「へし切長谷部、と言います。主命とあらば、何でもこなしますよ」
 彼の第一声は確かこうだったなとナマエは記憶している。膝の上に頭を預け安堵したようにすやすや眠る刀剣男士は重傷とまではいかぬが、確かに手傷を負っており疲弊しきっているようだった。痛々しい頬の切り傷に指を這わせると、くぐもった唸り声が聞こえ出す。眉間にしわを寄せる様子に少女はふっと笑った。よくここまで距離を縮められたものだ。今でこそ忠誠心に厚い彼であるが、当初は気まぐれな猫なんてものではない、牙をむき威嚇する犬のようだった。経歴上どうしても気難しい刀剣はいくらかいたものの、この人は決して態度に出さなかった分本当に本当に手強かった。出陣の命を下せば黙々と馬に乗って出て行き、内番も文句ひとつ垂れずにこなす。聞き分けの良い彼に手を焼くことがなかったのにも関わらず、彼女はなんとなくもやもやとしたものを感じていた。意図的に壁を作られている、気がする。使役される者とする者としての立場は確かに存在するが、多くの仲間たちはそれでも心に寄り添い仲良く談笑を交わしたり、憎まれ口も叩いたり、時には人間同士のように喧嘩をしたり。だのにこの人はと言うとにこにこ笑い自分に何の不満もぶつけず、作業を淡々と全うするものだから。不意に口をついてしまった。
「長谷部ってさ、私の事嫌いでしょ。もし嫌なら、戦ったりしてくれなくても、いいよ」
 見開かれる目。別に怒っているのでも悲しんでいるのでもない、ただ事実を確認するがために出た疑問だった。へし切長谷部は審神者が嫌い、それならそれで良い。政府側の意向としては力のある刀剣男士は極力歴史修正主義者との戦いへと向かわせ、一つでも戦果を挙げられるようにする。しかし彼女自身はいくら審神者が絶対的に行使する力を所持していようが、折角考えられ動かせる身体があるのだからと、刀剣たちに戦いを無理強いしようとする気はなかった。自分が戦うべき意味と協力要請は最低限するが、拒否されたらそこまでである。幸い今のところ大太刀から短刀まで心底に嫌がるような輩は存在しなかったが。穏やかとは言い難い二人の空気を、切ったのは長谷部であった。苦笑を貼りつけながら首を傾げる。
「何故、主を嫌っていると思うのです? それに主命とあらばどう考えていようが俺は、貴方の思うままに動きます」
「うん、初めて会った時もそう言ってたね」
「それともなに……近侍にでも入れ知恵されましたか?」
「薬研藤四郎は関係ない」
「さあ、どうだか。主はあの短刀を随分、」
「へし切長谷部」
 ゆらり揺れる紫苑。少女は自分を落ち着かせるために深呼吸を一つする。普通に学生としてのんびり生きていた頃は刀剣なんぞに微塵も興味を持たなかったが、この職に強制的に就かされてからは出会う刀一振り一振り、書物を探し出し調べるように習慣づけていた。相手を知ろうともしないのに仲良くしてくださいだなんて虫が良すぎる話だ。加えて少しでも国の人のエゴの重みから解放されたかったのかもしれない。美しい神様を降ろし戦わせるそれから。
 よってへし切長谷部のことも少なからず知識として頭の中に入っていた。笑っているのにその奥に確かに存在する業火を避けることなく、審神者は呟く「織田信長」。途端、長谷部は能面のようになった。
「貴方が今も頭の中に置いている人でしょう」
「……だから?」
「信長公を敬愛しているから、新しい……あんまりこの言い方好きじゃないんだけど、主? である私が嫌いなのではないのかな、と」
「別に、嫌いではありませんよ」
 黒田も良くしてくれましたし、貴方も采配はまだ下手ですが精一杯やっている。感情の起伏のない淡々とした台詞に審神者は口を一文字に結んだ。彼は続ける。
「しかし俺はあの男を忘れたことがなかった。己の意思で貴方を一番に据えて物事を考え動くことは、できません」
 命令であればまた違う。からくりのように歯車一つ狂わずにその身に寄り添おう。長谷部は言い切った。ナマエは目を細め難しい表情をしながら視線を上の方で彷徨わせる。それから二、三瞬きを繰り返すと紡ぐ。
「忘れろだなんて言ったっけ、私」
「は?」
 彼女の言葉にうつむいていた顔を上げた。少女は続ける。
「他の刀剣たちはよく、前の主の話をしてくれるよ。私も大事な人はいるし、二度と会えなくてもずっと想っていると思う」
「……」
「一番にしろとも言わない。二番でも三番でも……なんなら十五番目くらいでもいい。長谷部と……うーん。そうだな、縁側に並んでお茶でも飲みたいかな」
 少しの間放心したように女を見下ろしていた彼であったが、ハッと我に返るとさも可笑しげに腹を抱えた。なんなら十五番目、と言っているが随分と高い数字ではないのか、それは。それに刀と茶を飲みたいだなんて酔狂じみたことを言う。対する少女は何か変なことを口走ったかと照れくさそうに頬を掻いていた。ああ、人間とは何十年何百年付き合おうともわけのわからない生き物だ。
 ひとしきり声をあげて笑うと長谷部は審神者に向き直る。小さく弱い存在。戦うべき運命と過去、現在、未来をすべて背負わなければならない人。何番目になるか今はわからないけれど、なんとなくこの力を貸してやってもいい気分になった。自分の意思で。
「ならば……たまに、二人きりで俺の話を聞いてください。そして貴方の話もしてください」
「任せて。話すのはわからないけど、聞くのは上手だと思うよ」
「はい……。暫しこの俺を、主のために」
「……ありがとう。じゃあ、改めてよろしく。嫌になったら言ってね、貴方は今物言わぬ刀ではないのだから」
「主命とあらば」
「……そればっかり」
 くすり零しながら伸ばされる手を、長谷部はしっかりと両手に包んだ。この人のために戦いを選んだ日だった。

 ぱちりと開く淡い薄紫をした双眸に、自分の顔が映る。ぼんやりと口を開けたままじっと見つめてくる彼に、ナマエは微笑みながら「おはよう」とだけ言った。瞬間彼は顔を真っ赤に染めながら勢いよく起き上がり、大袈裟に距離を取るものだからおかしくなってけらけら彼女は笑う。まったくもう、本当に可愛らしい人だ。
「い、いつから俺は……!?」
「手入れ待ちで座ったまま寝てたから。こうぐいっと私の膝の上に」
 ジェスチャーで様子を表す審神者に長谷部は決して自らが無礼を働いたのではないなとわかり胸を撫で下ろす。まさか膝枕を所望するなんてあるわけがないとは思っていたが、状況が状況なだけに酷く動揺したのだ。それにしてもいくら長時間の任務を果たしてきたからと言って眠ってしまうとはなんたる不覚。主は呆れていないだろうか、ちらり顔色を確認するも相変わらず彼女はくすくす楽しげにしているだけだった。
「まだかかるみたいだし、もう少し寝てれば?」
「ではお言葉に甘え、そうします」
「ん、ほら」
 ぽんぽん、自分の膝を叩く女に自室へ向かうかと思案していた彼は再び固まった。言いたいことはわかるが思考回路がついてこないために愚かしくも訊ねる「なんでしょうか?」。そうすればナマエは首を傾げながら「えーと、主命。……いや?」と返した。主命と言いつつも訊くのだからこの女は大層馬鹿だと思う。それに、嫌だなんて滅相もなかった。今も昔も一番近くにいられるあの憎々しい近侍ではないし、主様と堂々素直に抱き付き、甘えられる他の短刀たちでもない。恭しく近寄り、大人しく頭を預ければ満足そうに彼女は彼の名前を呼んだ。
「長谷部」
「はい」
「いつもありがとう」
「……はい」
 微睡の中温かい言の葉と小さな掌に、彼はゆっくりと目を閉じた。浅い夢に見る影は、あの人とそれから、
aeka