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青城で一番人気で知名度No.1カップルと言えば、この二人だった。
及川徹と麻木咲。
つい二ヶ月程前から付き合っている二人は瞬く間に知られて今や知らない人の方が珍しい。そのせいで今まで及川に向かってキャーキャー言っていた女の子達はあまり差し入れをしなくなった。何でもその子たちから聞いてみた話では麻木咲が睨みを効かせているかららしい。
「はい、15分休憩です! ドリンクそこに置いてますから取って行って下さいねー!」
そんな人気者の及川だけど、私は彼に近づく為の唯一残された場所にいる。そう、男子バレー部マネージャーだ。北一にいる時から男子バレー部のマネージャーをしていた私が青城でしない、なんていう選択肢はなかったし、半ば強引に及川が私をマネージャーにしたのだ。
「ねぇなまえ、さっきのトスどうだった?」
「んー…手首痛めてる? 滑らかさがなかったよ」
「うわ、バレた!」
どうやら欲しい答えが返ってきたからか、どこか嬉しそうにカラカラと笑う及川。その裏表のない笑顔に胸がドキンと高鳴る。
これを正体を、私は知っている。もう何年も付き合っているのだ。気づかない方が馬鹿だ。
「大丈夫か?」
「はじめ……」
そんな私の気持ちを知っているのは岩泉一、ただ一人。だからこそ彼はよくこうして話しかけてくれるのだ。
「……うん、平気だよ。それに……もうさっさと諦めないとだしね」
ヘラッと笑って手を振ると、ちょうど休憩が終わった。すると及川が二階席に向かって手を大きく振ったのが目に入った。そこに目を向けると、あの彼女さんが可愛らしい笑みを浮かべて控え目に手をふり返していた。
「…コラクソ及川! さっさと来い!」
「うわっ、岩ちゃんってば口悪い! そんなんじゃあ彼女なんて出来ないよ? ねぇなまえ?」
突然振られた話に一瞬「は?」と惚けてしまうも、すぐに理解した。
「いやあ…でもすぐ出来ると思うよ? だって一優しいし…女の子の気持ち分かってるから」
「はぁ!? ちょ、なまえ頭大丈夫!?」
「いーからさっさと来いよクソ川!! みんなテメェの事待ってんだよ!!」
「イタッ! 痛いよ岩ちゃん!」
いつものおふざけを繰り広げる二人に思わず笑みが零れた。
さて、と。今から記録書かないとね、と監督の横にあるパイプ椅子の上に置かれたノートを取ってそこに座る。ふと二階席を見上げると、あの麻木咲がほんの少し怖い顔、でも泣きそうな目をしているのが目に入った。
──ああそっか、彼女も不安なんだ。ストンと落ちたそれは、きっとこの不毛な恋を終わらせるスイッチだったに違いない。
「及川先輩!」
「んー? あ、咲ちゃん!」
「あのっ、あのっ、あれ凄かったです! サーブ!」
「ほんと? ありがとう」
ふわりと微笑む及川に、麻木さんは顔を赤くして俯いた。うん、やっぱりもう終わりにしないとね。この曖昧な関係にも。
「…言うのか?」
「うん、さっき監督にも出してきたしさ。ごめんね、ただでさえ練習忙しいのに…こんな身勝手な理由で」
「いや、よく4年も頑張ったと俺は思うぞ」
「……ありがと」
ぐしゃぐしゃっと不器用に撫でてくれた一の手は、大きかった。そんな私達に気づいた及川がビュッとこっちに寄ってきた。
「何してんの二人とも!? 俺を放っといて!」
「いや、別に」
「キーっ! 何なの!? 俺に秘密ごととかなしだからね!」
きっと冗談のつもりなんだろう。なんだろうけど、今の私には深く突き刺さった。早く言わないと。ぎゅっと握った手のひらに爪が食い込んで痛かった。
「及川」
「もう! 何!?」
「私、今日で部活辞めるね」
さっき、監督に退部届出してきたばかりなの。
真っ直ぐ及川の目を見て告げると、さすがに予想外だったのか反応がない。隣で聞いていた麻木さんも目を丸くして驚いている。漸く口を開いた及川から出た声は、何とも情けない声だった。
「……なんで? 春高まで一緒じゃなかったの?」
「……、いろいろと事情があるの」
「いろいろって何? 俺らより大事なの?」
「違う。ただもう……離れたかった」
ふるふると及川の握られた拳が震えているのが見えた。どうして?及川にとって私はただのマネージャーでしょう?そんなに必死に問い詰めて、一体私をどうしたいの。
「……嫌だ」
「へ?」
「辞めるなんて俺が許さない。ダメ、辞めさせない」
「もう及川のわがままは聞けないよ」
「嫌だ、何で辞めるのさ」
「っ…いい加減にしてよ! 私はもう離れたいって言ったじゃん!」
「いい加減にするのはどっちだよ!! いきなり辞めるとか言われてはいそうですかって頷けると思ってんの!? 6年だよ!? 6年も一緒にいるのに何で最後まで居てくれないの!?」
とうとう声を荒げた私に対抗するかのように声を張り上げた及川。その目は少し涙ぐんでいた。
やめてよ、そうやって期待させるような真似。もう十分期待させてもらった。でもその度に落とされた。だから、だからもう──…。
「離れたいって何から!? バレー!?」
「っ、及川からだよ!!」
叫ぶような私の声と言葉に、やっと及川ははっと詰めていた息を吐いた。何だよそれ、と吐き出されたのは震えた声。
「…なまえは、俺のこと嫌いだったわけ?」
「……そうだよ」
「……あっそ。なら辞めれば? 良かったね、これで大嫌いな及川さんから離れれて。安心して、俺も──」
俯いていた顔を上げた及川の表情は、今まで数えるくらいしか見たことのない怒った顔だった。ギラリと目を細めて、射抜くような視線を向けてきた。
「俺も、みょうじの事なんて大嫌いだからさ」
その言葉に泣かなかった私は、頑張ったと思う。こうして、私の片思いは終わりを迎えたのだった。
「おい、及川」
「岩ちゃん? 何?」
「お前あの彼女は……」
「ああ、とっくの前に別れたよ」
「ったくお前は……ん」
「…何、この花。まさか岩ちゃんがわざわざ俺に買ってくれたとか!?」
「ウゼェ。つかちげぇよ。それ、なまえからだ」
「…は? なんで俺に?」
「お前知らねえと思うから言うけど、アイツ今東京にいるぞ」
「東京…? いつの間に……」
「んで、それは引っ越す前にお前に渡してくれって頼まれたんだ。秋海棠、っつー花らしいぞ」
「シュウカイドウ……?」
「その花言葉は──…」
秋海棠に別れを告げて
「──…未練タラタラかっつーの」
新幹線で思わず自嘲の笑みを零してしまう。何もあんな花を贈るつもりはなかった。なのに気づいたらあの花を選んでいたのだから、仕方が無い。
「…及川、本当はね」
──岩ちゃんから聞いて、初めて知った。
「嫌い、なんて嘘」
──だってそんな素振り、一度もしなかったから。
「本当は、ずっとずっと……」
──もっと俺がなまえを見ていれば、今も君は俺の隣で笑っていてくれたのかな。
「及川のことが──」
──可愛い子に告白されて付き合ったのは、みんなみんな君に見て欲しかっただけだった。
「好きだったんだよ」
──本当に付き合いたかったのは、なまえだけだった。
「さようなら、私の片思い」
──俺はずっと、君に恋していたのに。
「…んで、なんで、…っなんで!」
「なまえが部活辞めた日のこと覚えてるか?」
「……うん」
「お前が帰ったあの後、なまえが泣いて謝ってた」
「え……」
「嫌いなんて言ってごめんってな」
もう少し素直になってれば、何かが変わったのかなんて、所詮は戯言でしかない。だからこそ、君への想いは花に託そう。
秋海棠の花言葉は、『片思い』。
──そう、私はずっと、君に片思いをしていたんだよ
「…必ず、見つけてみせるから」
その数年後、人が入り混じった東京でいきなり腕を掴まれて秋海棠の花を渡されるなんて。今はまだ、知らない未来…――。