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 やっと見つけた、私の居場所。ずっと求めていたそれをやっと手に入れられたと思っていたのに、奪われるのはなんとも呆気なかった。


監督生に嫉妬する“男”になった女の子の話




 オンボロ寮の監督生は女の子だとアズールから聞いた時はまさかと思ったし、でも実際に食堂で見つけた瞬間に思ったことは「ああ、羨ましいな」だった。女であることを誤魔化す必要もなく、差し出される優しさを当たり前のように甘受する光景に、久しく感じなかった自分の中にある“女”がむくりと頭をもたげる。
 ハーツラビュルの一年生コンビと一緒にいる姿は毎日目にしていたが、いつからだろうか。その中にフロイドも混ざるようになったのは。


 “僕”とフロイドの関係は、普通の友人だ。ただ周囲の生徒よりフロイドとの距離が近いだけで、言うなれば友人以上親友未満。ラウンジでの仕事も、アズールが私とフロイドのシフトが一緒だとフロイドはまだまともに働いてくれるからという理由で、最近はシフトも一緒になった。

 友達だと思ってた。でもいつからだろうか。フロイドに向ける感情が友人のそれでは無くなったのは。いやもうはっきり言おう──確実にこれは“恋”だった。
 だが自覚したからと言って何かが変わるわけでもなく、日常は穏やかに、不変的に過ぎていく。どうせ“僕”が本当は“私”だなんてバレてしまう時はこない。それこそ自分から口にしなければ。

 それにどれだけフロイドのことが好きでも、この想いを告げることは許されていない。どうせ“私”は“僕”のまま一生を終えるのだから。それでも今、この時だけは。──なんて思っていたのがダメだったのだろうか。


 監督生に後ろから抱きつくフロイド。それをまんざらでもなさそうに受け入れる監督生。

 そんな光景を、一体誰が想像しただろうか。
 それを目にした瞬間胸が張り裂けそうで、私は食欲がないという理由で隣にいたジェイドに一言断ってから食堂を後にする。最初は気づかれないようにゆっくりと歩き、次第に早歩き、そして最後には全力で走ってカレッジの裏へ逃げ込んだ。マジカルペンも使わずに指でぱちんと音を鳴らせば防音と認識阻害の魔法が一定距離に張られる。もちろんブロットは溜まるが、1秒もしないうちにクリアな色へ戻ってくれた。

「っ、はぁ、はっ……」

胸が痛い。こんなに痛くなるなんて知らない。だって誰も教えてくれなかった。

恋が、誰かを好きになるということが、こんなにも苦しくて、辛くて、痛いなんて。知りたくなかった。知らなければ、今だって監督生にじゃれつくフロイドに笑えたのに。「お前そんなキャラだったっけ?」なんて馬鹿にできたのに。

「好きになんて、なりたくなかった……!」

分かっている。フロイドは私のことを男だと思っているし、だからこそ恋愛対象として見られるわけがない。だから私が監督生に対して醜い嫉妬を覚えるなんてお門違いだし、間違っても羨ましいなんて思っちゃいけない。

だからこそ、私は行き場のない気持ちを涙と共に吐き出した。







フロイドと出逢ったのはモストロ・ラウンジができてからだ。互いのシフトが初めて重なった時に更衣室で鉢合わせた。

「あれぇ? 初めて見る奴だ」
「どーも。よろしく」
「めっちゃ金髪〜〜!目もキラキラじゃん、スゲ〜」
「そういうリーチはめっちゃ歯ギザギザで痛そう」
「アハハ、痛そう? 噛んであげよっか?」
「いらねーよ! つか早く着替えないとアズールに怒られる」
「はいはーい。わかったよ、アロワナちゃん」
「……あろわな?」
「だってアロワナみたいに金色じゃん」
「ああもう! わかったからさっさと着替えろって」

 そこから人を変なあだ名で呼んでくるようになり、ラウンジ以外でも話す関係になった。
 話しかけられれば返事をするだけの間柄だったのに、それが変化したのは実家から送られてきた定期的な手紙を読んだ日のことだ。その手紙が送られてきた日は一日中ピリピリしているが、荒ぶる感情を必死に心の奥底に閉じ込めて表面には出さないように過ごしていたのに、急に授業終わりにやってきたフロイドが私の顔を見てうん?と首を傾げたのだ。

「なーに、アロワナちゃん。機嫌わるいの?」
「…………は?」

 まさかフロイドに気づかれるなんて微塵も思っていなかった私は、当然のように返事に困った。それでも彼は「なんかイヤなことでもあったの? それとも誰かになんかヤられた? オレ締めてきてあげよっか?」と矢継ぎ早に口を開くものだから、慌てて何もないと否定したのだ。

「ちょっと夢見が悪かっただけだから、大丈夫」
「え〜、ほんと?」
「ほんとほんと。…心配してくれてありがとな、フロイド」
「……まぁ、なんもないならいいけど」

 気まぐれで、面倒くさがりな男。それなのにこうして気づいてくれる彼に、私は隠れて笑った。
 この時からだろうか。少しずつ、少しずつ、フロイドに向ける感情が変化してきたのは。


「あ゛〜〜、やっと終わったぁ。アズール人使い荒すぎじゃね?」
「はいはいお疲れさん。ちょうど今日の賄い作るの僕だったから、フロイドの分はあっちに置いてあっから食べな」
「わぁい! アロワナちゃんの賄い美味いから好き〜」

 なんてことない『好き』に、いちいち心臓が飛び跳ねるのにも慣れた。フロイドにとっては意味のない言葉の羅列だと何度も自分に言い聞かせて、私は自分の分の賄いをキッチンに立ったまま食べる。いつもならアズールやジェイドに行儀が悪いと叱られるが、今日は早めに上がったため二人はいない。他のアルバイトもフロイドがお使いから帰ってくる前に上がったから、ラウンジには僕とフロイドしかいなかった。

 キッチンから少し覗くと、垂れた目を緩めて美味しそうに私が作ったご飯を頬張るフロイドが見える。その横顔を見れるだけで幸せだった。卒業までこうして何気なく、自分が女だとバレることもなく、そして彼にこの想いが伝わることもなく過ぎていくのだろうと思っていたのに。
 ──ただそれで、よかったのに。



「ねぇねぇ小エビちゃんっ! 授業終わったぁ? 一緒にご飯食べに行こ」
「フロイド先輩!? 急に来るなんてびっくりしたじゃないですか……」
「なに、なんか文句でもあんの?」
「いえありません」
「だよねぇ♡ あ、アロワナちゃんも行こーよ」
「悪い。僕、実家から手紙の催促が来たから書いてくる。先食べといて」
「え〜、ンなの後でいーじゃん。小エビちゃんもそう思わね?」
「えっと、そう、ですね?」
「……早く行かないと席無くなんぞ」

 それ以上言葉を紡がず、私はひらりと手を軽く振って二人に背を向ける。ハーツラビュルの一年二人はフロイドに監督生を取られたからか、グリムとガヤガヤ騒ぎながら同じ食堂へ向かう。

 自室に戻り、紙とペンを机の上に広げる。視界の端にはぐしゃぐしゃに丸められた実家からの手紙が、ゴミのように雑に置かれていた。

 内容はいつも同じだ。
 当主としての責任を持て。常に成績はトップを保て。……など、読んでいて呆れるものばかり。そして文末には必ず『男としての自覚を忘れるな』と、まるで呪縛のように書かれている。
 忘れたことなんて一度もない。かつて一族の祖先が生み出した性転換の魔法がかけられた私の身体は、“男”として問題なく機能している。魔法を解く方法すら教えてもらったことがないのだから、いくら“女”に戻りたいと思ったって叶うはずがない。


 生涯を“男”として生きるように命じられた次期当主。それが“女”として生まれた私の義務だった。
 しかしその生涯の中でたった一度だけ“女”に戻れる日がある。それは親に決められた相手と性行為をする時だ。一族が生み出した性転換の魔法だが、やはり高度な魔法にはそれなりに副作用もあるというもの。この魔法のたった一つの落とし穴は『“女”が“男”になった場合、生殖機能は付与されない』ということだった。
──つまり簡単に言うと、ブツはあるが中身がないので子ども(跡継ぎ)はできません、だ。

 だからこそ、私が当主の座を継いだあと、然るべき相手を両親が見繕い、子どもを作るときだけ魔法を解くのだ。子どもができたら十月十日はそのままでいて、産んだあとはまた魔法をかけられて“男”になる。相手役の男のその後は知らされていないため、どうなるかは分からない。ただまあ、口封じの為に消されるのだろうとは予測がつく。


 適当に返事を書いて手紙を出すと、ぐんと両腕を上げて伸びをする。一つに纏めた真っ直ぐな金色の髪が背中でさらりと揺れた。
 髪には魔力が宿る、という言い伝えがある。元々の魔力量が尋常じゃないほど多かった私は、髪に余分な魔力を込めて蓄えているのだ。だから髪は切れない。……それに、これだけだから。自分が“女”なのだと思い出せるものはもう、これ以外何もない。

「あっろわっなちゃん!」
「うわぁっ! ふ、ろいどお前、急に飛びついてくるなっていつも言ってるだろ!」
「大きさがちょうどいーんだから仕方なくね? ほら見て小エビちゃん、アロワナちゃんの髪ちょー綺麗でしょ?」
「ほんとですね! フロイド先輩の言った通り、ツヤツヤで真っ直ぐ…。羨ましいなぁ、私の髪すぐにうねっちゃうから、ずっとショートなんですよ」
「伸ばせばいーじゃん。暇な時ならオレがスタイリングしてあげよーか?」
「えっいいんですか!?」
「んー」

 私の髪をベタベタと触りながらきゃいきゃい騒ぐ二人に、フラストレーションが溜まっていく。ただでさえ実家からの手紙でイライラが募っていたのに、なんで勝手に髪を触られた挙げ句に二人の仲の良さを見せつけられなきゃいけないの?

 そう、今思えばこの時過去最高にイラついていたのだ。

 未だ髪に触れる二人の手を払い除け、嫌そうな顔で二人を見る。私のそんな顔を見たこともなかったフロイドは、びっくりしたように私を見返した。

「なに、アロワナちゃん怒ってんの?」

 ──以前なら、もっと早くに気がついてくれていたはずなのに。

「勝手に髪触んな、鬱陶しい」

 ──『アロワナちゃんの髪綺麗だねぇ。これ、オレのだから他の奴らに触らせんなよ?』って言ったのは、フロイドの方でしょう。


 まさか自分が拒否されるとは思っていなかったらしく、見るからに機嫌を悪くするフロイドとそんな彼と私を見てあたふたする監督生。

「ごっごめんなさい! 勝手に触っちゃって…」
「何で小エビちゃんが謝んの? オレら別に悪いことしてなくね? つーかさぁ、髪くらいで女々しいこと言ってんなよ──女みてぇ」

 ブチリ。頭の奥で何かが切れた音がした。
 ゴウッと風が舞い起こり、周囲の物すべてを吹き飛ばさん勢いで荒れ狂う。窓ガラスは次々に割れ、廊下に飾ってある花瓶も耐え切れずに落ちて粉々に砕ける。恐らく立っていることさえもやっとなはずなのに、フロイドは監督生を守ろうと大きな腕で彼女を囲っていた。

 ああもう、いやだ。

「何だい、この騒ぎは! ──っなまえ!?」

リドルが私の名前を呼ぶ。

「なまえ、止めるんだ! こんなに魔法を使ったらオーバーブロットを……!」
「一体何の騒ぎですか!?」

 リドルが私を引き止めるように叫ぶ。その後に続いた学園長の声に、私はこれ以上は無理だと目を閉じて意識的に気持ちを鎮める。ぱちりと目を開けば見るも無残な残骸だらけになった廊下に、溜め息を吐きながらぱちりと指を鳴らせばどこかへ飛び散った窓ガラスの破片も花瓶のカケラもすべて勝手に元通りに戻っていく。
 マジカルペンも無しに魔法を使ったことで、リドルが「だからブロットが!」と焦った口調で責めてきたが、私の胸に収まるマジカルペンの石を見て息を呑んだ。

 誰でも魔法を使えば石は黒く濁るのに、私の石はすぐにクリアに戻る。つまりブロットがオーバーすることはないのだ。
 それを知らないリドルも、そしてフロイドも目を見開いて私を見てくるが説明する気はもちろんない。傍で静かにこちらへ視線を向けていた学園長に一つ頷いて、彼の元へ歩み寄る。

「なまえ!」

 彼から初めて呼ばれた名前に、私はひらりと手を振っただけで目線すら合わせなかった。



「──何をやったのか分かっていますね」
「はい」
「でしたら、まずは保健室へ。……すぐにご両親が参られるでしょう」
「はい。此度の騒ぎ、申し訳ありませんでした」
「……これで良いのですか?」

 いまいち容量を得ない質問に、私は自嘲じみた笑いをこぼした。

「いいんです」

 学園長は、私が女だと知っている唯一の人だ。そして私の家がどれだけとち狂っているかも知っている優しい人。だからこそ、この人には感謝しかない。本来“女”である私を何も言わずに学園へ入れてくれたことも、こうして心配してくれることも。

 保健室まで送ってくれたあと、最後に頭を撫でてくれた学園長は、せめて貴女にも幸福がありますようにと祈りながら部屋を出て行った。

「……幸せなんて、もう充分いただきましたよ」

 学校に通えた。
 友達ができた。
 居場所ができた。
 好きな人ができた。

 居場所も、好きな人も、呆気なく奪われてしまったけれど。一時の夢を見ることはできた。

 だから、


「久しいな、なまえ」


 ──その夢がある限り、私は幸福に浸れるんだよ。







 初めて見たのは入学式。窮屈な式典服に身を包みながらアズールやジェイドとオクタヴィネルに配属されて、あとは他の奴らの寮分けをボーッと眺めていると、闇の鏡の前にまた誰かが立った。気まぐれにちらりと見てみれば、一瞬にして目を奪われた。
 ──眩い、太陽みたいなキラキラした瞳。
 そいつがオクタヴィネルに選ばれた瞬間、オレは柄にもなく嬉しくなったのを未だに覚えている。

 残念ながらクラスが別々になってしまい、わざわざ話しかけに行くのも面倒だからそいつとは接点すらなかった。目だけじゃなく髪までキラキラしているそいつとまともに喋ったのは、モストロ・ラウンジができてからだった。
 更衣室で話しかけてみればリズム良く返ってくる返事。神経を逆撫でされないそれに、オレは気がつけば自分から彼に絡みに行っていた。アロワナちゃんの傍は心地良くて、いつまでも一緒にいたくなる。

 そんないつも穏やかなアロワナちゃんだけど、たまに不機嫌な時があった。前までなら気づかなかったけど、仲良くなるとその違和感にすぐに気づく。気になって指摘すると目を丸くして、まるで『気づかれるとは思わなかった』と言わんばかりのそれにオレの心が少し波打った。
 だってアロワナちゃんがびっくりするくらい、普段誰も気がつかないんでしょ? でもオレは気づいた。なんか優越感っていうの? そんな感情を抱いたと同時に、オレはそれからさらにアロワナちゃんと一緒にいるようになった。

 オレがいて、アロワナちゃんがいる。それだけなのに、もうオレの隣にアロワナちゃんがいないのは考えられないほど当たり前になった。
 ──アロワナちゃんが女の子だったらよかったのに。
 別に男でもよかったが、番にするなら女の方が楽だ。自分が彼に向ける感情が無意識に変化してきているなんて思いもよらず、オレはいつものようにアロワナちゃんに後ろから抱きついた。



 そんな日常が変わってきたのは、ナイトレイブンカレッジに初めて女の子が入学してきた頃だ。別の世界から来た少女に興味を持つのは皆同じなようで、アズールも機会があれば話してみたいと言っていた。
 オレも興味はあったけど、必要に迫られるまではいいやといつも通りアロワナちゃんといた。そんなアロワナちゃんも「別に興味ない」と言っていたから、関わりを持つこともなかった。

 けれど少しずつ関わりを持つようになって、小エビみたいにビクビクしている様が面白くなって構うようになった。そのせいでアロワナちゃんと一緒にいる時間も減ったけど、今のオレは小エビちゃんに興味津々だった。周りに人間の女が今までいなかったからか、それでも小エビちゃんの短い髪の毛を見たら思い出すのはいつも隣にいるキラキラしたあの子だ。
 触り心地の良い、真っ直ぐに伸びた金色の絹糸。太陽の光を浴びればさらに輝くそれは、自分のお気に入りだった。誰にも触らせたくない、オレだけの宝物。

 それを小エビちゃんに自慢したくて、ただそれだけだったのに。
 あんなに怒るなんて思わなかった。手を叩かれたことも、触るななんて言われたこともなかったから、つい言ってしまっただけ。

「女みてぇ」

 いつも抱いている願望が口から出てしまった。けれどそれがアロワナちゃんの逆鱗に触れたのか、突如吹き荒れる嵐のような風がオレ達を襲う。咄嗟に魔力のない小エビちゃんを庇ったが、それ以上に心配なのはアロワナちゃんだ。こんなに魔法を使ってしまえばオーバーブロットするのは目に見えている。
 慌てて駆けつけた金魚ちゃんが止めるように叫ぶけど、暴風は止まらない。焦るオレ達の前に現れたのは、学園長だった。

 アロワナちゃんは学園長の姿を認めると、自分で感情をコントロールするように目を閉じて魔力を抑えていく。完全に魔法を消し去ったあと、周囲の残骸を見てぱちんと乾いた音を鳴らしたと思えば、辺りに散らばる破片が勝手に浮き上がって元通りに修復していく。
 マジカルペン無しの魔法の使役に焦る金魚ちゃん。けれど金魚ちゃんも気づいたらしい。

 アロワナちゃんのマジカルペンについている石が、濁った瞬間からクリアに戻っていく様を。
 そんなオレ達を放って学園長の元へ行こうとする友達を止めたくて、でも何を言えばいいのかわかんなくて、咄嗟に出たのは彼の名前だった。

「なまえ!」

 初めて呼んだ名前。それでも彼はひらりと手を振るだけでオレを振り返ることはなかった。


 小エビちゃんを金魚ちゃんに任せて、オレはアロワナちゃんがどこにいるのかと学園中を探し回る。けれどちっとも見つからなくてイライラしていると、学園長が廊下の窓から外を眺めていた。

「学園長!」
「おや、リーチ君。どうしましたか?」
「アロワナちゃんは?」
「ふむ…。彼は今取り込み中です。話ならあとで──」
「どこにいんの」
「……貴方は、なまえ君をどう思っていますか?」

 普段は家名で名前を呼ぶくせに、アロワナちゃんだけ名前で呼ぶ学園長にイラッとしながら、「どうって…」と上手く答えられずにいると、やれやれと言った風に首を振られた。

「いろいろあるでしょう。例えば友人とか」

 友人、と言われると心がひどくモヤモヤした。それだけじゃ足りない。オレはアロワナちゃんの全部を独り占めしたくてたまらないのに。
 それを拙い言葉で伝えると、学園長はふむ…と少し考えるように顎に指を当てる。

「彼は男ですよ?」
「だから、別にいーって言ってんじゃん。確かに女の方がいいかもだけど、別に性別にそこまで拘ってねーし」
「…なるほど。では彼の中身が好きだと?」
「そう言ってんじゃん。つかアロワナちゃんどこ? さっさと教えてよ」
「では最後に一つ。監督生君は好きではないんですか? 今までなまえ君以外にあまり構う姿勢を見せなかったものですから」
「小エビちゃん? 別に面白いから構ってただけだけど? 好きでも嫌いでもない」
「……そうですか。ではそれをちゃんとなまえ君にも伝えて下さいね。彼、きっと気にしていますから」
「ふーん? 学園長がそう言うなら分かった。で、どこ?」
「保健室です。ああでも──って、行動が早いですねぇ」


 学園長から居場所を聞き出したあと、魔法を使って保健室の前まで移動する。遠慮なく扉を開けようとすると、バシン!と何かを叩く音と男の怒鳴り声が中から聞こえてきた。

「……? アロワナちゃんだけじゃねーの?」

 サバナクローの奴らでも暴れてんのかとでも思ったが、どうやら話を聞いているうちに違うとわかる。少し耳をすませば、まただれかが殴られる音と喉奥から絞り出されたような呻き声が聞こえた。……これ、もしかして。

「学内で問題を起こすなど、この私の顔に泥を塗る気か! 恥を知れ!」
「ッ、い……!」
「この恥晒しが! 女として生まれたことすら恥なのに、更に魔力を暴走させたなどと知られたら馬鹿にされるのは私だぞ!」
「もう、しわけっ…ございませんっ……」

「………は?」
 自分の口から声にならない声が出た気がした。女?誰が?──アロワナちゃんが?
 いや、でもだって、身体は男だった。毎日のように抱きついている自分がその感触を間違えるはずがない。変身薬でも飲んでる?でもいくら誤魔化そうと思っても薬の匂いというものは案外鼻につく。無味無臭の薬ならともかく、毎日服用するとなるとお金もかかる。
 それならどうやって…?

「常に手紙で書いておいただろう! 男としての自覚を持てと! それがなんだ、このザマは!」
「ッ……、」
「はぁ……もういい。もう二度とこんなことを起こすなよ」
「……はい」
「それから、卒業後のお前の相手を決めておいた。釣書は後日送るから、確認しておけ」
「はい」
「将来我が国の頂点に立つ子種の元となる男だ。交わるまでは機嫌取りを忘れるな」
「…はい」

 言いたいことを言ってスッキリしたのか、中の気配が一つ消えた。男が怒鳴っている最中に少しドアを開けていたおかげで、アロワナちゃんの姿が見える。そのままこっそり見ていると、いつもキラキラしている瞳からぽたりと透明な滴が落ちた。それは一度だけじゃなくて、何度も何度も落ちてアロワナちゃんの制服を濡らしていく。

「……だいじょうぶ」

 小さな小さな声だった。

「だいじょうぶ。だいじょうぶ。…学園ここにいる間はだいじょうぶ」

 まるで自分を守るように肩を抱いて縮こまる。

「私は“僕”で、女じゃなくて“男”で」

 それは自分に言い聞かせているかのように聞こえた。

「誰かを好きになることなんて、許されていなくて」

 でも、と濡れた声がオレの耳に届いた。

「フロイドを好きな気持ちだけは、誰にも気づかれてない」


 ──その科白に、オレの時間が止まった気がした。
 はく、と口から声が出ることも叶わず、ただ淡々と自分の気持ちを吐露するアロワナちゃんを見つめることしかできない。

「だいじょうぶ。もう分かったでしょう、なまえ。フロイドと結ばれることなんてあり得ない。だから、だから…嫉妬なんて烏滸がましい感情、持ってちゃだめなんだから」

 思えば小エビちゃんと一緒にいる時、アロワナちゃんは必ずどこかへ行っていた。それまではずっと隣にいたのに。
 不思議に思ったことはあったけど、問い詰めたことはなかった。でも、そうか。アロワナちゃんは小エビちゃんに嫉妬してたんだ。

 オレが他の男に抱える感情を、アロワナちゃんも感じてくれてたんだ。


「……なぁんだ。好きって言えばよかった」

 アロワナちゃんが料理してる姿も、勉強で悩んでる横顔も、錬金術で下唇を噛みながら真剣に調合してる顔も、楽しげに箒を操ってるところも、好物を口いっぱいに頬張る姿も、「フロイド」って名前で呼んでくれるところも、ぜんぶ、ぜんぶ大好きなんだって。もっと早くに言えばよかった。

 本当は小エビちゃんと同じ女の子なのに、男として生きなきゃいけないなんてどんな想いだったんだろう。きっとオレが想像するよりずっと辛かったに違いない。
 人の気持ちを察することは苦手だから、ちゃんと話を聞きたい。それがアロワナちゃんの苦痛になるなら、別に話を聞かなくてもいい。ただ傍に居れるなら、それだけで満足だ。

 だから、あんな暴力野郎のところには返してあげない。卒業する日が来たら、アズールに頼んで(学園長でもいいや)人魚になれる薬を作ってもらって、珊瑚の海に連れて帰ろう。オレはアロワナちゃんが男でも女でもどっちでもいいけど、アロワナちゃんが女がいいならそれもなんとかしてもらおう。

 ──ねえ、だから、一人でため込んで泣かないで。納得して終わらないでよ。


 ガラリと完全にドアを開けると、びっくりしたようにオレを見るアロワナちゃん。慌てて涙を拭おうとするから、その手を取って指先同士を絡める。ぱくぱくしてる口が面白くて、くすくす笑いながらオレは耳元に唇を寄せた。

「好きだよ、なまえ」

 自覚したらもう止められない。自分でも思うほど甘い吐息に、アロワナちゃんがびくりと肩を揺らすのが分かる。背中で揺れるまとまった金色をもっと見たくて、髪紐をするりと解けば眩しいそれが波打つように広がった。

「なにやって、てかまって、まってフロイド」
「アハハ、どしたの?」
「急に何なんだよ! 好きって、僕は男だぞ!?」
「女の子でしょ」
「は、ぁ……?」
「ごめん、話聞いてた。もうアロワナちゃんが女の子だって知ってる」

 まさかの告白に目を白黒させると、「今すぐに忘れろ!」と言われてむすっとしてしまう。なんでそんなこと命令されなきゃいけねーの?

「イヤ」
「〜〜っ、なにが望みなんだよ…」
「アロワナちゃん」
「なに?」
「だから、アロワナちゃんがほしい」

 包み隠さず伝えれば、みるみるうちに顔を赤くさせる。金魚ちゃんみたい。
 けれどすぐに顔をふるりと横に振って、無理だと告げられる。

「話を聞いていたなら分かるだろ。僕は国の次期当主だし、相手も決まった。それにいくら僕が女だからって、身体はずっと男のまま。……それにフロイドは、監督生が好きなんだろう?」
「みーんな同じこと言ってくるけどさぁ、オレがいつ小エビちゃんのこと好きだって言ったぁ? 別に小エビちゃんのこと何とも思ってねーし」
「………はぁ!?」
「それにアロワナちゃんが男のままでもオレはいい。でもアロワナちゃんがイヤならアズールに何とかしてもらえばいーじゃん。はい悩み事解決!」
「っ……だから! 僕は家が、」
「海ん中逃げたらさすがに追ってこれねーじゃん? それでも諦めずに来るなら…オレが絞めてあげる」

 だから安心してオレの腕の中にいていいよ? そう言えば、アロワナちゃんは反論する気が失せたのか可笑しそうに笑う。だけどすぐに痛そうに顔を歪ませるから、オレはマジカルペンを振って痛々しい傷をぜんぶ治してあげた。

「ねぇ、アロワナちゃん。こっちむいて」
「ん?」

 ゆるゆると顔を上げたアロワナちゃんの唇に、自分の唇を重ねる。ちゅ、ちゅと啄むようにキスをすると、アロワナちゃんの身体に変化が起こった。

「なになに!?」
「わ、かんなっ……〜〜っ、いた、い…!」
「痛い!? えっなんで!? なに!?」

 パニックになるオレとアロワナちゃん。眩い光が保健室を包んだと思ったら、ずっと絡めたままの指先が、オレと同じ硬い感触から女のように柔らかくてほっそりしたそれに変化する。ぱちくりとお互い目を瞬かせていると、アロワナちゃんが空いているもう片方の手でそっと自分の胸を触ると、男にはない膨らみができていた。

「……うそ」
「………え? アロワナちゃん戻ったの? 女に?」
「そう、みたい……」
「なんで!? つかどうやって男になってたの!?」
「それは先祖が生み出した魔法で……って、うそ、なんで、うそ!? 女に戻る方法なんて本当にあったの!?」

 いつもより声も高くなったアロワナちゃん。頬もふっくら丸みを帯びて、全体的に柔らかくなった。どこからどう見ても“女の子”だ。
本当にびっくりしてるアロワナちゃんに、オレは我慢できずにぎゅうぎゅう抱きついた。

 ああ、おんなのこだ。

「すき」
「ちょっとまって、フロイド、」
「すき、チョー好き」
「わか、わかったから! まってって…」
「オレのもんになって、なまえ」
「〜〜〜…っ、ばか……!」

 顔真っ赤にしても説得力ねーよ、アロワナちゃん。

「……私だって、ずっと好きだったんだから」

 内緒話をするように耳元で囁かれた科白に、オレはうっとりと笑んでまた唇を重ねた。


 翌日、実は女の子だったアロワナちゃんに寮内どころか学園中が大震撼することになるとはこの時は思っていなかった。