今日の夕食は静かだった。遠征・出陣と出払った本丸内に残ったのは私と近侍の薬研のみである。本来ならば普段の労をねぎらって私がなにからなにまでをやってやるべきだったのだが、書類を纏めて一息ついたころには既に日が暮れていて、尚且つ良い匂いが鼻腔を擽った。肉の焼ける音がする。恥ずかしながら大きく音の鳴った腹部を押さえつつ、筆を転がし足を厨に向けた。案の定たったひとり非番を言い渡されていた薬研が割烹着を纏い立っている。ああ、変に似合うのだから、なんて。くすくす笑っていれば私の存在に気付いたらしい、彼はくるりと振り返った。
「なんだ、大将。仕事はもう終わったか?」
「うん、お陰様で。非番なのに悪いね」
「なあに、好きでやってるんだ。気にすんな」
もう少ししたら出来るから大人しく座っていろと彼は再度私に背を向け言う。そのお言葉に大人しく甘えることにして、私は広い机でそわそわと待つことにした。薬研が料理を作ってくれるだなんて、彼の料理を食べられるだなんて、いったい何時振りだろう。まさに男の料理というべき豪快な見た目に反し、味はなかなか複雑でおいしいのだ。まったく手先が器用で、たまに女としての立つ瀬がなくなる。
そんなことを考えていれば、目の前にコトン、白い皿が出される。和風ハンバーグだった。サラダと汁ものとごはん、ついでに剥いてある林檎。ははあこれは豪勢だなあと溜息を吐き出せば、彼は召し上がれと嬉しそうに言ってきた。箸を入れると溢れる肉汁、ごくりと喉が鳴る。そういえば昼食は素麺を薬研に出して、自分は時間がないからと抜いていたんだっけ。一口、口に入れれば旨味がじんわりと口内に広がる。おいしい、驚いて彼を見れば当たり前だろうとでも言いたげな顔。そのままぱくぱく食べすすめ、二十分もしないうちに私は林檎以外のすべてを胃の中に収めてしまったのだった。日々腹八分と愛染や厚に口うるさくしているというのに、美味しすぎて白米をおかわりしてしまったくらいだ。すっかり膨れたお腹を右手で撫でながら、私をじっと見てくる薬研を見つめ返す。
「美味しかったから、食べすぎちゃった」
「お粗末。良い食べっぷりだったぜ」
「薬研は食べないの?」
「ああ……俺っちは、まあ、後でな」
歯切れの悪い返答も、満腹で幸せな頭では何一つ違和感を覚えなかったらしい。私は食後の林檎へと手を付ける。蜜の甘さがちょうどいい。シャリシャリ、頬張る音だけが部屋に聞こえる。
暫くは口を閉じていた薬研が、ぽつりと漏らした「なあ大将、八百比丘尼って知ってるか」。濡れた手をおしぼりで拭いながら、私は頷いた。八百比丘尼――人魚伝説のことだ。人魚の肉を食べた尼が不老長寿になり八百歳まで生きたという、日本各地に伝わる話。それがどうしたというのだろう、意図が読めずに首を傾げれば薬研はにこにこしながら言った。
「いや、な。なぞらえるわけじゃないんだが、付喪神の肉を食ったヒトはどうなるのかと思ってな」
くつくつ、喉から漏れる笑い声。耳の奥でこだまするそれを聞きながら、私の全身の血がザーッと音を立てて引いていった。付喪神の肉を食ったヒトは、どうなるのか。今夜のハンバーグは美味しかった。今までで一番美味しかった。なのに今どうしようもなく吐き気がする。まさかそんな馬鹿な。ガタガタ震える私の頬を、薬研の左手がそっと撫ぜた。そこでようやく気が付く。彼の薬指に包帯が巻かれているのを、第二関節から上がなくなっているのを。彼はいつのまに四本指になったのか。本日は非番、ずっとずっと部屋で大人しくしていた。先日の戦での怪我も綺麗に直したはず。滲む鮮血はあざ笑うかのように真新しく、毒々しい色をしている。くらくらする頭の中、薬研が言った。
「八百年と言わず、俺が折れるまでずっと一緒に居ような、大将」