生温いお湯がなみなみ張られたバスタブに二人、疲れた身体を沈めれば勢いよく水は外に溢れでる。排水溝に吸い込まれていくそれをぼんやりと眺めてから、私は彼の胸へと背を預けた。心臓の音と体温がダイレクトに伝わる。暗いところが苦手なはずなのに、薄暗い照明には心落ち着く。
こうして時たま彼と二人で、風呂に入るのが好きだった。偶然入ったお店のランチがおいしかった、上司に嫌味を言われてしまった、帰り道の夕焼けが綺麗だった。会話の八割を私が作り出し、鶯丸は聞いているのだかいないのだかだんまりを貫くのが常である。かと思えば適当な相槌を打ってきて、ついでに湯船に浮かべたアヒルと戯れていることも稀にあった。油断していると乳房を揉まれることもある。いやではない。
今日はなんとなしにナーバスであった。美容室でのカットが思った通りにならなかったから、お気に入りのジュースが自動販売機で売り切れていたから。それから、高校の時の友人が長い間付き合っていた彼氏と破局したという話を聞いてしまったから。てっきり結婚するのだろうと思っていた二人の六年間はあまりにもあっけなく終わってしまったのだ。結局は縁がなかったのだ仕方がないと穏やかな顔で言い切った彼女に、私は何も返せなかった。決してそんな言葉で片付くような想いではなかったと第三者ながらわかりきっている。わたしも、と。私もいつの日かこんなにも大事で仕方ない鶯丸と他人に、それ以下の関係になってしまう日が訪れるのかもしれないと思うと頭を掻きむしりたくなるくらい怖かった。どんなに時間をかけようが彼女のようにあるがままを受け入れることはできないのだろうなと情けなくなった。私は怖い。何より怖い。彼とさよならをする可能性のある未来が、こわい。ぽつんと芝居がかった台詞が飛び出る。
「時々ね、融けて混ざり合って、ひとつになってしまえたらいいのにって思うんだよ」
いやほらまあ、身体を繋げることで一緒になることはできるけれど。下世話なことを付け足しても、鶯丸は黙ったままだった。昔大学でとっていた哲学の講義を思い出す。彼の有名なプラトンはかつて人間は結合体であり、自身の力に自惚れ神に戦いを挑んだ結果、その体を真っ二つにされるという罰を下されたのだという。そうして不完全な我々はその片割れを探し求めるために恋をしているのだと。
目を閉じ息を吐き出し、ひとり思考を続ける。ひとつになってしまえれば、この淋しいと感じる我儘もどこにも捨てられない切なさも埋まるはずだ。常に満たされている完成した心はそれはそれは美しく気高く世界一幸福だろう。だけども、同時にひどく惜しいとも、思う。この人の薄く笑う顔を、わたしよりも低い体温を、艶やかに「ナマエ」と呼んでくる声を感じられなくなるのは、ミョウジナマエという個体にとって世界一不幸な事なのだ。なんてどうしようもなく愚かで幸せで醜くて儚い生き物だろうか。
呆けたまま水面を見つめていれば、浴室にこもった声が響く。淡々とした調子であるはずなのに、脳をとろかすような声が。
「どんなに手を繋いでも、俺達はひとつになることはできない」
「……うん」
「だから手を繋げるんだろう」
ちゃぷちゃぷと音を奏でながら指を絡め、馬鹿みたいに当たり前な事を紡ぐ鶯丸に瞬きを繰り返したのち、お腹が捩れるのではないかと心配になるくらい笑ってしまった。ああ、そうだ。そうだったね。淋しさも切なさもいらないものではない、何より彼が埋めてくれる喜びを知っている。だからこそ私たちは寄り添い永遠を生きていくことができるのだ、きっと。