「あなたが誰より幸せでありますように」
純白のドレスが眩しくて目を伏せる。彼女は僕の何にも代えがたい願い事の前に、ただただ微笑むだけだった。胸が苦しい。
結婚しようかなあって思うの、と無邪気な音をこの人が降らせたのはつい一ヶ月前のことだ。審神者として長らく男所帯にて指揮を執り、僕らの姉のような母のような存在である彼女が。結婚するの、そう言った。五年十年と一緒にあったせいか忘れていたが、彼女もただの人でただの女である。強く凛々しい姿を見せるも、いつかは誰かの妻になり親になり、そうして。大事な人の隣で朽ちていくことを、どうやら僕は頭の中からすっかり追い出していたようだった。否、見つめていたくなかったのだ。僕の名は堀川国広、審神者なる者に落とされた刀剣男士である。彼女の名前はナマエ、刀剣男士を使役し歴史修正主義者と戦う審神者である。そんな当たり前の事にさえ目を背けていた結果が今なのだ。彼女は年老いる、僕は年老いない。彼女は人間である、僕は付喪神である。彼女は病気や寿命で死ぬ、僕は折れぬ限り死なない。どんなに慕おうが募らせようが永遠は手に入らず、彼女は僕を置いて去ってしまう。言えなかった。僕は主さん、あなたを一等大事に想っていますよ、と。新撰組の括りでも国広の兄弟の括りでもない。ましてや使役される側の敬愛でもない。男と女の間に存在するそれなのです。言えなかった。
僕の心を知ってか知らずか、ある日、彼女は定例会から帰ってきた。いつもとは違う、群青の雨傘を片手に。そんなもの、僕が知る限りこの本丸には存在しない。主さんの持つ傘は真っ白で橙の花弁が控えめに散る、女の子らしいものだった。心臓がどきどきする。雨が降ったんですか、努めて冷静に笑顔を張り付け訊ねれば、あっさりと肯定の返事。
「通り雨みたいだったけど。それにあっちの方でしか降ってなかったみたい」
「……そうですか」
当たり前だ。もし雨音が聞こえでもしたのなら、僕があの傘を持ってあなたを迎えに本丸を飛び出ていたのだから。いつだってそうだった。加州くんに残りの仕事を任せて、安定くんに兼さんのことを任せて。いつだって。僕の視線が傘に注がれているのに気付いたのか、彼女はほんの少し頬を染めてそれを後ろ手に隠す。胃がむかむかする。言い訳するように、「備前のところの審神者さんがね、折り畳みがあるからどうぞって渡してくれたんだ」。ああそうですか、としか僕は返事をすることができなかった。その日はそれから何をしたのかあまり記憶にない。ただふわふわとする足元と頭の中で、備前の審神者のことを思い起こしていた。うん、確かに色男だ。能力もある地位もある紳士である、そして何より僕と違い、彼は人間だった。彼女と同じ、人間。
それからはもうころころ、鞠が坂道を転がるように簡単に。二人は逢瀬を重ね、結婚を選んだ。互いを生涯の伴侶として選んだ。
「ねえ国広、私、結婚しようかなあって思うの」
「……そうですか」
おめでとうございます、心にもない言葉を吐き捨てた。彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いたけれど、すぐにいつも通り優しい顔をして「ありがとう」お礼を言った。にこにこ笑いながら、好きです、乾いた口の中で唱える。縋るように祈るように唱える。好きです、好きです、僕はあなたが好きです。誰よりも。一等大事に想っています。他の誰かのものになる、あなたが好きです。あなただけが好きです。
「国広」
目の前の人が名前を呼んでいる。ゆっくりと僕は顔を上げた。世界で一番この人が美しい日。それでもって僕が世界で一番不幸な日。
「あなたは誰より残酷ね」
「……」
「ごめんね、誰よりも自分勝手で」
わたし、きっとあなたに止めてほしくて一番に結婚の報告をしたの。まっさらな左薬指を撫でながら彼女は言った。