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「今日はもう終わりにして良いよ」

「そう?じゃあ、これ職員室に届けたら帰るよ」



 風紀委員の仕事を終えて、いつものようにホッチキスでまとめた書類を生徒会室に隣接している職員室へ届ける。
 一度教室に戻ってちゃんとロッカーのカギを確認しようと思い階段を昇り始めたところで、何処からか何かが爆発するような、派手な音が聞こえてきた。ずっと思っていたがこの学校では何故こんなにしょっちゅう奇怪なことが起きてばっかりなんだろう。



「……何なの、今の爆発音は」

〈校庭の近くからみたいだぜ〉



 階段の踊り場にあった窓を全開にし、外を隅から隅まで見渡しながら煙が出ているところを探る。そして大きくため息をつく。最近やたらと厄介なことばっかりで、ため息の回数も増えるばかりだ。



「あーあ、なんで日本に来てからこんなことばっかりなんだろ。ま、でもこれは委員長の手を煩わせる程度のことじゃないかな」

〈お前が行くのか?〉

「まあね。またトンファー振り回されて大惨事になるの嫌だし」



 ああ、本当に面倒だ。そんなことを思いつつ駆け足で階段を下って昇降口を飛び出す。煙の立つ場所に立っていたのは沢田綱吉と山本武、獄寺隼人だった。
 大方この学校で厄介ごとを起こしているのはこのマフィア風情で、それを処理するのはあたしの役目。何故やつらの尻拭いをしなければいけないのだろうと考えるが上司があの人なので反論しようとは思わない。今日は本当に面倒なことばかりが起きるものだ。

 一方の沢田たちだが、ワイシャツが所々、派手な爆風のせいで焦げてしまっているのが見受けられた。



「……ほんと、何してくれてんだろうね」

「あれ、神谷じゃねーか」

「神谷さん、どうしたの?」



 こっちの心中などいざ知らず、暢気に声をかけてくる山本や沢田にどうしたのじゃねーよと激しく突っ込みたくもなるが、そこはぐっとこらえる。



「今の爆発音はいったい何だったの?」

「えっ!?えっと、いや、その……」

「まあ、被害も少ないようだしいいけど。今後こういうことがないように気をつけてね」



 しどろもどろになる沢田。面倒事をわざわざ増やしたくはないし、それほど重く考えることもないだろう。この件はとりあえず無視の方向で進めようと思いつつ、一応ノートには3人の名前を記しておく。おそらくこんな派手な爆発音を、雲雀が聞いていないはずがないから。



「あ、そうだ沢田。見てたよ、この間の救出劇」

「え、ああ、山本のときの……?」

「はは、ほんとあの時はツナのお陰で助かったぜ」



 ふと、つい最近の事件のことを思い出し口にする。山本武が屋上から転落した事件は雲雀が大ごとにしなかったからあまり全校には知られていない事実だけど、ちゃっかりあたしはそれも彼に報告してある。いつかこの3人も雲雀から制裁が下るんだろうな、なんて考えつつあたしは次の事実を彼らに叩き付ける。



「……まあ、あれが実際はドッキリなんかじゃなくて、死ぬ気の炎のおかげだなんてことは誰も知らないだろうけどね」



 その言葉を聞いて、沢田と、そして獄寺の表情が強張った。鎌をかけるつもりで言ったのだが、まさかこれほどまで反応してくれるとは。だからマフィアは単純でくだらなくて、だからこそこうして隅へ隅へと追いつめて甚振っていくのが面白いんだ。



「神谷せん……お前、マフィアか!?」

「……まふぃあ?何それ。何かのお菓子?」

「てめえ、しらばっくれんなよ!」

「いやだからまふぃあって何なの?沢田綱吉が額に灯すようなあの炎は死ぬ気の炎だっていうんだよって、ちらっと風の噂で聞いただけだよ」

「………てめえ、何者だ……!?」

「………偶然闇の世界を知ってしまった、アメリカからの季節外れの転校生ってところかな。世の中って思うほど広くはないんだよ。下校時刻過ぎてるから早く帰ったら?」



 不信感たっぷりな獄寺や、訳が分からない様子でぼうっとしている沢田や山本にヒララと手を振り、教室に戻るため校舎の中へ戻って行く。

 沢田綱吉がボンゴレファミリーの次期ボス候補だと分かった以上、自分には彼らと関わらなければならない理由が出来てしまった。
 もし彼らがただのマフィアで、殺せとの依頼が来たとしたら、殺してはいおしまいで済みいいのだけれど、相手がボンゴレとなってはそうもいかない。例の虹色のストーンに縛られているせいで、あたしはボンゴレに手を出すことは出来ない。スモーキン・ボムと呼ばれ名高い獄寺隼人も、それから山本武も、おそらくファミリーの1人なのだろう。

 ただ何があっても『マフィアは敵』という理念は変わらない。だからせめて、自分が彼らの敵であることを示す、ヒントをくれてやろうと少しそんなことを考えたのだけど、彼らもそこまで深くは考えていないようだ。



「なんであたしなんだろう。こんな運命じゃなかったら……もし傍観の立場にいたら、関わらなくて済んだかもしれないのに」

〈それが俺やお前の宿命ってやつだろ。決まったことにはもう逆らえねえんだ〉

「分かってるよ。それより、ほんとに委員長の手を煩わせるほどのことでもなかったね」

〈ま、風紀の兄ちゃんもなんだかんだ仕事忙しそうだしな。たまには休ませてやってもいいだろ〉

「……そうだね。さて、あたしも今日の分の仕事頑張りますか」



 *
 *
 *



 せんが去った後の、グラウンド。獄寺は1人、楽しそうに談笑する沢田と山本の後ろを歩きながら考えに耽っていた。



(……神谷の奴、本当にマフィアを知らないのか?)



 彼女がこの学校にやってきたのは、自分が転校してきて間もない時期だった。

 先ほどはマフィアの存在を知らないと言っていたが、ではいったいどこから死ぬ気の炎の存在を知ったのだろうか。アメリカに住んでいたというのなら、裏社会の中心であるイタリアからは随分と距離が離れているわけであり、その存在を知る可能性は実に低いだろう。
 となると、隠してはいるが『彼女自身がマフィアである』という可能性が最も高い。しかし獄寺は神谷せんという名前を聞いたことなど一度もなかった。勿論その姿も見たことなども、決してない。



(何なんだ………神谷せん)

「獄寺、早く帰ろうぜ」

「獄寺くん、行こうよ!」

「あっ、すみません!今行きます」



 考えれば考えるほど謎は深まるばかり。沢田と山本に呼ばれて、獄寺は頭の中の考えを一掃し、後を追ったのだった。




「あー、眠い……」

《寝不足か……いや、お前は24時間365日眠いって口走ってるか》

[仕事、真夜中だったしね。1限なに?]

《数学だな。得意分野じゃん》



 机に肘をついてぼんやりと空を見上げながら、サルビアとのんびり会話を繰り広げる。窓を全開にしているのにそこから入って来る空気はじんわりと湿気を含んで暑く、ワイシャツも身体に引っ付くので嫌気がさす。



[眠いのに、こんなに暑いと寝る気にもならないなあ……]

《まあ、それは言えてるな》



 手でパタパタと顔を仰ぎながら、ぐだりと机に伸びる。
 暑いのが苦手なあたしにとって夏という季節は酷だ。寒いのも嫌いだがそれは着込めばなんとかなる。でも夏はどんなに涼しい格好をしても暑いものは暑い。何より、身体に纏わりつくじっとりとした熱が、不快でたまらなかった。

 しばらくそのまま机に突っ伏していると、教室の前方にある扉の方がざわつき始めた。妙なざわつきを不思議に思い顔を上げる。



「あれ、ひなのじゃん。お帰り!」

「ひなのちゃん久しぶりだね〜!」

「ただいま!みんな久しぶりだねっ」



 クラスの女子に迎えられながら教室へ入ってくる、1人の女子生徒。どうやら女子だけではなく男子たちも、彼女を見て驚き騒ぎ立てているようだった。



「あれ、萱島じゃん。久しぶり」

「家の方は大丈夫か?」

「学校来るのは1ヶ月ぶりだっけか」

「うん、そうだよ。みんなも元気そうだね」



 萱島ひなの。彼らの口から紡がれたその名を、自分で復唱する。後ろの席に座っていた男子に彼女がここにいる理由を問えば、彼女は1年A組の生徒の1人で、1ヶ月ほど家の諸事情で学校に来ていなかったという。
 なるほどと頷くのもそこそこに、クラスメイトや彼らと言葉を交わしていた彼女の視線がこちらへ向けられたことに気付く。



「そういや萱島、お前が学校休んでる間に転校生が来たんだぜ」

「そうなの?」

「そうそう。あそこの後ろに座ってるやつ」



 あたしに向けられるクラスメイトの幾多の視線。その中で彼女の視線が、揺らいだのが分かった。



「……え、もしかして……せん」

「ひなの、それあたしの台詞なんだけど」

「……え、うそ、ほんとにせん!?」



 彼女、萱島ひなのは持っていた荷物をその場にドサリと置くと、机をかき分けこちらへやってくる。どうしてここにいるのか、それを問おうとしたところで急に腕が引っ張られ、そのまま彼女の胸の中にダイブする。え、と思った時には、あたしの身体はしっかりとひなのに抱きしめられていた。



「ほんとにせんだあ!久しぶりっ!」

「ひ、なの……ちょ、痛い首絞まる首絞まる」

「うわっ、ごめんごめん!」

「……相変わらずだねひなのは。昔も今も」



 あたしの首の後ろをがっちりと掴み、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくるひなの。正直、あたしより豊満な胸に締め付けられて少し窒息しそう。苦しい。



「せん、ずっと会いたかったんだよ!あの後、何にも連絡くれないからずっとずっと心配してて……!」

「ん、ごめん。あたしも会いたかったよ」

「うん、うん……!ほんとに嬉しすぎる、同じクラスだったなんてもう運命だよねこれ!」

「それはさすがに大袈裟。でもまさかこんなところで会えるなんてね」



 後頭部を撫でつつ涙を流すひなのの背中に、あたしも手を伸ばした。傍から見ればまるで母と娘のような、そんな光景だろう(たぶん、あたしが母親でひなのが娘だ)。しばらくあたしを抱きしめてようやく満足したのかひなのの身体が離れる。
 そして、すっと目線を合わせて、焦点の定まらないこの瞳を見つめて寂しそうに笑った。カラーコンタクトが入っていることも、本来の瞳の色を知るひなのには理解出来ているはずだ。



「……せんは何年たってもせんだね。あの頃より背も伸びたし綺麗になったけど、変わらないものもあって安心した」

「当たり前でしょ。数年じゃそんなに変わらないよ」

「いやいや、数年で何もかもを変えちゃうのがせんってもんでしょっ」

「あの……ひなのちゃん?その、せんちゃんとはどういう関係なの?」



 感動の再会に取り残されたクラスメイトたちは、おずおずと口を開きそう尋ねてくる。まあ確かに、最近転校してきたばかりのあたしと、それと入れ違いに学校を休んでいたひなのが普通は知り合いなはずがない。口を開こうとしたところで、先に言葉を発したのはひなのだった。



「せんは昔っからの私の親友。私にとって、一番大切な子だよ」

「……ひなの」

「だから、せんが悲しむようなことしたら私が絶対許さないからね!」



 親友。その言葉が、酷く胸に響いた。

 サルビアと修行に出て、リーザやジェニファーさんに出会って、日本にやってきて。ずっとひなのには会えず仕舞いだったのに、まだあたしのことをそう呼んでくれていることが、柄にもなく嬉しく感じた。


 *
 *
 *



「……ディーノに呼ばれてイタリアにね……噂はなんとなく聞いてたよ。フリーでハッカーやってたのに、その腕を買われてキャバッローネに入ったって」

「さすが、よく知ってるね。せんはマフィアが嫌いだから最初は戸惑ったんだけど、ボスがせんのこと助けたがってたから……力をね、貸すことにしたんだ」



 並盛中の屋上。リーザの作ってくれたお弁当を広げながら、彼女と数年ぶりに語り合っている最中であった。
 あたしもひなのもイタリア生まれの日本人。初めて出会った頃からそんな共通点もあって息もぴったりだったことを思い出す。

 ひなのはエストラーネオから脱出してきたあたしとサルビアがしばらくの間住んでいた家の娘で、あたしの抱える事情を知っている。そしてエストラーネオに捕われる前、偶然翼を怪我して倒れていたサルビアを手当してしばらく匿ってくれていた人物でもある。
 サルビアと共に萱島家を出た後、ひなのはあたしを助けるためにディーノの補佐的な役割を果たすようになったらしい。そこで、エストラーネオや夜神家のことについて、情報を収集していたということだ。



「それにしても、サルビアも久しぶりだねえ。元気にしてた?」

〈おう!お前には世話になったぜ。翼もすっかり治ったしな〉

「そっかあ。良かった!なんか、こうしてもう一度3人で話せる日が来るなんて夢みたいで嬉しいな」

「そうだね。それで、1ヶ月イタリアに行って調べてきたのはボンゴレのことなんでしょ?」

「そうそう!さすが、察しがいいねえ」



 ひなのは同い年ながらも、ジェニファーさんと同じく裏社会でその名を轟かせているハッカーだ。萱島ひなの、またの名を悪魔の脳(celabro)という。キャバッローネからたいそう寵愛されていて彼女の姉もまた、幹部として実力を発揮しているらしい。



「沢田くんが額に炎を灯すのを見て、不思議に思ったの。今の時代炎を灯せる人なんてせんしか見たことなかったし、すぐにイタリアに戻って調べてきた。丁度ボスにもパーティーとかで呼ばれてたし色々とわるーいマフィアさんたちのとっておき情報も入ったから教えるね」

「ありがとう。助かるよ」

「きゃっ、せんにありがとうって言われちゃった!」

「え……ちょ、ひな……」



 箸を弁当のふちに置いてものの見事な速さで抱きついてくるひなのを、呆れながらも受け止める。
 イタリアにはそれほど多くの日本人がいるわけではない。この年代だと尚更だし、少し彼女には可哀相な思いをさせてしまったなとも思う。

 あたしの記憶が正しければ、ひなのは昔から極度の寂しがり屋で、人一倍執着心が強いところがあった。だからせっかく会えたわけだ、少しは甘えさせてあげたほうがいいのかもしれない。



「小さい頃、日本人の友達がいなくて寂しかったときにせんとサルビアに救われたんだ。だから、昔より少し強くなれた」

「……うん」

「私ね、あの日からせんとサルビアについて行くって、せんの望みどおりにするって、決めたんだよ。だからさ」



 急に神妙な面持ちになったひなのはあたしから離れると、丁寧にその場に跪いた。


「私はせんの『頭脳』になりたい。私が持っている技能と知識は全部、せんの目的を遂げるために使いたい。だからこれからも一緒にいさせて下さい」



 少し、驚いた。昔は泣き虫であんなに弱かった萱島ひなのという少女が、会わない間にこんなにも強くなっていただなんて思わなかった。
 それも全て、あたしのためなのだと考えると、自惚れでも嬉しくなる。



「知ってると思うけどあたしは、マフィアとしてディーノのために動いているひなのは好きじゃない。だけどそれがすべて夜神せんの『脳』として、あたしの闇に付き合う為のものだとしたら……認めようと思う」

「……うん、分かってるよ」

「人殺しのあたしに、あんたは死ぬまで付き合う覚悟はある?」



 これは、自分なりの気遣いだった。

 あたしのような殺し屋に関わってしまえば、きっとひなのもこれから想像を絶する苦しみに悩まされることになる。あたしにとってのひなのだって親友だしもうこれ以上大切な人を失いたくはない。
 しかしひなのは思っていた以上に強い子になっていたらしい。満面の笑みを、見せた。



「当たり前だよ。そのためにあたしはハッカーになったんだから。せんとだったら、地獄でも何処でも着いて行くよ」

「……そっか。ありがとう」

「ふふ、せんに信頼されてるって思うと、嬉しいなあ」

「ひなのとなら、地獄巡りをするのも楽しそうだからね」

〈こらひなの、あまりせんに抱きつくな!〉



 ぎゅうぎゅうと再びあたしを抱きしめてくるひなのの頭を、サルビアが翼で殴るのが分かった。ひなのはハッカーとしての才能は確かだけどなんというか、少し学習能力がないらしい。



「なにサルビア、嫉妬ですかー?」

〈違げーよ!ここは学校だし、誰が見てるかわかんねーんだぞ!〉

「ふふー、サルビアも一応生物学的には男の子だもんねぇ?」

〈だから、違うって!〉



 いらいらし始めるサルビアを他所に、ひなのは笑いながらあたしから離れ再び弁当に手をつける。しかしよくころころと表情が変わる子だ、あっと言って食べる手を止める。



「そういえばせんって、いつからこの学校に通ってるの?」

「6月の終わりくらい、かな」

「あのね、実はこの学校に私の従兄も通ってるんだよ!」

「え、そうなの?」

「そうそう!きっとあったらせんもびっくりす……」



 ひなのがそう言いかけたとき、屋上の扉が大きく開いた。屋上へやってきたのは、弱々しい男の子を連れて今にもカツアゲをしようとしている不良たち。よく見ればそれは、この間雲雀に、中庭でぼこぼこにされていたあいつらだった。
 質が悪そうだなあと思いつつ、最近はこんなことが起きてばっかりだと正直もう面倒にもなる。



「って、おい!お前この間の……!」

「なんだよ、また俺たちにやられに来……」



 言葉を言い切る前に、地面に着いていた手を軸にして、こちらへ歩いてくる不良たちの足元を蹴りあげて身体を地面に叩きつける。このくらいなら正当防衛ということで一般人に手を出したことにはならないだろう。あくまでも自分の中での判断だが。



「そんなことしてる暇があったら勉強しなよ勉強。あんたたち見るからに頭弱そうだし」

「くっ………って、お前その腕章……!」



 回し蹴りをしたときにポケットから落ちたらしい腕章を見て、驚きの声を上げる彼ら。どうやらそれには少なからずひなのもびっくりしたようだった。
 不良たちはこちらをギリ、と睨みつけると慌ただしく屋上を去って行った。まあ、またこの現場を雲雀に見られて同じように制裁を加えられたらたまったもんじゃないだろう。



「……せん、風紀委員に入ったの?」

「まあ半強制的に。転校初日から盲目だってこと見破られちゃって」

「……なあんだ。もう恭弥くんとは会ってたのか」

「……え?」



 意味深なひなのの言葉。そしてそのとき、去って行った不良と入れ違いに屋上へやってきたのは。



「……ああ、駆除してくれたの。ご苦労様」

「……うわ、雲雀」



 運悪く屋上の見回りに来た我らが委員長、雲雀恭弥だった。地面とシューズについた少量の血のせいで、今回もまた言い逃れをすることは出来ないみたいだ。



「腕章つけろってあれほど言ったのに。そうしたらあんな奴ら簡単に追い払えるでしょ」

「言ったでしょ。あたしは目立つのが嫌いなの」

「まあ、君がやらなかったら確実に返り討ちにされてただろうね。ひなのは昔から運動だけは出来ないし」

「ちょっ……恭弥くん酷い!」

[……サルビア、この会話可笑しくないか?]

《……ああ、なんか可笑しいよな?》



 頭に疑問符しか浮かばないあたしとサルビア(雲雀が来たので、少し離れたところにいる)を他所に言い争いを始めたひなのと雲雀。それをなんとなく横目で追いつつ、額を嫌な汗が流れるのを感じる。



「ひなの、さっき言ってた従兄って……」

「まさかせんが風紀委員に入ってたとはね。恭弥くんもびっくりしたでしょ?」



 つまり、ひなのが言っている『従兄』とは雲雀のこと。だから2人はこうして仲が良さそう(というか今は喧嘩しているようにしか聞こえないのだが)話しているわけだ。
 そこで雲雀は何故あたしとひなのが一緒にいるのか不思議になったのだろう、首を傾げる。



「ひなの、神谷と親しいの?」

「え、そりゃあ今でも仲良しだよ?」

「ふーん……じゃあ、その目のことも?」

「そりゃ勿論。というより、さっきからせんも恭弥くんも会話可笑しくない?2人とも会ったことあるでしょ?」

「……………は?」



 雲雀が、珍しく頓狂な声を出す。

 雲雀と会ったことがあるのは、彼があたしに『どこかで会ったことがないか』と尋ねてきたとき以前から予想していたことだったが、どうやらそれは恭華さんに導かれキャバッローネで会っただけではなかったらしい。



「初めて会ったときからそんな気はしてたんだけど……何処で?」

「何処でって、私の家だよ。せんと私が一緒に暮らしてて、そこに偶然恭弥くんが、日本に帰るからって遊びに来て……」

「ひなのの家で……?」

「うん……っていうか、覚えてないの?せんも?」

「……雲雀、ひなのの言ってることは正しいと思う。あたしも…うろ覚えなんだけどそこで会ったのは2回目で、たぶんその前にもう一度会ってる」

「……それ、本当なの?」

「……不確かな記憶だから分からないけど」



 たぶん雲雀があたしのことを思い出せないのは、初めて会った時と2回目に会った時とで、置かれている境遇が違ったからかもしれない。そう、あたしに視力があったか、無かったかの違いだ。
 それは自分にも等しく言えること。実験を受けたり肉親が殺されかける姿を前にしてしまったことのショックなどで一部の記憶が飛び、幼かった頃のことをあまりよく鮮明に思い出せないのだと思う。



「ひなの、あたし本当に雲雀に会ってる?それは事実なの?」

「そうだけど……覚えてない?」

「残念ながら。ほら、色々あったから……所々記憶が飛んでるみたい」



 ひなのはそっか、と言ってと明らかに落ち込んだ様子を見せた。
 そこで前に千都から聞いた、重要な事件のことを思い出す。恭華さんの両親、つまり雲雀の両親が彼らの目の前で殺されたという、残酷で悲しい事件について。事実は、本人に確認するのが一番早い。

 でも、それを告げてあたしは雲雀の心を傷つけてしまわないだろうか。ちらりとサルビアに意識を向けると。



《あいつを助けてやりたいって思うか?》

[……!]

《確かに、言うことで少しは闇を引っ張り出しちまうかもしれない。でも、あいつの気持ちを理解できる奴は少なくともお前しかいないんじゃねえか》



 それはきっと、お互い自分の肉親を失ったという観点で。

 さっきからずっと気になってはいた。雲雀がマフィアの1人であるというのなら、ひなのは例え彼が従兄であったとしてもあたしに近づけさせようとはしないはずだ。でもそんな様子は一切ない。
 仮にマフィアとは関係がないとして、雲雀恭弥という人間は何故あれだけ強いんだろうか。独学で身につけたと考えても不自然じゃないが、明らかにトンファーの使い方にも手馴れている。

 そこで気づいた。もしかしたら、彼が無差別に誰かを傷つけるのは何かの衝動かもしれない。特に、あの事件の。考えを纏めて、ごくりと唾を飲み込む。



「雲雀、1つ質問してもいいかな。絶対に怒らないって約束してくれる?」

「……突然どうしたの?別に良いけど」



 ドサリ、と隣に雲雀が腰を下ろしたのを確認して、千都から一応ということで預かってきた例の紙を、取り出して彼に渡す。それを見た瞬間雲雀の表情が強張ったのが、一瞬にして分かった。



「当時、キャバッローネ日本支部の幹部だった雲雀蒼弥・雲雀遥華夫妻は9月21日、何者かによって殺害された。これは事実、なんだね」



 ディーノの父の死炎印が押された1枚の紙に書かれた、事実。その内容にさっと目を通し雲雀はゆっくりと顔を上げて頷いた。

 出来れば、幼い頃の残酷な事実を彼に思い出させたくはなかった。しかしこの事件のことを聞いてから、初めて彼に会ったとき感じた心の闇が何なのか、ずっと気になっていた。
 彼のことをこれほどまで気にかけるようになったのは、ただ朧兄さんに似ているという理由だけではない。雲雀が、昔のあたしにそっくりだったからだ。だから出来ることなら、あたしの手で、同じように苦しむ雲雀を解き放ってあげたいだけなんだと思う。雲雀はその紙をくしゃりと握りつぶして、問う。



「………君は……ひなのと、同じ世界の人間なの?」



 弱弱しく。そしていつになく真剣に聞いてくる雲雀。
 やはりキャバッローネ幹部の弟、自分やひなののいる世界のことは知っているらしい。少しずつ昔の記憶が蘇ってきたのか、苦痛に顔を歪める彼にあたしは告げた。



「あたしはマフィアではないよ。でも、ひなのがどんな仕事をしているのか、そして雲雀の両親がいたキャバッローネという組織がどんなものなのかは、誰よりも知ってる」





(自分でも、可笑しいと思った)
(だけどあたしなら彼を助けられると、そう思った)

(そして同時に、彼ならあたしを助けてくれるんじゃないかと)
(少し自惚れてしまったのは、どうしてだろう)





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