「蜜と毒」(蛍丸)
「それ、やめなさい」
 不意に主がその華奢な腕で俺の手首を掴んだ。無意識に口に持っていかれようとしていたそれは行き場を無くし、ただただ彼女の少し怒ったような顔を見上げることしかできない。なんとなくばつが悪くなってへらりと笑う。自分の爪を噛むようになったのははて、いつからだったろうか。検非違使が出てきて簡単に勝利することができなくなってから? 第二部隊が駆り出される背中を見ることが多くなってから? それとも。悲しげな琥珀色に俺を映すと主は溜息をひとつだけ吐き出してから、ぎゅっと抱きしめてくれた。いつも焚いている香のいい匂いが巫女服に染み込んでいる。俺の大好きな匂いだった。柔らかい身体に顔を埋めれば、とくんとくん心臓の音。俺の左胸にも存在するのに、こうしてゆっくりと聞くのはなんだか不思議な心地がした。鶯が鳴いている。
「蛍丸、爪、噛んじゃだめだよ」
「んー……」
「自分の身体を傷つけるだなんて、だめだよ」
 ああ、おかしい、そう思った。痛くもかゆくもない行為を自傷だと嘆き悲しんでくれるこの人は。いつも肘を抉ったり大腿骨が折れたり挙句の果ては四肢のどこかを吹っ飛ばしたり、しているじゃないか。それでもなんとなく主が言いたいことを自分は理解しているために、空気を目一杯吸うだけで他には何も言わなかった。


「乙女とハイエナ」(加州)
「主はさあ、本当にもったいないよね」
 椅子に座らされた私は、器用に足の爪を塗ってくれている加州を見下ろす。彼は自分のそれに施すように早く自然に作業を進めていた。御揃いの、赤。いつも綺麗にお洒落に手を抜かない姿を見てぽつり「加州は綺麗ね」そう漏らしたのが事の発端だった。主だって着飾ればいいじゃん、だなんて流されて、それでも水仕事が多いからとペディキュアで互いに妥協することになったのだ。審神者になる前からこうしたことにてんで疎かった私には、彼がまるで魔法を使っているかのように見えた。寂しかった足元は物の十数分すればまるで女の子です、とでも主張する。うん可愛いだなんて満足げに作り上げた作品をしげしげ眺めている加州に、口を開いた。
「さっきの勿体ないって、なにが?」
「うっわー、そういうとこはあざといんだ? でもいいよ、俺は優しいからね」
 鮮血を流し込んだように鮮やかな双眸を歪めた、意地の悪い笑顔にくらくらする。まだ乾かないそれを器用に避け、加州は爪先にキスを落とした。


「なきむし」(鶴丸)
 足の小指の爪が剥がれた。存外痛みの少ないそこを放って一日過ごせば、予想できただろうに足袋は一部を赤く染め上げている。洗濯が面倒だ、と寝転びながら考えていれば自分に被さる影が一つ。ぼんやり上げた視界の先には、真っ白な彼がいた。普段は見せぬ怒ったような表情に若干怯む。そのまま彼は私が手の中で弄んでいたそれを取り上げた。
「どこだ?」
「え? あ、あー……左足の、小指」
 無言のまま部屋を出て行く鶴丸の背中を見送る。暫し大人しく待ちわびれば消毒液と絆創膏を片手に戻ってきた彼は丁寧に怪我の処置をし始める。別に、いいのに。されるがままの足は少し染みた。さっきと同じ低いトーンで鶴丸は話し出す。
「君は」
 俺たちが切り傷一つこさえでもしたら、大騒ぎして手入れ部屋に押し込む癖に。少しばかり責めているような台詞。考え込むふりをして唸る。だって違うもの。私とあなたは、違うもの。そんな心情を読み取ったか否か、鶴丸は絆創膏を貼ると少し乱暴に小指を叩く。その顔は泣いているように見えた。
aeka