあ、次会うときは戦場で」

バサっとマントを翻し、なまえはリズム良い足音を立てながらドフラミンゴから離れていく。だんだんと遠ざかる背に、無意識に手を伸ばした。

「……なんですか」
「敬語に戻ってんじゃねェよ」

なぜ、今能力を使わなかったのか。ドフラミンゴは自分のことながら、理由が分からなかった。けれど引き止めることには成功したのだ、今更理由なんてどうだっていい。

「おれの許可無しに、勝手に死ぬんじゃねェぞ」
「どうしてドフラミンゴ様の許可が必要なのか、甚だ理解出来ませんね」
「お前の生き死には、おれの手にある。それを忘れんなよ」
「ハッ、何様のつもり? 仮にも私は海軍少将の肩書きを持ってるの。たとえあんたに殺されかけても、相討ちくらいには持ってくわ」

嘲笑などされたことのないドフラミンゴは、いつまで経っても気の強いこの女にニタリと笑った。何か良からぬことを企んでそう――なまえは一気に身の危険を感じて、ドフラミンゴから離れようと手を振り払う。ああ、悪寒が走る。

「なァ」
「なに」
「なんで海賊が嫌いなんだ」

二人が出会って、三年。ドフラミンゴはその問いを初めて彼女に投げた。もちろんなまえも、その質問を他の者から何度もなんども受けたことはあった。その度にいつも同じ答えを返していた。
それなのに、何故かドフラミンゴに問いかけられると、同じ答えが出なかった。まるでくっつけられたように口が開かない。

「…おい、なまえ?」
「、………ただ、親を殺されたから。あんたにしてはくだらない理由よ」

結局、口から出たのはいつも通りのテンプレ回答。これであわよくばこの男が、自分に対する興味を失ってくれると良いのだけど――少しばかりそんな思いもあったなまえだが、ドフラミンゴの表情は期待していたものとはまったく違っていた。

「嘘はいけねェなァ、なまえ」
「はぁ? 嘘? 何で嘘ってわかんのよ」
「おれが最初っから答えを知らねェとでも思ったか?」
「………、おつるさんか……!」
「フッフッ、正解だ。おれが無理やり聞き出したんだ、おつるさんは悪くねェよ」
「そんなこと百も承知よ…。ああもう、だったら何で聞いたわけ?」

面倒臭そうに肩にかかる手を払いのけながら訊くと、機嫌が良さそうに鼻で笑って後ろから抱きついた。初めてされた行為に一瞬対応が遅れたなまえを、ドフラミンゴは可笑しそうに上から見下げた。

「なまえがなんて言うか、試したって言ったら?」
「悪趣味」
「褒めるなよ」
「褒めてない!」

離れろと暴れるなまえを力で押さえ込み、掻き抱く。加減の無いそれになまえは苦しそうに「ちょっと…!」と腕を外そうとするも、やはり無意味。そのうち諦めたように溜め息を吐いた彼女に、ドフラミンゴは心地好さそうに笑った。

「お前はおれのだ、なまえ」
「違う。私は私の」
「聞こえねェな」
「本気で殴るわよ!」
「おれを殴ったらファミリーの奴らが黙ってねェぞ」
「知らないわよ、そんなの。返り討ちにしてやるわ」
「おお怖ェ」

戯けたように怯えたふりをするドフラミンゴ。それでも変わらず自分を抱く力は強いのだから、気の抜けない。そう思っていても、心のどこかでこのやり取りを楽しむ自分がいることに気づいていながら、なまえはまた悪態を吐くのだった。




「っ…どうなってるわけ…!?」

土煙が舞い、地面には既に生き絶えた海兵や海賊達が転がっている。そんな中をなまえは駆け、幾多もの敵を屠ってきた双刀でまた新たな命を刈り取った。
“麦わらのルフィ”率いるインペルダウンからの脱獄者達のせいで、戦況は変わりつつある。流れが海賊にあるのだ。鼓舞する白ひげの声に盛大に顔を歪めたなまえは、味方兵の残存を確かめながらグッと奥歯を噛み締めた。

ついに“火拳のエース”が解放され、海賊達は一気に逃げへと転じる。そんな流れの中、この戦場で白ひげは終わりだと自身で告げた彼。なまえはそれに無意識のうちに涙が溢れ、けれど気丈さを失わせずに戦った。――荒くれる戦場に、涙が散る。

「オヤジは死なせねェ!!!」
「!!」

油断とは、本人は気づかない。極限状態まですり減らした神経の糸は、いつどこで切れるか分からないのだ。
ギラリと鈍く光る刀が、自分に振り下ろされる。恐怖は感じなかった。ただ「あぁ、死ぬんだ」と無駄に冷静な自分がいた。

「…ここで終わり、か」

フッと口元に笑みが象られる。頭に浮かぶのは父親でも上司でもなく――とても憎い、なのに愛しい、ある男の姿だった。

「誰の許可を得て死のうとしてんだ?」
「――っ……!」

閉じることのなかった視界に飛び込んで来たのは、自分に刀を振り下ろしていた男の倒れる姿。心臓を貫くのは幾重にも重なった糸の束だった。
倒れた男の後ろには、戦場には不釣り合いなピンク色を羽織った七武海、ドンキホーテ・ドフラミンゴだった。

「ど、ふら……」
「フフフッ、なんて面してやがる」
「なんであんたが、こんなところに…」
「おれがここにいちゃ不思議かァ?」

心底愉しそうに笑顔を浮かべるドフラミンゴだが、それは間違いだとなまえはすぐに気づいた。楽しいんじゃない――怒っているんだ。
だが、気づいたときにはもう遅かった。身体はピクリとも動かず、まるで蜘蛛に絡め取られた哀れな獲物のように彼の言葉を待つことしか出来なかった。

「あん、たっ……!」
「なァ? あんな雑魚にヤられるほどお前は弱かったのか? なまえ」

ドフラミンゴが名前を呼ぶたび、身体が熱くなるのが分かった。この感情が何かなんて、もう誤魔化せない。
死にそうになって初めて気付くなんて、なんて滑稽なのかしら――…。

「勝手に死ぬのは許さねェ。お前はおれのだ、なまえ」

戦場のど真ん中なのに、独占欲丸出しの分かりにくい愛を口にする男が可笑しくて、憎くて、けどやっぱり愛しくて。
かろうじて動く口を震わせながら、笑ってみせた。

「私は私のよ、バカ」
「フッフ…この状況でよくそんなことが――」
「でも、」

ドフラミンゴの台詞を遮って、なまえはこの戦場には似つかわしい、柔らかな笑顔を浮かべた。それは男がこれまで初めて見た、愛のこもったそれだった。

「私を殺していいのは、ドフラミンゴだけよ」

それは、つまり。
ドフラミンゴがその言葉を理解すると同時に、なまえの身体に衝撃が走った。大きな巨体が自分に抱きついてきたのだ。自分をすっぽりと包む暖かな温もりに目を閉じそうになったなまえは、すぐに彼の腕の中からするりと抜けだして駆け出した。ドフラミンゴに背を向けて。

「あァ!? おい、なまえ!」
「あんたとじゃれ合うのは後でよ! このバカげた戦争を終わらせないと! 自分の仕事は真っ当するわ」

小さな背に背負う正義は、ドフラミンゴにしてみればひどくちっぽけなもの。けれど彼女にとってはとても大きなものだった。
それがひどく煩わしくて、今すぐなまえのコートを奪い、ズタズタに引き裂いてやろうかと思ってしまうが、それはまた今度でいい。

今は、自分となまえとの日常を邪魔する非日常を、さっさと追いやらねば。
始まりより凶悪な顔を晒したドフラミンゴは、舌なめずりをして更に暴れだした。


死ぬも生きるも彼の手に