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わたしの兄は、生まれてから一度も地に背をつけたことがないという伝説を持つ。そんな兄が誇らしかった。けれど兄にとってわたしとは、たくさんいる妹達のうちの一人で。
わたしにとっては違った。たくさんいる兄達の中で、あの人だけがわたしの兄だった。あの人に認められたい。たったその一心で苦手な武術も磨き、人前に出ることだって嫌いなのに率先して前に立って指示をして。
それなのに。
「カタクリ兄さまと互角なんて……」
そんなわたしの兄、カタクリ兄さまと接戦を繰り広げるのは今回の騒動を引き起こした〈麦わらの一味〉船長、モンキー・D・ルフィ。互いに見聞色の覇気を極限まで高め、少し先の未来を見ながら戦うそれはまるで別次元。どっちが勝ったっておかしくなかった。
本当ならカタクリ兄さまの勝利を信じて、笑って待てばいいのだろう。だけどとてもそんなこと出来なかった。だってあの兄さまがここまで手こずっているのだ。何より麦わらのルフィは、確実に戦いの最中で強くなっている。
「兄さま………、?」
こっそりと同じミロワールドで戦いを見守っていると、向かいの陰で何か人影が動くのが見えた。よくよく目を凝らしてみれば、そこにいたのは妹のフランペとその部下達だ。
「何をしようとしているの、フランペ……」
フランペは苦手だ。その自信過剰なところは勿論、同じ兄を慕っているという理由から、よく目の敵にされ有る事無い事言われた記憶がある。わたし自身相手にはしなかったのだが、その態度にもムカついたフランペによくいじめられたものだ。それでもやり返さなかったのは、あんな奴でも兄さまの大切な妹だからだ。
そんな時だった。フランペが浮いて彼女得意の無音の吹き矢を吹いたのだ。――カタクリ兄さまと戦う麦わらのルフィに向かって。あっと思った時にはもう遅い。それは見事麦わらのルフィの右足に命中。彼は瞬時に自分の身体の違和感に気がついたのだろう、戸惑いながら足を見ているとそれに気を取られてしまい、カタクリ兄さまの攻撃を受けて致命傷を負ってしまった。
そこから兄さまの猛攻撃が始まったが、麦わらのルフィは避ける力が残っていない。当たり前だ、フランペの痺れ矢を食らったのだから。
数分後、やっと麦わらのルフィがおかしいことに気づいたカタクリ兄さまは、フランペがいることにも気がつく。すると彼女の元へ向かう兄さまに、当の本人は褒められることしか考えていないのか表情をだらしなく緩ませている。――そうして兄さまは、フランペとその部下の目の前で自分の腹を刺した。
「にっ……」
思わず声が出かかり、手のひらで口を押さえる。
「男の勝負に…!!! 薄っぺらい援護などするな!!!!」
「キャアア〜〜〜〜〜〜〜!! 来ないで!! 触るな!! バケモノっキャーーーー!!」
響いた怒声にわたしも肩をビクつかせ、そっと兄を見る。そこにいたのはいつも口を隠しているのに、今はもうその大きく裂けたそこを曝け出した兄がいた。
「だっさ〜〜〜!!! あーもう汚い!! 血がついた! 何のマネ? 自分のお腹刺して…!! あんたなんかカタクリおにー様じゃない!!」
「(フランペ……!)」
「耳まで口が裂けて――まるでフクロウナギ!!」
もう我慢出来なかった。
わたしは光速のスピードで二人の間に入ると、フランペが口で飛ばした唾がカタクリ兄さまに届く前に腕で受け止めた。まさかわたしまで居るとは思わなかったカタクリ兄さまは、驚いたように息を飲む。
「なまえ……お前までいたのか」
「何よっ! あんただって幻滅したでしょ!? そんなカタクリおにー様、私の大好きなカッコいいおにー様じゃないわ!」
兄さまに対するフランペの罵倒に、わたしは右手でパチンと指を弾いた。途端にフランペは「ガッ……アッ、」と喉を押さえて
苦しそうにもがく。後ろに控えるフランペの部下が「ひ、ヒィッ! なまえ様の能力だ!」と腰を抜かして恐れる。けれどもう遅い、こいつらはカタクリ兄さまを侮辱しすぎた。続けてまた右手でパチン、パチンと指を弾けば彼らもフランペと同じように白目を剥いて苦しそうにのたうち回った。
「………なまえ」
「止めないでください、兄さま」
「お前がそれをする必要はない。放っておけ」
「いいえ、出来ません。わたしは、兄さまを、カタクリ兄さまを侮辱したこの愚かな妹やその部下を始末しなければ、気が済みません!」
「家族殺しをするつもりか」
「母さまならきっとお許しくださいます」
「確かにママはお前に甘いから許してくれるが……そうじゃない」
じゃあ何だというのだ。そう問おうとしたが、口から言葉が出る前にわたしは兄さまに抱きしめられた。戦いで疲れ、更に自分で先程刺して血が流れすぎたのか、口から吐く息が荒い。
わたしは兄さま、と意味もなく小さな声で兄を呼ぶと、左手でパチンと指を弾いた。すると苦しそうな声は止み、ドサっと倒れる音がいくつか聞こえた。そっと横目で見ればフランペ達が口から泡を吹いて倒れている。……ふん、いい気味だ。
「にいさま」
「なまえ、……離れていろ」
「はい、カタクリ兄さま。……戦いが終わるまで、待っています」
勝って、とは言えなかった。兄さまが好敵手と認めた相手、麦わらのルフィ。きっとおそらく、彼は死なないだろう。確信めいた予想が当たるなんて、この時はまだ知らなかった。
***
「カタクリ兄さま!」
「、……なまえ」
「今治療を……あぁ、なんてひどい怪我…」
「…情けないところを見られたな」
「え?」
「おれは生まれてから、地に背中をつけたことがない。……あれは――」
「うそ、ですよね」
「!」
驚く兄さまにくすりと笑い、手当てを進め、最後にカタクリ兄さまと目を合わせた。
「わたしも、ちょっとだけ未来が見えるんです」
なんて、嘘だけれど。
それでも兄さまが目を閉じて穏やかに眠るもんだから、嘘だと言えずに結局そのままうやむやになってしまった。
「母さま、お呼びですか」
「あァ、良いところに来たね…なまえ」
「お姿もすっかり元どおりになられたようで、良かったです」
「あのウェディングケーキは美味かったからねェ。お前にも食べさせたかったよ」
「ふふ、では次の結婚式でいただきますね。……それで、御用は?」
「おれをコケにした麦わらの一味を追え」
「それは…この万国から出て、彼らの行く先で始末しろと?」
前例のない無茶振りだ。そもそも母さまはわたしが戦いが苦手なことを知っている。――苦手だが、わたしの戦闘力がカタクリ兄さまに次ぐ実力だということも、他の誰もが知らなくてもこの人だけは知っている。
「そうだ、カイドウに話はつけた」
「あのカイドウに? 母さま、今回は手が早いですね」
「ここまでコケにされて、やすやすと逃がさねェよ。それで、行くのか、行かないのか?」
その質問に意味はない。わたしは甘い甘いケーキを紅茶で流し込むと、「母さまの頼みを断るなんて、ありえません」と笑った。
「代わりに、母さまにお願いしたいことがあります」
「なんだ? 珍しいな、なまえがおれに頼み事なんて。可愛いお前の頼みだ、聞いてやる」
「……妹のフランペ」
名前を告げると、母さまはニヤリと歯をむき出しにして悪どい笑みを浮かべる。その先の話を、もう母さまは予測しているのだ。それでもわたしはあくまでも優雅な笑みを絶やさず、淡々と話を続ける。
「あのカタクリ兄さまを侮辱致しました。フランペも、その部下も。本当はわたしの手で命を刈り取っても良かったのですが……兄さまに止められてしまいました」
「それで?」
「わたしではもうフランペを殺せない。だって兄さまに止められてしまったから。――けれど、母さまは違うでしょう? あなたはいつだって『誰でも殺せる』」
母さまの笑顔が答えだった。これでようやくあの妹を排除できると、わたしは嬉しくて優雅な笑みを崩してとても緩んだ表情を見せた。
「なら、どう料理してやろうかねェ……」
「まぁ母さま。できるだけ美味しく、長く味わえる調理方法でお願いしますね。もちろん、兄さまには気づかれないように」
「当たり前さ! 可愛い可愛いなまえの頼みなんだからね」
「ふふ、それじゃあ安心して麦わらの一味を追えそうです。それで、彼らはどこに?」
「――ワノ国さ」
数人の精鋭を引き連れ、わたしは万国から発った。帰った後あの妹はどう
料理されているのか、今からとても楽しみだ。
「なまえ様、なんだかワクワクされてます?」
「わかる?」
「はい。……カタクリ様と何かありましたか?」
「んー…」
兄さまとは何もない。今まで通り、たくさんいる妹達のうちの一人の扱いだ。けれど、それでいいのだ。カタクリ兄さまはみんなの兄さまで、生まれてから今まで地面に背中をつけたことがない、万国一の男。
あの妹がいなくなれば、わたしだけが、あの人の本当の姿を知っている。ああ、なんて――なんて甘美な響き。
「何もないよ。ただ、万国から出るのが久々だから…それでワクワクしてるだけ」
あまい紅茶はお好きですか
その内なる想いを閉じ込めて、わたしは麦わらのルフィとの再会を目指してワノ国へ進路を進めた。