「薬研ってさ、目が悪いの?」
 縁側に座りながら煎餅を齧っていた主がぽつり、呟く。木刀で素振りをしていた薬研ははたと手を止め、流れ落ちてくる汗を拭うと短く「なんでだ?」と問うた。彼女は黙って自らの目元で輪っかを二つ作る。なるほど、眼鏡か。馬当番や畑当番の時にかけているそれを彼女は知っていたらしい。加えて書物などを読む際に、たまに目に力が入って睨んでいるようになっているのだと指摘された。目が悪い者の無意識の癖だ、薬研はふっと笑う。随分とまあこの人は自分のことをよく見てくれていることで。秘書刀としてあるのだから他より目に付きやすいのかもしれない、だとしても嬉しさと優越感の方があまる。そんな自らの思考に子供だなあ、溜息をこっそりと吐き出した。
「御察しの通り良いとは言えないな」
「普段は? あんまり支障はない感じ?」
「いいや。割と悪くて、コンタクトを使ってる。大将は裸眼か?」
「うん、そう。生まれてこの方2.0から落ちたことない」
 そいつは羨ましいことだと薬研はぼやく。別段日常生活で支障が出るということは少ないが、自分は刀である。戦場にいつ出なくてはならないかわからない状況下に置かれているのに、この視力では少し不便があった。まあ自然に悪くなるわけがないのだから、自分が悪いことは承知なのだが。この女を守るうえでなにかあったら、なんて考えるとそうも言っていられなくなる。そんな彼の心中を知る由もなく彼女は薄く笑った。
「薬研はあんまり眼鏡姿見せてくれないけどさ、私すごく好き。かっこいい」
 いや、特別じゃなくていつももかっこいいんだけどね。慌てて付け加えられる言葉だが、言われた本人は気が気でない。心臓がざわつく、頬に赤みが差す。この人は本当に狡い。たった一言でわけがわからなくなってしまう。自分が刀でこの人が人間で、だなんて簡単な事さえも。一番近くにいることを、触れることを許されているからって限度があるにきまっているのに。ちゃんちゃらおかしいことに、どうも体が融通利かなくなる。周囲の目を気にせずに抱きしめてしまいたい、食べてしまいたい。拳をギュッと握りしめ、寸でのところで彼は踏みとどまった。
「そんなに言うなら大将のリクエストに応えて、寝る前に掛けてきてやろうか」
「本気で言ってるなら喜んじゃうよ私」
「別にこれくらい出し惜しみするもんじゃないだろ」
 喉を鳴らして笑う薬研にナマエはへらへら笑いながら「楽しみにしてる」と答えた。

 さてああ言ったもののどうするべきか。鏡台の前の椅子に座りナマエは足を組みながら考える。喜んじゃうと言ったのも楽しみにしてると言ったのも紛れもない真実だ。しかしながら一点問題がある。眼鏡をかけた彼を見ると必要以上にドギマギしてしまうということだ。平生でさえ薬研を前にすると心臓を酷使することが多いというのに。別に眼鏡にフェチズム的な何かを見出しているわけではない。ただ遠目から見た彼の横顔が普段とはまた違った風に大人びて見えたものだから。悶々と考えを散らかしていれば障子が音を立てる。
「大将、そろそろ寝るか」
「あ……」
 うん、出した声は明らかに上擦った。最初こそきょとんとしていた薬研であったが目ざとく気付いたらしい、面白そうににやりと口角をあげる。それから顔を真っ赤にして俯く主に近づいた。昼間やられたお返しだと言わんばかりに覗き込むと、狼狽えたような視線とぶつかる。ああ、すごく可愛らしい、ごく自然に当たり前のようにそう思う。彼女の見目が幼いと称す和泉守らが今の顔を見たらどう思うだろうか。ずくり、腹の底で熱が疼く。
「ん? どうした、大将。具合でも悪いのか?」
「ち、がう……平気。気にしないで……」
「ならいいんだが……。そうだ、御要望通り眼鏡を掛けてきたぜ」
「うん……」
 まったくもって勘弁してほしい。ナマエは呼吸を止めながら思う。絶対にこの人は自分の穏やかでない心中を見抜いているはずなのだ。聡い男である。なのに面白がってこんなに顔を近づけて。死んだらどうするんだと、本気で考えた。それから苦し紛れにじっと薬研の瞳を見つめ返す。一瞬だけ生じた隙に彼女は手を伸ばし、彼の顔にかかるものを奪い去った。
「大将……なにしてんだよ」
「……どれぐらい度が入っているのかと気になった」
「馬鹿、目の良いやつが掛けたら視力落ちるぞ。ほら」
「……」
 いやいやと首を振りながら薬研と距離を取る。そんな彼女を内心愉快に思いながら、彼は深い溜息を吐き出す。それからすくりと立ち上がり、歩をゆっくり進め……置いてあった火鉢に足をぶつけた。突如蹲る彼に、ナマエは顔面蒼白に駆け寄る。視力が弱いということを舐めていた、毎夜普通に裸眼で布団に入ってくるものだからまさかここまでとは……! 瞬間、掠め取られる手。
「ったく……捕まえた」
「えっ」
「そんなに見えないわけないだろ、大将? フリだよ、フリ」
「っ、薬研!」
「怒んなよ、おいたが過ぎたのはそっちだぜ」
 ふんわりと香る薬研の匂いに、彼女は驚く。抱きしめられているのだと気付くのにゆうに十秒、鈍すぎる女に彼はくすくす笑った。わたわたと慌てるこの人を、さあてどういじめてやろうか。考えている彼の背中にぎこちなく回される腕。驚きに固まっていれば耳元でそっと囁かれる「好きだよ、薬研」。雪崩れ込むように敷いてあった布団に彼女を縫い付けて口付けを交わして。嗚呼、また長い夜が始まる。
aeka