刀剣より生み出された存在、一口に刀剣男士と言っても彼らの外見はさまざまである。短刀と呼ばれる多くはどんなに刀としての歴史があろうとも、人間で言うところの小学生のような外見をしており、大きめな厚藤四郎や薬研藤四郎も多めに見積もっても中学一二年生程度だろう。変わって太刀連中はだいたいが成人あたり。しかしどれもが人の形を得るのは、初めてなのである。顕現し自己紹介を互いに済ませたら、まずは審神者である私と歩く練習から始める。両手を掴み額には汗の玉を浮かべるその姿は、それこそ生まれたての小鹿のようだった。早くて三日、遅くとも二週間練習をすれば飛ぶも走るもお手の物。畳に座る赤子同然の非力な存在から一転、歴史を守る存在へと生まれ変わるのだ。強く、凛々しく。
 三日前に鍛刀をし漸く現世に降りてきた新たな付喪神を見て、さて今回も骨が折れるなと思った。前述したとおり短刀連中は小さく、女で、決して大柄ではない私でも体の扱いが容易い。反対に太刀や薙刀を呼び出した時には本当に本当に、死ぬほど大変な思いをするのだ。一番新しい記憶での苦労は大太刀・石切丸の歩行練習でバランスを誤り下敷きになったことだろうか。情けなくも「ぐぇ」と潰れた蛙のような声を出してしまった。傍にいた、近侍である乱藤四郎にくすくす笑われた始末である。
「ようこそ。貴方の名前は」
「――鶴丸国永だ」
 一寸の間を置き、瞼を持ちあげると、見目麗しい青年は薄い唇を開いた。鶴丸国永、作者は平安時代の刀工、五条国永。主を転々としてきた刀である。或時は墓に入っていたとされる彼はなるほど、死人のような白磁の肌を持っていた。人間離れした――いや確かに彼らは人ならざるものであることに間違いはないのだが――美しさに一瞬にして目を奪われる。その白さは鶴の名にふさわしいなあと、ぼやけたことを頭の隅っこで思った。青年はきょろきょろと辺りを見回し踏み出そうとするも、やはり手に入れたばかりの肉体は言う事をきかないらしい。すぐさましゃがみ込む。彼が私を見上げているはずなのに、どうにもこうにも見下げられた時のように居心地が悪いのは神格の差からか。呼び落としているとはいえ、言わずもがな我々の方が格下であることは変わりないのだ。使われる物と使う者だからこそ成り立つ関係と、いつかどこかで誰かに聞いた。花の蜜を溶かし込んだように澄んだ金の瞳を見つめる。
「鶴丸、よろしくね」
「……今度の主は女か」
「……」
「よろしく、だ? あまり笑わせるなよ、人間」
 差し伸べた手を彼はいとも簡単に振り払ってきた。行き場を無くしたそれをゆっくりと下ろす。どうやら難儀な刀であるらしいことだけは、近侍の焦りを含んだ視線を浴びながらも理解することができた。

「最初はね、歩く練習からなんだ」
 縁側に座り遠くの空を仰ぐ鶴丸に向かって話す。とは言っても彼は聞く気も答える気もないのだから、これは会話ではなく独り言なのかもしれない。それでもめげずに語る。初期刀である歌仙と数ヵ月は二人三脚のようにやってきたこと、粟田口派の短刀たちがいっぺんに来たものだから先にいた打刀たちに手伝ってもらったこと。それからおまけにこの間ある大太刀に潰されたことも。最後の一言は面白かったのか、馬鹿にしたような笑い声が少しばかり上がった。とにかく反応があることが嬉しい、決してマゾではない。
 普通ならば乱か、あるいは歌仙についてもらうのだが、今この瞬間ここには私と彼だけだった。おまけに言うならば数羽の雀か。
「鶴丸、ほら」
「……」
「睨まないで、掴まって」
 歩く練習をしよう、そう言うも彼はだんまりを続けたままである。肉体を持ち初めてから既に三日が経過していた。所縁がある刀剣男士たちも時折顔を覗かせるが、彼は一向に口を開こうとはしない。燭台切なんぞは頭を掻きながら「おかしいなあ、鶴丸さんはもっと喋る人だったんだけれど」そうぼやいていた。いきなりのことに戸惑いを隠せないのだろうか、それとも自分を好き勝手にしてきた人間の命を聞くのが嫌なのだろうか、はたまた――。思い出す、思い出す、彼の最初の言葉を「今度の主は女か」。最後が彼の頑なに私たちを無視する理由ならば、どうしようもない上に誠に申し訳が立たない。いっそうのこと性転換でもしてみるかと、馬鹿げたことを思案しているうちにどっぷりと暮れてしまった。日は短くなるばかりである。
「主、これ」
 嫌そうにする鶴丸の隣で同じように腰を下ろし、夜の庭を眺めていると乱がいつの間にか立っていた。差し出してくるのは秋刀魚や和え物の乗った皿とほかほかのご飯が盛られた茶碗である。どうやら夕飯をもってきてくれたようだった。わざわざありがとうねと礼を言い頭を撫でるその様子を、心底軽蔑したような目で見てくる彼には、気付かないふりをする。
 近侍の背がすっかり消えたのを確認すると、私は秋刀魚と箸を鶴丸へと押し付けた。いい匂いが鼻をくすぐる。どちらの物かわからぬ、ぐうと短い腹の音が鳴った。
「人ってね、食べないと死んじゃうんだ」
「だからなんだ」
「食べて。餓死は辛いよ」
 三日間、彼は時折茶を口に含むだけだった。歩けないのだから仕方がない。審神者に気を許すこの本丸にいる輩に頼ることなどしまい。這って食堂に行くなんぞこの刀にはできまい。許せまい。かと言ってこちらも甘やかす余裕はない。だから優しさでも諦めでもましてや媚びるでもなく、慈悲なのだ、これは。
 彼にとってはやるせなく憤りを感じるそれを目の前に置く。ぎりと奥歯を噛みしめるも、人であるからには空腹には負けるのか、そのまま棒を握るような形で箸を取った。所謂握り箸である。幼少のころ友人が両親から矯正されていたのを思い出した。案の定うまく魚の身をほぐせないらしい。麗しい容姿とは不釣り合いな動作、苛立ちが空気を揺らし伝わる。私は立ち上がるとまるで二人羽織をするかのように背後からその骨張った手に添えた。驚きに男の身体がびくりと跳ねる。私だって人並みの羞恥心は持つのだ、異性にこんなにぴたりとくっついて恥ずかしくないわけがない。
「……何をしている」
「違う。これはね、こう持つの」
「何をしていると、俺は聞いているんだ」
「みんな同じ。最初は教わらないとできないから」
 だから、あなたに人としての生き方を教えている。不本意かもしれないけれど。勝手に呼び起こされ何を言っているのかと嘆きたいかもしれないけれど。それでもそれが私の役目であるのだ。鶴丸は何も言わずに箸の先だけをじっと見つめていた。学ぶように。おろし大根を少しだけのせた秋刀魚の身を口に運んでやる。
「美味しい?」
「……」
「美味しいと思う。歌仙は、わたしよりも料理が上手だから」
 鶴丸は一言、美味いがなんなのか俺にはまだわからん、ぼそり呟いた。

 秋晴れが続く、私と鶴丸の手を取り合う日も続く。彼は飲み込みがかなり良く、教えたことはわりかしすぐに覚えてしまうのだが、歩行だけはなかなか時間がかかる方だった。死人のようだと思ったその肌に触れなければ、自分よりも温い血が通っており力強いことを一生涯知ることもなかっただろう。細く長い指がついた手が、探るように私の掌を掴む。大きな、男の手だった。吐息が漏れる。
「少し休憩にしようか」
「なんだ、君はもうバテたのか」
「そう、悪いね」
「これだから人の子は嫌なんだ」
 そう言いつつも彼はあの日のように拒絶せず、大人しく芝生の上に足を投げ出した。冷たい風が私たちの間を抜ける。向こうの山の紅葉を眺めていれば鶴丸が「なあ」珍しく声をかけてきた。口を結んだまま首だけを動かし、彼の端正な横顔を見つめる。天下五剣にし最も美しいと言われる三日月宗近がうちにもいるが、彼とはまた違う綺麗さなのだ、この剣は。
 前だけを見据え鶴丸は続ける。俺はな、人が嫌いだ。そう、私は返す。
「物としてならば好きも嫌いも、俺の意思なんぞ関係ない。望まれそこにある。だからよかったんだ。面白おかしく俺は俺でいられる。だのに与えられた目を開ければ手足が生えている、心底気分悪くなった」
「うん」
「動くことができる、考えることができる。おまけに嫌いなものに、あくまで己の意思で嫌いなもののために戦えと言われる、拷問だ」
「うん」
「……ごめんと、言わないんだな、君は」
「うん」
 許しを請えるような立場ではない。世のため人のため、まわりまわって貴方たち刀とその持ち主のため。立派な大義名分を抱えたところでそんなもの、エゴに変わりはないのだ。それでも、それでもと思う。
「……飯なんぞ初めて口にしたが、存外いいものだな」
「そうだね。他にも色々あるよ。風呂に入るだとか、干したふかふかの布団で寝るとか」
「ああ」
「今は秋で食べ物がおいしいけど、春には花見、夏には海、冬には雪と、たくさんある」
「退屈させないでくれよ」
「うん、必ず」
 手を取り歩むことを共にしてくれるのならば、私は彼らに人としての喜びも悲しみも、楽しみも憤りも全て全て教えたい。あなたの新しい身体に、全てを。無論これもまた大きなエゴだ。
「よろしく、鶴丸国永」
「ああ、よろしく、新しい俺の主」
aeka