すっかり帰りが遅くなってしまった。スクールバッグを肩にかけなおすと、ナマエは溜息を零す。今日は友人たちと一個隣の駅前にできたクレープ屋に行こうと約束をしていたのに。進路希望調査を出していないのはお前だけだぞと担任から引き留められてから一時間、悩みに悩んで第一志望欄に都内の教育学部に力を入れていることで有名な私大の名前を書いた。一人暮らしでもしなければ通うことのできない距離にある。一人娘ではあるから、母はともかく父を説き伏せるのには大分骨が折れそうだけれども。それでも何をやりたくてここに行きたいと強く発言すれば納得してくれることもわかっていた。考えなしではない。学園祭のあの会話の後、改めて自分が何をしたいのかを見つめなおした結果であった。正直ああいう話題を上げてくれなければ自分はなんとなくで近い大学に進学を決め、のらりくらりと適当にやっていたのだろうなあとも思う。と一緒に地元を離れないでしょ、なんて言ってくれるからペンがなかなか動かなかったわけであって。一人赤くなり始めた廊下を歩く。実際のところ自分は彼のことをどう見ているのだろうか。彼は年下で、幼馴染にあたって、自分の家がやっている剣道場の門下生だ。それでもって昔も今も一番近い距離にいる異性だ。あの子が自分に向って置いた、聞こえないふりをした言葉を思い出す「好きってことじゃん」。薬研は優しいから、特別優しいから。だから勘違いしているだけなのではないか。それと同時にその優しさが自分以外にもむいていたらと考えれば考えるほどに、なんだかいやな気分になる。随分と自分勝手。
「好きです」
そんなグダグダした思考を止めたのは、突如聞こえてきた声だった。少女は肩をびくつかせてから、きょろきょろと辺りを見回す。音の発信源が今しがた通り過ぎた教室だと見当が着いた時には、いらぬ好奇心が筑紫のように頭をもたげていた。引き戸の隙間を発見してしまい、悪趣味だ、と心の中で呟きながらもそろり覗き込む。ハッとした。女生徒はよく知らないけれど、セーラー服姿だから中等部の子だろう。行儀よく校則に則ったおさげは綺麗な栗色だった。大人になり切れていない、中学生らしい可愛さを含む。対する学ランを着る男子の後ろ姿にはよくよく見覚えがあった。先ほどまで頭の中で思い浮かべていた彼だった。「好きです」可哀想なくらいに震える小さい声が、再度投げかけられる。薬研の表情はわからない。しかし、少しだけ俯きながら後頭部を掻いている。あれは照れている時の仕草だと、長い付き合いの中でわかっていた。居たたまれなくなり、彼女は扉から離れると勘付かれぬよう静かに昇降口まで駆け出す。大急ぎで下駄箱に上履きを突っ込み、下足に履き替え走った。切れる息に握られたように痛い心臓。なんだこれなんだこれ。フルマラソンを走ったってこんな風にはならないだろう。好きです、頭の中でこだまする声。告白されていたのだ、彼は。
「……はぁ、っ」
学校から数十メートル離れたところで、漸く彼女は減速した。たいした距離でもないのに汗が噴き出ている。彼がここにいたら体力が落ちたんじゃないか、大将、そうからかってくるだろうに。そうじゃない、もう。何を。馬鹿だ。しゃがみ込んで頭を抱える。
「……やげん」
どうしよう、苦しくてたまらない。はあっと息を吐き出してゆっくりと前を見つめれば伸びている影が、もう一つ。まさかと思いつつゆっくり振り返る。
「覗き見とは悪趣味だな、大将」
嗚呼、