■ ■ ■
ホリデー前日、鏡の間にはたくさんの生徒で賑わっていた。俺は腕の中にある鞄を抱えながら浮かれる生徒達の間を縫うように進み、お目当ての姿が見えた瞬間大きく声を張り上げた。
「レオナ様!!」
良かった、まだ帰っていなかった。ホッとしたように歩み寄ると、レオナ様の近くにはエーデュースコンビと監督生、グリム、ジャックがいた。彼らは声の主が俺だと分かると、手を振ってこっちこっちと手招きしてくれた。
「よー、なまえ!」
「お前も結構荷物あるな……」
「うん? あぁ、これは――」
「何しに来た、なまえ」
エースとデュースの二人を遮るように俺の目の前に身体をずらしたレオナ様は、低い声で訊いてくる。その態度に少しムッとした俺は、腕に抱えていた重たい鞄をレオナ様にぐいっと押し付けた。
「貴方の自室に山のように積まれていた宿題をお届けに参りました!」
「なっ、お前……!」
「それから、帰省の日くらいはブレザーを着用なさいませ。久し振りに国に帰るのですから、だらしのない姿はお控え下さい」
「別に誰に見られたって構いやしねぇよ」
「でしたらなまえもレオナ様と共に帰らせていただくことになりますが、よろしいので?」
今日まで何千回と吐いたセリフをまた口にすれば、レオナ様はぐっと言葉に詰まり、諦めたように片手でガシガシと頭を掻いて先ほど押し付けた荷物を床に下ろすと、ブレザーを受け取って袖に腕を通す。その後“着たぞ、これで文句ねぇだろ”と言わんばかりにこちらを見下ろすものだから、俺はくすくす笑ってボタンを留めた。
「……はい、終わりましたよ」
「なんでこんなかたっ苦しいもん…」
「我慢して下さい。脱がれる時は、王に帰還の挨拶をしたあとですよ」
「はぁ…」
「俺だって、やっとレオナ様とホリデーを過ごせるかと思っていたんですから。レオナ様の我儘を聞く代わりに、レオナ様もなまえの我儘を聞いて下さい」
床に下ろしていた鞄を持ち上げて再び差し出すと、我が主は美しい緑の瞳を俺の黒い瞳に合わせた。
「……また連絡する」
「はい。…お待ちしております」
目尻を下げ、柔く微笑み、流れる動作で片膝をつく。
「行ってらっしゃいませ、レオナ様」
誰かが息を飲む声がしたけれど、俺とレオナ様には関係ない。頭を下げる俺を見つめたまま、彼はフッと優しく笑った。
「あぁ、行ってくる。留守を頼んだ」
靴音が響きはじめ、遠ざかっていく。最後まで頭を下げて次に顔を上げた時にはもう、あの人の後ろ姿さえなかった。
数年ぶりにしたこの行為に胸が昂り、勝手にじわじわと涙が滲み出す。慌ててぐしぐしと制服の袖で拭けば監督生がハンカチを差し出してくれたので、ありがたく借りてトントンと優しく目元を叩いて涙を拭う。
「ありがとう、監督生。また洗って返すね」
「別にそれくらいいいのに……」
「いーの。それに、遊びに行く口実も出来たでしょう?」
「え?」
「だって、監督生もこのホリデーはお留守番だって前に言っていたじゃないか。誰もいないホリデーくらい、パーっとはしゃいでもバチは当たらないと思うよ」
俺のセリフに監督生はきょとんとした顔を見せてから、可笑しそうに口元を綻ばせた。うん、やっぱり監督生は笑顔が似合う。
二人で談笑していると、エーデュースとジャックが大人しいことに気がついて彼らに目を向けると、変な顔をしてこちらを見ていた。まるで信じられないものを見た、とでも言いたげな三人に「なんて顔をしているのさ」と声をかければ、彼らはごにょごにょと話しはじめた。
「いや、なんか、」
「なまえって、本当にあの人の従者だったんだな……」
「? 前に言ったじゃないか。今さら何を言っているんだ?」
「だって! あんな膝をついて頭を下げる姿は見たことなかったし!?」
「そんなの従者なんだから当たり前だろう?」
話の終わりが見えない不毛な会話に終止符を打ったのはジャックだった。俺に言われて渋々宿題を持って帰ったりブレザーを着たりしたが、最後まで真面目にやろうとしなかったレオナ様に苦言を呈しながら彼は「じゃあな」と手を振って鏡の中へ消えてしまった。「出た、真面目クン。はいはい、また来年なー」と軽い調子で返事をしたエースはそういえばと再び俺の方を見る。
「お前は何で帰省しないわけ?」
「え?」
「確かに、やっと和解することができたのに……」
「あー、えっと」
言いにくそうに指先で頬を掻きながら明後日の方向を見てみたが、興味津々な彼らの視線をずっと受け止め続けるには限度がある。根負けした俺はその理由をそっと口にした。
「「王に会わせたくない?」」
「そう。レオナ様から離れていた間、俺は彼の兄であり王でもあるファレナ様に仕えていたわけなんだけど……。どうしてもレオナ様の元に帰りたかった俺は、絶対に不可能だと言われていたことを成し遂げてここに来たんだ。国としても王としても“俺”を手放すのは損失だとお考えになったファレナ様は当然俺を引き留めようとした。けれどそれを振り切ってこっちに来ちゃったものだから、今レオナ様と国に帰ればあることないこと言われて確実に引き離される未来が目に見えているからね。レオナ様はそれを危惧して、お一人で帰省なされたんだよ」
ファレナ様はレオナ様の兄君である前に、一国の王だ。利益となる人物の意思を尊重するほどお人好しなお方ではない。
それに王のお傍には俺の弟がいる。本来なら彼が第二王子の従者をするはずだったのだが、俺がレオナ様の従者になったので彼がファレナ様の従者を務めている。そのことに弟は大層喜んでいた。レオナ様の前では決して言えないようなことをつらつらと口にして(そのせいで過去最大の兄弟喧嘩に発展したし、仲直りは未だにしていない。そもそも許す気もない)ファレナ様の従者に就いたことを自慢げに周囲に話しもしていた。
だがここまでで分かるように、俺の弟は少々オツムが弱い。他人に頼り、できないことがあるとすぐに涙を浮かべて許しを請う。幼少期はそれで弟を許す父と母に苛立ったし、なぜその愛を少しでも自分に与えてくれなかったのかたくさん考えて涙を流した日もあった。
今だから分かる。
抱きしめてくれる手も、褒めてくれる声もなかったけれど。
その代わりに成功を掴む力を、名声を、彼らは自分に与えてくれようとした。
それらを跳ね除けて俺が初めて口にした我儘を、父と母は叶えてくれた。王に直談判して、レオナ様の従者になることを認めてくれた。
その決定を誰にも覆させないと宣言したその姿に、俺はやっと親の愛を感じることができた。
ああ、確かに俺は愛されていたのだと。
まぁ余分な話をしてしまったが、帰省すれば弟から何をされるか分かったものではない。ただでさえレオナ様から離れていた間、弟からきゃんきゃん子犬のような嫌がらせを受けていたのだ。誰が好んでアイツの前に行くか。
――だから、レオナ様と一緒に学園でホリデーを過ごせると思ったのに。
当然そんなこと知らないエースとデュースは、ぶるりと体を震わせていた。
「こっわ……。そうなったら絶対またオーバーブロットするだろ…」
「確か、マジフト大会の日に彼の甥が帰ってくるように言っていたな。さすがに子どもの言うことには、あのキングスカラー先輩も逆らえないのか?」
「チェカ様はただの子どもではなくて、次代の王になられるお方だからね。レオナ様はそんなの関係ないと仰っておられたけれど、無視をして学園で過ごすなんてそれこそ不敬にあたる。『俺ももちろん共をするのでレオナ様も今回は国に帰りましょう』と言えば、低く唸って『お前は来るんじゃねぇ』と威嚇される始末。あとはさっき言った理由を口早に説明されて、結局居残り組になってしまったわけだよ」
肩をすくめて未練がましく鏡を見つめた俺は「じゃあ、良いホリデーを! 監督生はまた今度遊びに行くね」と声を掛けて、サバナクロー寮につながる鏡へ飛び込んだ。
まだ少し寮生が残っているが、彼らはみんな俺がレオナ様の従者だと知っているため突っかかってこない。軽く挨拶だけしてレオナ様の部屋に向かうと、やはり朝見たままの光景がそのまま残っていた。
ベッドは起き上がったまま乱れているし、クローゼットの引き出しは開きっぱなし。机の上はチェカ様やファレナ様から帰省を促す手紙でいっぱいだ。先ほどまで宿題が山積みになっていた場所だけすっきりとしている。そのことに一抹の寂しさを覚えながら、俺は制服のブレザーを脱いでシャツの袖をまくり、まずは床に脱ぎ散らかされた服に手を掛けた。
白雪姫のホリデー
――ポムフィオーレ寮の談話室で、俺は出かける準備をしていた。約束通り監督生とグリムのところへ遊びに行くのだ。借りていたハンカチはしっかり洗濯して皺一つない。それを汚れないように包み、手ぶらもなんだからということで作った軽食を持って、俺は寮から出た。
オンボロ寮に着くと、相変わらず雰囲気のあるところだなと思いながら今にも壊れそうなドアを優しく叩けば、するりと白い何かがドアをすり抜けて姿を見せた。驚きの声を飲み込んでよくよく見てみれば、この寮に住み着くゴースト達だった。
「もう、びっくりするじゃないか。君たちは気配が希薄だから感じ取りにくい……っと、すまない、監督生とグリムはいるかい?」
「ここにはいないよ〜〜〜」
「もう何日も帰ってきてないのう」
「……何日も?」
それは聞き捨てならない。ほとんどの生徒が帰省している今、何日も遊べる場所も人もそう多くはないだろうに。
監督生達がどこへ行ったか訊ねると、どうやらゴースト達も知らないらしい。あまり目ぼしい情報が聞けなかったことに気持ちが焦るが、ひとまずここにいてもどうしようもないとオンボロ寮を後にした。
さて、一人と一匹はどこにいったのだろう。思考を巡らせてみると、二つの選択肢が浮かんだ。
まずはオクタヴィネル寮。ラギー先輩情報によれば、アズール先輩達はこの時期は実家が流氷の下にあるため規制がめんど…もとい困難なため、ホリデーは学園に残っているそうだ。
もう一つはスカラビア寮。今年のホリデーは寮生全員が残って体力向上や勉学に励む、いわゆる強化合宿のようなものを行っているらしい。これは仲の良いスカラビアの友人に聞いた(心底嫌そうに顔を歪めていた彼は元気だろうか)。
行く場所となるとこのくらいだろうか。オクタヴィネルは先日寮長であるアズール先輩のオーバーブロット事件を解決して少し友好を深めたようだが、いつだったかあの三人衆に絡まれて引きつった表情をしていた監督生を思い出し、消去法としてスカラビアに決まった。
ここにいなくても友人に会えればそれでいいし、彼が元気なのか確認できる良い機会かもしれない。久々に人と関われると浮足立った俺は、軽い気持ちで飛び込んだ先で起こっている事件に巻き込まれるだなんて想像もしていなかった。
「ここは暑いな…まぁ耐えられないほどではないけど。さて、監督生とグリムはいるかなっと」
初めて訪れたスカラビア寮をじっくり見てみたいが、そんなことをやりに来たわけではないと自分を律しながら、まずは寮の談話室に向かう。誰かしらを捕まえて問いかければいいだろうと気楽に思っていれば、大勢の生徒が集まっていた。
みんなペンを持って宿題に取り組んでいる姿に「本当に合宿していたんだ…」とびっくりしながら見渡すと、この寮には似つかわしい服を着た生徒が見えた。「んん……?」とよく目を凝らしてみれば、その生徒がついさっきまで思い浮かべていたオクタヴィネルの三人衆だと気づいて目を丸くする。だって仕方がないだろう!? 彼らがここにいるなんて想像もしていなかったのだから!
「あれ? なまえ?」
「あ、ああ、リュシー、会えて嬉しいよ。元気だったかい?」
「いや、もう少しで天に召されそうになっていた」
「はぁ!? ちょっとそれどういうこと!?」
「あっ、なまえ君!」
友人の言葉にぎょっとなって思わず大きな声を出してしまった。そのおかげとも言うべきか、探していた人物が喜びに満ちた声で俺の名を呼ぶ。たったの数日ぶりだというのに、監督生の肌は少し焼けていて、今がホリデーだということを忘れてしまいそうだ。グリムはぴぃぴぃ泣きながら俺の懐に飛び込んできた。
「お、オマエ、来るのが遅いんだゾ〜!」
「?? えっと、ごめんよ? 先にオンボロ寮に行ったんだけど、ゴースト達が君たちは何日も帰ってきていないと言ってくるものだから……。もう少し早くいけばよかったね」
「ふ、ふなぁ〜〜〜…」
「久しぶりに触れる優しさが身に染みる……」
「まさか監督生達までこの合宿に参加していたなんて。鏡の間で教えてくれたらすぐに来れたのに…」
「オレ様達は参加する予定なんてなかったんだゾ!」
「え?」
グリムから詳しく話を聞こうとすると、横から「まぁまぁ、その話は後でにしませんか?」と話しかけられた。見ればリーチ兄弟の片割れであるジェイド先輩がにこやかな笑顔で立っていた。
「なまえさんも、今からこの合宿に参加されては? 一人きりのホリデーも退屈でしょう?」
「毎回一言余計ですよね、ジェイド先輩は。……ま、それならお言葉に甘えさせていただこうかな…」
「おお、もちろんいいぞ! 人は多い方が楽しいしな! それにレオナの従者なんだろ? 同じ従者同士、ジャミルとも仲良くしてやってくれ!」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
従者らしく胸に手を当てて頭を下げれば、名前を出された本人であるジャミル先輩は言葉が詰まったように狼狽えていたが、深いため息をついて彼も「こちらこそ」と手を差し出してくれた。
その後、身体を動かして昼食を取った一行は、再びスカラビアの談話室に戻ってきた。何度か監督生にこの数日間の話を聞こうとしたのだが、悉くアズール先輩達に邪魔をされて未だ聞けていない。だがここで寝泊まりをしていたことだけは聞けたので、きっと今日も泊まるのだろうと思っていた。
「……………」
「……? リュシー? どうしたんだい?」
「いやぁ、なんか……寮長の情緒も落ち着いてるなと思って…」
「カリム先輩? あの人がそんなに取り乱している姿なんて聞いたことないけれど…」
「ホリデーに入ってからはひどかったんだ。急にスイッチが入れ替わったように冷酷で横暴な寮長になってさ、オクタヴィネルの奴らが来るまでひどい目に遭わされた」
「ふぅん……」
遠巻きにアズール先輩やカリム先輩達を眺めながら友人の話を聞く。ここから見ている限りではそんな素振りは見えないが、友人が言うのだ。本当のことなのだろう。つまり監督生達もここに泊まっていたのではなく帰ることができなかったのだとしたら、ゴースト達が行先を知らなかったことにも辻褄が合う。
少し怪しくなってきた話は、アズール先輩がお茶を準備してくるというセリフで打ち切られた。ジャミル先輩と二人で談話室から姿を消した彼らを見送ると、すぐにジェイド先輩が動き始めた。何をするのだろうと見ていれば、フロイド先輩に「ほぉら、モーリーちゃんも行こ?」と手を引っ張られて着いていく。そんな彼の声がいつもと全く違うことにすぐ気が付いた俺は、二度見どころか三度見した。それでも楽しそうに長い足を動かす彼らが今から何をするのか見当もつかなくて、慌てて監督生を見ればいつになく硬い表情で同じように着いてきている。
談話室の外では、お茶を準備しに行ったはずのアズール先輩とジェイド先輩が向かい合って話している。お茶を淹れながら話せばいいのにと様子を伺っていれば、信じ難いセリフが耳に届いた。
「学園からカリムを追い出し、寮長になれるんだ!」
それは、とても従者とは思えないものだった。あまりにも突然のことについていけない展開に目を瞠っていれば、満を持してジェイド先輩が話しかける。すると後ろからバタバタとスカラビアの寮生達がやってきたではないか。味方を得てさらに追い詰める先輩は、堂々と「貴方が黒幕だ」と言い切った。
「……ッ! 事を荒立てるつもりはなかったが……こうなれば仕方ない」
認めた、と思ったのも束の間、アズール先輩へ俺達を拘束しろと命令する。どうやらジャミル先輩のユニーク魔法によって洗脳されている彼は、いつもよりゆったりした口調で「……はい、ご主人様」と頷いた。しかしどうやらそれはアズール先輩の演技だったようで、あっさりといつもの先輩に戻った。驚くジャミル先輩に彼は、フロイドのユニーク魔法を使って洗脳を回避したことを丁寧に教えてあげている。
「ジャ……ミル? これは一体……どういうことだ?」
そこへ、彼の主であるカリム先輩が現れた。寮生達が知ったということは、当然カリム先輩も同じ時に知ったのだろう。けれどそれを信じたくなくて、彼は下手くそな笑みを浮かべて「お、お前がオレを操っていたなんて……嘘だよな?」と訊ねる。どうか嘘だと言ってくれ、という彼の心の声まで聞こえてきそうだ。
必死に言葉を重ねるカリム先輩。ここまで主に言わせるジャミル先輩が何て答えるのか待っていると、彼は顎に指を掛けて乾いた笑い声を廊下に響かせた。
怒りをこらえる様に震えた声でカリム先輩のことを“大嫌い”と告げたジャミル先輩。その直後、彼の魔力が急に高まって増幅していく。この感覚に覚えがあった俺はマジカルペンを抜いて周囲に防壁を張ったが、全員には間に合わない。彼がユニーク魔法を発動させた瞬間、防衛魔法の外にいた生徒達は頭を抱えて苦しみ始めた。話を聞いている限り推測するは、洗脳魔法だろう。それをこれほど広範囲に、しかも一人一人に干渉するなんて繊細なコントロール能力とセンスがいる。
先輩の命令によって攻撃してくる寮生達。俺は魔法を使えない監督生を気にしながらも命を奪わない程度に加減して彼らの意識を的確に落としていく。時には魔法で、時には武力で。
そこへ、洗脳された俺の友人が立ち塞がった。人より魔法耐性の強い彼は苦悶の表情を浮かべながら、洗脳と必死に戦っている。けれどもう限界が近いのだろう、リュシーは俺を見て額に汗を滲ませながら微笑んだ。
「たのむ、なまえ……」
「ッ………!」
奥歯を噛み、強く目を閉じる。そして俺は拳を握りしめ、彼の腹へ打ち込んだ。苦しそうに呻く声が聞こえた後、ありがとう、と小さく礼を言ったリュシーは意識を失ってその場に倒れた。
「ジャミル! もうやめろ、わかったから。お前が寮長になれ! オレは実家に戻るから……っ」
「はぁ? なに言ってんだ。俺の呪縛は、そんなことで簡単に解けやしない。カリム、お前がこの世に存在するかぎり!」
少しずつ、少しずつ、自分の中で怒りが蓄積されていくのが分かる。
苦しみの声を上げながら攻撃してくる同じ学園の生徒達。腹を殴った俺に「ありがとう」と礼を言って倒れた友人。それらが頭の中で浮かんで、混ざって、それで。
「俺は、もう自由になるんだーーー!!」
そう叫んだジャミル先輩のマジカルペンについている魔法石は、真っ黒に染まっていた。これを俺は一度見たことがあった。そうだ、これは――レオナ様と同じ、オーバーブロットだ。
手加減もためらいも一切ない攻撃が降り注ぐ。俺は先ほどと同じように防衛魔法を張って攻撃から身を守り、隙を伺って反撃に出るが、なかなかこちらからの攻撃が通らない。
「ジャミル先輩! もうやめて下さい! 本当に戻れなくなりますよ!?」
「うるさい! 黙れ! お前も従者なら分かるだろう!? どれだけ頑張っても一番になれない。主より上に行ってはならない。自分の実力を隠さなければならないことがどれほど苦痛か!」
「……はぁ?」
この人は、何を言っているのだろう。
「貴方は、誰と、何を争っているのですか?」
「ち、ちょっと、なまえ君……?」
「争う相手が同じ従者や周囲の人間なら、遠慮せず一番になればいい。けれど仕える主が相手ならば、一番になれないのは当然でしょう」
「は?」
「“従者”とは、“主”が目指すものを叶えるためにお傍に仕え、支えるもの。その主相手に、欲を出して一番になろうなど考えることすら烏滸がましい」
隣で「ひぇ……」と監督生の怯える声が聞こえた気がしたが、今の俺にはジャミル先輩しか目に入らない。くだらない思想を抱いて、挙句の果てにはこんな騒ぎまで起こした彼と同じ“従者”だなんて死んでも認めてほしくなかった。
「主を洗脳して、寮から、学園から追い出そうとするなんて。お前は従者でもなんでもない、ただの馬鹿だよ」
吐き捨てた俺のセリフに先輩は完全にぶち切れたらしい。目をつり上げて更に魔力を高めていく。
「うるっせぇ!! 無能な王も、ペテン師も、口だけの従者気取りも……お前らにもう用はない! 宇宙の果てまで飛んでいけ! そして、二度と帰るな! ドッカーーーーン!!!」
ドッカーン!? なんだいその爆発した効果音みたいな掛け声は!
なんて思う暇すらなく、俺たちはみんな仲良く空の旅へ出かけることになった。
「――よっ……とぉ、着地できてよかった……。みんなは大丈夫かい?」
「な、なんとか……」
落ちる直前監督生に手を伸ばしていたおかげで、どうやら怪我はしなかったようだ。ホッと息を吐いて立たせると、アズール先輩達も無事なことを確認する。次いで警戒するように周りを見渡して、ひとまず身の危険がないことが分かって肩の力を抜いた。
「それにしても寒い……!」
「そうですね。グリムさんは毛むくじゃらですし、僕たち人魚はある程度寒さに強い身体ですが……。監督生さんとカリムさん、なまえさんは長時間ここにいるのは命の危険が伴いそうな寒さだ」
「俺も獣人って言ったって、身体が毛で覆われているわけじゃあないからか……。うぅ寒い…」
「箒も絨毯もありませんし、飛んでいくことはできません。どう致しましょうか」
「だるいけど、歩いて帰るしかなくね?」
フロイド先輩の提案に、アズール先輩は“徒歩で帰るには何十時間かかる”と首を横に振った。その後に契約書を破棄してやっと元のフロイド先輩の声が戻って、俺もやっと落ち着いた。やはり聞きなれた声が一番だね、うん。
すると、カリム先輩がぽろぽろと涙を流して「オレのせいだ…!」と言いながら肩を震わせる。彼の口から出るのは全部自分自身を責めるもので、黙って聞いていた俺はそのセリフ一つ一つに激しい怒りを覚えた。「アイツは頼りになるいいヤツで……ッ」とこんな状況になってもジャミル先輩を庇おうとする彼についに我慢の限界だ、と口を開きかけた瞬間、俺より先に監督生が鋭い眼差しでカリム先輩に声を掛けた。
「いいヤツは友達をこんなところに飛ばしません」
「え……?」
まさか監督生からそんなセリフが出るなんて思っていなかった俺も、カリム先輩と同じように呆けた顔で見る。「で、でた。コイツのキツイツッコミ」グリムが少し引いたように後退りする様子を見るに、今までも度々あったのだろう。
そんな監督生に続くようにリーチ兄弟がフォローのしようがない言葉をかけるものだから、聞いているこちらとしてはいたたまれない。最終的にアズール先輩が「小さい頃からずっとそうやってジャミルさんを追い詰めてきたんですね、あなた」と言われてしまえば立ち直れるはずがない。
それからしばらく続いたカリム先輩へのフォロー(になっていない)、そしていかにジャミル先輩が悪いヤツだったのかを語ること数分。彼は納得したように目を閉じると、すぐに赤い瞳に世界を映して「早く帰らなくちゃ」と強く拳を握りしめた。
――本当は、彼にも言いたいことはたくさんあった。けれどそれは俺から言うことでもなければ、一従者の身分で着やすく伝えていいものでもない。己の中にある想いにそっと蓋をして、先輩のユニーク魔法で川へと変貌した荒野を泳ぐべく人魚の姿になったフロイド先輩の背中にしがみついた。
俺が戦い、想いを、怒りをぶつける相手はたった一人――ジャミル先輩だ。
スカラビア寮の談話室に戻ると、未だオーバーブロットしたままのジャミル先輩はやりたい放題していた。とりあえず思いつくまま彼を誉めてみると、やっと俺達に気が付いたようだ。それでもなお己の主だった人に罵りの言葉を口にして、嘲笑を浮かべる彼に俺は考えるよりも先に動いていた。
グッと拳を作って、そのムカつく顔へ容赦なく叩きこむ。「ブングルっ!?」と情けない声を上げながら、ジャミル先輩は大きく後ろへ吹き飛んだ。
「「「ええええええええ!?!!!?」」」
監督生たちが声をそろえて驚くが、俺はわざと聞こえないふりをしてフンっと鼻息荒く仁王立ちした。王宮にいた頃から自分の容姿のせいで馬鹿にされることが多く、そのせいでレオナ様まで飛び火することを恐れた俺は、あらゆる武芸を習得し、守るための力を手に入れたのだ。
「立ちなよ、ジャミル・バイパー」
シンと静まり返った談話室で、俺の足音だけが響く。俺を睨んで体制を整えようとする彼は、魔力を高めて反撃の隙を狙っている。
「君がどんな家に生まれて、どんな両親に育てられて、どんな教育を受けてきたのか。それは君にしか分からない、君だけの苦しみだ」
「………ッ…」
「『主より上にいってはならない、実力を隠さなければならない』と、君は言ったけれど……。それなら君は、ずっと主であるカリム先輩に本当の自分を隠していたのかい? 出会った日から、今まで」
俺の問いに、ジャミル先輩はやけになったように「ああ、そうだよ! そういう風に教えられた。『決してカリム様に勝ち越すんじゃない』ってな!!」と、今度は茫然としているカリム先輩を睨んだ。
「(……そうか、彼の根幹にあるものは…)」
きっと、境遇は似ているのだろう。従者を輩出する家の生まれで、両親も従者という立場だった俺とジャミル先輩。違うのは彼らが抱える“思想”だ。
勉強も運動も遊びも、何もかも一番であれ。そしてその力で主を導き、傍で支え、生涯共に在れ。
それが、俺の両親の想い。我が家の規則。従者たる自分たちの絶対。
何事も主より下であれ。一介の従者が主より秀でていることは許されない。常にひたむきに、謙虚にあれ。
それが、ジャミル・バイパーの両親の想い。バイパー家の規則。従者たる自分たちの絶対。
両家には、全くと言っていいほどの明確な“差”があった。
「……大人はみな同じセリフを言う。『君なら分かってくれるだろう』って。なら、誰が俺を分かってくれるんだ?」
攻撃を重ね、会話を続けていくうちに、彼のオーバーブロットが少しずつ解けていく。それと共に彼は今まで抱えていた気持ちをぽつり、ぽつりと小さく落とす。
「カリムがいるだけで、俺はずっとお前に譲って生きていかなくちゃならない!」
それが、彼の両親が最初に彼に伝えた“従者”としての絶対だから。
「俺は、俺だってーー一番になりたいのに」
その言葉を最後に、完全に元の姿に戻った彼は意識を失った。
・
・
・
カリムの呼び声で目を覚ましたジャミルは、泣きつく主に深いため息をついた。
「ジャミル・バイパー」
「…………」
「だんまりかい? なるほど、アジーム家の従者は礼儀の一つも知らないのか」
「……お前、キャラ変わってないか?」
「君にだけだから、安心してくれ」
ひとまず彼が目を覚ましたことに安堵したなまえは、無意識に自分の髪を撫でる。少しパサついていて潤いがない。このままだと、学園に戻ってきた寮長に怒鳴られる未来が待っていることを想像してげんなりした。
「君は言ったね。『誰が俺を分かってくれるんだ』って」
「……あぁ」
「確かに従者という位置はひどく生きづらい。まだ大人に守ってもらわなければならない子どもの身なのに、大人は都合の良いふりを求めて勝手に大人扱いしてくる」
「なまえ君……」
「けれど、たった一人だけいた。俺をその他大勢のくくりにまとめず、傍に居て、内にしまい込んでいた“俺”を見つけてくれた人が」
そう語るなまえの黒い瞳はまるで朝露に濡れたようにきらきらしていて、真っ赤に色づく唇はその人物を思い出して薄く弧を描く。今は潤いを失ってパサついている漆黒の髪は、目の前で微笑む少年をより一層儚いものにさせた。
「……レオナ・キングスカラーか」
「ふふ、だぁいせいかい」
甘い口調で頷いたなまえに、さすがのジャミルも言葉に詰まった。ちなみに監督生は床にうずくまってのたうち回っている。
「っ、だ、だが、俺にはそんなヤツはいない! カリムだって本当の俺の実力も知らずに能天気に笑っていたんだぞ!」
「うっ……」
「あれ? 君、さっき自分で言っていたじゃないか。カリム先輩のことを“鈍感野郎”って。そんな人が必死に隠されていたものに気づけるわけがないだろう?」
「そ! れ、は……そうかもしれないが」
「だろう? だったら君はさっさと吐き出せばよかったんだ。少なくともカリム先輩にはね」
やはり、従者としては一枚も二枚も上手だなと、傍から聞いていたアズールは一人納得した。
「そんなことを言うなら、お前は自分のことを包み隠さずレオナ・キングスカラーに伝えたのか?」
「もちろん。出会ってすぐに」
「はぁ!? お前仮にも従者なんだろう!?」
「仮にもって、俺は君と違ってれっきとした従者ですけど? ……まぁ、いろいろと事情があってね。あの頃は俺も自分の周りのすべてが敵だって思い込んでいたから、ついレオナ様に『忠誠なんて誓えるか!』って怒鳴ってしまったんだ。ふふ、今思い返すと懐かしいね」
そのセリフはレオナだけでなく、王家全体に対して吐いた最大の不敬だったのだが。
しかしジャミルはもちろん、他の生徒もレオナに絶対を誓っているなまえがまさか過去にそんなことを言っていたなんて想像もしていなかったので、むしろよく今生きているなと顔を青ざめさせた。
「ま、これからの未来は君のものだし? ここまで大々的に主を裏切ったんだ、あとは好きにすればいいんじゃないかい」
「好きにって……」
「そうだぞ、ジャミル!」
ここでジャミルの相手をカリムにバトンタッチしたなまえは、ふとジェイドがスマホを手に持っていることに気が付いた。こんな時に何をしているのだろうと見ていれば、彼はその視線に気づいてにっこりととてもいい笑顔を浮かべた。そんな笑顔を浮かべるときは大抵ヤバいことだと、なまえは慌ててジェイドの傍へ寄って無理やりスマホを覗き込んだ。
見えた画面はマジカメ。しかも端の方に“Live”と表示されている。つまり――…。
「じぇっ、ジェイド先輩!? まさか今のやり取り――!」
「おやおや、ばれてしまいましたか。ええ、はい。ばっちり中継させていただきました」
「勝手に何をしているんですかぁぁぁ!!!!」
友達になろう! といい雰囲気のカリムとジャミルを他所に、なまえは涙目で逃げ回るジェイドを追いかけまわした。
***
──夕焼けの草原 王宮
広々とした自室に、レオナはいた。学園の寮のものより余程良いベッドに寝転がりながら、彼は手元のスマホに流れる映像を眺めている。
《けれど、たった一人だけいた。俺をその他大勢のくくりにまとめず、傍に居て、内にしまい込んでいた“俺”を見つけてくれた人が》
愛しい従者の瞳が細まり、甘い煌めきを放つ。その先にいる人物が自分だと分かった彼は、尻尾をぱたぱたと揺らしてフンと鼻を鳴らした。
まさか置いてきた学園でこんな事件に巻き込まれていただなんて思っていなかったが、普段面と向かって話されることのないアイツの想いを知れたのは僥倖だった。
「──なまえ」
真っ赤に熟れた唇も、黒い宝石を閉じ込めたような瞳も、いつもより乱れた黒い髪も、その全てを自分の腕の中に閉じ込めたい。きつく抱いて、もう二度と離さないように。離れないように。
「なまえ。俺の、俺だけの──」
その先は言わなくたって分かるだろう。そんな思いで焦ったようにカメラに近づいてくるシャルルの顔を、彼はとろりと蜜のように蕩かせた緑の瞳で最後まで見つめ続けた。