「私は薬研がいないと生きていけないけれど、薬研は私がいなくても生きていけるんだろうね」
 秋の夜長、隣に並びながら梨を楊枝でつつく少女は、なんとなしに言葉を紡いだ。彼は一寸動きを止めるも、思い出したように口の中に入る果物を咀嚼する。しゃりしゃりという音が二人の間に存在する沈黙を縫い付ける。大将が、いなくなったら。自然が作り出した甘さを味わいながら少年は目を瞑って考える。想像するのは簡単だ。瞼の裏でならば空を飛べるし成長もできるし人間にだって、なれる。だのに、この柔らかな体温を与えてくれる女が自分の前からいなくなったら、それだけはいくら考えようとも映像になってくれないのだ。おかしなことに。けれども、今までだって主を変えたことがないわけではないのだと考え口を開く。
「そうさなあ、俺達はそうして生きてきた」
 人と刀は違うからな。素っ気なくもあたたかい、薬研の答えに満足したようにナマエは笑う。
「そうだよね」
「勘違いしてくれるなよ。なに、別に大将がこれっぽっちも大事じゃないという意味じゃないんだぜ」
「うん、うん。わかってる」
 噛みしめるように頷く女はぽつりと呟いた。人と刀はどうやったって一緒に生きて死ねないから。私は薬研やみんなをどんな形にしろ置いて行ってしまうことを約束しているから。人間だからこそ刀を振るうことを許されたのにもかかわらず、人間でなければよかったと強く望む自分は酷く滑稽だと笑う。
「人でなければ貴方たちと最後まで戦えたのにね、きっと」
「何を仰る。鋼の肉を持たずとも、あんたは俺らの大将だろう。共に歴史修正主義者を討つ」
「うん、だからだよ」
 審神者は至極落ち着いた声のまま淡々と、告げた。歴史修正主義者は消え、時の政府が勝利した。それにより己は現世へと連れ戻され、皆と別れることになるのだと。薬研藤四郎はその台詞に大きな瞳を限界まで見開く。うそだろう、震える声。それが目的だった、果たすために仲間たちと様々な時代の戦場を駆けてきた。なのにうそだろう、だなんて。馬鹿馬鹿しい言葉を咎めることなく、女はただ少年の頭を優しく撫でる。
「……わたし、死んでしまいたいなあ」
 ごめんね、薬研。何に対しての謝罪の言葉なのか、彼にはわからなかった。

 後日審神者の言っていた通り、突如として現れた政府の役人に連れられ彼女は去って行った。全てを知る審神者の存在が過去に何らかの影響を及ぼすことを懸念した彼らにより、記憶と言う記憶を消された状態で。それは彼らの中の、ミョウジナマエと言う人間の実質的な死だった。藤色が最後に映したその女は、最早ナマエではなかった。
 主を失った本丸は時空間の狭間にただ存在するだけである。付喪神と言えど審神者なる者の力を借り初めて顕現し過去を遡り、とできるのだ。時期に彼女から賜った力も底を尽き、自分たちは物言わぬ鉄の塊に戻ることだろう。悲観することは出来ない。戦いはいずれ終わるものであるし、刀は人に振るわれてその真価を発揮するのだから。肉の器がなくなったとしても薬研藤四郎であったことを失うわけではない。記憶も思いも名前もすべて残っている。たとえ、はるか昔に焼失した身だとしても。
『薬研は私がいなくても、生きていけるんだろうね』
 心地のいい声を思い出す。なんとも滑稽な事だ。本当は逆だった。少年は長い廊下を歩きながら高笑いを上げる。ハハハハハ、乾いた笑い声を拾う者はいない。元来人の子は神から忘却を与えられた生き物だ。俺たちがおらずとも幸せを探し生きていけるいきものだ。一方物はどうだ。忘れられない。ずっと覚えている。手放されたって。苦しくとも悲しくとも。扱ってくれる人はいなければこの身体は錆びて錆びて、朽ちてしまうのだ。逆だ、全部逆だよ、たいしょう。一筋、涙が薬研の頬を伝う。

「あんたがいなければ生きていけないのは、俺の方だったんだ」
aeka