※刀剣破壊表現有
人が生まれてくるということには、必ず意味があるらしい。花屋の娘ならば人々に色鮮やかで美しい花を届けるため。教師であればその教え子に多くの貴い知識を授けるため。そして自分たちを使役する審神者なる者であれば、歴史修正主義者を討伐し過去改変を阻止するため。それらを遂げるまでの課題とも試練ともとれるものは全て神からの贈り物であり、この世界に産声を上げる以前に自らが選び取ったことなのである。と、彼女はいつぞやか静かに語ってくれた。ならば刀であり付喪神であり仮初の人の肉体を持つ自分は、なんのために生まれてきたのだろうか。刀であるのならば勿論何かを切るために、付喪神であるのならば呼ばれ降り共に戦うために。人であるのならば――。
神経を研ぎ澄ませればどくどく、血が流れる音が聞こえる。敵である異形と相対するたびに白一色だった衣装を赤く染めてきたが、今回はそれらの比ではなかった。脇腹を掻っ捌かれ、どんなに押さえつけようが流血は勢いを弱める気配を見せない。死、という言葉が懐かしくも脳髄の端からずるりずるり、這い出てきた。己を握る感覚も薄い、足先は氷水に浸したように冷え切っている。ただ祈るように包み込まれている手だけは、見知った温もりを感じていた。かすり傷に涙雨が沁みる。嗚呼、泣かないでくれだなんて言えるわけがないけれど。だって原因は自分なのだから。情けないことに心底幸せだと思う。人でなしだ。こんな心中を知ったら、この人は呆れかえるだろうか。そんなことを考える元気があるのならば帰ろうと叱咤してくるだろうか。わからないけれど、今彼女の頭の中を占める殆どが己の事なのが、本当に本当に嬉しかった。
目を閉じ、酸素が足りない頭で考える。鶴丸国永と言う刀は、墓を暴かれ様々な主を転々とした。そうした経緯から人を愚かだと憎らしいと思ったことも勿論ある。そしてそれは一度や二度の事ではない。それから長い時を経て、漸く平安の世とともに刀としての安寧を手に入れた。しかし深い眠りについたと思った次の瞬間には、叩き起こされるように名を呼ばれ、今度はその忌むべき人間の姿を己は形作っていたのだから心底驚いた。腰を抜かす男に対し、目の前で三つ指を付き頭を下げる女が語る突拍子もない話に、面白いと乗ったあの日。とんでもない気まぐれだった。これを運命と、人の子は名づけるのだろう。それからは同じように付喪神を依代に宿し得た仲間と戦い、少しの日常を楽しみ。いつからだか近づきあった彼女と恋心を寄り添わせ、今日まで生きてきた。背の高くない女を初めて抱きすくめたときに、鼻先を擽ったいい香りと、鶴丸のおかげで今の私は世界一幸せだとはにかんだ赤い顔を思い出した。ずっと、彼女の言う幸せを与え続けていきたいと願った。
それなのに再度むかえた死とは突然であり残酷だ。まさかこんなにも素晴らしい秋空をしている日に、世界と別れることになるとは考えてもいなかった。それは彼女も同じなのだろう。声もあげずにはらはらと双眸から雫を降らせる女の頬に、力を振り絞って掌を添える。血の気の失せた、かさついた唇が音を紡いだ。
「俺の刀としての生は、」
多くの人間に魅入られ様々な手に渡りとんでもなく忙しなかった。長い時間だった、驚きもそれなりにあった。自信も誇りも全てを乗せられる程の。
それでもこのほんの僅かに人として生きることができた時間にはどれもこれも足りない。初めて自分の足で歩き、早朝の庭に訪れる鳥の囀りを聴き、四季をこの瞳に写し。そして唯一に恋をした。
「ほかの誰かじゃなく、君だけを幸せにするためにあった人生だったのかもしれないなあ」
きっと人としての鶴丸国永はナマエを幸せにするためだけにあった。己の生まれた意味は彼女にある。あの鈴のような美しい声を選び取ったのは紛れもない彼自身だった。
「……鶴丸」
何度名前を呼ぼうと永遠に返事はない。それからしばらくして、事切れた彼の頭を審神者は黙って抱き寄せると、耳元に唇を押し当て囁いた。
「おやすみなさい」