※さにわ日和にて無料配布したものと同じ内容になります。
三月一日、晴天、卒業式。この制服を着るのも最後になるのかと、鏡の前でらしくもないアンニュイに浸る。少し大きめに作ったそれは、身長があまり伸びなかったため袖が未だに余っていた。第一ボタンまでしっかりきっちり留めて、ストライプのリボンをつけて、スカートはいつも通り膝上三センチ。生徒指導の先生、ごめんなさいねと心の中で謝罪。だってもう、私が高校生として、この学校の生徒としていられるのは今日だけなのだ。はしたないと言われても好きな風にしたい。
両親をなんとか説き伏せて、受けた都内の大学にはなんとかかんとか合格することができた。二年生の終わりに自分の将来を考えてから、随分と努力をした。四月からは知らない街で知らない人たちに囲まれて、一人ぼっち生きていく。昔から剣道場に両親が揃って顔を出していたから、一通りの家事の腕はついているとは思うが心配は尽きない。
頭の中の知識量はいっぱいまで詰めることができたが、代わりに長年培ってきた腕の筋肉が落ちていた。竹刀を全く握らなくなってから、かなりの時間が経つ。すっかり女の子の腕だなあ、なんて。ふにふにしている二の腕をつまんで遊んでいれば、後ろから声がかかる「たーいしょ」。聞きなれたそれに慌てて振り返れば、予想通り、本日同じく卒業式を迎える、三つ年下の幼馴染がいた。
「薬研」
「おはよう」
「うん、おはよう」
慣れたように手を掠め取られ、繋がれる。何回経験しても、私はどぎまぎとしてしまうのに。春の冷たさが彼の温もりに消される。
薬研と世間一般で言うところの男女交際というものをし始めてから、一年と少し経っていた。とは言ってもお互いがお互いに受験生ということもあり、会う頻度は依然とそんなにかわりなかったけれど。友人数名にはやっぱりねと頷かれ茶化された後に、遠距離でもうまいことやりなさいよと念を押された。そう、薬研はこのまま中高一貫の高校に進学し、三年間をここで過ごす。電車で片道四時間ほどの距離があいてしまう。別に会おうと思えば会えない距離でもない、が。私たちはどうなるのだろうという一抹の不安がないと言えばそれは嘘になる。ずっと近くに居て、誰より近くに居て。もうすぐ薬研がいない生活が始まるのだということが、家を出ると言う事よりも実感が沸いてくれないのだ。ぐんぐんと身長が伸び続け、今では首を少し持ち上げなければ視線が合わなくなってしまった彼。これからもっともっと成長してかっこよくなって、知らないあなたになって。想像が後ろ足に進みだした瞬間、呼ばれる。
「大将」
「えっ、あ、うん」
「また何かくだらない妄想してるんじゃないだろうな」
「……薬研こわい」
「それくらい想われてるんだと嬉しがれよ」
くつくつ笑う彼にぽつり漏らす。やっぱりね、離れるのはちょっとだけ怖いよ、と。自らが決めたのにも関わらず、なんと我儘な事か。真っ直ぐと前を見る人は一寸黙る。藤色の目が美しいと思った。自覚した時よりもはるかに肥大したこの気持ちが恐ろしい。一層捨ててしまえたらなんてことは、思わないけれど。彼がほかの女の子を見つめる未来が無いと言いきれないのが恐ろしい。年も距離も離れている私なんかよりも、近くにいる愛らしい同級の魅力に気付く日が近いかもしれない。
「馬鹿だ、本当に」
「そんなに噛みしめて言われなくたって、私が一番よくわかってるよ」
「……大将だけじゃないんだがなあ、不安なのは」
「……」
「余裕ぶって笑って、いつも通りを意識しないと、だめなんだ」
男が寂しいだなんて言うのは格好悪いだろうと彼は優しく微笑む。なんだか溢れてきそうになる涙を、堪えようと上を向いた。痛いほど青い春の空。私と彼が制服を着て隣同士、歩く最後の朝。
追いかけるよ、彼がぽつりとつぶやいた。
「追いかける、必ず」
「……」
「だから、待っててくれ」
「……うん」
きっと会いたいと泣く日も、好きだと伝わらずに憤る日も、今こうして考えるよりたくさんたくさん、訪れるだろう。けれどそのたびに何度だって、私たちは。
握る手の力を強くする。
「私、まだ言っていなかったね」
きょとんとした表情で見つめてくる薬研に精一杯笑ってから、紡ぐ。
「卒業おめでとう」