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※ゲームストーリーのネタバレを含んでおりますので、未読の方はご注意を。
※男主人公、≠監督生です。
艶やかな烏のような黒髪に、全てを見透す漆黒の瞳、そして赤く色付いた薄い唇。その姿はまるで、童話の中に出てくる白雪姫のようだと誰かが言った――。
白雪姫の王様
「あっ、なまえ君。おはよ」
「おはよう、監督生。エース達もおはよう」
朝、大食堂に行くと俺を見つけた監督生達に挨拶され、返事を返しながら相席させてもらうことに。飲み物と朝食を取ってくると、俺はデュースの隣に腰を下ろした。
「相変わらず肌綺麗だね、なまえ君」
「ふふ、ありがとう。寮長から新しく化粧品を頂いたんだ」
「うげェ、そんなだからお前未だに女みてーって言われるんじゃん」
「仕方がないじゃないか。スキンケアを疎かにすると寮長がとても怒るんだもの」
ふぅ、と肩を竦めるとエースも我がポムフィオーレ寮のトップを思い出したのか、ぶるりと身体を震わせて朝食を食べ進めた。
その後一緒に講義に向かおうと足を進めると、ある人物が目に入って俺は思わず話すことも忘れるくらい見入ってしまった。不思議に思ったデュースが「どうした?」と俺の視線の先を辿ると、ああ、と納得したように頷く。
「そういや、なまえはまだ会ったことがなかったな。あの人はサバナクロー寮の寮長、レオナ・キングスカラー先輩だ。植物園の温室でよく昼寝をしているから、気を付けろ」
「ふぅん………」
――ああ、とてもよく知っているよ。
レオナ・キングスカラー。夕焼けの草原の第二王子で、決して王にはなれない可哀想なライオン。常に兄である第一王子と勝手に比較され、勝手に落胆される地位にいる者。
俺はそれを、間近で見ていたのだから。
数日後、エペルと食事をしていると監督生が今度はリドル寮長やケイト先輩を連れて、誰かから話を聞いている姿を見つけた。先日ルーク副寮長にカップの持ち方を指摘されたエペルは、また同じことを言われたくないようで練習に励んでいる。そんな彼に一言断ってから、俺は彼らの元へ近づいた。
「やぁ、何してるの?」
「なまえ君……。いや…あのさ、最近起きてる階段転落事故って知ってる?」
「ああ、それならいろいろ友人から聞いてるよ。もしかして、それでこの間ポムフィオーレ寮に来ていたの?」
「そうなんだゾ。お前のとこの…え〜っと、ルークって奴が狙われるかもしれねぇから、見に行ってたんだゾ!」
「なるほど、そういうことだったんだ。なら俺に声掛けてくれれば良かったのに」
「いやぁ、すごくキラキラしてたから……」
監督生が引き気味に苦笑するのを横目に、俺はふむ、と顎に指を添えて考える。今監督生は“事故”と言ったが、これだけ続けばそれはもう“事件”だ。それもかなり故意的な。
誰がやっているのかは見当もつかないが、恐らくこの事態をヴィル寮長が知ればあの美しい顔を盛大に歪めるに違いない。そう思った俺は、彼らに協力を申し出た。
「え!? 犯人探し手伝ってくれるのか!?」
「(犯人って言っちゃってんじゃん…)うん、このまま放置しておくわけにもいかないからね」
「やったーだゾ!」
「で、どこの寮まで調査に行ったの?」
「イグニハイド寮と、ディアソムニア寮以外は行ったよ。オクタヴィネル寮は中庭でリーチ兄弟に話を聞いただけ」
「じゃあサバナクロー寮には行ったの!?」
「そうだゾ。縄張りに入ってきたとかで難癖つけられて、マジフトで勝負したんだゾ」
「……その様子だとボロ負けだったんだね」
グリムの言葉にひくりと顔が引きつってしまうのは許してほしい。そもそもあそこは縄張り意識が高い連中が集まった野生動物の集まりだ。よく怪我をしないで帰ってこれたものだと感心していると、スカラビア寮の人達の証言ではどうやら犯人はラギー・ブッチだという推測が立った。
「ラギー・ブッチ……。サバナクロー寮の?」
「そうだ…ってなまえ? 君も行くのかい?」
「リドル寮長がこれだけ頑張ってくれてるんですもん。俺だって協力くらいしますよ」
「ふふ、そうか。感謝するよ」
「え〜っ! なまえちゃんも一緒に協力してくれんの? けーくん感激! ねね、記念に撮っていい? マジカメには上げないからさぁ」
「しょうがないですね…。明日のランチで手を打ちます」
「やったー! はいっチーズ! んー、やっぱなまえちゃんは映えるよねぇ」
「はいはい、お褒めに預かり光栄です」
ルンルンと嬉しそうに撮った写真を眺めるケイト先輩の情報で、俺達は2年B組へ行くことに。その前にと、俺は未だに練習しているエペルの元へ駆け寄った。
「ごめんエペル。先に寮に帰っててくれる?」
「うん、わかった」
「それと」
エペルと顔を合わせるようにしゃがみ込むと、彼はきょとんとして首を傾げた。
「練習もいいけど、ほどほどにね」
頬を緩ませ、目尻を下げる。するとエペルも嬉しそうに微笑んでくれた。
2年B組の教室へ行くと、グリムが早々に口を開いた。その言い方もまるで喧嘩を売りにきた不良みたいだと、シャルルは目を丸くする。ちらりと監督生を見ればやれやれと言った様子で頭を抱えていた。……これ、日常茶飯事なの?
「うぃーッす。……って、また君らッスか。何度言われてもデラックスメンチカツサンドはもう返せないッスよ〜」
そう言いながら、彼の目が俺に定まる。名前だけは知っていたが彼とは初対面な俺は、ひとまずにこりと笑っておいた。
「ポムフィオーレに超美人が入ったって聞いてたッスけど、噂に違わず美人ッスね〜! まるで白雪姫みたいじゃないスか!」
「そうですか?」
「生まれながらに苦労とか経験したことなさそ〜。これならあのポムフィオーレの寮長達が可愛がるのも分かるッスわ」
トゲのある物言いに監督生が「ちょっと…!」と文句を言いかけたが、俺はそれを制するように彼の前に腕を伸ばす。同時にグリムへ目線を飛ばし、余計なことを言わないように威圧をかけた。途端に縮こまるネコ狸に満足すると、俺はリドル寮長に向かって小さく頷いた。その意図を読み取った彼は僕に頷き返すと、ズイッと前に出て下からラギー先輩を睨んだ。
「ラギー・ブッチ。今学園内で起こっている選手候補連続傷害事件について聞きたいことがある」
「(すごい大袈裟っぽいけど事実なんだよなぁ……)」
「おぉっと……、そいつぁ穏やかな話題じゃなさそーッスね」
「ちょーっと、表に出てくんない?」
低くなったケイト先輩に驚いてパッと彼を見てみれば、口元は弧を描いているがその目は完全に笑っていなかった。そう言えばトレイ先輩も今回の事件の被害者だと聞いたが、やはり自寮の、しかも友人を傷つけられて怒っているのか。
「わかったッスよ。だから、乱暴な真似はやめてほしいッス」
軽い口調でリドル寮長達に頷いた彼を連れて、俺達は廊下へ出た。そこからどうするのかと見ていると、不意に感じた気配に咄嗟に後ろへ下がって身を低くする。久し振りに感じた違和感に驚いていて前を見れば、ラギー先輩が得意げな表情で笑っていた。
「あれれ〜? リドルくん、マジカルペンなしにそんな強い魔法使って大丈夫ッスか?」
「えっ? ……あ、あれ!? ボクのマジカルペンがない!」
「オイ、ケイト! お前のペンもねぇんだゾ!?」
「うそっ! マジで!?」
見れば二人の胸元にはいつもあるはずのマジカルペンがどこにもなかった。まさかと思って見てみれば、ラギー先輩が悪そうな顔で「シシシッ」と笑いながら赤い魔法石がついたマジカルペンを二つ持っていた。
「アンタら、さてはお坊ちゃん育ちッスね? 懐ガラガラ。隙ありすぎ。楽勝で盗れちゃったッス。まぁ意外だったのはなまえ君が避けたことッスけど」
「ふな゛っ!? アイツ、いつの間に魔法を使ってふたりのマジカルペンを盗んだんだ!?」
「嫌ッスねぇ。こんなの魔法使わなくったって余裕ッスよ!」
正しくハイエナだと感心していると、「ってわけで、こんなとこでボコボコにされちゃたまんないんで、退散させてもらうッス!」と盗人よろしく手を振って逃げてしまった。
その鮮やかな手際に見とれている暇はなく、俺はグリムと一緒にラギー先輩を追いかけた。しかし相手は獣人でこっちはただの人間。早々に追いつけるはずもなかった。
「(くっそ…! 本来ならあんなハイエナ如きすぐに捕まえられるのに! 薬のせいで身体能力も低下してるなんて……)」
誰にも言えない本音を心の中でブツブツ呟いていると、前からエースとデュースがやってきた。俺や監督生が声を掛ける前に、後ろからまるで鬼のようなリドル寮長の声が廊下に響き渡った。
「連続傷害事件および、マジカルペン窃盗の犯人が逃げた! キミたち、今すぐラギー・ブッチを捕まえろ! さもなくば、おわかりだね!?」
「えええっ!?」
「二人ともファイト!」
あれがハーツラビュル寮の女王…と内心震えながらもラギー先輩を追いかける。だがここで彼に追いつくことができても、恐らく捕まえることはできないだろう。だって彼を捕えるだけの証拠が何一つない。それでは彼に言い包められて終わりだ。
結局ラギー先輩を捕えることはできず、中庭にまで来てしまった。
「シシシッ! 4人がかりでそんなもんスかぁ? 大したことないッスねぇ」
馬鹿にしたようなラギー先輩の物言いにだが、ここでいつもなら突っかかるエーデュースコンビの反撃がない。あれ?と後ろを振り返れば、膝に手をついて方で激しく息をしていた。
「ぜー、はー、な、なんなのアイツ!? めちゃくちゃすばしっこい!」
「はぁ、ただ足が速い、というより、はぁ、高低差を飛び越える能力が尋常じゃないな」
「ふなぁあぁ……。オレ様でも追いつけないなんて……」
「シシシッ! こんなんスラムの裏道に比べたら余裕ッスよ。つかさぁ、もしここでオレを捕まえたって、アンタらオレが犯人って言い切れなくないッスか?」
やっぱりそこをつかれた、と俺は少し乱れた制服を整えながらラギー先輩の話を聞く。思っていた通り、先輩は怪我をさせた証拠はあるのかと開き直ってきた。言葉に詰まるデュースの隣で「た、確かに……。でも卑怯な……」と監督生が苦し紛れに口を開くが、その言葉は悪手だ。ほらみろ――。
「卑怯者? 誉め言葉ッスわ」
低くなった声にひんやりとした冷めた瞳。どこからどう見ても怒っている。しかし次の瞬間にはまた挑発的な笑みを浮かべて、次は証拠揃えてから来いと告げると走って逃げてしまった。ご丁寧に先ほど盗んだマジカルペンを置いて。最後に目が合った気がしたが、そこまで深く考えずに彼から目線を放してマジカルペンを回収した。
「やっと見つけた!」
「エペル! どうしたの?」
「もうすぐ魔法史の授業が始まるから呼びに来た。サボったら怒られるよ」
「あ〜もうそんな時間かぁ……。ごめんねみんな、この続きはまた今度」
「ううん! ありがとう、なまえ君」
「また何か分かったら知らせるわぁ」
「よろしく。こっちでもいろいろ探ってみるね」
エースに頼んだよという意味を込めて軽く肩を叩いて、俺はエペルと共に教室へ戻った。
「(ラギー先輩が勝手にこんな事件を起こしているとは考えにくい。だとすると寮ぐるみか…。……どうして、)」
――どうしてこんなことをするんですか、レオナ様。
***
一日の授業が終わって寮に帰るために鏡舎へ向かっていると、俺に向かって手を振る姿が。完全に周囲の目から隠れるように立つ彼に溜め息を吐きながら、俺は鏡舎に背を向けた。
「どうしたんですか、ラギー先輩」
「やっと一人になったッスねぇ。ガード固すぎ」
「そんなことを言うためにわざわざ待ってたんですか?」
「やだなぁ、冗談ッスよ、冗談」
カラカラと笑って耳をぴこぴこさせるラギー先輩。その耳を見て俺はまだ慣れていない顔の横に付いている自分の耳にそっと触れた。柔らかくて、すこしコリコリしていて、けれど獣人のそれとは全く違うヒトの耳。
「で、本題なんスけど。なまえ君って何者ッスか?」
「急になんです? 何者かって疑われるようなこと、俺しましたっけ?」
「初手でオレの手をかわすって、温室育ちのお坊ちゃんにはできねぇんスよ。生まれた場所も、育ってきた環境も真逆のアンタらには」
少しずつ声色が固くなり、きゅうと瞳孔が縦に伸びる。こういう鼻が効きすぎる奴は厄介だと思いながら、俺は困ったように笑いながら肩を竦めた。
「残念ですけど、先輩が望むような答えは何もありませんよ」
「…まぁいいッス。ただ、今後もあの監督生くん達と一緒に行動するようなら、オレにも考えがあるッスよ。不確定要素は消しておけってレオナさんにも言われてるし」
「……レオナ、先輩が…?」
「あっやっべぇ……! まっまぁとにかく、邪魔しないでくださいね!」
「待ってください!」
逃げようとするラギー先輩の手を掴み、離さないようにぎゅうっと握りしめる。俺がそんな行動を取ると思わなかったらしく、彼は呆気なく捕まってくれた。
「ちょ、なんなんスか! オレ忙しいんスけど!」
「どうしてっ……どうしてレオナ先輩はこんなことをするんですか! どうしてあの人が――!」
「っんなの、アンタには関係ねぇッス!」
無理やり俺の手を引き剥がすと、ラギー先輩は先日の追いかけっこと同じように素早く逃げてしまった。その後ろ姿を俺は見つめることしかできなくて、それがあまりにも情けなくて。寮に戻っても誰とも話すことなく眠りについた。
――マジカルシフト大会当日。選手でもない俺は一人サイドストリートの出店で買い食いをしていた。さく、とチュロスを食べながらぼんやりと観客たちの喧騒の中、それを上書きするかのようにアナウンスが響き渡る。意識の端でそれを聞きながらチュロスを食べきって指についた滓をぺろりと舐めていると、人ごみに紛れるように走るラギー先輩を見つけた。あんな場所でよく走れるな、と思っていたら、ディアソムニア寮生のパレードめがけて突進する観客達の叫び声がここまで聞こえてきた。まさかと思ってラギー先輩を見れば、しんどそうに、けれどとても愉しそうに笑って混乱状態に陥ったパレードを眺めていた。
一体何をしているんだ。俺は自分の頭の血管がぷつりと切れた音を確かに聞いた。
「やった、大成功ッス」
仕事をやり切った満足感でいっぱいの科白は、慌てふためく悲鳴に掻き消された。
そして現在、サバナクロ―寮では、リドル率いるハーツラビュル寮と監督生、グリム達による反撃が始まっていた。サバナクロー寮生の攻撃をいともたやすく封じてしまったリドルに、レオナは舌打ちをして忌々し気に赤い髪の少年を見る。だがディアソムニア寮の妨害は叶ったんだとラギーが勝ち誇った瞬間、急に現れた小柄な男――リリアが現れて、計画は失敗に終わってしまったことを知る。しかもマレウスまで無事だなんて失敗どころの話ではない。絶望するラギーの隣で「………あー、もういい」と白けたと言わんばかりの声色が静寂の中落ちた。
声の主、レオナは挙句の果てには試合まで降りると言い出す始末。それは今までずっと協力してきたラギーにとってはひどい裏切り行為だ。何とか考えを変えるように言葉を投げつけるが、レオナは苛立った様子でそれらを跳ね除けた。
状況は悪化の一途を辿り、ついにリリアの言葉によって彼のスイッチが切れた。リドルのユニーク魔法を吹き飛ばすほどに魔力が上昇し、辺りが砂煙に覆われる。皆が目も明けられない中、この状況を作創り上げたレオナの身体から黒い影が現れ、オーバーブロットを引き起こしていた。
生まれたときから忌み嫌われ、居場所も未来もなく生きてきた。どれだけ努力しても報われない。唯一だった存在も奪われてしまった。苦し気に己の境遇を吐き捨てるレオナに、誰も声を掛けることができなかった。
そんな時だった。
「レオナ様」
この荒れ狂った場所には不似合いな、凛とした声がレオナを呼んだ。皆が声のした方を見てみれば、学園中で白雪姫と言われるほどの美貌を持った美しい少年だった。しかしその頭には、彼にはあるはずのない真っ黒な耳がついている。思わずエースが声を掛けてしまう前に、この場にいる全員の注目を浴びている少年、なまえが一歩レオナに歩み寄った。
「危ない!」監督生が引き留める声すら反応せず、ただ前へ進む。真っ黒な影に覆われてしまった哀しい人の元へ。
「…ああ、こんなになるまでため込まれていたなんて。気づくのが遅れて申し訳ございません。……従者失格ですね」
手を伸ばせば触れられる距離まで近づく。遠くから「従者!? 今従者っつったか!?」と叫ぶ声が聞こえた気がしたが、今はそちらにかまっている暇はない。
「……てめぇはもう、俺の従者じゃねぇだろ」
「……………」
「兄貴が奪った! 俺からなまえを!」
「……レオナ様」
「俺だけの唯一、俺だけのなまえだったのに。……っ、それも、俺の手元には残らない。第二王子だというだけで!」
まるで獣の咆哮だった。聞いているだけで胸がひどく締め付けられ、レオナがどれだけなまえが大事だったかなんて明白だった。
「俺にはお前だけだったのに! お前がいない世界なんてどうだっていい! 望み通り全部砂に変えてやるよ!」
「っ、それ以上魔法を使ってはいけません! 本当に戻ってこられなくなります!」
「かまうモンかよ! どうせ王になれない俺を気にするやつなんているわけねぇんだからな!」
「っ!!」
パァン! 乾いた音がレオナの慟哭を止めた。ヒリヒリと痛む頬に手を添えて下を見下ろせば、振りかぶった手をそのままに涙を必死に堪えるなまえがいた。ふーっ、ふーっと激しく肩で息をする彼は何とか怒りを抑えようとしている。数年ぶりに見たなまえの怒った姿に、レオナは久しく感じなかった焦りを覚える。
「いつまで子どものような我儘を仰るつもりですか!」
「こ、どもって! 俺は、」
「言ったでしょう! 世界がどれだけ貴方を嫌っていたとしても、俺はどこまでもついていくと! 貴方が王になれなくても、俺の王は貴方だけだ! 他なんて知らない、知りたくもない! 俺の忠誠は王家でもファレナ様でもない、レオナ・キングスカラーただ一人に捧げている!」
「なんっつー口説き文句……」ケイトは思わず自分の口を手で覆った。いつも朗らかで優しい印象を与える白雪姫が、まさかこんな情熱を抱えていたなんて。一体誰が想像できるだろうか。
なまえは無遠慮にグイっとレオナの腕を引くと、簡単に地面に膝をついてしまう主の頭を優しく腕の中に閉じ込める。自分が離れていた間にこれほど負の感情をため込んでいたなんて、と自己嫌悪に陥りながら彼にまとわりついている黒い影を引きはがすように頭を撫でる。
「今はお眠り下さい。目が覚めた頃には終わっております」
「……寝たら、お前は」
「お傍におりますよ。レオナ様が起きるまで、ずっとお傍に」
その言葉に安心したのか、レオナは穏やかに目を閉じた。――遠い過去のように、なまえの温もりを感じながら。
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代々王家に仕える家に生まれた長男。それが俺だった。
勉強も運動も、一番が当たり前。だから一番を取っても褒められることなんてなく、いつも掛けられる言葉は同じだった
『この家の名に恥じないよう、これからも頑張りなさい』
必死に頑張った。いつか父や母に認めてもらえるように。けれどそれは、決して誰かのためのものなんかじゃなくて、俺は俺のために努力したのに。そのすべてが泡になって消えるなんて、想像もしていなかった。
王位継承権第一位のファレナ様との顔合わせの日、俺はどうしても嫌でついに逃げ出してしまった。だってその人は俺が選んだ人間じゃない。そんな人にこれから先ずっと上に立たれる絶望を抱えて生きられるほど、俺は強くなかった。
走って走って走り続けて、気が付けばここがどこか分からない場所まで来てしまった。広い王宮内で迷子になってしまったが、これで少しは時間を稼げるはずだと壁に背を預けて座り込むと、誰かが勢いよく角を曲がってきた。しまった、もう見つかったかと慌てて顔を上げれば、そこには俺と同じように走って来たのだろうと分かるくらい、荒く肩で息をする長髪で緑の瞳の男がこちらを見下ろしていた。
えっ、と思ったのも束の間、遠くから「レオナ様! 今日は来て頂かないと困ります、レオナ様!」と叫ぶ声が。それに目の前の男はチッと舌打ちすると、俺の腕を無理やり引いて走り出した。突然のことに一瞬足がもつれそうになるが、腐っても獣人。持ち前の運動神経を活かして男の行くままに足を動かした。
「はーっ、ここまで来りゃあさすがに撒いたか」
「……ちょっと」
「あ゛? ……あぁ、もうお前に用はねぇよ、散れ」
「ここまで無理やり連れてきておいて、それはねーだろ!」
「ンだお前、俺が誰か知らねぇのかよ」
「知ってる。さっき思いきり呼ばれてただろ、レオナ第二王子様?」
挑発するように笑ってやれば、簡単に青筋を浮かべる男。けれど向こうも俺が誰だかわかったのかわざとらしくハッと鼻で笑ってきた。
「お前、兄貴の従者になるやつか」
「…………」
「何で逃げてきたんだよ。とっくに顔合わせは始まってンだろうが」
「……お前には関係ない」
「この俺をお前呼びとは、さすが兄貴の従者になるやつは怖いもの知らずだな。所詮第二王子に払う敬意なんてありませんってか?」
「違う!」
突然叫んだ俺に、男は驚いて耳をピクリと反応させる。それを揶揄う余裕は今の俺にはもうなかった。
「第一王子も第二王子も関係ない! 俺が今までずっと血反吐吐くくらい頑張ってきたのは、誰とも知らないやつに仕えるためじゃねぇ! 俺は自分のためにずっと努力してきた! 自分で選んだわけでもないやつに忠誠なんて誓えるか!」
止められない。長年積もり積もった感情が、まるで鍵が壊れたかのように溢れ出す。
この後、俺はきっと不敬罪で捕えられるだろう。けれどかまわない。だってもう、疲れたんだ。
――疲れたんだ。
「…………………」
ため込んだ鬱憤を吐き出して荒く息をする俺を、男はやっぱり驚いたように見つめて、そして。
「……名は、なんつった」
「え……?」
「名前」
「………なまえ」
「ならなまえ、お前、兄貴のものになりたくねぇんだよな」
「は……」
「だったら俺のものになれ」
「は!?」
簡単に言ってくれる男に、俺はもうどうすればいいのか分からず叫んでしまう。
「俺は絶対に王になれない第二王子だ。皆に忌み嫌われ、存在を疎まれる厄介者」
「なに、言って……」
「恐らく王家はお前を手放しはしねぇだろう。お前の優秀さは王宮まで届いていたからな」
「っ………」
「だから、兄貴が嫌なら俺にしろ」
「……な…」
どこからか、男と俺を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、今俺の耳はこの男の声しか拾えない。
「俺は、」
――ああ。
「俺は、お前に傍にいてほしい」
ひくり、と喉が引きつる。
俺に傍にいてほしい? 何の冗談だ。だってこの人は周囲の人を嫌い、誰も寄せ付けない孤高の存在のはずだ。しかも今まで散々罵倒したんだぞ。印象は最悪どころか地面にめり込むほど落ちているに違いない。
それなのに、男の緑の双眸が俺を捕えて放さない。その奥に宿る感情が、チリチリと俺の肌を滑って伝えてくる。
「俺はどうしようもねぇし、すぐ物に当たるし、誰からも好かれてねぇ。味方なんて誰もいない」
ああもう、そんな目で見るなよ。
「それでいいと思ってた。味方なんていなくていい、俺は一人でいいと」
絆されそうになる。
「けど、お前だけだった。俺と兄貴を同列に見てくれたのは。お前だけがまっすぐ俺に言ってくれた」
わかった、わかったから。
「兄貴なんかに渡したくねぇ。嫌いでもいい、認めなくてもいい。ただお前は……お前だけは、そのままで俺に接してほしい」
「…………」
目を瞠ったまま黙り込む俺の両頬を、男は大きな手で包み込む。壊さないように、優しく。
「……なんで、」
「あ?」
「なんで、俺なんだ」
先ほどまでひどい暴言を吐いた。抵抗して、睨みつけた。とても従者には向いていないのに。
「理由なんて、さっき言ったやつで十分だろうが」
「っ!」
「……強いていえば…、……お前がいいから」
嘘のない、純粋な言葉。男も言い慣れていないのだろう、少し頬を赤くして目を逸らしている。
けれど俺は、目の前の男が言ったその言葉に気が付けば泣いていた。
実の両親にだって言われたことがなかった。
俺でいい、ではなく、俺がいい。
ギョッと驚く男に俺は笑って、未だ俺の頬を包む彼の手にそっと自分のそれを重ねる。
「レオナ様」
暖かい。誰かの温もりを感じたのなんて、いつ以来だろうか。
「“様”はいらねぇ」
「そういうわけには参りません」
「敬語もいらねぇ」
「ですから、お分かり下さい」
途端に不機嫌な顔になる男――レオナ様に、俺は初めて微笑んだ。
「どんな話し方をしようと、俺は俺です。貴方の…レオナ様の従者です」
「………!」
「レオナ様が抱える痛みや傷は、俺も一緒に背負います。世界中の人間が貴方に牙を剥こうとも、俺がそのすべてを退けて貴方が歩む道を作ります」
重ねていた手を、今度は彼の頬へ添える。揺れる瞳はまるで迷子の猫のようだ。
「世界がどれだけ貴方を嫌っていたとしても、俺はどこまでもついていきます。 貴方が王になれなくても、俺の王は貴方だけです」
最後まで言えたかどうか分からない。その前に俺はレオナ様の腕に閉じ込められた。離さないとでも言うかのように強く、強く。
これほどまでに自分の存在を望まれたことなんてなかった。そして同じようにこの人も望まれなかったんだろう。
――俺達は、互いに孤独だったのだ。
「なまえ、なまえ……」
「はい」
「ずっと傍にいろ。俺はもう、お前をっ……!」
「……はい。なまえはずっと、レオナ様のお傍に。俺のすべては、レオナ様のもので御座います」
欠けたピースが、埋まった音がした。
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あの後、無事にサバナクロ―寮も大会に出ることはできたのだが、身体がボロボロだった彼らは見事惨敗という結果に終わってしまった。
閉会式が終わる頃、俺は保健室のベッドで眠るレオナ様とラギー先輩の傍に座って目覚めを待つ。監督生の方にはグリムやエーデュースコンビがついていた。
傷だらけの主の頬をいつかのように優しく触れていると、彼の瞼がぴくりと震えた。そのまま待っていればゆっくりと開かれ、綺麗な緑色の瞳が覗いた。
「……保健室か」
「はい。お身体の具合はいかかですか?」
「重てぇ…」
「オーバーブロットした挙句、マジフト大会に参加なさるからでしょう。自業自得で御座います」
厳しい言葉を投げてやると、レオナ様の耳は分かりやすいほどに垂れてしまった。その様子にクスクスと笑って、俺はレオナ様が起き上がるために彼の身体を支えた。隣を見ればラギー先輩も目を覚ましていて、信じられないものでも見たかのような表情で俺達を見ていた。
「ラギー先輩も目を覚ましたんですね」
「いや、あの、……はい…」
「? 先輩?」
「ほっとけ」
ぶっきらぼうにいうレオナ様はベッドから立ち上がって、騒がしくなった監督生達のところへ足を向ける。俺も迷いなくその後ろを着いていった。さらにその後ろをラギー先輩が。
途端ににぎやかになった保健室。俺はあまり会話に混ざることはせず、レオナ様の後ろで両手を組んで佇んでいた。
「そういやぁ、お前レオナ先輩の従者だったわけ!?」
そんな中、エースが俺に指を差しながら叫ぶ。あまりにも今更なことに俺はきょとんとしてしまうが、すぐににっこりと笑って頷いた。
「はい。レオナ・キングスカラー様の従者のシャルルです」
「みっ耳はどうしてたんだ!?」
「特性の薬を飲んでただの人間に変化してました。見ての通り獣人です」
「待て」
俺の言葉を遮ったのはレオナ様。彼は険しい顔で俺を睨み、「お前は兄貴の命令で従者から外されたはずだ。だから俺は……」と呪いでも吐いていそうな声色でぐるるる、と低く唸る。その説明をしようと俺が口を開くよりも前に、保健室の扉が勢いよく開いた。
「あーーっ! おじたん! なまえ! やっと見つけた!」
「いっ!?」
「ン? なんなんだゾ、この子ども」
「なまえー!」
「うわっ!」
「てめぇ、チェカ! なまえから離れやがれ!」
「やぁだ!」
ぎゅうぎゅうと俺の首に抱き着く夕焼けの草原の王位継承権第一位のチェカ様に、レオナ様は大人げなく怒鳴って彼を引きはがそうとする。子どものチェカ様は呆気なく俺から離されて、首根っこを掴まれたせいで情けなく足をぶらりとさせる。
「レオナ、おじ………たん?」
ジャックの戸惑った声に、レオナ様は面倒くさそうにチェカ様を見下ろした。
「この毛玉は兄貴の息子のチェカ。………………俺の甥だ」
その後の絶叫と言ったら。思わず耳を塞いでしまった俺は悪くないはずだ。
「チェカ様、お付きの方々はどうされたので? 今頃血眼になって探しているのでは……」
「ん〜? なまえとおじたんに早く会いたくて、置いてきちゃった。えへへ」
「〜〜〜〜っ、えへへではありません!!」
ピシャァァン!!と俺の雷が落ちる。比喩ではなく本当に魔法で雷を落とすと、チェカ様と何故かレオナ様まで背筋をピンと伸ばしてまっすぐ立つ。
「まったく! 少しはご自身の立場をお考え下さいましとあれほどお伝え致しましたのに!」
「ごっごめんなさぁい!」
保健室にチェカ様の声が響く。やがて彼のお付きの人が迎えに来るまで、俺のお説教は続いたのだった。
***
「……で、何でお前がここに入学できたんだ」
「馬車が迎えに来たからです」
「ちげぇ! お前はもう俺の従者じゃねぇだろうが。……あの日、兄貴がお前を……!」
尻尾を逆立ててここにはいない兄君に対して威嚇するレオナ様をなだめようと、ピンと立つ耳に触れる。すると面白いくらいに大人しくなるものだから、俺は耐え切れず小さく笑った。
「俺がファレナ様に連れていかれたあの日、一つ約束をしたんです」
「約束?」
「はい。今や我が国にとって最大の取引相手となる隣国との無条件公約を組むことができたら、レオナ様の元へ帰して下さい、と」
「お前…! ンなのいくらお前が優秀だからってできるわけがねぇ! 相手はあの大国だぞ!」
「はい」
取り乱すレオナ様に相槌を打つ。その俺の表情にレオナ様は目を見開いてまさか…と呟いた。
「なまえ、お前…マジか……?」
「はい」
「嘘だろ!?」
「俺が今まで貴方に対して嘘をついたことがありますか?」
その質問にレオナ様は深い息を吐いて、「なんてやつだ、お前は……」とソファーに深く腰掛けた。
「それしか方法が無かったのです。そしてそれが貴方の元へ帰るたった一つの方法ならば、成し遂げないなんて有り得ない。できるできないではなく、やるという選択肢しか俺の中にはなかった」
――すべては、レオナ様のために。
その意味を正しく汲み取って下さったレオナ様は、初めて会った日のように緑の瞳を緩ませて俺をその腕に閉じ込めた。
この温もりしか知らない。
この温もりしかいらない。
だって俺は、この方の――レオナ様の従者なのだから。