「ナマエー!」
「はーい、叔父さん! 今行く!」
手入れ部屋で小夜左文字と干し柿を頬張っていた少女は、少年の頭を一撫でしてから呼ばれる自分の名前に立ち上がる。この大きな屋敷は国家公務員である叔父が政府から与えられたものだ。2150年代に入ってから新たに登場した審神者という公職は、歴史修正主義者と呼ばれる異形の者に立ち向かうために、刀剣に宿る付喪神を人の姿として降ろす力を持つ者しかなることができない。ナマエ自身は血筋柄霊力を持つも微々たるもので、刀剣男士を見ることや触れることは出来るものの形作るところまではいかなかった。加えてまだ高校生である彼女が何故このようなところにいるのかというと、叔父からアルバイトの申し出があったからである。生活能力の低い男やもめ一人でこの広い本丸を回すことは到底出来まい。幼少から交流のあった姪に彼が泣きついてきたのは半年ほど前であった。元来世話焼きで他人のサポートを好む性質だったナマエは嫌な顔一つせずに、寧ろにっこり笑いながら頷いた。国のため人のためになっている審神者を自分が支える、とっても誇らしいことではないか。基本的に戦場への出陣及び遠征は審神者が執り行い、彼女は夕餉を用意したり掃除洗濯の家事をしたり。数ヵ月立つ頃には慣れたもので、刀剣男士たちとの仲も深まり更には簡単な手入れまでをもこなせるようになっていた。ただ一つだけ問題があるのだとすれば、彼女自身が誰にも吐露したことのない感情にある。
とてとてと審神者の声のする方へと歩いていけば、短刀ばかりがいた。叔父は煙管を片手に持ちながら(格好がつくと言って買ったものだ)にっと笑うと姪を手招きする。
「どうしたの、叔父さん?」
「叔父さんじゃなくてここでは審神者、だ。なあに、日頃戦いばかりのこいつらがお前と遊びたいとごねてねえ」
頼まれごとだ、短刀諸君と半日付き合ってくれはしないだろうか。彼の願いにナマエは悩む素振りを一切見せずに頷く。なんだ、急な呼び出しだから大それたことだと思っていたのに。拍子抜けもいいところだと、彼女は溜息をこっそりと吐き出す。そんな少女の周りに集まっていた厚、薬研を除いた藤四郎兄弟は「やったー!」可愛らしく万歳三唱。先ほどまで一緒にむしゃむしゃとおやつを食べていた小夜左文字もいつの間にか追いついたのだろう、彼女のセーラー服の裾をぎゅっと掴むとぎこちなく笑った。その様子を大人しく眺めていた審神者であったが、ハッと我に返ると俺は暫く次の作戦を練るから、ひょいと部屋から出て行ってしまう。気に留めることなく、幼稚園に職場体験に行った時のようにナマエは人差し指をピンと上に立てて言った「遊びたいものこの指とーまれっ!」。きゃーと叫びながら寄ってくる今剣たち。彼女は続けて問う。
「さあて、じゃあみんなは何がしたい?」
「ぼく、おにごっこがいいです!」
「主様とした、しりとりっていう遊びが面白かったです!」
「じゃあ俺はかくれんぼがしたい!」
次から次へと出てくる案に少女は苦笑する。まったく人間の子供と変わらぬ元気さだ。それから公平な判断と称しジャンケンをさせた。石は鋏に勝ち、鋏は紙に勝ち、紙は石に勝つという誰もが一度はやったことのある決め事である。それでも短刀たちには新鮮だったらしい、楽しそうな「あいこでしょ!」が響く。まだまだ白熱しそうな戦いにふとナマエは、さも自分は関係していないというふうに柱へ寄りかかり狸寝入りを決める二振りに視線をやった。可愛げのないことで。きゅっと胸元で手を握ると口を開く。
「ほら、厚と薬研も参加参加」
「げ、まじかよ……」
どうする、薬研。厚は兄弟を振り返るが、特段嫌そうとも乗り気ともとれない表情で大将とナマエの命令じゃあ仕方ねえなあと呟き立った。思いもしなかった突然の、彼が漏らした自分の名前にどきりとする。だんだんと速くなっていく心臓に気付かないふりをして、彼女は眉尻を下げ笑った。
薬研藤四郎は粟田口派藤四郎兄弟の一員である。その見目とは程遠い大人びた雰囲気と物言いに本当にあの可愛らしい短刀たちのうちの一人なのかと、審神者に何度も確認したくらいである。当の審神者も大口を開けてカラカラ笑いながら、まあ確かに薬研はちょっくら他の奴らとは違うなあと答えた。最初はそんな違和感を覚え印象深かっただけなのだが、本丸に手伝いに来るたびに引っかかる度合いが増えていくのをナマエは感じていた。同年代の少年よりよっぽどスマートな対応で男らしく、尚且つなにかと彼女が困り果てたときに現れては、簡単に解決の助言を与えたり手助けしたりしてくれる。決定打としては前田と秋田が手合わせをした際に不注意で飛んだ竹刀の先にいたナマエを身を挺して助けてくれたことだ。不意に抱きすくめられた腕の力強さと体温に、めっきり参ってしまった。気づけば彼の動向を目で追っているのだ。ああ、大変にまずい。この変化には今までの人生で二、三回覚えがある。それでも自分は人間、そして審神者の手伝いとしてここに来ているだけなのだからと見ないふりをした。神様に、恋だなんて。叶うはずがないものなんて捨ててしまえればいいのに。
「じゃあ六十数えるからな!」
ぼんやりしていたところに厚藤四郎が声を張る。びくりと肩を震わせたナマエだったが、瞬時に本日の遊びがかくれんぼに決まったことを悟った。提案した愛染は一目散にと逃げていき、唯一大太刀で参加している蛍丸も追いかけるようにして部屋を出ていく。まったく厚のやつも最初こそ愚痴を垂らしていたが、始まってしまえばそこそこ楽しむ気持ちはあるらしい。次々と消えていく短刀たちに倣って、少女もまた廊下へ飛び出す。さあてどうしたものか。厠にとも考えたが、誰かが来たら気まずい上に追い出されることまったなしだし。四十四! 大きなカウントダウンにあまり時間がないなと焦った彼女は、ちょうど行き着いた藤四郎兄弟たちの相部屋へ足を踏み入れる。そのままきょろきょろ周囲を見渡してから都合の良さそうな押入れへと目を付けた。なんとテンプレでわかりやすい隠れ場所とは言っても、この部屋は屋敷の隅に位置する故に厚が回ってくるまでは大分時間がかかるだろう。がらりと押入れの襖を開けると、まさかの事態にナマエは目を皿のように見開く。突如入り込んできた光に眩しそうに目を細めながら見上げてくる薬研藤四郎が、そこにはいた。狼狽えていれば背後で六十を数え切った声がする。にゅっと伸びてくる腕が彼女の手を掴んだたかと思えば、勢いよく自分の方へ引いた。躊躇う暇さえ与えてもらえず少女は暗闇の中へダイブする。スコン、閉ざされる音と心臓の鼓動が耳によくついた。とくんとくんと鳴るこれは、自分のものでは、ない。
「や、薬研くん……!?」
「しーっ……」
口元をその手で塞がれ、漸く少女は押し黙る。そんな様子に薬研は口角を持ち上げてから言った。見つかるぞ。短い言葉にハッとし小声で弁解する。
「ごめん、誰かが先にいるとは考えてなくて……」
「驚いたぜ、珍しく間抜け面したあんたが突っ立ってるんだから」
「うー……なにそれ。というか狭いよね、出るよ」
密着具合にこのままでは身が持たぬと思い彼女は言った。しかし薬研はというと華奢な体を抱く力を緩めることはなかった。わけのわからぬ展開にどぎまぎしたまま沈黙する。息遣いが、伝わる。この少年がなにを考えているのかわからなかった。思考回路は滅茶苦茶に絡まり無意識に全身に力が入る。彼の股の間で少しでも距離を取ろうと身動きすれば、さらに力を強くされる。暗闇に目が慣れてきたころ、緩やかに薬研は間を取るとこつん、彼女の額に自分の額をくっつけた。
「女は……ナマエは、柔らかいしいい匂いがするんだな」
「やげん、くん」
「もうちょっと、このままでいさせてくれ」
頼まれごとなのに拒否権なんてないよとでも言うように。なんの戯れなのだろうか、これは。力強い、自分よりも幾分か見目の幼い少年。かみさま。私はそんな彼らをちょっぴり手伝うだけの人間なのだと頭の中で繰り返す。知らぬ知らぬのうちに涙が落ちていた。肩に降ってくる温もりと小さな嗚咽に薬研は驚愕しがばりと身を離す。隠す顔を覗き込むように見つめればやはり彼女は泣いていた。
「っ、すまん! 嫌だったか……?」
「ううん……違うの、ごめんなさい」
「ナマエ……?」
「好きになって、ごめんなさい」
儚く紡がれた言の葉に薬研の動きが固まる。ああやはり彼を困らせたのだと、彼女は泣きながら笑った。雫と一緒に想いが溢れだす。薬研くん、薬研くん、好きです。詰まり呑み込めなかった気持ちを一つ一つ。少年は息を飲むとそれから、双眸の露を強引に拭い取ろうとする彼女の手を制止し目元に口付けた。想像もしていなかった事態にぽかーんとしていれば、追い打ちをかけるように彼は言った。
「なに勝手に自己完結させてんだ」
「え……」
「俺がナマエを同じように見ているって、なんで一つの可能性を微塵も考えないんだよ」
「だって、」
だってあなたは神様だから。彼女の言葉に薬研は溜息をつく。好きになってごめんなさい、だなんて。ナマエの口からその言葉をつかせた自分に腹が立っていた。馬鹿だ、本当に馬鹿だ。与えてくれる眼差しに安心しきり、はっきりとさせずにいたのに何を。薬研は真っ直ぐと少女を見つめる。
「神やら人間やらってのは、自覚も何もないしよくわからん。ただ俺っちの中で一つ決まっていることがある。いいか、一度だけ言うぞ」
「やげ、」
「好きだ、ナマエ」
小さく悲鳴を上げていた切なさが萎んでいく。再びはらはらと泣き出す彼女に薬研はひとり続けた。最初に見せてくれた笑顔も、優しい手つきも、その立派な志も全て全て好きだと。捨てようとしたものを彼はゆっくりと拾い上げ慈しんでくれた。わたしもと、小さく返せば薬研は「知ってる」満足そうに笑った。それから、近づいてくる彼に目を閉じる。影が重なろうとした瞬間。
「おら、ここか! やげ、ん……」
次にナマエが見た光景は押入れを元気よく開け、可哀想に赤面する厚藤四郎の姿だった。暫し棒立ちしていた彼であったが襖を元に戻すと去って行く。兄弟よろしく、一応空気を読んでくれたらしい。このままじゃあ審神者や仲間たちの耳に入るのも時間の問題だなあ。それでも今この時は幸せに浸っても罰は当たるまいと、薬研は腕の中にある愛しさにくつくつと喉を鳴らした。