朗らかなある春の日、審神者は珍しく自身の足で万事屋へと向かっていた。彼女を挟むようにして右には岩融、左には今剣が並んでいる。ここ最近は本丸内での雑務や政府へ提出しなければならない書類作りなどで、めっきり外出することが減っていた。ただでさえ運動不足だというのに。漸く仕事を終わらせそうぼやきながら、身支度をする彼女のお供に志願したのは、目敏く一番最初に外着に気付いた今剣だった。本日は細かな日用品以外にも大きな買い物をしてくる予定だった為に、彼女は困ったように笑いながら「うーん」と唸る。連れていきたいのは山々なのだが、今剣と自分だけではとてもじゃないが持ち帰れそうもない内容である。燭台切か長谷部に頼もうと思案していたのだが。この小さく愛しい善意を無碍にするのもどうかと悩んでいたところに、救世主はとんと現れた。遠征から帰還してきたらしい岩融が廊下を通ると、二人に視線をやる。
「ただいま戻った。主よ、何か困り果てたような顔をしておるな。どうした?」
「あ! いわとおし、おかえりなさい! これからあるじさまは、よろずやにいくんです」
「ほお、久方ぶりだな」
「お疲れ様、お帰り。仕事は終わったし今日は温かいし。いい加減運動不足になりそうだから」
 彼女のなんとも言えぬ表情にピンときたらしい。岩融は寄ってきた今剣の頭をふわりと撫でてから審神者に進言した「荷物持ちなら任せてもらおう」。まさかの申し出にナマエは瞬きを繰り返す。本当にこの人は、もう。豪快でガサツに見えるが周囲をよく観察しわかっていらっしゃることで。帰ってきたばかりの身体に申し訳ないと断りかけるも、彼の目が「遠慮をするな」と言っている。今剣はもはや大好きな主と岩融との遠出に行く気満々で嬉しそうに彼の背によじ登っていた。父子か、まったく。今夜は酒でも差し入れしてやろうかとぼんやり思いながら、彼女は「よろしくお願いします」深々と頭を下げた。
 さて目的の万事屋に着いた一行は思い思いに物を見定め始める。今剣はと言うとやはり甘味が置いてある一角に一目散に走っていった。予想通りの行動にひとしきりくすくす笑うとナマエも店内を闊歩する。あれにそれに、ああ新しい野菜の種でも購入しようか。枝豆なんかを蒔けば酒を嗜む刀剣たちには喜ばれるかもしれない。かく言う審神者自身も本丸に来てからは彼らと晩酌することが多くなった。カシスやらパッソアやらの甘いリキュールしか口にしたことがなかったために最初の方は得意でなかったものの、今ではたまに自分への褒美として良い日本酒などを取り寄せている。慣れとは恐ろしいものだ。女にしては手早く選別と会計を済ませ(ついでに今剣が手にしていたおはぎも風呂敷に詰める)、店の外へと出る。岩融はと言うといつもの血腥い戦場で見せる高揚具合とはまったくかけ離れた、静かな面持ちで佇んでいた。
「ごめんね、待った?」
「なあに、気にするな。それより主よ、荷物を俺に寄越せ」
「あー……申し訳ない、じゃあ片方お願いします。岩融は何か欲しいものとかなかった?」
「うむ、戦ばかりだ。使う暇がない故多少の蓄えはある、自分で買ったぞ」
「言ってくれたらお礼に支払ったのに……」
 不満げな表情を見せる審神者であったが、すたすた前を行ってしまう岩融の背中を慌てて追いかける。戦場でもそうでなくても頼りになる人だなあ。暫くは今剣と親子か兄弟のように仲睦まじく話しているのを観察していた彼女であったが、ふと何か思いついたらしい。自分も岩融の大きな体躯にどんと勢いよく抱き付く。いきなりの衝撃にやや驚きながら振り返る彼を見上げナマエはにこやかに言った「少し、お花見をしていこう」。やれ少女の指さす方を見やれば、満開とは程遠い、精々七分咲きの桜があった。なるほど行きは見落としていたが、中々に綺麗である。
「ほう、乗った。今剣も良いな?」
「はい、もちろんです。あるじさまとおはなみ!」
「よーし、そう来なくっちゃ!」
 心底嬉しいという顔をして、彼女は今剣の手を握り駆け出す。きゃーと桜の木の下まで一直線に駆けっこしていく二人に岩融は頭を掻いた。まるで母と子のようだ、そんな戯言を思い浮かべるだなんて阿呆か。ならば自分は父か、そこまで考えたところで妙に気恥ずかしくなって思考を放棄する。確かに審神者である彼女と自分、は。
「岩融! そこらへんに茶屋があるからお団子買ってくるね!」
「一人で平気か、主よ」
「うん、大丈夫。荷物と今剣の事よろしくね!」
 花より団子とでもいうふうに、財布を片手に去って行くナマエ。残された岩融は自分の持っている荷物を置くと、その隣に腰を下ろす。こんなに平和ボケした空気を感じるのはこれまた久しぶりだった。最近は彼女だけでなく第一部隊である自分たちもそれなりに忙しかったのだ。やれ戦場へ歴史修正主義者との戦いに赴き、やれ資材が足りんと長時間の遠征に駆り出されたり。真似るように今剣が近くで座り込む。春に高い声で鳴くこの鳥は、はて鶯と言っただろうか。これもまたあの女に与えられた知識である。弁慶の薙刀をやっていた頃は、美しい鳴き声だとは思っていたが、その正体を知る由もなかった。人の身体とは時に不可解で時に不便で常時愉快だ。ぼんやりと青い空を見つめている今剣が、口を開いた。
「いわとおし」
「どうした、今剣よ」
「いわとおしとあるじさまは、すきあっているんでしょう?」
 あまりにも不意の一言にひゅっと息を漏らしてしまう。なんだこれはなんだこれは、戦闘の時にも感じない緊張が体を走る。淡々とした物言いのくせに責めているような視線にハッと我に返ると、岩融は少年のそれを受け止める。赤い双眸の中にはなんだか情けないような雰囲気を纏わせる自分がいた。それから彼女のことを考える。刀剣が人間に恋慕を抱くだなんて甚だ笑わせる。そう誤魔化してもよかった。でも、事実であった。確かに俺はあの小さく弱い人間を、愛しているのだと。それでもってあの温もりはきっと同じように思ってくれているのだと。言葉とは不確かで俗なものであると彼は考える。故に音にしたことなど今までありはしなかったが、彼女の与えてくれる全てがそうなのだと教えてくれていた。懐に入れていた買い物をさらりと撫でる。
「いわとおしは、あるじさまをひとりじめにしちゃうんですか?」
「……」
「ずっとまえから……きょうも、みていておもいました。あるじさまは、いわとおしをすき。いわとおしも、あるじさまを」
「今剣よ」
 泣きそうな赤い目が岩融を射ぬく。なんて素直で馬鹿馬鹿しいことを口走るんだと、彼は片手で額を押さえた。頬が熱い。
「確かに俺はあのおなごを好いている。しかしなんだ、主を独り占めする気なんぞ毛頭ない」
「えっ、でもすいているのなら、」
「そう易々と思いを言の葉にするでない、誠実さに欠けてしまうぞ。今剣」
「う……」
 押し黙る彼に岩融は遠くを見る。普段の巫女装束ではない、美しい赤をした着物を纏う彼女が戻ってくるのをその目に映した。遠目であるが確かに目的は達成しているらしいことが伺えた。あんなにせかせかと足を動かしていて転びはしないかと心配になる。それからこのやり取りを聞かれるにはいかんなと、早々に決着をつけてしまわねばならないことを悟った。なあ主、俺以外にこうも有り方を考えてくれる輩を持つとは幸せ者だな。どれもこれも自分たちのために泣き祈り共に歩んでくれるその姿勢の賜物だとはわかっているのだが。なに、少しばかり妬ける。
「主は皆の主だ。それはここにおいて不変の事柄。ただし、主ではないナマエを俺にくれぬか」
 凛とした真剣な声色に今剣はぎゅっと拳を握る。ああ、そんなことを言われてしまっては。寂しさは完全に溶けない。それでも彼と彼女は自分を大事に想ってくれている。ずるい、心底そう思った。狡くて憎くて大好きだ。
「……いわとおしは、ずるいです。そんなこといわれたらいやだって、いえなくなっちゃうじゃないですか!」
「ふむ、狡猾さを覚えるとは俺も人の姿が板についてきたということだな」
「いいですよ、わかりました! あるじさまはみんなのもの、ですからね!」
「応とも」
「ごめん、ただいま! 予想以上に混んでて……二人ともどうかした?」
 丁度戻ってきたばかりの審神者が首を傾げる様子に二振りは笑う。男同士の秘密なのだと今剣が答えれば、彼女はなにそれと不思議そうな顔をした。それから少女は買ってきた団子を手渡す。ちらりと降ってくる花弁が審神者の頭に乗るのを見届けてから岩融は甘味を受け取り口に入れた。

 あっという間に夜も更け、丑三つ時。厠に立ち上がった少女はその帰りに、縁側で自分が差し入れたばかりの酒に手を付ける彼を見つけた。おまけにつけてやった若竹煮の入った皿は既に空で、彼の胃に無事収まったことを予想することができた。味見もしたために敢えて「美味しかった?」とは尋ねず「失礼」と傍らに座り込む。岩融が無言のままお猪口を渡してくるものだから、数秒悩んだのちに彼女は大人しく受け取った。注がれる濁り酒は彼女が数ヵ月隠し持っていたものである。惜しいと思わなかったわけでないが、いつも助けてもらっている礼には事足りない。日中は手合わせだなんだでうるさい岩融とは似ても似つかない静けさ。二人きりの事実にとくんと心臓が鳴る。ああ、こんな彼を知っているのが自分だけなら良いのに。そんなことあるわけないのだけれど。とろりとした甘味に口付ける。
「主よ、手を出せ」
「え? えっ、えっ」
 早くも若干酔いが回ってきた頭でお猪口を横に置き、慌てて両手を差し出す。ぽんと落ちる桜。素人目でも高価だと判断がつく簪に大きく目を見開いていれば岩融は「土産だ」と素っ気なく告げた。すぐに察しが付く、これは午後に共に寄った万事屋での彼の買い物だったのだと。どう反応していいかわからず、それでも湧き上がる嬉しさに顔を赤く染めながらおろおろとしてしまう。
「気に入らんか」
「ち、違う! 可愛い! でも、だっ……えぇ……!?」
「そんなに騒がしくしていると短刀たちが起きるぞ、ナマエ」
「……いわ、とおし……さん?」
 今度こそ思考回路が断裂した。ささめかれるように紡がれたのは、間違いなく自分の名前で。相変わらず酒を運ぶ彼の意図が見えずに俯く。溢れそうだ。そっと伸びてくる腕が彼女を抱き寄せた。近くなる心臓の音に審神者もまた驚く。ああ、なんて。
「いわとおし……心臓、早いね」
「ああ。ナマエもな」
「……ありがとう。大事にするね」
「おう」
「……たまにこうやって名前呼んで、抱きしめてね」
 返事はなかった。それでも強くなる力に安堵し、彼女はそっと目を閉じた。
aeka