ベネチアの休日
俺は猫又である。−どこかで聞いたことのあるような口上ではあるが致し方あるまい。そうとしか表現のしようがないのだから。長い年月を生き、物怪への変化してしまった俺ではあるが特に人からなにかされた、ということは無く人にとっては(恐らく)無害な猫又である。
今日も今日とて水の都−ベネチアの美しい街並みを眺めながら優雅に微睡んでいる。
数日前、鳩共が人間の口の中に突っ込まれて大変な目にあっだのなんだのと騒がしかったが、数時間足らずであった事を忘れ大空を羽ばたいたり、噴水の周りで羽根を休めていたので俺は特に気に止めていない。
流石に猫を口に突っ込む奇行に走るやからはいないだろうという見解からである。いや、猫に限らず動物を口の中に突っ込むってなかなかの奇行である。そんな頭のおかしなやつがおいそれとこのベネチアに居られても困る。
そんなことを漠然と考えながらベストポジションを探しながら身体を丸めたり伸ばしたりする。
何度目かの試行錯誤によりベストポジションを見つけさあ寝ようと欠伸を一つしてから頭を腕の中にしまおうとすると、何処からか流れてきたシャボンの良い香りが鼻先を掠める。
この匂いは一体何処から香っているのだろうか?一度下げた頭をもう一度上げひくりと鼻を動かし、ついでに首も動かし発生源を探す。
きょろり、きょろりと視線を動かしひくひくと鼻を動かせば、金髪の髪に羽根の髪飾りと三角を交互に並べた鉢巻を巻いた美丈夫からこのシャボンの香りがしていることがわかった。
しかし、どうも洗濯でついたシャボンの香り、と言うよりももっと強いシャボンの香りを纏っていることが気になりベストポジションから身体を浮かせその美丈夫に近づく。
「なーぅ」
美丈夫の近くで一声鳴き、気をこちらに引けば今日の空の様に澄み切った青の双眼が自身を捉える。美丈夫は俺の存在に気が付き、口元を緩めながらしゃがみこみ優しげな声音で語りかけてくる。
「ん?どうした、可愛らしいシニョリーナ?」
まるで女性を口説くような口振りの美丈夫に小さく抗議の声を上げてから、すんすんと鼻を鳴らす。
俺のその行動に一瞬きょとんとした表情をしてから美丈夫は自身の腕の匂いを嗅ぎ始める。別に臭いとかではないのだが…
勘違いさせて悪かったなと自身の滑らかな毛並みを美丈夫の足に擦り付ける。
それにしても、この強いシャボンの香りはどうしてこの男に付いているのだろうか…擦り付けた身体にもどうやら移ってしまったシャボンの香りを嗅ぎながら思案していると、美丈夫の意外にも無骨な掌で身体を撫でられる。
「シニョリーナはもしかして俺のこのシャボンの香りが気になっているのかな?」
美丈夫の問にそうだと一声鳴けば、そうか、そういう事だったのかと安心したように胸をなでおろした。
「ふふふ、では、シニョリーナきみの疑問に応えてあげよう。」
ぱちりとウィンクをひとつ飛ばした美丈夫は片手の親指と人差し指で輪を作り、そこに息を吹き込む。するとその指の間からするすると、まるで手品のようにシャボン玉が作られ、空へと飛んでいく。
ゆらゆらと光の加減で七色に輝きながら空へと飛んでいく無数のシャボン玉に、思わず飛びつけば案の定ぱちんとシャボン玉は儚く割れ、シャボン液が顔を濡らす。
シャボン液を払うように顔を振りまた猫の本能のままに、シャボン玉と格闘し始めれば、その様子を見ていた美丈夫がこらえ切れないと言った風に笑い出す。
「ふふふ、あはは!シニョリーナは随分お転婆だな!」
お転婆というか、本能故仕方ないのである。
その後も美丈夫がシャボン玉を作りそれを俺が割るという不毛とも取れる遊びを繰り返していると、後ろから近づいてきた影が俺の脇の下に手を通しぐいっと上へと持ち上げた。
突然のことに反応できず目をぱちくりさせていれば、目の前の美丈夫があからさまに顔をしかめ相手を窘めるように口を開く。
「おい、JOJO!シニョリーナをそんな風に扱うな!」
「へっ!猫相手になぁに言ってんだか!
それにシニョリーナっても…こいつ男だぜ?」
言葉のさ中くるりと身体を反転させられ俺を持ち上げた顔の半分を無骨なマスクで覆った男−おそらく愛称ではあるが−JOJOに性別を確認され告げられる。美丈夫はその言葉を聞き目を大きく見開き、白い肌に赤みが差す。
…まぁ性別に関しては特に何も言わなかった俺も悪かったし美丈夫が気にすることではないのだけれども、どうにも一触即発な雰囲気にため息を吐く。
さて、どうやり過ごしたものか…
遠くない未来にこの二人の喧嘩に巻き込まれることを想像し、俺は力なく一声鳴き声をあげた。