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⚠ネームレス夢主
その日、ナイトレイブンカレッジはかつてない程に慌ただしかった。普段寮と校舎への移動として使われている鏡の間では、学園長を含めた教師達や二年生より上の生徒達は皆バタバタと忙しなく出入りしている。
監督生やグリム、エーデュースコンビ達も状況がよくわかっていない他の一年生に混じって背伸びをして中を見ようとするが、あまりにも人が多すぎて何が起きているのか分からない。すると後ろから間延びした声が聞こえてきた。
「あれ〜? 小エビちゃん達、なにしてんの?」
「おやおや、ここはまるで稚魚の群れのようになっていますね」
「フロイド先輩! ジェイド先輩!」
身長190センチ超えの二人が揃っていると、迫力がある。アズールのオーバーブロット事件を経て見かけたら話をするようになったが、まだまだ苦手意識のある双子に監督生達は引きつった笑みを浮かべた。
「なんか鏡の間が騒がしくて……」
「んー? うわ、何あれ…」
少しげんなりした様子でそこを見たフロイドは「なージェイド、あれ寮に帰れなくね?」とじわじわ不機嫌モードを出しながら話しかける。すると「そうですね。モストロ・ラウンジの開店作業が遅れてしまいそうですね…」と、ジェイドはどこか面白そうな声色で奥の方を眺めていた。
そこへ人混みから出てきたのは、二人と同じ寮のアズール。いつも余裕ぶった表情でクールを気取っている彼は、いつになく急いだ様子で飛び出してきた。
「おや? アズール、貴方先に開店作業をすると言っていませんでしたか?」
「ジェイド……!? お前達、まだここにいたんですか! ああもう、こんな時に…!」
「なになに〜? アズールゥ、中で何が起こってんの?」
「お前達には関係ありません。本日のモストロ・ラウンジは休みにしますので、急いで帰らなくても結構です」
そう言ってまた中へ戻ったアズールだが、眼鏡の奥にあった瞳は少し濡れていたような気がする。
まさかアズールがこんな直前になって店を休みにするだなんて、とフロイドとジェイドは信じられない気持ちでいっぱいだった。けれど頭の回転が良い彼らは、あのアズールが大事な大事なモストロ・ラウンジを急に休みにさせるほどの重大な何かが、ジェイドが稚魚の群れと嘲ったそこにあるとすぐに突き止める。
ニヤァ、ととんでもなく悪い笑みを浮かべたフロイドを間近で見ていた監督生達は、背筋にゾッとしたものが走った。中で何が起こっているのか分からないが、彼らの標的になったことは間違いない。
「ジェイド〜、オレ、今日は早く寮に帰りたい気分なんだよねぇ」
「奇遇ですね、フロイド。実はボクもです」
「だよね。じゃあ……目の前にいる邪魔な奴ら、みぃんな絞めちゃおっかぁ」
そう言ったまさに次の瞬間、フロイドは長い足を振り上げて群がる生徒達を一瞬で蹴散らした。思わず目が点になる監督生達を他所に、フロイドは愉しげに「あははぁ! オラァ、ジャマ!」とイっちゃっている。その後ろでジェイドは「巻き込まれたくなければ、速やかに道をお開けくださいね」と、これまた困ったような笑顔で手を汚すことなく鏡の間への道を開けさせた。
その騒ぎに乗じて監督生達も中が見える位置まで移動させてもらう。やっと中の状況が見えたことに野次馬精神が喜ぶが、騒ぎの中心である闇の鏡の前に集う各寮長達の様子が少しおかしいことに気がついた。
リドル・ローズハートはまん丸お目目に涙をたっぷり溜めて、ふくふくの頬に次々と涙の跡をつけている。
レオナ・キングスカラーはいつもはピンと立っている耳をへにゃりとさせ、尻尾はまるで喜んでいるようにふわりふわりと揺れている。
アズール・アーシェングロットは感情のコントロールが難しいのか、声にならない声を上げながら眼鏡を濡らすのも構わずにボロ泣きしている。
カリム・アルアジームは泣き笑いのように顔をくしゃりとさせ、溢れる涙を制服の袖で拭ってぐしょぐしょにさせている。
ヴィル・シェーンハイトは透き通るような涙を頬に滑らせ、喜びに満ちた感情をその美しい顔に乗せている。
イデア・シュラウドは例え寮長会議でもタブレット端末のくせに、自室から出てきて珍しい姿を生徒の前に見せていることすら驚きなのに、口をキュッと結んで何とかこみ上げる嗚咽を堪えている。
マレウス・ドラコニアはこういう集まりにあまり呼ばれないにも関わらず、その姿を、そして甘やかに瞳を緩ませながら目尻に涙を浮かばせている表情を惜しげもなく晒している。
これらを見てすぐに心配の気持ちが芽生えた監督生は、考えるよりも先に身体が動いていた。だが何故か先に進んでいたはずのフロイドとジェイドが止まっていて、どうしたのだろうと彼らを見上げれば。
驚いたように不揃いな瞳を丸くさせ、ぱかりと開いた口からは尖った歯が覗いている。二人のこんな表情は初めて見る、とやっぱり奥に何かがあるのだと睨んだ彼女は、彼らを追い越して様子のおかしい寮長達のところまで駆け寄った。
「みなさん! どうしたんですか!?」
「あ、あぁ、グスッ、キミか……」
まず答えてくれたのは、一番彼女と関わりがあるリドルだった。彼は鼻をすすりながら監督生をその目に認めるが、すぐにその視線は逸らされて鏡の方へ向く。よく見れば他の寮長だけでなく、上級生達も同じ様子で闇の鏡を見ていた。
つられて監督生も鏡を見れば、そこには“誰か”が映っていた。
黒を基調とした詰襟の学生服のようなそれの上に、柔らかな若葉色の羽織りを羽織っている。けれどその若葉色ももうところどころしかなく、袖も裾も破れてしまっていて、見える肌からは止まることを知らない赤色が地面を濡らしていた。
「ヒッ……」
明らかに死にかけの人間だ。しかも女。
恐れ腰を抜かす監督生を、普段なら皆が優しく駆け寄って手を差し伸べるのに、今は誰も気に留めない。
鏡の中の女が、こちらを見て笑う。心底幸せそうに、太陽の光を浴びて輝かしい笑顔を見せてくれる。その表情は周りにいる寮長達とどこか似ていた。
女は血で染まった指先をこちらに向かって手を伸ばす。するとその指が鏡を擦り抜け、自分達の目の前に現れた。もう声すら出ない監督生を誰かが押し除けると、真っ先にレオナが手を伸ばした。触れ合う指先。やがてレオナは鏡の中に無理やり手を突っ込むと、しっかりと女の手首を掴んだことを確認してこちら側へ引き摺り込んだ。
鏡に波紋が広がり、女が現れる。その姿は鏡の向こうで見ていた通りの装いだった。いや、生で見るとそれ以上に感じてしまう。
アズール、ヴィル、マレウスの三人が即座に彼女に治癒魔法をかける。壮絶な傷はみるみるうちに塞がり、彼女本来の肌へ戻っていく。服はリドルの修復魔法であっという間に元通りになり、綺麗な若葉色の羽織りがふわりと彼女の肩に乗った。
「──この時を待っていましたよ」
まず始めに言葉を発したのは、この学園の長であるディア・クロウリーだった。ばさりとマントを広げて画面の奥にある眼差しを細めると、その笑みに応えるように女も表情を和らげた。
「おかえり、マイプリンセス」
祝福の言葉をあげたのは、一体誰だったのだろう。
「もう向こうの世界での務めは終わったのかい?」
「うん。──全部、終わったよ」
「………よく頑張ったな」
「ふふ。みんなにそう言ってもらえるために頑張ったの」
「あれほどの死闘の中で、生きていてくれたことが奇跡です」
「…お前は生きろって、背中を押してくれた人たちがいたの」
「やっぱりお前のいた世界の人間は魔法がなくても強いんだな! 聞いていた通りだ!」
「うん。だってみんな、たくさん努力していたから。とってもとっても強いの」
「よく諦めずに頑張ったわね。本当に……無茶しすぎよ…」
「想いを、技を繋げなきゃって必死だったの。あの時諦めてた人なんて、誰もいなかった」
「や…やっとクリアしたんだね。過去最高の難易度だったのに……お疲れ様」
「へへ、ちょっと時間かかりすぎちゃったけどね」
「人の子をか弱いと思っていたが……お前達ほど強い人の子を見たことがない。よくぞ頑張ったな」
「そう言ってもらえると……嬉しいなぁ」
うれしい、うれしいとホワホワ花を咲かせる女は、やがてぽろりと涙を落とした。まあるい涙が血溜まりの床に溶け込み、何もかもを赤に染める。
「あのね、」
──たくさんがんばったの。みんなで繋いだから、勝てた戦いだった。
──でもね、やっぱりね、悲しいの。「生きろ」と言ったあの人たちの声が、今でも思い出せる。
──ギリギリの戦いだった。誰もがあの選択を取らなかったら、きっとあのクソを煮込んで溶かして繋げたような鬼は殺せなかった。
──わかっていたの。また生きてみんなで集まることはできないって。わかってたよ。みーんな覚悟してた。
──だけどやっぱり、涙が止まらないの。
喉を震わせ、眉を八の字にさせる。まるで迷子のようにしくしく泣く女を、彼らは包み込んだ。優しく、壊れ物を扱うように丁寧に。
「悲しいのは当たり前だ。君がどれだけ彼らを想っていたか、僕らはよく知っているからね」
リドルが兄のような口調で声をかける。レオナは長い尻尾をするりと彼女の腕に緩く巻きつけた。
「帰ろう、お前の寮に。そこで弔ってやろうぜ、お前の大事な奴らを」
たくさんの家族の死を見てきたカリムは、真綿で包むような声色で語りかける。そのセリフに女はこくりと頷いた。
ああ、そうだ、お墓。
きっと彼らも向こうで弔っているだろう。
わたしも、わたしも彼らを弔いたい。独りよがりでもいい、自己満足でもいい。ただ一言──お疲れ様でしたって言いたい。
「うん」
「うん、立てる、お墓」
「みんなを、おくってあげたい」
やっと顔を上げた彼女の浮かべていた表情に、寮長達は皆破顔してその願いを叶えるべくそれぞれの魔法をマジカルペンに乗せた。
オンボロ寮生が帰ってきた!