しんしん降り積もる雪を布団に入ったまま眺めながら、ナマエはつい先日政府から送られてきた医者とのやり取りを思い出していた。「春まで貴方の身体は持ちません」淡々と言えるのはやはり、これまで多くの死を目の前にしてきたからだろうか。喀血し血みどろになった洗面台を前にした時は確かにこれはよろしくないと察しがついたが、それにしたってこうもあっさり余命を宣告されては実感がわかない。一人溜息を吐き出す。
 人より少しばかり霊力があったがために波乱万丈と言っていいものかわからないが、とにかく退屈することのない人生ではあった。審神者に就いたのも本意でなく半ば強制的に、寧ろ生きるか死ぬかの瀬戸際で選ばざるを得ない状況下だった。だけども経緯に反しとても満ち足りた、穏やかな生活を手にすることができたと自分では思う。やれ戦場だと日々休むことなく出陣はしていたし、辞めてしまいたいと考えなかったわけではない。しかし付喪神である彼らは常に自分の傍に居て寄り添い、気持ちを汲んでくれた。故に今心配なのはあとどれだけこの命が持つのかというものではなく、主亡き後の彼らについてだった。審神者としての資質を持つ人間など時代を問わず探せばそこそこにあるのだとは推察できるが。なんとも問題児揃いな厄介な輩だからなあ、各面々の様子を思い出し一人含み笑い。三日月はどこか飄々とした掴みどころのない部分を持つ、鶴丸は儚げな見目に反し人を驚かせるのが好きなやんちゃである、清光は健気な無茶をしでかすことがある。一人ひとりの人柄と呼ぶべきものを頭に浮かべながらナマエは瞼を閉じた。まったく愛おしい神様たちを地上に降ろしておきながら、その本人が先に天に還ろうとするのはなんたる不躾か。
「主殿、お加減はいかがでしょうか?」
 突如開いた障子からひょっこり姿を覗かせた鳴狐とお供が、足音を立てずに入ってくる。聞き親しんだ声色に彼女はすぐさま上半身を起こし答えた「うん、悪くはないよ」。彼はそのまま歩み寄ってくると、足元の方でゆったりと腰を下ろす。指揮をとったり刀剣たちと触れ合うよりもこうして床に就く時間の方が長くなったころから、この寡黙な青年は頻繁に部屋に訪れるようになった。前々から決して軽薄な仲ではなかったが、他の刀剣男士たちと比べると倍の頻度である。自分の時間は上手く作って使っているのか、心配になるほどだった。それでもこの静寂さ加減に飽き飽きとしている審神者にとって鳴狐の存在は嬉しいものであり、同時に酷く甘えてしまっていた。
「昨日はお医者様が来ていたようですが、いつ頃主殿は回復すると仰られていました?」
「あー……うーん。あまり良くないらしくて、暫くは療養せよって。迷惑かけちゃって、ごめん」
「いえいえそんな。鳴狐含め今は動かせる肉体を与えられた身、不都合なんてありませぬのでゆっくりお休みなさってください」
 しかしできれば早く元気になってほしいものです、お供は独り言ちるように口に出した。今まで積んできた経験から戦闘や本丸の内職に手を焼くことはないが、やはりナマエという存在がいなければどこか物足りない。それは多くの刀剣たちが心に抱く想いだった。次郎太刀なんぞは飲む酒の量が目に見えて減ったし、石切丸はより一層加持祈祷に時間と力を持ち入るようになった。
 そんな彼の言葉に彼女はただただ苦笑を返すことしかできない。未だもうすぐ死ぬのだ、とは誰にも言えていなかった。ひっそりと力尽きその姿を見て、彼らが罵倒してくれたらいいと思っていた。一緒に戦うと共にあると常日頃から言っていたのにも関わらず、あっさりといなくなってしまう裏切り者と。そうすれば悲しみは抱かないだろう、きっと。自分のような人間にその美しく気高い心を傾けてもらいたくはなかった。
 布団の上に添えていたナマエの手をぎゅっと鳴狐は掴む。低い体温にどきりとしながらも彼の顔を伺えば、いつも通りの感情の起伏一つ見せない端正なそれがあった。
「主、散歩に行こう」
「こ、こら鳴狐! 主殿は調子が思わしくないというのに……!」
「ううん、大丈夫。出歩けるくらいの元気はあるよ」
 立ち上がると唐花のあしらわれた長羽織を手に取り、鳴狐と並んで庭へと出て行く。お供は寒さは得意でないと、逃げるように炬燵が用意されている部屋へ姿をくらませる。恐らく気を遣ってくれたのだろう。
 銀世界には既に短刀たちが一足早く遊びに出ていたらしく、小さく可愛らしい足跡がいくつも残されていた。あの大きい雪だるまも協力して作り上げたに違いない。微笑ましくそれを二人で追いながら歩いていく。雪が降った後と言っても寒さに強い花は凛と佇んでおり、黄色のスイセンや寒椿は鮮やかな彩りで華やかに自己主張をしていた。池の鯉も元気とはいかないがしっかりと尾びれを動かし泳いでいる。
 ふいに前を歩いていた鳴狐の足が止まった。不審に思いながら彼の視線の先を見れば、枝垂桜の木が堂々としている。昨年の開花時期はちょうど歴史修正主義者との戦いが白熱した時期でもあり満開のそれらを横目でちらりと見ることしか叶わなかったなあと、思い出す。「あるじさま、はなみをしましょう!」と提案していた今剣が葉桜を前にしてがっかりしていたっけ。
「鳴狐。桜、好きなの?」
「うん」
 珍しく自身で発声した彼は、今度は審神者のいる方へ首を動かす。暫し無言のまま見つめ合う二人だったが、鳴狐が続きを口に出した。
「……春になったら」
「うん?」
「春になったら、一緒に桜を見に行こう」
「!」
 瞬間、ナマエの目頭は熱くなった。ぐっと言葉に詰まり目を伏せる。仕方がないと思っていたのに。生きたいと、願ってしまった。せめてこの庭が桜色に染まるまでと、祈ってしまった。なんて残酷で幸せな約束を取り付けてくれたのだろうと彼女は薄い唇を歪める。決して音を紡ぐことなく、破顔一笑すると鳴狐の裾をそっと握った。

 雪解けが訪れたにも関わらず、本丸はしんと静けさを保っていた。廊下を往来する刀剣たちの顔色は暗く強張っている。三日前に審神者は息を引き取った。政府から聞くに不治の病を患い、発見された時には長くないとわかっていたらしい。彼女の部屋にある桐の箪笥から発見された彼らに宛てられた手紙には、どうか焼いて桜の下にでも埋めてほしいと記されていた。それから自分よりも有能な主がすぐに配属されるはずだから、悲しまないように、優しくしてやるようにと。
 鳴狐は一人骨壺を抱え、あの日一緒に見た枝垂桜の前に立っていた。蕾が漸く膨らんできたそれは、春が近いことを知らせている。あの時彼女は答えずに微笑むだけだった。嫌な予感が頭の中を駆けたものの蓋をして知らないふりをした。
「……細雪、みたいだ」
 焼いて残った君は驚くほど真っ白で、嗚呼。四季が巡って何度春が訪れようとも貴方の温かさをこの手に取ることは二度とないのだ。さようなら、左様なら。呟きと一滴の涙と彼女を土の中に埋め、彼はくるりと背を向けた。遠くの空に桜を流してしまう雨雲が、迫っている。
aeka