その日彼女はなかなか眠りにつくことができなかった。気温はちょうどよく、寝苦しいわけではなかったのに。布団はほしたばかりで、お日様の心地よい香りがしていたのに。床に就いてから半刻経過したところで、仕方がないと溜息を吐き部屋を後にする。途中通りすがった台所で一番いい日本酒を拝借し、縁側で一人侘しく開けることにした。本丸は四十数人がいるとは思えないほどに静まり返っている。それもそうか、連日の祝賀会の大騒ぎを思い出し、審神者は溜息をついた。あれだけ飲んで歌って踊って騒げば夜はぐっすりだろう。
 先週いよいよ最後の歴史修正主義者を討伐したのを確認され、時の政府の勝利が確定した。一週間後本丸は解体、刀剣男士たちはそれぞれ刀に戻り、審神者なる者であるナマエも普通の国家公務員に就くことが決定している。喜べばいいのか寂しがるべきなのか。五年と言う歳月をここで過ごしてきた。いかなる苦楽も共に。全ては果たすべき目的のために。念願叶ったというのになにをこんな、寂しいなどという弱々しい気持ちに身体を支配されているのだろうか。迫る彼らとの永遠の別れが恐ろしかった。
「こんな時間に珍しいじゃないか」
「……鶴丸? そっちこそ」
「ああ。目が覚めてしまってな。隣、いいか」
 突如背後からかかった声に振り返れば、白い影が立っていた。鶴丸国永、ナマエの本丸で最も活躍することが多かった、第一部隊の隊長である。センチメンタルな気分も誰かといた方が晴れるだろうか、断る理由もないし。彼女はうんと頷く。酒に強いと言うわけでもなくすでに一合は飲みほろ酔い気分だったために、自身の手の中に在る猪口を彼に渡した。四合瓶を傾ける。鶴丸は顔をすぐに赤くするものの所謂ザルと言う奴らしいことは、一番初めの宴会もどきでわかったことだった。あの時は加減を知らずに次郎太刀とただただ一升瓶を空にすることに意地を張っていて。翌日翌々日と執務に大きな影響が出たのは言うまでもない。お上にしこたま怒られたものだ。布団の中でうんうん唸っている自分に苦笑しながら水を持ってきてくれたのは確かこの男だったなと思い出す。
「明日にはここも解体か」
「そう。五年もいたのに」
「色々あったなあ。君とも、あいつらとも」
「本当にね。……寂しい?」
 茶化すように女は訊いた。どうせいいやと答えるかはぐらかすかされると思っていたのに、彼は「勿論だ」と真っ直ぐに肯定する。そんなもんだからここ最近緩みまくりの涙腺を慌てて閉めなおした。調子が狂う。
 酒瓶を脇に置き考える。鶴丸国永にはどの刀剣にも持ちえない特別を向けていた。それは決して一言で言い表せる想いなどではなく、彼が誰より頼りになるからだとか、いつも傍に寄り添い支えてくれたからだとか、その他にも、たくさん。簡単に言葉にできないものも、言葉にしてはいけない物も含まれている。
「……私も、寂しいかな」
「なんだなんだ、明日は雪か? それとも嵐か?」
「鶴丸なんて嫌い」
「冗談だよ。少しばかり驚かされただけで」
 機嫌を直してくれ、だなんて頬を突いてくる指に無視を決め込む。明日の朝からこの先死ぬまで、こんな些細なやり取りもできなくなってしまうのだと思うと唐突に死んでしまいたくなった。未だ悪戯めいたことをしてくる彼の手を取り、膝の上に置く。それだけでも大層驚いた顔をしていたのだが、肩に頭を預けることで鶴丸の動きは完全に止まった。暫し二人の間に沈黙が訪れる。審神者はパッと手を離すと同時に静かに唇を震わせた「一緒に連れて行って、鶴丸」。
 青年はカッと目を見開くと視線を下に落とす。身体の左に位置する心の臓が今までにないくらい速かった。連れて行って、彼女の言葉を繰り返す。連れて行って、連れて行って。それがどういう意味か彼はわかっていた。だからこそ気休めでも知らないふりでもなくはっきりと拒絶する。駄目だ。わかっているだろう。その言葉にナマエはぽろぽろ涙を溢す。彼女がこんな風に泣くのは、自分が一番初めに傷ついて帰ってきたとき以来だったろうか。拭うことも出来ずに歯がゆい思いのまま、鶴丸は続けた。
「俺達と違って、君には待ち続けてくれている人がいるだろう」
「私、貴方がいないと死んじゃうよ。寂しくて、寂しくて」
「馬鹿を言って下さんな。俺の主はそんなにか弱い乙女じゃない。高潔で強く、少しだけ天邪鬼な女だ」
「馬鹿にしてる?」
「褒めてるんだろう」
 瞬間一回り小さい身体を、鶴丸は抱きしめた。寂しくて死んでしまいそうなのは自分の方なのに。明るい未来を歩む君の隣にいることができなくて悲しいのは、俺の方なのに。彼女の言うように浚ってしまえたらよかった。それで満足できるほどの想いならばよかった。小さい嗚咽が胸の中から聞こえる。
「君こそ、俺の誇りだったよ」
 だからこそ共にいられない。生きてくれ。こんな刀なんぞを思い苦しみ泣かないでおくれ。大事な人間を見つけてくれ。多くの幸あらんことを願い、彼は彼女の額に口付けを一つだけ落とした。
aeka