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人が集うしあわせの街、コトブキシティから出て、ソノオタウンの先にあるハクタイシティ。そこにはポケモンの像が建てられていた。

「時間を操るディアルガと、空間を操るパルキア……。こんな話、ガラルには伝わってない」

ガラルの伝説とはまた違う話に、つい夢中になってしまった。道の端に咲いている小さな花を、短い前足でてしてしと触ろうとするロコンの名を呼びながら、なまえは近くのベンチに座った。カバンからつい先程買っておいたポフィンを取り出すと、ロコンの口元へ持っていく。するとたちまち喜びの表情を浮かべて、ぱくぱくとかぶりついた。

「おいしい?」
「コンッ!」
「ふふ、よかった」

嬉しそうなロコンを見ながら、ポフィンの数を数えようとカバンを開くと、シンと眠ったままのスマホロトムが目に入った。このシンオウではまだ普及されておらず電波が無いため、早々に充電切れになってしまったのだ。

「――――……」

今頃、キバナはどうしているだろうか。SNSが開けなくなった以上、キバナの様子を見ることが出来なくなってしまった。けれどこれで良かったのかもしれない、と彼女は思い始めていた。

するとポフィンにかじりついていたロコンが急に顔を上げ、どこか遠くを見つめる。「ロコン?」呼び掛けても反応はなく、つられてなまえも空を見つめれば、遠くの方にゴマ粒のような影が見えた。それはだんだんと大きくなり、やがてはっきりと形が分かるまで近くに来た。
その正体に気がついたなまえの行動は早かった。広げていたポフィンをサッとカバンの中にしまい、ベンチから立ち上がって忘れ物が無いか確認すると、ロコンを抱き上げる。不思議そうに自分を見上げるロコンに申し訳なく思いながら立ち去ろうとすると、ぶわりと大きな風を巻き起こしながら先程見た影の正体が自分達の前に降りてきた。――緑色の体をした、羽の生えたドラゴン。そしてその背に乗る褐色肌の男。そんなの、なまえが知る中では一人しかいない。

「よォ、また逃げる気か? ――なまえ」

ガラル地方ナックルシティのジムリーダー・キバナ。
そしてなまえの恋人だった男だ。

「キバナ………」

彼のパートナーであるフライゴンの背から降りて、自分と向き合うキバナ。付き合っている時は柔和な笑みを絶やさない優しい表情を浮かべていることが多かったが、今の彼は優しさとはかけ離れた雰囲気を醸し出している。いつも垂れている目は少しつり上がり、口はへの字に曲がっていて、まるで――彼がバトルをしている時のような、そんな雰囲気だ。
無意識に彼の威圧に圧されて後退りするなまえを、キバナは見逃さなかった。素早く手を伸ばして彼女の手首を掴むと、逃げられないようにと力を込める。痛みに悶えるなまえだが、それでもキバナは手を離さなかった。

「また、オレさまに何も言わずに逃げる気かよ」
「っ、何も言わなかったのは謝る。でもキバナだって、私なんか居なくても構わないでしょう?」
「何でそうなるんだよ。オレさまが一度でもンなこと言ったか!?」
「じゃあどうして約束を破ったの!」
「!」

あまり声を荒げることのなかったなまえが、感情を露わにして怒っている。見れば目には涙がたまり、今にもこぼれ落ちそうだ。

「記念日は祝わなくていいけど、誕生日は――お互いが生まれた日はちゃんと祝おうって、言ってくれたのはキバナじゃない!」
「それは、」
「キバナが仕事の日は仕方がないよ、分かってる。キバナの立場も、仕事も、代わりなんていないから」

バトルをしない自分だが、彼がジムトレーナーとしての立場を誇りに思っていたことは分かっていたし、いつかチャンピオンであるダンデを倒すという目標の為に日々鍛錬していたのだって知っていた。

「でもこの間は違ったよね?」
「……………」
「キバナがあの子に抱いている想いが恋愛感情なのか、それとも友愛なのかは分からないし、知りたくもない。……ただもう、信じて待っているのは疲れた」
「なまえ………」
「SNSが炎上したらまずいことになるって言うから、私もキバナとの写真はポケスタにあげなかったし、キバナも私とのツーショットだけは載せたことなかった。でもあの新チャンピオンの子とのツーショットは載せてた」
「あれは!」

慌ててなまえの科白を遮ろうとするキバナに目もくれず、彼女は言葉を続ける。

「二人の間に恋愛感情は無くても、周りはそう思わない。いくら新チャンピオンだからって相手は女の子。……そう・・思う人はたくさんいるんだよ」
「ッ…………」
「実際、しばらく二人のポケスタ荒れてたよね? それでもキバナはあの子に会いに行き続けた」

――“信じて待つ”段階は、もうとっくに終わってる。
静かにそう告げたなまえは、未だキバナに掴まれている手を離そうとした。だがキバナは反射的に力を込め、逆に彼女の体を引き寄せて抱きしめた。

「ちっちょっとキバナ! 離して!」
「イヤだ」
「〜〜…っ、はなしてよぉ……っ」

涙に濡れたような声が、キバナの耳元でする。それでもキバナは離せなかった、離してやれなかった。

「ごめん。ずっとお前を不安にさせてたな」
「やだ、ききたくない…っ」
「オレさまがどれだけユ、……アイツとは何もないって言っても、もう信じられねェと思う」
「だったら!」
「なまえが好きだ」

抵抗する力が止まり、大きく目を見開く。ぽたり、と一粒の涙がキバナの肩に落ち、彼のパーカーを濡らしていく。

「どうしようもないくらい、なまえが好きなんだよ」

もうその感情しか頭にない。離れていた分、余計に。

「アイツの所に毎日行ってたのもごめん。そのせいでお前のことを考えてなかった」
「ぅ………っ…」
「甘えてた、お前に。ダンデはチャンピオンじゃなくなって、バトルタワーでの仕事も増えたからバトルも出来なくなっちまったし、他にバトル出来るのはアイツしかいなかった」
「いいわけ、だよ、そんなの」
「あァそうだ、言い訳だ。ついでにもう一つ言い訳しておくと、ポケスタになまえとのツーショットを載せなかったのは、炎上避けの為だけじゃねェ」

急に何を、と思っていると、より強く抱きしめられた。

「お前を、誰にも見せたくなかった」
「――!」
「誰にも、本当に誰にも知られたくなかった。お前のことを知ってるのはオレさまだけが良かった」

これは本当に、キバナなのだろうか。ぽろぽろと吐露されていく彼の本音は、予想すらしていないものだった。

「すきだ、なまえ」
「キバ、ナ」
「もう約束も破らねェ、不安にもさせねェ。ポケスタ……にはやっぱり誰にも見せたくないから載せねェけど」
「っ、」
「――すきなんだ」

精一杯の、愛の告白。離れてやっと分かった、彼の深い深い愛。
自分よりも大きな体なのに、何故かなまえの目には子どものようにも見えた。

「……仕事は?」
「あ? ……休みもらってる」

なまえが居なくなってからのキバナは、尋常じゃないほど殺気立つか、それとも真反対に腑抜けるかのどちらかだった。その様子を見ていられなくなったジムトレーナーがダンデに相談し、ダンデが彼に休みを言い渡したのである。

「それなら、まだここにいられるんだね?」
「そうだけどよォ……って、まさか…」
「…正直まだ信用なんて出来ないし、キバナの言ってることがどこまで本当なのかわからない。……だから、」

ぐいっとキバナの胸を押して二人の間に隙間を作ると、両手で彼の頬を挟んで無理やり自分と目を合わせた。

「また信じさせてくれる?」
「!」
「言っとくけど、新チャンピオンの子との関係は洗いざらい吐いてもらうんだからね!」
「〜〜〜っ、なまえっっ!」
「うわっ!」

感極まってなまえに抱きつくキバナ。そんな彼にやれやれと笑うと、自分も背中に腕を回して優しく抱きしめ返した。



――だが、なまえは知らない。これも全てキバナの作戦だったことを。
彼女の性格を熟知しているキバナだからこそ、なまえの言いそうなことを予測し、丸め込み、堕とした。本人は自分に堕ちた自覚はないだろう。だがそれでいい。自覚すら出来ないほどゆっくりと、けれど着実に沈めていこう。

もう二度と、逃げられないように。


彼女は堕ちた




「すきだ、なまえ」

それは甘い愛の告白、なんて生優しいものではない。
彼女を絡め取り、縛り上げ、繋ぎ止めておく――見えない鎖。

いつか彼女が彼の本性に気がつく日は、果たして訪れるのだろうか。