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⚠キャラヘイトを仄めかす文章があります。ご注意ください(作者は勿論全キャラ愛しています)





 なまえ・みょうじ。
 輝石の国の王位継承権第一位に君臨する、文字通り次代の国を統べる女王となる人物である。その事実を証明するかのように妖精たちがふわりふわりと彼女の頭上に集まり、一層の眩きを経てと光が弾けた。

 そこにはまさしく、彼女が王女である象徴──ティアラが神々しい輝きを放ちながら存在していた。ティアラに封じ込めていたなまえ自身の魔力が彼女の中に巡り、姿形を変えていく。短かったくすんだ金髪は腰下まで伸びて波打ち、陽光をたっぷりと浴びてキラキラと光を放つ宝石のような金色へと変化する。ぺったりとしていた胸も膨らみ始め、女性特有の丸みを帯びた身体になる。

「あ、ぁぁあっ………!!」

 周りで野次馬のように集っていた生徒たちは、その姿を見てワナワナと震え、情けない声を上げた。ケイトの後ろで佇むなまえにしっかりと見つめられているデュースは、自分が誰に対して手をあげたのかをはっきりと理解して地面に膝をつく。最早立っていることなど不可能だった。

「下がりなさい、ケイト」
「だぁめ。またコイツが殴りかかってきたらどうすんのさ」
「あら、わたくしのこの姿を見てまだ手を出そうとするほど愚かであるなら、その時こそ貴方の出番だわ」
「……はぁい」

 また砕けた口調に戻ったケイトは、皆が知っているケイトだった。けれど確かに今までの彼とは違う部分もあった。
 チャラチャラしていて薄情にも見える態度の彼だが、実は後輩思いなところもあった。特によく問題を起こすエースとデュースには規則の抜け穴や怒ったリドルの対処法など、様々なことを教えてもらった。だからこそ彼がデュースのことを“コイツ”と呼んだことに、呼ばれた本人も、そして傍にいたエースや遠くから見ていたリドル達も驚きを隠せずにいた。

 そんな空気なんて読むはずもなく、なまえはコツ、と地面に座り込むデュースに一歩近づいた。今の彼女には傷一つなく、故にその輝きはより強さを持って彼の目に焼き付いた。

「スペード」
「っ、す、すみ、ま、せ……!」
「どうして謝るの? 君は自分こそが正しいと思ったから、僕を殴ったんだよね」

 その口調は、声音は、いつもの優しいなまえだった。けれど瞳だけは冷えており、頂点に立つ風格を醸し出している。
 デュースは情けなく震え、冷や汗が止まらない。不良時代でもここまでの恐怖を覚えたことなどなかった。

「(あぁ、あぁ……。僕はとんでもない人に手を出してしまったのか…)」

 瞳から光が消え、ポロポロと涙が頬を滑る。けれど彼はもう泣いている自覚すらない。

「どうして泣くの?」
「ひ、ッ……め、なさ………ごめん、なさ…!」
「……もしも君が殴った人が僕じゃなかったら、スペード、君はこんな風に謝っていた?」
「──っ」
「君は自分勝手な正義感で殴ったことに対して謝っているんじゃなくて、ただ相手が“私”だったから謝っている。違う?」

 図星だった。寸分狂いなく正解を当てられて、デュースは言葉を失った。実際に目の前にいる人物がただの・・・なまえだったならば、彼は謝罪どころか未だに己の中に燃ゆる正義を持って“成敗”していたことは容易に想像できた。
 その様子に当たりだったことを悟った彼女は、くだらないとばかりに息を吐く。

「まだまだ右も左も分からない赤子であるのならば私も情状酌量の余地はあるのだけれど、貴方はもうそのような歳ではないでしょう? 例え国は違えど……いいえ、国が違うからこそ取るべき選択も変わってくる」

 何の話をしているのか、デュースを含め他の生徒も見当がつかない。しかし後ろで控えているケイトはすぐに思いつき、つい癖で首の後ろを軽く掻いた。

「先程ケイトが紹介した通り、私は次代の輝石の国を統べる女王になる者。その私をあれほど理不尽に責め立てた挙げ句、無抵抗の人間に対して血が出るほど殴りつけてきたんだもの。相応の覚悟はおありよね?」
「っゆ、ゆる、ゆるしてくだ、く、くださいっ! しっし、知らなかったんです!」
「あら、“知らない”で許されるとでも思っているのかしら?」

 クスクス、クスクス。微かに肩を揺らして笑う女のなんと艶やかなこと。妙な色気さえ漂ってくる。見に纏う服は確かに今までと同じナイトレイブンカレッジの男子用の制服なのに、抑えきれない色香が彼女にはあった。

「だからいつも言ったわよね? 『ちゃんと勉強をした方がいいよ』って」
「ヒ、ッ…………」
「それなのに貴方達、揃いも揃ってアズールに引っかかるんだもの。それを知ったときは思わず笑っちゃった」
「せ、せん、ぱい」
「お前に“先輩”だなんて呼んでほしくないわ」

 ピシャリと跳ね除けた声に温度は全く無く、周りで聞いている者達まで身震いしてしまった。正面で聞いていたデュースなんて寒気がして唇を震わせ、歯をガチガチ鳴らしている。
 そんな彼からエースへ目線を移す。思った通り彼も顔の色がなく、目が合ったことでより恐怖が増したらしい。

「そんなに脅えなくても、取って食おうだなんて思っていないよ、トラッポラ」
「あ、あ……っ」
「君は“僕”にちゃんと聞きに来たね。そして“僕”の反応を見ておかしいと思ったから、理不尽に責め立てることも殴りつけることもなかった。だから今回、君をどうこうしようとは一つも考えちゃいないから安心して」

 眼差し、雰囲気、口調。どれを取っても自分の知っている“なまえ先輩”で、だからこそその温度差にどう反応したら良いのか分からなくなる。けれど今、目の前の人物が吐いた言葉の意味をそのまま受け取っても良いのなら。
 ごくり。エースは溜まった生唾を飲み込んで、恐る恐る口を開いた。

「……なまえ、せんぱい……」
「なに?」
「………先輩」
「どうしたの、トラッポラ」
「っ…………」

 『先輩』と呼ぶことを赦された。赦されてしまった。
 ここでエースはもう次のセリフが言えなかった。だって気がついてしまったのだ。なまえにとって自分とデュース、この二人の間には雲泥の差が出来てしまったのだと。もちろんエース自身は、きっと自分はお情けで赦されたのだと分かっている。だから言えなかった。

 デュースを助けてください。

 喉元まで出かかったこのセリフを、エースは飲み下した。

「ん?」

 優しい優しい先輩。
 その優しさを壊してしまったのは、他でもない自分たちだ。

「……ありがとう、ございます」

 果たして自分は、上手く笑えたのだろうか。




「──さて」

 エースとの話を終え、残る問題を片付けようとスイッチを入れる。もう“優しい先輩”の皮はいらない。

「ようやく貴女とお話ができるわね? 監督生さん」
「っみ、みんなを騙して脅すなんて、最低ですっ! 謝ってください!」
「あら、今…この私に頭を下げろと言ったのかしら?」
「そうです! あなたがどれだけ偉い人かは知らないですけど、悪いことをしたのなら謝るのに偉いか偉くないかは関係ありません。だから皆さんに謝ってください!」
「か、監督生、たのむ、やめてくれ…」
「デュース、大丈夫だよ。私がちゃんと言ってあげるから」

 これ以上悪くなれないほどにデュースの顔色は青を通り越して白い。唇も色がなく、指先だってとうの昔に冷え切っている。そんな手で必死に監督生の奇行を止めようとするが、本人は『間違ったことはしていない』と任せて!と胸を張っている。その姿にデュースは既視感を覚えた。

 あれは、ついさっきまでの僕だ。自分の正義に酔いしれて、正しいことをしていると思い込んでしまっていた哀れな僕だ。
 自覚があるからこそ、止めようと伸ばした手をだらりと下ろした。だって今の監督生に何かを言ったって届かないことは分かっているから、だから彼は諦めた。届かないのに手を伸ばしたって、声を張り上げたって意味がない。

「さあ、皆さんの前で謝ってください!」

 三度目の謝罪を求めるセリフに、なまえは嘲るように笑った。

「私が、何を謝るのかしら」

 そのあまりにも温度のない声でさえ、監督生は気づかない。

「何をって、もちろん性別を偽っていたことや、わた、っ……私を、虐めたことです…!」

 虐められたという事実に一瞬怯えたように言葉に詰まらせたが、けれども気丈に振る舞う姿は普通であれば胸が打たれる場面だろう。しかしもうこの場の支配者は監督生ではない。
 もはや彼女に味方する者は、誰一人いない。

 そこへ、ピンと張り詰めた空気に穴を開けるかのように、新たな声が降り注いだ。

「こんなに人が群がって騒々しいわね。なんの騒ぎかしら?」
「おいお前ら、道を開けろ」

 さながらモーゼのように道が開く。そこを堂々と歩みを進めるのはポムフィオーレ寮の長ヴィル・シェーンハイトと、サバナクロー寮の一年ジャック・ハウルだ。一見共通点のない二人が揃って登場したことに、周囲はほんの少し騒めきを取り戻した。

「シェーンハイト先輩がどうしてここに……?」
「あれってサバナクローの一年だよな? なんで二人が一緒にいるんだ?」

 そんな囁きを気にも留めず、二人の足は騒ぎの中心へと向かう。先に反応を示したのは監督生だ。デュースの心が折れた今、新しい援軍が来てくれたことに喜びを隠しきれず瞳を輝かせた。

「ヴィル先輩! ジャック! 来てくれたのね!」

 ジャックはともかく、ヴィルまで親しげに下の名前で呼ぶ監督生を、周囲は信じられないとでも言いたげに見つめた。だってそうだろう、ヴィル・シェーンハイトと言えば世界でもトップクラスに君臨するモデルであり、自身が開発した化粧品等は毎回予約の段階で売り切れが続出している。そんなお人をただの小娘が軽々しく名前で呼んでいる事実を、周りの生徒たちは飲み込めなかった。

 美しい所作で地を踏みしめ、歩く。監督生は手が届く距離に近づいた彼らに対して、そっと手を伸ばした。
 ──しかし、二人は歩みを止めなかった。監督生の存在などまるで見えていないかのように扱った彼らは、そのまま数歩先へ進んでようやく立ち止まった。

「え………?」

 動揺する監督生がゆっくりと振り返る。目に飛び込んできたのは、あの誇り高き美の化身であるヴィル・シェーンハイトが、なまえ・みょうじに頭を垂れる瞬間だった。次いでジャックも流れるように膝をつく。

「「我らが王女殿下に栄光と祝福があらんことを」」

 流暢に紡がれる言葉。「良いわ、頭を上げなさい」なまえの許しを得た二人は同時に顔を上げ、美しいかんばせを視界に入れた。ティアラが頭上にあることで彼女の魔力が戻ったらしく、本来の姿が戻っている。きめ細やかな肌に傷は一つもないが、何があったのかは既に二人は聞き及んでいた。

「御命令下さいな、殿下」

 艶やかな声が乞い願う。

「さすれば我らが至宝を貶めた賊を直ちに捕らえ、息を吐くように殺してみせましょう」

 彼は望む。目の前に佇む我が主君の『YES』を。ただその一言を。

「あのねぇ、ヴィル。その気持ちはとっても嬉しいのだけれど、これは私の喧嘩だわ」
「殿下の絹のような御手を汚させるわけには参りません」
「……はぁ。そもそも学園では他人のフリをしろと入学前に命じていたわよね? それを反故するだなんて…」
「だって、ケイトばかりずるいじゃない。アタシ、殿下は絶対に我が寮ポムフィオーレにお越しなさるとばかり思ってきっちり準備をしておいたのに…。まさかハーツラビュルそっちに行かれるとは思わなかったわ」
「ふふ、ヴィルったら、私が入学する前に部屋の調度品を揃えるから好みを教えて欲しいって、手紙を飛ばしてきたものね」

 当時を思い出して可笑しそうに笑うなまえは、柔らかく瞳を細めて「でも、いけないわ」とほっそりとした指先を唇に当てた。

「この程度の者にお前達が噛みつく必要はなくってよ。私の敵はもっと上にいるのだから」

 そこでなまえはずっと黙ったままの男に目をやった。一歩歩み寄り、だいぶ下にある頭にそっと手のひらを乗せると、ピンと立つ二つの耳がぴくりと動いた。

「ジャックは口上を述べてからずっとだんまりね」
「…………」
「頑張って我慢しているのね、お利口さん」
「ッス………」

 強く握りしめる拳は血が滲み、ぽたりぽたりと地面を赤く染める。こうでもしないと、今すぐにでもあの愚かな友人だった者達に喰らい付いてしまいそうだった。胸の奥底から湧き上がる憤怒を抑え込むことで精一杯で、ろくに話もできやしない。

「ジャック」

 呼びかけたのはなまえではなかった。怒りで唸り声を上げてしまいそうなそれをやっとのことで飲み込んだジャックは、呼ばれた方へ顔を向ける。

「……寮長」
「お前、ソイツとどういうかん、け、い……」
「ちょーっと口が悪くなぁい? レオナ君」

 瞬きの間だった。レオナの首筋には研ぎ澄まされた宝剣の鋒があてがわれ、少し身動ぎするだけですっぱり斬られてしまうだろう。それをやっているのがあのいつもチャラチャラしたケイト・ダイヤモンドだなんて、一体誰が信じる?

「恐れ多くもなまえ王女殿下の御前である。たかだか第二王子如きが拝謁を賜ったことに感謝こそあれ、『ソイツ』呼ばわりなどと……余程その首、要らぬと見える」

 細められた若葉色の瞳には当たり前のように光はなく、彼から発せられる殺気がレオナの肌を舐める。久しく感じていなかった“狩られる側”の感情にブワッと尻尾が逆立った。

 レオナ・キングスカラーといえば、絶対に王にはなれないと自分で嗤う程に不遇に恵まれた生まれである。夕焼けの草原の第二王子にして、現王の弟。もし何らかの事情で崩御してしまったら王の座のチャンスにも巡り合えるかもしれなかったのだが、既に現王は世継ぎを産んでいる。故に彼が玉座につくことは万が一の可能性にもないのである。それこそ、レオナを除いた一族が皆死なぬ限り。
 そんな男となまえとは、絶対的な差があった。なまえ・みょうじはこれまで何度も口にしてきた通り、次期王の座が約束された地位にいる。既に内政にも携わっており、国民を含めた国の誰もが彼女を王だと認めているのだ。更に妖精王からの祝福を賜ったことで、輝石の国は『妖精に愛された国』と噂されるほどにまでなっている。

 ケイトが首を落とす方が早いか、それともレオナがユニーク魔法を発動する方が早いか。一触即発の最中、耳を打ったのは涼やかな声だった。

「ケイト、おやめなさい」

 背を向けているが、それでも自分を止めた主の表情など見なくとも分かる。言われた通りに剣を収めたケイトは皮肉げに笑ってみせた。

「良かったねぇ、首が繋がったままで。なまえ様に感謝しなよ」

 言葉を言い終わるとすぐに踵を返し、なまえが待つ場所まで退がる。その時に見えた彼の不満そうな顔に、彼女は口元に手を当てて忍ぶように笑った。

「ふふ、ふふふ、ケイトったら。そんな顔をしないの」
「だぁって、なまえちゃんってばいつになったらオレを頼ってくれるの!」
「もう充分頼ってるわ。それにね、彼は私が女だということにずっと気がついていて、それでも黙ってくれていたのよ。それはケイトも分かっているでしょう?」
「分かってるけどぉ〜……」

 理解はしているけれど、納得はしていない。ぶすっと頬を膨らませて小さな子どものように目線を落とすケイトに、仕方がないとでも言いたげに両手で彼の頬を包んで額を合わせた。

「ありがとう、ケイト」

 舌に乗せたお礼を届け、蜂蜜色の瞳をとろりと蕩けさせる。それは一つの瞬きですぐに消え去ってしまったが、確かにケイトは見た。
 たったその事実だけで機嫌が直ってしまうのだから、自分のことながら甘い。くしゃりと顔を破顔させて今一度彼女の後ろに控えた。

「申し訳ないわね、レオナ第二王子殿」
「……堅っ苦しい言い方は好きじゃねえし、自分の部下ならしっかり躾けておけ」
「それはごめんなさい? ケイトの地雷がどこなのか、私も詳しくは把握していないの。ご自分でお気をつけた方が無難だと思うわ」

 笑うなまえに合わせて、彼女の周りに集う妖精達もふわふわくるくる踊る。正に“選ばれし者”の風格に、レオナはギリッと奥歯を噛んだ。

「たかだか生まれの順位ってだけで、次の王の座が約束された奴がっ……!」
「………………」
「たまたまお前が一番に生まれたからお前は次の王になれる! それがどれほど恵まれてるのかお前は知ってんのか!?」
「……えぇ、そうね。よく知ってるわ」
「ハッ! だからお前も俺を見下していたんだろ? なあ、次期女王様?」

 止まらない、止められない。こんなことを言いたいんじゃないのに、自分の口から溢れるのは羨望と嫉妬と怒りばかり。
 追撃するように何も考えず彼女へ言葉の刃を突き刺そうとした瞬間、ぶわりと風がなびき、彼の眼前には誰かの靴底がすぐそこまで迫っていた。

「ジャック」

 ピタリ。名前を呼ばれた本人は条件反射のように足を止め、振り上げた体制のまま固まった。体幹がしっかりしているからこそ、不安定な体制でも維持できるその身体能力は他生徒から見ても目の瞠るものであった。

「グルルルルッ………」
「ジャック」
「許して下さい、なまえ王女殿下! 俺はもう我慢できねぇ!」

 足を下ろして歯をむき出しにして威嚇するジャック。その様子を人混みに紛れていたラギーは耳をピンと立たせてぶるりと震えながら見ていた。あれだけ自分を慕い、レオナを憧れの存在だと公言していたくせに、すぐに反旗を翻して牙を向くだなんて信じられなかった。
 そもそもジャックとなまえの関係性も分からないままだ。どうしてあのヴィル・シェーンハイトと共にやってきたのか、どうしてなまえに付き従うのか。理由が分からない以上、下手にレオナに加担するわけにもいかないラギーは、姿勢を低くしてなるべく誰の視界にも入らないように息を潜める。

「貴女のことを何も知らない奴にあそこまで言われて、どうしてまだ我慢しなきゃいけないんですか!!」

 ジャックの手のひらは血塗れだ。その血の跡は彼がここへ来て我慢した証だった。

「……ごめんなさい、ジャック」

 手のひらに触れ、持ち上げる。自分の手が汚れることなんて構わずに、なまえはぎゅっと力を込めた。

「それでも、私は酷なことを言うわ。──我慢なさい」
「ッ!!」
「ジャック。貴方の牙も、拳も、振るう相手はもっと別にいるでしょう? 今一度思い出しなさい、自分の立場を」

 ゆっくりと手を下ろして、今度は頭に触れる。白銀の髪は存外柔らかく、撫で心地が良い。
 ぐっと押し黙って俯く彼の肩を一度だけポンと叩き、なまえは冷えた眼差しでレオナを射抜いた。

「それじゃあ、まずは貴方が抱えている誤解を解こうかしら」
「誤解、だと?」
「えぇ。まずそもそも、私は第一王女ではないわ。だから貴方の仰る『恵まれた生まれ』とやらでもないの。期待を砕いてしまってごめんなさいね」
「……………は?」
「せっかく沢山の恨み辛みを吐き出して下さったのに、そのほとんどが無意味。私にとっては音の羅列と一緒だったわ」

 目の前の女が紡ぐ言葉が理解できない。第一王女じゃあない? だが現に彼女は王位継承権第一位の座に君臨している。それなのに長女ではないというのは些か納得できない話である。
 レオナと同じく、周囲もザワザワと戸惑いの声を上げ始めた。当然だ。これまで第一王女だと信じてきた者たちがほとんどで、だからこそ彼女が発した言葉はそれほどの威力を持っていた。

「私もかつては“持たざる者”だった。妖精王からの祝福だって生まれた時に賜ったものではなかったから、幼少期はそれはもう悲惨だったわね。兄や姉と顔を合わせれば聞くに耐えない罵詈雑言を浴びせられ、手加減されていない魔法による攻撃も日常茶飯事……」
「……じゃあ、どうしてそんな扱いを受けてきた奴が次の国王になるんだ?」

 当たり前に浮かんだ疑問だった。聞く限りだと出生は自分よりも下、それなのに何故彼女が王位継承者一位にまで上り詰めることができたのか、レオナには想像すら難しい。
 そんな彼を嘲笑うように、なまえの口元は弧を描いた。

「そんなの決まっているじゃない、自分で勝ち取ったからよ。たかが生まれた順番で虐げられ、排除されそうになるだなんてまっぴらごめんだわ。だから私は必死に戦った。自分がどれだけ有能で次期王に相応しいのかを見せつけ、そしてその座を掴んだ」

 兄姉達に劣る部分があるのならば、勝るように努力した。輝石の国において容姿とは武器であり、磨けば磨くほど輝くことのできる宝石と言われていたから、だから自分磨きには特に力を入れた。市井にだって赴いたり、城下町の活気は常に監視したりして、逐一情報の鮮度は新鮮なものになるように目を離さなかった。
 そして妖精王との邂逅を果たし、彼女は祝福を賜った。それがきっかけとなり、なまえは廃嫡、または降嫁の運命を回避するどころか、文字通り王の座が約束されることになった。もちろん妖精王からの祝福を賜るまでにいろいろあったのだが、それはまたの機会にでも語るとしよう。

「けれど、それを貴方にやれと言うつもりは無いわ。だってこれは私の物語。私が私の為に、そして私に忠誠を誓ってくれている人達の為に──何よりも民の為に、私はこの地位を得たのだから」

 「だから」一歩レオナに近づくと、彼女は胸に手を当てて微笑んだ。

「私の性別を知っていたにも関わらず、胸の内に留めて下さっていたこと、深く感謝致します。レオナ第二王子」

 立場上、頭を下げるわけにはいかないなまえが出来る最大限の礼だった。その言葉に、態度に、嫉妬や怒りが渦巻いていた胸中は突風に拐われたかのように晴れ渡り、やっとなんの曇りもなく彼女を見ることが出来た。

「(これが国を背負う者の器、か………)」

 負けた。レオナは素直にそう感じた。
 もともと監督生を虐めた云々は興味がなかった彼は、最後にジャックへ視線を投げた。なまえの後ろに控えてはいるが、まだ此方に牙を剥く後輩にフッと笑いかける。

「良い主を持ったな」

 それだけ伝えると、レオナは今度こそ踵を返して騒ぎの中心から堂々と去った。残されたラギーは未だ野次馬の中で茫然としており、動けない。
 ラギーにとって監督生は友人だった。もちろんなまえのことも友人だとは思っていたが、最近は監督生から『なまえあの人に虐められているんです』と涙ながらに訴えられて以来、避ける日が続いていた。同学年で気立てもよく、優しく穏やかな友人。そう信じていたラギーにとって、監督生の口から出た言葉は酷い裏切り行為だったのだ。
 その衝撃とショックで、普段ならばすぐに他人の言を信じないラギーは疑うことを忘れて、すっかり信じてしまったのである。

「さあ、そろそろこのくだらない茶番を終わりにしましょうか」

 負の感情がぐるぐる巡っていたラギーの思考を止めたのは、なまえの声だった。

 彼女は悠然と振り返ると、ひとりぼっちで立っている監督生を見てにっこりと微笑んだ。


どこから僕らは間違えた?