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⚠キャラヘイトを仄めかす文章があります。ご注意ください(作者は勿論全キャラ愛しています)





 朝起きて顔を洗い、くしゃくしゃに乱れた髪を整えて制服を着る。少しだけ緩くネクタイを締め、シャツの第一ボタンを開けてから姿見の前に立てば、そこにはいつものなまえ自分が映っていた。
 胸元で光るマジカルペンについた石は真っ赤に色づき、一点の濁りもない。つい最近自分の寮長がオーバーブロットを引き起こしたことで、そういう類には敏感になってしまうのは許してほしい。誰に言い訳をするでもなく心の中で吐露しながら、なまえは同室の友人に一言声をかけてから部屋を出た。

 先輩曰くマジカメ映えのする談話室を抜け、寮の扉を開ける。途端にふわりと漂う薔薇の香りを吸い込み、ほぅ…と人知れず息を吐いた。
 薔薇は好きだ。一番好きなのはアストレだ。自分の誕生日には家から溢れるほどのアストレが送られてきて、子どもながらにとても嬉しかった記憶がある。

「なまえちゃん、おはよ」
「ケイト先輩、おはようございます」
「相変わらず硬いな〜。気軽にけーくん先輩って呼んでもいいって何度も言ってるのに」
「やですよ。寮長に怒られちゃう」
「二人っきりの時だけでいいからさぁ。それに、リドル君になら俺から上手く話しておくし。ね?」

 寮から出てきたのは先輩のケイト。今日もばっちり決まっているケイトとは出身が同じということもあってか、先輩の中で一番仲がいいと言えるくらいには関わりが深い。

「考えておきますね」
「まーたそれ〜? 絶対呼ばないやつじゃん」

 ニッコリ笑いながら断るときの常套句を口にすれば、ケイトは諦めたように項垂れた。

 それじゃあ、とケイトの前から去ろうとすれば「俺も行こっと」とまた隣に並んで足並みを揃えてくる。思わず「トレイ先輩と寮長はいいんですか?」と聞けば「たまには一緒に朝ご飯食べよ?」と爽やかな笑顔で押し切られた。
 鏡を超えて鏡舎から出ると、朝の新鮮な空気が肌をそっと撫でる。早い時間の校舎にはあまり人はおらず、部活の朝練組の声だけが遠くから聞こえてきた。

 食堂もガランとしていて人気がない。それでも食事は並んでいるので、悩むことすらせずにいつもの朝食をトレーの上に乗せて近くの席に着いた。

「この時間、ほんとに人がいないね」
「静かに食事を取るのもいいですよね」
「そーね。静かに食べれる時間ってこのくらいしかないよねぇ」
「お昼時は特に戦争ですもんね」

 ぽつぽつと会話をしながら食べ進めると、あっという間に完食してしまった。食べ終わったお皿を返却して食堂を後にすれば、ケイトは若葉色の瞳をきらんと輝かせた。子どものようにワクワクした表情を見せる先輩に苦笑しつつ、彼を連れて学園の裏にある森に行った。
 奥には湖畔がひっそりと存在していて、朝練の声すら届かない。少し日が射し始めて水面に光がキラキラと反射する様を見つめながら、なまえは湖の近くに立ってマジカルペンを振った。すると、ふわりふわりと風が漂い、やがて赤や白、黄、青、ピンクなど、様々な色の光がなまえの周りに集まってきた。踊るようにくるくると彼の側を飛び回るそれの存在を、ケイトはよく知っていた。

 ──妖精。

 人間ヒューマンや人魚、獣人を遥かに凌駕するこの世界の上位種。実際に次代の妖精族の王となる人物が同じ学園に通っているからこそ、この光景が有り得ないことだと世界では認識されている。
 その気になれば世界を滅ぼすことだってできる妖精族。そんな存在が傍目で見ていても分かるくらいに彼に群がり、身に余るほどの祝福を捧げているのだ。

「やぁ、おはようみんな」

 柔らかく微笑み、朝の挨拶を交わす。ペンをしまって手をかざすと、妖精たちはまるでキスを贈るかのようになまえの手にちょん、と乗る。そんな彼には妖精たちの姿も声もはっきりと分かるようで、コロコロ笑いながら楽しげに会話をしている。その様子をケイトは神聖なものを見るような目でただひたすら眺めていた。



「──すみません! つい夢中になっちゃって」
「いいよ〜。けーくんも久々に見れて嬉しかったからさ」
「それならいいんですけど……」
「また一緒に行ってもいい?」
「ケイト先輩さえ良ければ、もちろん」
「んじゃ、お言葉に甘えちゃおっと! じゃね、なまえちゃん!」

 時間は遅刻ギリギリ。急ぎ足のなまえに引っ張られながら歩くケイトは、校舎に着くと次の約束をきちんと取り付けてから後輩を追い越して自分の教室に向かって走る。あまりの早技にぽかんと呆けていたなまえだが、すぐにハッとなって自分も教室へ急いだ。
 着くと同時にチャイムが鳴って、慌てて椅子に座る。「はぁ……間に合った」と安堵の息を吐くと、隣の席の生徒が頬杖をつきながら珍しく遅刻になりそうだったなまえを見下ろした。

「今日は遅かったねぇ、なまえ」
「フロイド。ああ、まあ…朝の日課に夢中になっていたら時間を忘れちゃってて」
「ふーん?」
「フロイドこそ、今日は珍しく1時間目からいるんだね」
「気分が乗ったから〜。でも教科書忘れちゃった」

 その次のセリフは聞かなくても分かる。ニコニコと垂れ目を細めて笑う友人に、なまえは「……よかったら一緒に見る…?」と諦めたように問いかけたのだった。


 午前の授業はつつがなく終わり、昼食の時間になった。隣に座っていたはずのフロイドは、彼を迎えにきたアズールとジェイドに連れられてさっさと食堂へ行ってしまった。教室に残る生徒もまばらで、おそらく皆フロイドたちと同じように食堂か購買にでも行っているのだろう。
 一人、また一人といなくなる教室で最後の一人になったなまえは、ポケットからきらりと輝く一粒の宝石を取り出した。大きさは小指の爪ほどにもない小さなもの。それをいつも持参している水と一緒に喉へ流し込んだ。

 ご、くり。

 喉に通るときに感じる違和感を不快に思わなくなったのは、いつ頃だっただろうか。机の上に置いていたスマホを手に取って真っ暗な画面に自分の顔を映すと、瞳が金の星のように煌めいた。数秒にも満たないその現象はすぐに収まり、元の色へと戻る。

「あと宝石は……ひとつかぁ。また妖精みんなにもらいに行かないと」

 ポケットに残るラストの一粒は、夜寝る前の分。明日の朝にもらいに行ったら大丈夫だろうと計算したなまえは、購買へ足を向けた。
 昼戦争から時間が経ったおかげか、あまり人気はなかった。売れ残ったパンと金平糖を購入すると、日当たりの良い中庭のベンチに移動してもそもそと食事を始めた。

「なまえせーんぱいっ」
「? あぁ、トラッポラ。どうしたの?」
「いやぁ、実は先輩に聞きたいことがあって」

 人の良さそうな笑みを浮かべながら近づいてくるのは、同寮の後輩エース・トラッポラ。思えば彼が一人でいることは珍しく、いつも一緒にいるデュース・スペードと今学園中で噂になっているオンボロ寮の監督生の姿をつい探してしまう。そんななまえを察したエースは、ずいっと顔を近づけた。

「監督生を虐めてるって、ほんと?」

 なまえにだけ聞こえるように声量が落とされた内容に、言われた本人は目を丸くしてしまった。まさかそんな話をされるとは思ってもみなかったし、一体誰がそんなことを言い出したのか皆目見当もつかない。

「えー…っと、なんの話かな…?」

 なんとか絞り出した声で訊き返すと、エースはなまえを見定めるように見つめながら口を開く。

「監督生が話しかけても冷たくあしらったり、目の前で怪我をしても知らんぷり。食事に誘ってもいつも断られる……って、監督生が言ってきたんだけど」
「……………???」
「あれ? ほんとに先輩じゃねーの?」

 「おっかしーなぁ」ガシガシと頭を掻きながら首を捻る後輩を他所に、なまえの頭の中はハテナマークが飛び交っていた。監督生とはあまり関わりがなく、唯一ちゃんと接した覚えがあるのはリドルのオバブロ事件だ。あの日もなまえは外野で見守りに徹していたのだが、それでも自分の寮の長を救ってくれたことに変わりはない。そんな素直な気持ちで礼を言ったが、関わりらしい関わりといえばそれくらいしかなかった。

「もうエースってば! 先に行かないでよ!」

 そう言いながら小走りで駆け寄ってきたのは、今話題沸騰中の監督生。肩には魔獣が乗っていて、後ろからデュースもやって来た。監督生はなまえを見つけると途端に怯えた顔を見せ、丸い瞳にたっぷりと涙を溜めてぎゅっとデュースの制服の裾を握りしめる。か弱い女の姿にデュースの正義感に火がついたのか、強い眼差しでなまえを睨んだ。

「先輩が監督生を虐めた奴っすよね」
「いや、あのね、僕は何も知らないんだよ」
「デュース、いいの、私が悪かったの。だから、あの、えっと……ごっごめんなさい……!」

 ぽろり。監督生の頬に涙が走り、地面に落ちる。必死に涙を拭う彼女の袖口から見えた手首には、無数のアザがあった。

「……話の展開が分からないのだけれど、僕は君に何かしてしまったのかな?」
「ふざけんな! お前が監督生を虐めんだろ! こんな、女に暴力まで奮いやがって……!」

 ガッと胸ぐらを掴まれ、苦しさから顔を歪める。彼らの口から語られるのはどれも身に覚えがなく、だからこそどうしてこんなことになっているのか分からない。なまえはそれが何より怖かった。

「やめてあげてデュース! 先輩は何も悪くないの! 私がしつこく先輩に話しかけたりしたから、だから……!」
「っ………女に庇われて満足か!? 腰抜け野郎!!」

 ガツン、と頬に強烈な痛みが走り、目がクラクラする。勢い余って地面に倒れ込んでしまったなまえを追撃しようと、デュースが腕を振りかざす。

 そのとき、なまえは見てしまった。
 デュースの後ろで泣いていた監督生の口が、確かに弧を描いていた。

 ──ガンッ!!!

 ボタタッ…頭から血が流れ、地面を赤く染める。血を流すなんていつぶりだろうと冷静に思っていると、殴られた衝撃でポケットに入れていた宝石が転がり落ちてしまった。コロコロ…と転がった先は監督生の爪先で、彼女は目敏くそれを見つけて拾い上げた。

「これ、宝石……? とっても綺麗…」
「小さいが、確かに綺麗だな…」
「……デュース、もうその辺にしておけば?」

 監督生が宝石に見惚れている隙に、エースがデュースを諫める。けれど正義感溢れる彼はもはや友人の言葉に耳を貸そうともしない。
 そんな彼らの側で、なまえは拾われた宝石を見てサーっと顔を青ざめた。あれは、あれだけはダメだ。返してもらわないと。そう思って手を伸ばすなまえを見て宝石の持ち主を悟った監督生は、おずおず…といったように話しかける。

「あの、なまえ先輩。この宝石、もらってもいいですか?」
「そ、れは」
「これをくれたら、先輩のこと許してあげますから! ね?」

 これが先ほどまで「自分が悪かった」のだとさめざめと泣いていた女と同一人物なのか? なまえは盛大な吐き気がこみ上げる中、必死に首を横に振って「かえして」と弱々しく主張した。

「それだけはダメなんだ。かえして」
「じゃあやっぱり先輩は私のことが嫌いなんだ……!」
「監督生! っ…テメェ!」

 ついにマジカルペンを取り出したデュースは、得意の大釜を出現させた。

「デュース! それはヤベェって!」
「エースは黙ってろ!」

 そして、ペンの先を振り下ろした。それに従って釜は真っ逆さまに落ちてくる。

「(──ああ)」

 どうしてこうなったんだろう。どこで間違えたのだろう。
 ぽたり、となまえの瞳から涙が落ちた。
 ──その時だった。


「ほいっと!」


 とても耳に馴染んだ声だった。想像していた痛みは来なくて、声のした方へ目を向ければ──そこには今朝別れたばかりの先輩、ケイトがマジカルペンを持って立っていた。


「遅くなってごめんね、なまえちゃん」


 若葉色が安堵の色に包まれ、眉は情けなく下がっている。顎には汗が伝って息も荒く乱れている。普段汗を掻くことが嫌いな彼が、こうなってまで探しにきてくれたことになまえは自分をひどく責めた。
 ケイトは血だらけのなまえを見て、堪えようのない怒りが湧いてくるのがわかった。頭から流れる血は未だ止まっていないし、頬には殴られた後がくっきりとある。そして、

 そして、目元には涙の跡があった。

「ケイト先輩! どうしてそんな奴庇うんすか!」

 吠えたのはやはりデュースだった。その後ろで宝石を握りしめたままの監督生も涙を浮かべながら「ケイト先輩……」と呼びかける。エースはもはやどっちを信じたら良いのか分からないと言った表情をしていた。

「……ごめんね、なまえちゃん」
「え?」
「なまえちゃんが平和に楽しく学園生活を送れるようにって思ってたんだけど、なかなか上手くいかないや」
「ケイト、先輩……」
「こんなことになるなんて思わなかった。……なんて、ただの言い訳だよね」

 すり、と指先で優しくなまえの頬を撫でる。ピリッとした痛みが走って顔を歪める姿に、ケイトはそっと手を離して振り返った。納得がいかないとばかりに目を吊り上げるデュースと、守られて当然だとお姫様然とする監督生の二人に、ケイトはブチッと何かがキレた。
 手に持っていたマジカルペンがみるみるうちに剣の形へと変わり、柄部分に学園で支給された赤い魔法石とは別の金色の魔法石が嵌め込まれている。初めて見たそれに誰もが動けない中、ケイトは強く足で地面を蹴った。

 一瞬だった。
 瞬きの間にデュースの眼前にはケイトがいて、光のない瞳で自分を見下ろしている。奥には彼が持っていた剣が見えて、その鋒が、自分の、首、を──。


「やめなさい、ケイト」


 ピタッ!!

 デュースの首すれすれにまで迫った剣は声が響いたと同時に止まった。甘皮一枚切れたのか、そこから赤い血が流れる。それでも剣を退けないケイトを、声の主はもう一度呼びかけた。

「聴こえなかったのかしら、ケイト。わたくしはやめなさいと言ったのよ」
「………は〜い」

 しぶしぶといった様子で剣を退けたケイトは、いつもの飄々とした顔で声の主の元まで下がる。
 いつのまにかギャラリーが増え、中庭にはたくさんの生徒たちが集まっていた。中には見知った顔もいくつかあり、ケイトはこれからのことを思うと辟易した。が、もうそれも関係ない。くるりとデュースたちに背を向けて声の主の前まで行くと、ゆっくりと地面に片膝をついて頭を垂れた。

「御身をお護りできず、大変申し訳ございませんでした」

 その光景は、その口振りは、まるで主人と従者のようではないか。ギャラリーに混ざっていたジャミル・バイパーは唖然とケイトを見つめ、次いで血だらけのなまえを見る。冷えた眼差しをケイトに向ける彼は、──否、彼女は薄汚れた格好なのに高潔な雰囲気を醸し出していた。

「これは私の不注意よ。お前を責に問うつもりはないわ」
「いいえ。御身をお護りすることこそが私の誇りであり、命で御座います。それなのに……っ」
「くどい」

 自責の念に駆られるケイトをバッサリ切ったなまえ。そして心配をかき消すようにマジカルペンを振って傷を癒してみせた。

「……これで、何の心配もいらないわね?」
「っ…………」
「ケイト」

 いつまでも俯いたままの彼の名前を呼ぶと、やっと顔を上げた。おそらくカレッジの皆が初めて見るであろう、情けなく垂れた眉に悔しげに噛みしめられた唇。普段マジカメ映えと称して浮ついた態度で過ごしているケイト・ダイヤモンドとはあまりにもかけ離れていた。
 人混みから身を乗り出してその様子を見ていたリドルも、トレイも、自分の目を疑ってしまった。だってあんな歯痒そうに誰かを見つめるケイトなんて知らない。──知らないのだ。

「け、けっケイト先輩!」

 突然甲高い声が響き、この場にいる全員の視線を集める。その先にいたのは件の監督生で、彼女は胸元で両手を握りしめながらなんとか立っていた。

「そ、その人、お……女の人、だったんですか…?」
「……そーだよ。君が気に入らないからっていう理由で陥れ、傷つけたこのお方は、」

 もう、元には戻れない。なまえは確かにそう感じて、強く地面を踏みしめた。

「我が輝石の国の王位第一継承者にして、今代の妖精王から祝福を賜ったなまえ・みょうじ王女殿下であらせられる!」

 その言葉を肯定するかのように、無数の精霊たちがそれぞれの色を伴って空から降ってくる。守るように、威嚇するようになまえの周りへ飛び交うのを周囲はただただ呆然と見つめることしかできなかった。



この日が永遠に来なければよかったのに