「祈む者は嘔吐く」 (薬研)
「もしも私が歴史を改変したいと言い出したら、どうする?」
 この台詞に薬研は空豆の薄皮を剥く手を止め、審神者のいる方へと体ごと向ける。ゆらゆら揺れる琥珀色をじっと見つめても、彼女はいつものようにただ静かに微笑んでいるだけだ。感情が読み取れない。背中に冷や汗が伝わるのを感じながら少年は同じように笑い、首を傾げる。
「なんだ、大将。なにかあったか」
「誰しも変えたい過去はあるんだなと、思っただけだよ」
「審神者になる運命をか」
 ううん、横に振られる顔。沈黙が二人の間を這う。これ以上かける言葉はないと薬研はただ静かに彼女の次の音を待つだけだった。
 やがて女はゆったりと立ち上がり、少年の前に再び腰を下ろす。不意に伸びてきた手は青白い、一見すると不健康そうな頬に触れた。指先が氷のようにひんやりしている。まるで生きている人間の持つ体温とは思えないほどだった。仮初めの血潮が駆け巡る己よりずっとずっと冷たい。手の甲にそっと自分のものを重ねると、漸く審神者は俯きながら口を開いた。
「本能寺の変」
「! 大将……」
「次に歴史修正主義者が出るって、言われてるところ」
 歴史を正すと言うことは貴方を見殺しにするということ。小さなささめきは確かに震えていた。少年は下唇を噛みしめる。
「大将、あんたは感情で動いてはいけないんだろう? 俺だけじゃない。この先ここにいる奴らが破壊されたり焼失したりと、山ほどある。その度に迷うと言うのか」
「……」
「だったらここで俺があんたを斬ってやる。ああだったらいいと考えないわけじゃない。それでもその出来事が塵のように積み重なり、今を作っている。後悔なんてないんだ」
 今の俺と出会わなかったことにするなんて、冗談でもいわないでくれ。懇願するように苦々しく吐き捨てる。彼の肩口にとんと額を預けながら彼女は消えそうな声で「ごめんなさい」と呟いた。


「秘密の海」(鶴丸)
「なあ、ずっと気にはしていたんだが、君は俺のどこが好きなんだ」
「顔」
「は?」
「顔」

「主殿も人が悪い」
 くすくす、声が降ってくる。視線をちらりと上にあげれば、口元に手を当て上品に笑う一期一振がいた。なんだかバツが悪くなり、審神者は居心地悪そうに座り直す。まさか第三者に聞かれているとは思わなかった。鶴丸のどんよりと影を背負った後姿が完全に消えたのを確認してから、彼は口を開く。
「顔が好き、だなんて」
「だってそうなんだもの」
 あくまで女はこの態度を貫き通すらしい。確かに鶴丸国永の顔は整っているが、彼女の言葉の真意はまた別のところにあるのだ。存外少年らしく幼い笑顔が好き、普段からは考えられないほど真剣な目を細めた面持ちが好き、不意をつかれ耳まで真っ赤にして照れている顔が好き。穏やかに瞼を下ろし唱えていたのを思い出す。胃が重くなるようなのろけ、鶯丸と酷くげんなりしたものだ。それをよくもまあ本人に対しては可愛げのない答えを。恥ずかしいのだろうなあ、ツンと顔を背ける審神者を見下ろす。
「あんまり天邪鬼ですと、愛想を尽かされますよ」
「……うるさい」


「わらうようにねむる」(一期)
「あら、珍しい」
 後ろからかかる声に一期一振はハッと振り返る。そんな様子に襖から顔を覗かせる女主人はくすくす笑みをこぼすと、部屋に入っていいかと訊ねた。彼はこくりと静かに頷く。すぐ隣に腰を下ろす主に無言で猪口を持たせると二合徳利から純米酒を注いだ。こう見えてこの人は酒が強く、次郎太刀や岩融との酒盛りにも積極的に参加をするほどである。
「ごめんね、いきなり。明かりが付いてたからまだ起きてるのかなって。一人で月見酒?」
「ええ、まあ。弟たちも寝静まったので久しぶりに」
「なるほど……甘、」
「主殿は辛口の方が好みですかな?」
 どっちも好きだよと答えつつ口に運ぶ彼女に彼は再度徳利を傾ける。一期はと訊かれたものだから、正直に既に三合ほど空けてしまったのだと答えた。意外そうに目を丸く見開かれる。普段は飲んでも一口、彼女が驚くのも無理はない。続けて寝つきが悪かったと説明をする。どうしてだか寝落ちるたびに魘され、飛び起き。見た夢は思い出せないのだから質が悪いと思う。こうしてドロドロに酔っ払って意識を飛ばしてしまおうと考え付いたのだが、どうにも酔いの回りが良くないらしかった。
「子供のようでしょう、怖い夢を見たから眠れないだなんて」
「いいんじゃない、別に。私もたまにあるよ」
 それから「よく眠れる方法を教えてあげよう」にんまり悪戯っ子のように笑い、後ろに倒れる。ぽんぽん、叩かれる彼女の白い二の腕。はて……意図は理解できたがどうしたものか。思案していれば身体はいとも簡単に引っ張られ、主が望む形に落ち着いた。所謂腕枕である。これは男女逆なのではないのか、頬が熱くなった。断じて照れているのではない、アルコールのせいなのだ。たぶん、きっと。おやすみなさい、心の臓の鼓動と声が聞こえる。酒が入り鈍くなった頭だと誰でもない自分に言い訳をして、一期一振は瞼を下ろした。

aeka