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ナイトレイブンカレッジでなまえの姿を見つけた瞬間、全てを投げ出してこの腕に閉じ込めたかった。もう離さないように。逃げられないように。――もう二度と兄貴に奪われないように。
王様の白雪姫
ポムフィオーレに振り分けられたアイツを見ることは度々あった。今思えば俺がずっとなまえを見ていたからか、気まぐれに授業に出たりラギーと大食堂に行ったりするとすぐにその姿を見つけた。
監督生やハーツラビュルの奴らと笑って話したり、誰かが気安くアイツに触れたり。そんな光景を目にするたびに俺の中で言いようのない怒りがふつふつと込み上げてくる。
――そいつに、なまえに触るな!
けれど俺は兄貴からなまえとの接触を禁じられていたため、触れることはおろか話しかけることすらできなかった。
そんな思いを抱きながら寮に帰ると、とてつもない渇きが毎日のように俺を襲う。それは決して潤うことのない、絶望的な渇きだ。ベッドに寝転がって目を閉じれば、しばらく見ない間に成長したなまえがはっきりと頭に浮かび、たまらず目の上で拳を握って強く奥歯を噛んだ。
こんなにも近くにいるのに、お前が遠い。
サバナクロー寮でもなまえはよく話題に上がっていた。ポムフィオーレに入ってきた白雪姫、と。例に漏れず俺の傍で世話係のような役をこなしているラギーも、ハーツラビュルの奴らに追いかけられたことに対する叱責を飛ばした後に「そういえば」と思い出したようになまえの名を口にした。
「ポムフィオーレの白雪姫、でしたっけ?」
「あ?」
「今日初めてしゃべったんスけど、間近で見たらめっちゃ顔整ってるッスね」
「……………」
「見た目通りのお坊ちゃんかと思ったら、初手でオレの手を避けるからびっくりしたッス! リドルくんでさえオレにマジカルペン盗られたのに」
「………クッ」
「? レオナさん?」
「ハハッ、ハハハハッ! そうか、ハイエナのお前が盗れなかったのか!」
幼少の頃から整った容姿だったが、成長した今はさらに磨きがかかってまさに“白雪姫”の名に相応しく、『美しい』を体現しているなまえ。そんなアイツをラギーは見た目通りの軟弱な奴だと思ったに違いない。それなのに寮長であるリドルのマジカルペンは盗れたが、入学したばかりのなまえのマジカルペンを盗れなかったことはこのハイエナにとって信じられなかったことだろう。
声に出して笑う俺を、ラギーは目を丸くして見ていた。確かにさっきまでは他寮に計画が勘付かれたかもしれないと聞いて怒りが込み上げていたが、たった一人の名前を聞くだけで燻っていた怒りも発散される。
その後、適当にラギーと話して部屋から追い出した俺は、グラスに映る自分の顔を見ながら呟いた。
「……この計画を知ったら、お前はきっと怒るだろうな」
もしかすると、怒りを通り越して呆れて見放されるかもしれない。
柄にもないことを思って一抹の不安を感じながらも、俺は計画をやめるつもりはない。いつまでも頂点に立てると思い込んでいるあの野郎に勝つ為に――俺からアイツを奪った兄貴を見返す為に。
それなのに、計画は失敗に終わった。あのタコ野郎としたくもない契約をしてまで薬を貰い、ラギーのユニーク魔法でディアソムニアを、あの野郎を叩き潰したはずなのに。結果的に誰も怪我をしていなくて、こうして追い詰められる事態になってしまった。わあわあ騒ぐラギーを殺しかけたが、今の俺には何も感じない。
リリアの科白がぐるぐると頭の中を回る。王になれない?そりゃそうだ。俺の上にはでかい岩が――兄貴がいる。そしてその息子も。俺が王になる道なんて砂漠でオアシスを探すよりも難しい。
けど、もうそんなことは良かった。だってその岩を一緒に背負うと言ってくれたアイツが傍にいたから。あの広いだけの王宮で、兄貴じゃなくて俺を選んでくれたなまえ。それなのにそれさえ兄貴に奪われた。
涙は出なかった。ただ激しいほどの怒りが叫びとなった。どれだけ手を伸ばしても届かない。何度呼びかけても振り返らない。俺にはもう、なまえだけだったのに。
負の感情が俺を染め上げ、黒く染まる。もう誰の声も届かないほど暗い底へ堕ちていく。
――堕ちた、はずなのに。
「レオナ様」
凛とした声が、聴こえた。
もう名を呼ばれることもないと思っていた、誰よりも望んだ声が、すぐ傍で聴こえる。
「…ああ、こんなになるまでため込まれていたなんて。気づくのが遅れて申し訳ございません。……従者失格ですね」
手を伸ばせば触れ合える距離までアイツが近づいてくる。ふわりと匂うアイツの臭いは、あの頃と何も変わっていない。
「……てめぇはもう、俺の従者じゃねぇだろ」
「……………」
「兄貴が奪った! 俺からなまえを!」
「……レオナ様」
「俺だけの唯一、俺だけのなまえだったのに。……っ、それも、俺の手元には残らない。第二王子だというだけで!」
腹の底から声が出るくらい、俺は吼えた。どれだけ物理的な距離が近くても、俺となまえの間にある距離は途方もなく遠い。
それなら、砂に変えてやればいい。俺とお前の邪魔をするものなんていらない。俺にはそれができるのだから。
「俺にはお前だけだったのに! お前がいない世界なんてどうだっていい! 望み通り全部砂に変えてやるよ!」
「っ、それ以上魔法を使ってはいけません! 本当に戻ってこられなくなります!」
「かまうモンかよ! どうせ王になれない俺を気にするやつなんているわけねぇんだからな!」
「っ!!」
パァン!乾いた音だった。遅れてやってくるヒリヒリとした頬の痛みに驚きながら目線を下にやれば、フーッ、フーッと荒く肩で息をするなまえがまっすぐに俺を睨んでいた。この顔を俺は王宮でよく見た。あの時は――そうだ。兄貴に仕えるなまえの弟が、馬鹿でかい声で誰かへ俺に対する罵倒をペラペラとしゃべっていたんだ。兄であるなまえとは比べ物にならないほどオツムの弱い草食動物だと怒りよりも呆れの感情を抱いた俺の斜め後ろで、アイツは今と同じように怒りを露わにして殴りにいったんだ。それはもう綺麗な右ストレートだった。
そんなアイツを間近で見ていたからこそ分かる。こいつ今ブチ切れていると。それでももう拳がこないのは、“俺の従者”という意思がアイツの身体に染み付いているからと思ってもいいだろうか。
「いつまで子どものような我儘を仰るつもりですか!」
「こ、どもって! 俺は、」
「言ったでしょう! 世界がどれだけ貴方を嫌っていたとしても、俺はどこまでもついていくと! 貴方が王になれなくても、俺の王は貴方だけだ! 他なんて知らない、知りたくもない! 俺の忠誠は王家でもファレナ様でもない、レオナ・キングスカラーただ一人に捧げている!」
――ああ、言った。……言ったな。
初めて会った日に、俺を主と認めてくれたあの時に。
なまえに腕を引かれ、俺は抵抗することなく華奢な腕に閉じ込められる。俺よりもずっと小さいくせに、俺を包むなまえの存在は今までで一番大きく感じた。
ずっと求めていた、何よりも失いたくなかった温もり。やっと感じることのできたそれに、俺の中を支配していた真っ黒でドロドロとした負の感情が上書きされていく。ゆるりと頭を撫でる手が心地よくて、自然と耳が下がって尻尾が勝手に揺れるのが分かる。
「今はお眠り下さい。目が覚めた頃には終わっております」
「……寝たら、お前は」
「お傍におりますよ。レオナ様が起きるまで、ずっとお傍に」
俺の不安を見抜いて安心させるような声色に、喉を鳴らして擦り寄る。何よりも落ち着くなまえの体温を感じながら、俺は微睡みに浸るように目を閉じた。
***
「それではレオナ様、ご昼食のお時間になりましたら教室までお迎えに来ますので、しっかりと授業をお受け下さいませ」
「……お前は」
「なまえは自分のクラスで授業を受けます。…そのようなお顔をされても、同じクラスで授業はお受けできませんからね!」
「はー……わかった、わかったから。終わったら俺が迎えに行く」
「いいえ、俺が」
「俺が行きたいんだよ。……分かれ」
ガシガシと頭を掻いてなまえに伝えると、俺の気持ちを察したのか、一瞬ぱちくりと目を瞬かせた後ふわりと花が開くように笑った。
「……では、お待ちしております」
ぺこりと頭を下げて俺のクラスを後にしたなまえを見送り、俺も自分の席に座る。朝から真面目に授業を受ける俺を、クラスメイトだけでなく教師陣も驚いていたがそんなことは関係ない。
「(ふぁぁ……ねみぃ)」
もし、もしも、なまえも同じクラスなら。
きっとそれはとても――。
その後、授業が終わってなまえのクラスまで迎えに行くと当然周囲の一年どもに驚かれたのは言うまでもない。
***
――夕焼けの草原 王宮
広く長い廊下に、二人はいた。この国の王であるファレナに背を向けるように、美しく聡明な国随一の従者として有名ななまえは立っている。
「本当に、行くのか」
「はい」
ファレナの問いになまえは間髪入れずに頷きながら、ゆっくりと振り返る。ひた、と漆黒の瞳が己を捉えたことに王は歓喜する自分の心を必死に抑えた。
「…ここに残ってくれと言ったら、なまえはこの国に居てくれるか?」
「……貴方様には、私の弟がおります」
「そうだ。だがなまえも欲しい。その有能さを放っていては国の損失だ」
「そうですか」
王に『国の損失』とまで言わせたのは、後にも先にもなまえだけだろう。けれどそんなこと、なまえにとってはどうでもよかった。
「貴方様には、地位も、名誉も、従ってくれる部下も、仕事を支えてくれる従者もおります」
「あぁ。だが、」
「ですが、あのお方には俺しかいません」
ファレナに何かを言われる前に、それを遮る。なまえの言う“あのお方”が誰かなんて、名前を言わなくたってファレナには理解できた。――できてしまった。
「約束通り、あの国との無条件公約は結んで参りました。これ以上私をこの国に、ファレナ様に付き従う理由は御座いません」
「私は、お前が欲しい!」
「――王よ」
恥も外聞もなく自分を求める王に、なまえは静かに目を伏せた。
「私は文字通り、全てレオナ様に捧げております。髪の先から爪先まで、なまえの全てはレオナ様のもので御座います」
「っ……なぜ、レオナなんだ…。お前は私のものになる筈だったのに!」
強く拳を握りしめて傲慢とも取れる言葉を吐くファレナ。その姿を見てなまえはゆるりと首を横に振った。
「『お前がいい』」
「…………?」
「他の誰かではなく、私がいいと仰って下さったのは……後にも先にもレオナ様だけで御座いました」
そう言って臣下の礼を取ると、「それでは、お約束を果たして頂きます」と告げてから迷いなく王の前から姿を消した。後ろを一切振り返らず、少しずつ、少しずつ速くなる足に自分のことながら笑ってしまう。
「(レオナ様、レオナ様、レオナさまっ……!)」
受け入れてくれなかったらどうしよう。
裏切られたと思われていたらどうしよう。
『お前なんかいらない』と言われたらどうしよう。
不安はとめどなく溢れてきて、勝手に涙となって流れていく。けれど、それでも足は止まらなかった。
やっと、貴方に会いにいけます。レオナ様。