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『恭弥、今日はお父さんの誕生日プレゼントを買いに行くから、覚えておいてね』

『分かってるよ、姉さん』

『ふふ、日本で祝うお父さんの誕生日は久しぶりだもんね。行ってらっしゃい』

『行ってきます、母さん』



 ふと目を覚ませば、僕は自宅のリビングに立っていた。いや、僕が立っているわけではない。目の前にいるのはまだ幼い、小学生の頃の僕だ。ということはつまり、ここは夢の中。幸せで優しくて、明るいあの頃の夢。
 当然、優しかった父と母がまさか居なくなる日が来るなんて考えもしなかった頃の話だ。



『お父さんのプレゼント、何にしよう』



 あの頃の僕の姿からは、きっと何処の誰でも今の姿なんてとても想像出来ないだろうと思う。決して自慢ではないが、昔の僕は勉強も運動も出来たし毎日が楽しくて笑ってばかりの毎日だったから、友達も多かった。父と母の仕事の都合で一時期イタリアに飛んで、そこから再び日本に戻って、元の学校に通い始めてもう1年以上が経っていた時の話だ。
 馴染みのある友達と何気なく過ごす笑顔の溢れる毎日が楽しかった。父も母もそんな僕を大切にしてくれていたし、同じく大切に育てられた姉の恭華も僕を誇りにしてくれていた。



 確かあの日僕は、父のプレゼントを買いに行く前に友達と遊ぶ約束をして帰宅した。僕の家はほとんどの部屋に畳が敷き詰められている、純日本風の構造をしている。なんでもご先祖様から続いている由緒正しい家らしいけど、正直あまりよくは知らなかった。
 雲雀、と達筆な字で書かれた表札のかかる門を抜けて家に入り廊下を進むと、唯一洋風の造りになっているリビングがある。学校から帰れば、今は家で仕事をしている父と母がお帰りって声をかけてくれる。今思えば、それを聞くのが好きだったのかもしれない。



『ただいま』



 小学生だった僕はそのとき、わずかな違和感を感じていた。いつもならこうして挨拶をすれば必ず両親から返事が返ってくるはずだったのだ。その返事が聞こえてこない。留守なのかな、と思い僕は靴を脱いで廊下を歩いて行く。
 そのとき、ガラスや食器が派手に割れる音が聞こえてきた。額に嫌な汗が流れ、慌ててリビングのドアを開け放つ。



『………っ!ダメよ恭弥、こっちに来ちゃだめ……!』

『恭弥、そこから離れなさい!』



 目の前で何が起きたのか。まだ幼かった僕の頭では、到底理解出来るはずもなかった。
 はっと我に返れば、視界に広がったのは赤い海。そして黒服の男が3人。足元に転がった父の頭。胸元にナイフを突き刺さされ目を開いたまま動かない母。宙を舞う鮮血が自分の身体を、家の中を、視界すべてを真っ赤に染め上げていく。



『………この家の息子か』

『ボスも酷いことをするもんだ。子どもにも容赦がない』

『キャバッローネの腕の立つ幹部とはいえ、雲雀蒼弥も雲雀遥華も子どものためには身体を張るということか』

『……どうします、こいつらも殺しますか?』

『放っておいたところで餓鬼どもに出来ることなんて何もない。行くぞ』



 あれはきっと、わざと僕たちに聞こえるように言っていたのだろう。『所詮子どもには何も出来ない』のだと思い知らせるために。
 黒服の男たちは、床にへたり込んでカタカタと震えている姉さんと僕をちらりと見遣り、まるで何事もなかったかのようにリビングを颯爽と去って行った。



『……きょう、や……』

『…………姉さん』



 リビングの隅で泣き崩れている姉さん。身体はがたがたと可哀相なほどに震えていて、母さん似の大きな瞳には涙が溜まっている。



『……さっき……突然あいつら、が、来て……お母さんと、お父さんに……大人しく殺されないと……娘を……っ、私を殺すって……それで』



 ぎりぎりと歯を食いしばる姉さんをぼんやりと眺めつつ、僕はフラフラと母に近づく。胸元に刺さったナイフに触れると、母の瞳が一瞬動いた気がした。それなのに、目の前で大切な人が死にそうになっているのに、頭がぼうっとして何も考えられなくて。



『…………おかあ、さん』

『……きょう、や……この、ナイフを抜いて……お母さんの……仕事、仲間に渡しなさい……!』

『……かあさ、何言って……まだ、死んじゃ』

『……きょう、や……きょうか……ごめ、なさ……ふたり…と、も……しっかり……生、き………』

『いや……お母さん、お父さん…………いやああああああああああああああああああああああああ…っ……!』



 姉さんの泣き喚く悲痛な声が、リビングいっぱいに響く。
 あの瞬間は、涙が出なかった。足ががくがく震えて立っていられなくて、床に座り込んだままただただ母さんの肩を何度もゆすって、ただ起きて、起きてと声をかけるだけ。言いつけ通りにナイフを抜いても、まだ目の前にいるのが母だと信じたくなくて、いつもみたいにお帰りって言ってほしかった。

 そのとき、家のインターホンが鳴り響いた。開けっ放しのリビングの扉から顔を出した僕の友人たちは、目の前に広がる惨劇に小さく声を上げて腰を抜かす。
 彼らが見たのは、床に転がった父の生首に胸を刺されている母と真っ赤に染まった部屋、真っ赤に染まった僕自身、そして手に持っている1本のナイフ。

 なんとなく思った。ああ、すべてが終わりなんだと。



『……きょうや……お前……!?』

『……う、うわああああああああっ!』



 悲鳴を上げながら逃げて行く友人をそのまま追うことも出来ず、僕はナイフを床に落とした。警察に連絡しなきゃいけないのは分かっているのに、足にも腕にも力が入らなくて、立ち上がることが出来ない。上手く身体が動かない。
 そのまま床に倒れこんで、そして僕は生まれて初めて大声で、プライドなんて捨てて、泣き叫んだ。



 *
 *
 *



「…………………!」



 目が覚めた。額に滲む汗で、今まで見ていたものが夢なのだと思い知らされる。掛布団を退けて身体を起こすと、全身が酷くぐったりと重く頭もずきずきと痛む。



(……最近はあんな夢、見なかったのにな)



 微かに開かれた障子の間から漏れる朝日の光が、部屋の畳に差し掛かっている。フラフラと立ち上がって廊下を壁伝いに歩き、キッチンへ向かう。コップに汲んだ水を1杯喉に通すと少しだけ胸の中の苦しさが晴れた気がした。身に着けている着流しの胸元を一滴の汗が伝った。軽くシャワーを浴びて汗を流し制服に着替えてから、洋室のソファに深く沈みこむ。
 この部屋で、僕と姉さんの目の前で、父と母は殺された。しかし2人が先祖代々引き継いできたこの家を離れることなど出来ない。今この家を守れる者は僕しかいないのだから。それでも目を瞑るたびに、鮮明に蘇ってくるのは先ほどのあの光景。



 あの後僕はしばらく意識を失っていて、気が付けば病院のベッドにいた。どうやら父と母が狙われていることを聞きつけた、キャバッローネの者が病院まで運んでくれたらしい。でも父と母を助けるのには、一歩間に合わなかったのだと。
 死体の処理もお墓のことも誰がいったいどうやったのか、分からなかった。あのナイフをちゃんと持っていってくれたのか、それも分からない。ただ明らかだったのは、それをやったのが警察ではないということと、真実を探してくるという手紙を残して姉さんがイタリアへ行ってしまったことと、両親が死んだという漠然とした事実のみ。

 まだ小学生だった僕に大人2人を殺せるはずがないなんて考えれば分かるし、僕が殺したわけではないと皆理解しているにも関わらず、周りは僕を毛嫌いし穢れた目で見るようになった。仲の良かった友人も近所の人も小学校の先生でさえも、僕に近付くことが無くなった。きっと友人が事件のことを言い触らしたんだろうが、両親が殺されたその事件が新聞沙汰にもニュースで流れることにもならないような怪奇的な事件だから、死神のような存在だとでも思っているんだろうと思う。
 マフィアのことを話したところで真実なんて警察に突き止められるはずがない。あの世界がどれだけ頑丈な錠で閉ざされているのか、当時の僕でもそのくらいは分かっていたから。



 小学校6年のときだったと思う。僕は家で勉強をしていたところをかつての友人に襲われかけ、初めてトンファーを振るった。父さんが、生きていた頃に愛用していた物だ。
 それっきり、僕の心はどんどん闇に蝕まれ、鬼へと化していった。中学に上がった後も、何もしなくても周囲からは人がいなくなっていく。僕の心に開いた穴が満たされることはもう無かった。



 僕が恐れられるようになったのは、中学に上がって2ヶ月が経った頃のこと。ある日学校に乗り込んできた不良グループが無差別に並中生を襲うという事件が勃発した。小学校で襲われかけて以来トンファーで人を傷つけることなんてなかったけど、あの時すでに僕の頭は、そして心は崩壊していたんだと思う。
 僕よりもはるかに身長も体格も大きい不良たちは一般的に見て僕に倒せるような輩ではなかった。しかし自分でも驚くことに、僕は父さんのトンファーをまるでずっと長い間使っていたかのように振るい不良たちを一瞬で滅多打ちにしてやったのだ。

 僕の手で下された制裁により、不良たちが生徒を襲うことは無くなった。しかしその事件以来僕は並盛中の生徒、いやこの街や周辺の街の人々から恐れられることになった。



(何をすれば分かってくれたんだろう。みんな僕が悪くないって分かってるのに、どうしてこうなってしまったんだろう)



 カチリ、と壁にかけてある時計が音を鳴らした。毎日5時30分には目が覚めるが、今時計の短針が示しているのは7。草壁に朝の仕事を任せる内容のメールを作成し、重い身体を再びソファに身を沈めた。


 もうすぐ授業が始まるだろうという時間。こんな時間に学校に来たのは久しぶりだ。
 いつもよりも重い足取りで、校門を過ぎる。昇降口へ入ろうと一歩踏み込んだ瞬間、何処からかバイオリンの音色が聞こえてきた。



(バイオリン……?)



 心が温まるような音色。音楽に関心がなくとも、誰もが知っているだろうその曲のタイトルはG線上のアリア。どこか懐かしく感じるその音色。その音色に惹かれるように、僕は音の発生源である屋上を目指して、自然と足を動かして行くのだった。



 *
 *
 *



 同時刻、並盛中屋上。バイオリンを弾いていたのはいったい誰だったかというと。



[………気持ちいいなあ]

《お前のバイオリン聞くの、久しぶりだな》

[最近仕事ばかりで暇が無かったからね]



 バイオリンを弾きながらサルビアと会話をする、そんな器用なことをしているのは勿論せんだ。何故か突然バイオリンが弾きたくなり、家から持ってきたのだ。
 曲目はG線上のアリア。バイオリンはまだ夜神家にいるときに親戚から習ったもので、G線上のアリアはせんが初めて自分で楽譜を読んで弾いた曲だった。

 屋上に居るのはせんだけではなかった。ひなの、笹川、黒川、それから、クラスの女子が数人。なぜ屋上にこんなに人が集まっているのかというと、それは数分前、登校したときに遡る。



「あれ?せんちゃん、その手に持ってるのって何?」

「神谷、吹奏楽部なんて入ってたっけ」



 教室に入ったせんの手に握られているものを見て、笹川と黒川が言ったのが発端だ。机の上でケースを開いて見せると、中に入っていたのはバイオリンとサックス。意外にも音楽を嗜んでいる彼女だが、ケースを2つも持つのが邪魔なので特注で両方仕舞えるものをリーザに作ってもらったのだ。
 しかし、それを見せてしまったのがいけなかったと若干後悔することになるのだが。



「バイオリン弾けるなんてすごい!ちょっと弾いて見せてよ!」



 嬉しそうな声色の笹川に反抗できなかったせんは、結局こうして腕前を披露する羽目になっていた。彼女の弾くバイオリンを聴いたことがあったひなのも笹川たちに便乗していた。いつもなら聴衆はサルビアだけなのだが、こうして大勢に聴いてもらうのも気持ちがいいものだと思う。

 バイオリンから紡ぎだされる音色に誰もが耳を傾けていたとき、屋上のドアが静かに開いた。姿を現したのは、風紀委員長。その姿を見て笹川を始め黒川やクラスの女子たちも、ヒッと喉から声を出す。彼の姿に気付いたのか、せんは演奏を止めて話しかけようとするが。



「……いいよ、そのまま弾いてて」

「……雲雀……どうしたの?」



 弾いていて、と言われたのだがあまりにもそんなことを言う彼の空気が澱んでいたため思わず手を止めてしまう。雲雀は途切れた音色にため息をつくと、フェンスの方へ歩いて行き崩れるように地面に座り込む。



「……続けてよ」

「……いいの?見回りの時間だったんじゃ」

「今学校に来たばかりだよ。いいから、早く」



 立てた膝に顔を深く埋め、それっきり何も喋らなくなった雲雀。珍しく従順な彼の態度、そしてその態度の原因に気付いてしまったせんは、大きなため息をつく。



「……笹川もみんなも、折角聴いてくれたのに申し訳ないんだけど先に教室へ戻っててくれないかな」

「え……?うん、分かった。バイオリンすごく上手だったよ!」

「授業、遅れないでね」

「うん、ありがとう。ひなのは……」



 いくらか助けを請うようなせんの視線に、ひなのは力強く頷く。



「もちろん、私は此処に残るよ」

「……視線だけで分かってくれて嬉しいな」

「……えへっ」

「……そういうことだから、みんなもまた後で」



 せんに促され、ひなの以外の聴衆は屋上をバラバラと後にしていく。さっきまで賑わっていた屋上にいつものような静寂が訪れた。せんはバイオリンをいったんケースの上に置くと、ひなのの腕を引っ張って雲雀のそばに腰を下ろす。



「……ごめん。あたしが傷を抉るような話を持ちかけたから」

「……別に、君のせいだなんて思ってないよ。真実なんだし」

「……でも」



 昨日せんが雲雀に持ちかけた、雲雀の両親殺害の話。今日の雲雀の重そうな雰囲気は少なからずそれが関係しているのは間違いないだろう。

 さすがに申し訳ないことをしたなと思いつつ、彼がこの学校で恐れられている意味が分かってしまって、かける言葉すら見つからなかった。しかし、ふと雲雀が口を開く。



「……じゃあ、悪いと思ってるなら演奏続けて」

「……え、だけどもうすぐ授業も始まるし」

「……聴いてると、落ち着くから。だから、弾いてて」

「でも、具合悪いんでしょ?休んでたほうが……」

「昔、母さんもその曲をよく弾いてたから。だから、お願い」

「……!」



 転校してきてからこの学校で雲雀と一緒に過ごす時間長くなってきたけれど、思い出す限りそれが初めての彼からの『命令』ではない『お願い』だった。彼はおもむろに学ランを脱ぐと、地面に置きその上に倒れこむようにして横になる。血色の悪い額に滲んだ汗が、地面に落ちた。



(ポーカーフェイスで感情を隠すところも、自分で何もかも抱え込むところも。全部そっくり)



 雲雀の姿に、せんは重ねた。朧にではない。もちろん朧にも似ているのだが、他でもない、自分自身に。やっぱりそうだ。この人は誰よりも自分自身にそっくりなのだと気づいたのは最近になってからだった。
 せんはやれやれ、といった表情を見せると、置いていたバイオリンを構える。



「今日だけ、特別だからね」

「……ん、分かってるよ」

「わーいっ、せんのバイオリン好き!早く演奏続けてよっ」

「ひなの、あんたは少しうるさい黙って」

(せんのやつ、相変わらず素直じゃねーなあ……)



 *
 *
 *



「サルビア、今日は何か仕事入ってた?」

〈いんや、今日は何もねーぜ〉

「……そっか、じゃあ久々に早く帰れるね」



 家までの道のりを、サルビアと言葉を交わしながら歩く。
 満開だったあの桜の花もすべて散ってしまい、日中の日差しも強くなってきている。暑いのが苦手なせいで夏という季節も大嫌いで、早く涼しくならないものかと思う。手でパタパタと顔を仰ぎながら歩いていると、ポケットの中で携帯が振動するのが分かった。



「……誰から?」

〈リーザからみたいだぜ〉

「……面倒だな。もしかして仕事の依頼?ふざけんなよ」

〈……相変わらず哀れだなリーザ……〉



 サルビアの呟きを聞き流しつつ、ボタンを押して電話を耳に押し当てる。



「何の用、リーザ」

『おー、せんか?ちょっと気になるニュースが手に入ってよ、伝えようと思ってさ』

「気になるニュース?」

『そうそう。この町に『毒さそりビアンキ』が来てるらしいぜ』

「毒さそりビアンキ?ああ、触れたものを何でも毒の料理にしちゃうって変な能力持った人か」

『変な能力って……さすが、よく知ってるじゃねーか。そんでさ、そいつが今な、』



 リーザの言葉を聞き終えるその直前。目の前に自転車に乗った女性が止まった。ヘルメットをかぶった大人の女性が、ママチャリに乗っているなんてなんとも不自然すぎて面白いものだ。



《……噂をすれば何とやらだ。こいつ毒さそりビアンキだぜ》

[……うわあ、ナイスタイミング]

「ちょっとあなた、道を聞きたいんだけどいいかしら?」

「別に構わないけど……何処へ行きたいの?」

「『浜名湖』という湖を知っているかしら」



 自転車に乗ったビアンキ、通称『毒さそり』。何を尋ねてくるのかと一瞬身構えたが、その一言に思わず呆気に取られぽかんと口を情けなく開けてしまう。

 並盛中へ転校してくる前の話だが、地理という教科もしっかり勉強していたので浜名湖の場所くらいは分かる。だがママチャリに乗った大人の女性が、一体浜名湖へ何をしに行こうというのか。どう考えても可笑しすぎる。



「……なんなんだこの人]

《さあな。毒料理作りすぎて頭いかれてんじゃねーのか》



 彼女に話しかけられてからずっと黙り込んでしまっていたこと不思議に思ったのか、ビアンキはどうしたのか、と首を傾げているようだ。まあひとつだけ考えられるとすれば。



「……あ、もしかして鰻でも取りに?」

「あら、よく分かるじゃない。浜名湖ってそんなに鰻で有名なのかしら」

「それは知らないけど、浜名湖の場所を知りたいなら町役場にでも行った方がいいんじゃないの」

「……確かに、そのほうが賢明かしら。ありがとう、可愛いお嬢さん」



 ビアンキはそう言うと、ちりんちりんと音を鳴らしながら去っていった。しばらくその後姿をぼんやりと見送り、受話器にもう一度耳を押し当てる。



「…………今の会話聞こえた?」

『ああ、ばっちり。お前運良すぎるだろ、言ったそばから接触するとか』

「これが殺し屋の性なんだろうね。それで、もう用はないよね」

『まあな。機会があったら一度接触しとけ、って言おうと思ったんだけど、それはもうクリアだ』

「……そう、じゃあ切るよ」



 もう用事もないなら、とっとと電話を切って帰るだけだ。電源ボタンを押そうとしたが、それはリーザの大きな声によって遮られた。



『そうだせん、今日の夕飯は久々にピザ焼いたからな。楽しみにしてろよ』

「……そう。一応楽しみにしとくよ」



 あたしはイタリア生まれのイタリア育ちだ。母国の料理である和食も好きだけど、やっぱり生まれ育ったイタリアの料理が一番好きだ。中でも、プロ並の料理の腕を持つリーザの作るものは絶品。どうしてあそこまで料理が上手なのかは分からないけど、本当にどこかの料亭で働けるんじゃないかと思うくらい。



『一応じゃなくて、素直に楽しみって言えばいいのによ』

「……何か言った?」

『いんや、何も言ってねーよ。じゃあ、早く帰って来い』

「……うん」



 今度こそ電源ボタンを押し、それをバッグの中に仕舞う。それから午前中の会話を思い出して、遠くに沈み行く夕日から零れる光を朧気に感じつつため息をつく。
 あたしには、本当の家族ではないけれど、帰ればお帰りと言ってくれる人がいる。だけど、雲雀にはそんな人すらも今はいない。リーザの言葉を聞きつつ、それがひどく切なく思えた。



〈最近、ため息増えてんぞ〉

「そりゃ、無意識じゃなくても出るもんでしょ。あの学校に通い始めてから、毎日疲れが溜まってしょうがない」

〈ま、今日は久々に早く帰れるんだし、風呂でも入ってゆっくりしたらどーだ?〉

「それもそうだね。サルビアも、たまにはリーザに身体を洗ってもらいなよ。何ヶ月間も血がついたままは嫌でしょ」



 ぐ、と大きく伸びをしながら、夕日を背に再び歩き出す。少しだけ、雲雀のためにまず何をすべきがが見つかった気がする。まずは、安心して家に帰って、ただいま、って言えるような環境を作ってあげることだ。

 もう一度、携帯を取り出して、初めてその番号を呼び出す。3コールで電話口に出た雲雀にお帰りなさいって言ってあげれば、相変わらず変な子だね、と言って少し笑われた。





(神谷せん。目の見えない、不思議な転校生)
(最初はどうせ、って思った。でも、違った)

(どうしてだろう、彼女のとる行動の一つ一つが心に響くんだ)
(バイオリンを弾き終わった彼女の楽しそうな顔から、目が離せなくなった)









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