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〈なあ、あれって風紀の兄ちゃんじゃねえか?〉

「ん……?」



 つかの間の夏休みには特に特別な用事もなくて、日本に滞在したままいつものように仕事を請け負ったり風紀委員の仕事をして終わって行った。

 9月に入って数日。本格的な暑さは過ぎ去ったはずなのにまだまだ残暑が厳しくじっとりした太陽光に毎日伸びているところだった。いつもと変わらない今日も今日とて、委員会の仕事に行こうといつもの様に廊下を歩く。するとサルビアがふとそう呟いた。
 窓を開けて身を乗り出してみれば、トンファーが生み出す派手な音と彼の殺気が身体を痺れさせる。視覚以外の感覚が人より優れているためか、殺気を感じると殺し屋の本能が疼くのだ。



「………またあたしの目の前で……」

〈でも相手煙草吸ってる奴じゃん。校内で煙草吸ったら風紀の兄ちゃんがキレるのも当然だって〉

「煙草ねえ。どいつもこいつも雲雀を怒らせるようなことしてくれちゃって」

〈どーすんだ、止めに行った方がいいんじゃねえか〉

「まったく、本当にじゃじゃ馬っていうか、問題児っていうか」



 正直口ではそんなことを言うものの、その行動の裏側にある過去を聞いてしまった以上、彼の喧嘩を止めるときも色々気を遣わざるを得なくなった。何でもかんでも好き勝手に止めると彼の機嫌がしばらく絶不調になって面倒なことになるのだ。
 毎日増えつつあるため息の中で今日1番大きなため息をつくと、中庭にいる彼らを目指して窓枠に手をかけるのだった。



 *
 *
 *



「はーい、喧嘩ストップ」

「……?」



 窓枠に手をかけて2階から雲雀の前に着地する。そのまま地面を蹴ってある程度の高さから振り下ろされるトンファーを、サルビアのカウンターに支えられつつなんとか受け止めた。
 雲雀の標的になっていた、煙草を吸っている男子生徒たちは思わず口から煙草を落としてしまったようだ。独特の臭いが鼻をつく。まあ驚きもするだろう、なんたって雲雀のトンファーを女子生徒のあたしが軽く素手で止めたわけだから。



「雲雀、言ったはずだよね?あたしが気付く範囲でトンファー振るなって」

「そんなこと言ったら、君離れててもすぐ気付いちゃくでしょ」

「……殺気には鋭いしね」

「ほらね。これでもあれから加減してるくらいなんだし少しは自由にさせなよ」



 雲雀はそうは言いつつ素直にトンファーを下ろす。あれから随分と雲雀も丸くなったというか、素直になったのではないかと思う。両親が殺された時の状況を詳しく聞いてからずっと封じ込めていた心の闇を、その真実を解明するためとはいえ少なからず開いてしまったことに対して申し訳ないと思っていないわけじゃないのだ。
 むしろ、あれが正しい行動だったのかと、考えれば考えるほどに反省してしまう。



「さてと。それは置いといて、悪いのはもともと全面的にあんたたちだけどね」

「えっ!?」

「えっ、じゃないよ。何言ってるの、常識的に考えて悪いのは雲雀じゃないでしょ」

「校則云々言う前に未成年の喫煙は法律違反でしょ、警察に突き出してあげようか」

「ひっ……す、すみませんでした!」

「もうしませんからっ、許してください……!」



 煙草を地面に残したままわあわあと間抜けに喚きながら逃げて行く不良たち。まだ少し煙を上げているその煙草をぐしゃりと足の裏で踏みつけると、胸ポケットからブラックリストを取り出す。そしてサルビアの記憶を頼りそこに先ほどの彼らの名前をスラスラと書いていく。さっきの奴らは、前にも何度か違反をしている奴らだからもういい加減名前も覚えたものだ。
 最近こうして文字を書くことが多くなり、英語やイタリア語を書くことには今までより慣れてきたように思える。



「………律儀だね」

「こういうことちゃんとするのが、あたしに課した仕事でしょ」

「はいはい。それから、中靴のまま出てこないで。というより窓から降りてこないで」

「そうでもしないと、雲雀絶対あの人たち殺ってたでしょ。無謀な制裁を止めるのがあたしのメインの仕事なんだから」



 ブラックリストにテキパキと名前を書き込み、足の裏の土を払う。
 まだ風紀委員に入れさせられたことを不満に思っていないわけではないが、今更辞めたいと思っているわけでもない。だからこうやって仕事をしているのも、適度な暇つぶしにもなるし最近は楽しいと思い始めていたところだ。いつでも例の美味しい紅茶をただで飲めるのはありがたいことだった。



「……まあ、いいや。今日は仕事ないしもう帰っていいよ」

「…………え、珍しい。全部雲雀が終わらせたの?」

「そうだけど……何、まだ帰らないなら僕と戦」

「わないからね」



 雲雀は最近、口を開けば戦え戦えとうるさいものだ。それを聞き流すように背を向けて、土のある部分をなるべく踏まないように草の部分を踏みながらとんとん、と窓のほうへ駆けて行く。そして、1階の窓の枠に足をかけた。



「……ちょっと、何する気?」

「何って、2階に戻るんだけど」

「そこから戻るつもり?何言って……」



 雲雀が言葉を言い終える前に、窓枠を思いっきり蹴って、2階の窓枠に手を掛ける。パルクールっていう技術らしいがこのくらい殺し屋の仕事をしていれば出来て当たり前だ(と思っている)。そして、壁を伝ってさっきまでいた2階へ何事も無かったかのように戻る。



「………ちょっと、君本当に女?それにそういう事するとスカートの中見えるよ」

「見るなよ!ひなのが当たり前のようにハッカーやってるのと同じで、あたしも身体能力高いのが当たり前のようなもんなんだよ」

「……女子の身体能力超えてるでしょ」

「ま、仕事がないならこれで帰らせていただきまーす」



 ヒラヒラと手を振り、廊下を駆ける。あたしが生まれつき身体能力が人より高いのと同じで、雲雀がああしてマフィアでもないのに独学で力をつけたのは、生まれつきの才能があったからなのではないだろうか。などと考えつつ昇降口へと足を早めた。



「さて、雲雀を振り切ったはいいものの、今日は仕事もないし、どうしよっか」

〈ま、たまにはゆっくり休暇をとるのもいいんじゃねーか〉

「それもそうかも。あ、そういえばリーザに買い物頼まれてたんだ、スーパー行かなきゃ」



 荷物を取りに教室に戻ってそれから校舎を出た後、あたしとサルビアは何の宛てもなく夕方の並盛をぶらぶらと歩いていた。最近はだいぶ多忙だったのだけど、こう仕事が無い日というのも稀で逆にそんな日ほどすることがなくて暇なものである。



「……ほんとに暇だ……」

「……あれ、もしかしてせんちゃん?」

「うあ?」



 大きく伸びをしている最中、遠くから誰かに名前を呼ばれた。あたしのことをせんちゃんなどと馴れ馴れしく呼んでくるあたり、心当たりのある人物は記憶の中に1人しかいない。



「……笹川か」

「さっきぶりだねせんちゃん!」



 例の沢田綱吉が想いを寄せているという(あくまでも殺し屋の勘だが)笹川京子。ふわふわした優しい性格や容姿が人気を集めていて、並盛中の中でもかなり好感度が高いらしい。まああたしには彼女の容姿が見えているわけではないから『可愛い』の基準が分からないのだけど。
 笹川はあたしの方に駆け寄ってくると、少し乱れた息を整える。



「で、こんなところで何してるの?こっち帰り道?」

「あっ、せんちゃんも一緒に来る?ツナくんの家!」

「……………………は?」



 今、言葉のキャッチボールが全く出来ていなかったことに彼女は気付いただろうか。



「………沢田の家?なんでそんなところに」



 沢田の家、つまりはボンゴレ10代目候補の自宅ということだ。
 目の中で黙っているサルビアも、きっと今あたしと同じことを考えていることだろう。彼の家に行くということはボンゴレの本部ともいえる場所に行くということだ。敵地観察とまでは言えないけれど、あたしたち六花やヴェルベーナにとってボンゴレファミリーの本部とは大切な場所になるのだ。そうとなれば、行くしかない。

 一度決めたら動かずにはいられないのが殺し屋の性。



「いいよ、着いて行ってあげる。案内してよ」

「うん!こっちだよ」



 楽しみだなあ、と言いつつ嬉しそうに笑うサルビア。あたしも、柄にもなく少しだけ心を躍らせながら、笹川の後を着いていくことになった。



 *
 *
 *



《……これが、ボンゴレ10代目の家か?》

[そうみたいだね]



 沢田の家を目の前に、正直驚きを隠せないでいた。ボス候補の家とあらばもっとリーザの家のような豪邸を予想していたのだけど、これではろくな作戦会議も出来やしない。声の響きなどから沢田の家の大きさはあたしにも理解できているけれど、驚きを表情に出すことはなかった。家の中から声が聞こえてくることを考えると、扉も壁も相当薄いのであろう。



「……とりあえすドア開けちゃっていいかな?」

「あ、ちょっと笹川!」



 あろうことか、笹川は中から聞こえてくる声を不審に思ってかインターホンを押さずに扉を開いたのだ。性格に似合わず随分と思い切ったことをする人だ。
 そこにいたのは、もちろんその家の住人である沢田綱吉。その後ろには夏休み前に道端で出会ったあの毒サソリ。そのビアンキに抱きつこうとしている白衣を着た男。そして彼らの足元に佇んでいる、ボルサリーノを被った赤ん坊。



「京子ちゃんに神谷さん!?」

「こんにちは、ツナくん」

「京子ちゃんはともかく、なんで神谷さんまで家にいるのー!?」

「あー、なんか成り行き上?通行人Aみたいな」

「何それー!?」



 それから笹川が沢田と話し込んでしまったため、あたしはやることも特になく、今この家の中にいる面子について考えを巡らせることにした。
 まずは毒サソリ・ビアンキ。正直、彼女は浜名湖まで鰻を取りに行く変な女性としか位置づけられていない。そして白衣の男はおそらく噂に聞いていた、トライデント・シャマルの名を持つ医者、シャマルだろう。そして。



[……あれがリボーン、か]

《確かそんな名前だったか》



 サルビアはにたりと笑いながら言うと、階段の前に佇んでいる赤ん坊を見遣った。
 もちろん彼はただの赤ん坊ではない。呪われた赤ん坊としてその呪いを解く鍵を探しているという赤ん坊のうちの、黄色のおしゃぶりを持ったアルコバレーノ。最強のヒットマンと謳われボンゴレ9代目から絶大な信頼を受けている、リボーンだ。

 何故こんなにも不思議な面子が集まったかということを考えると、やはりアルコバレーノが引き寄せたと考えるのが妥当であろう。



[アルコバレーノか。こうして実際に会い見えるのは初めてだ]

《そっか、会うのは初めてだったか?》

[何度か依頼を受けたことはあるけどね]

《俺はもう依頼内容なんて覚えちゃいねえけどな》



 そう言って、今度はリボーンから沢田に視線を移したらしいサルビアだが直後、彼は爆笑することになる。
 言葉の通りサルビアは沢田を見た瞬間、こともあろうことか笑い始めたのだ。



《あっははははは……!お前は見えてねーだろうけど、沢田の体中に書いてある言葉がもう……武勇伝過ぎて……!》

[……は?体中に言葉?]



 サルビアの言っていることを要約すると、こういうことだ。今沢田は家の中でパンツ一丁になっているわけなのだが、何故かその身体全身に文字が書かれているのだ。ドクロが喋っているかのように書かれた内容があまりにも悲惨すぎて、逆に笑えてくるという。



《ひゃははははっ……なになに、『雲丹をクモタンと読んだ』だってさ!》

[へえ、面白いこと書いてあるじゃん。他には?]

《他には……あっ、これはどうだ?『女子と話したのは京子ちゃんが初めて(2ヶ月前)』》

[あはは、初心だなあ沢田綱吉]



 いくつか面白いものをサルビアに読んでもらうが自然と顔は綻んでしまい、それに沢田も笹川も気づいたようで目を丸くしてこちらを見ている。



「ちょっ……神谷さんまで笑わないでよー!」

「いや……ごめん、沢田って面白いんだね」

「そ、そう、なのかな?」



 久々にこんなに笑かしてもらった気がする。一通り笑い終わって、大きく息を吐いた。

 その後沢田は病気を突然治す気になったらしいシャマルに連れられて2階へ上がって行き、笹川は家に上がり玄関先にはあたしだけが残る。いや、正確に言えば階段の前に赤ん坊が1人いるが。



「常に絶やすことのないその殺気。お前は、請負屋のセーヌ=ヴェルベーナだな」

「そっちはアルコバレーノ、リボーンだね」

「ああ。セーヌ……いや、本名の夜神せんと言ったほうがいいか?」



 思わず、驚くが表情には極力出さないよう努める。請負屋のセーヌが夜神せんだと知る者は近親の者やディーノ以外にいないはずだ。思わず足を一歩後ろに下げ、いつでも宵桜を手に取れるような体制になる。



「セーヌが夜神せんだって確信した証拠は持ってるの?誰かから聞いたのかな」

「そのことも、夜神一族が滅びかけていることもすべて9代目から聞いている。まさか本当にこんな小娘だったとはな」

「ああ、そっか情報源はそこしかないか。まあそりゃ9代目は知ってるよ。でも君の洞察力はさすがだね」

「あたりめーだろ。請負屋のセーヌは俺がもっとも尊敬する殺し屋だからな」

「ワォ、あたしでも一応尊敬とかされてるんだ。でも残念、マフィアのあんたに憧れられても嬉しくもなんともないよ」



 なんとなくこの頃雲雀の口癖が移ってきたなあなどと思いながら、呆れた表情を浮かべるしかない。
 世界最強のヒットマンとして恐れられているリボーンが、まさか自分を尊敬しているなどとは想像もしなかった。でもあの頃からリボーンはあたしが夜神せんだと知っていて、それでわざと依頼をしてきたとでも言うのか。まるで本当に尊敬に値する殺し屋なのかを見極めるかのように。まあ、こんなことを言っているくらいだからきっと認められたのだろうけど。

 リボーンはボルサリーノを深く被ると、ニタリと口元を緩める。



「……んで、死神が何しにこの家に来た?」

「初めて会ったのにそんなこと聞くなんて非常識だね。そんなんじゃこの先生き残っていけないよ」

「ずいぶんと余裕だな。さすがは俺の認めた殺し屋だ」



 リボーンは直接会うのは初めてだったけど、なんとなくこいつとは初めて会った気がしなかった。依頼の中でメールのやり取りを何度かしたことはあるけど、この不思議な感覚は何だろう。
 とはいっても、あたしはもちろんマフィアが嫌いだし、同じ殺し屋という職業であってもリボーンは根っからのマフィアなのだから、一応はお互いを敵として認識している。しかし何故か反りが合うようで、いつものマフィアのようにそれほどの嫌悪感を抱くこともなかった。それだけ、あたしですら倒すのが大変だと思うくらいこのリボーンという男も強いのだと、そういう事だろう。



「忘れちゃいけないよ。今君が生き残っていられるのは全部先祖代々から力を受け継いできているあたしたちのお陰だってことをね」

「忘れるはずもねぇ。ボンゴレも関係しているんだからな」



 ボンゴレも関係している、というのは初代六花の時代に六花とボンゴレの間の繋がりが深かったという意味だ。仙月様の恋人だった人物、そして月哉様の父であるその人物は、ボンゴレ初代雲の守護者なのだから。

 いまや世界の均衡を保つための重要な存在といえる六花はあの時代、マフィアの一員であった彼の協力無しでは成り立たなかった。故に仙月様とその恋人が亡くなった後に息子の月哉様によって完成された六花の存在は、千都たちヴェルベーナファミリーにもリボーンや沢田たちボンゴレにも大切な存在なのである。



「……さて、別に用事も無いしあたしは帰るとするよ」

「……何か用があって来たんじゃなかったのか?」

「いや、ただ笹川が『沢田の家に行く』って言ったから、10代目候補の家がどんな場所か見たかっただけ」

「……そうか。案外小せぇ所だろ?」

「まあ、確かにね」



 こんなところじゃ会議もできないだろうね、と呟いてみれば、唐突に黙り込むリボーン。それからしばらく沈黙が続き、彼の口から出てきた言葉は。



「夜神せん。お前本当に……視力、ないのか?」

「……疑ってるの?9代目からどこまで聞いてるかは分からないけど、こいつを見れば分かるんじゃないかな」



 目の中のコンタクトレンズを取り出す。それがぐにゃりと形を変え、姿を現したのは真っ黒な翼をはためかせた鴉。
 リボーンの相棒、レオンというカメレオンと同じ、形状記憶動物。視力がある人がこんなものを目の中に入れていれば、そりゃあ随分と生活がし辛くなるんだろうなとは思う。



「そいつが、お前の眼か」

「そいつ呼ばわりしないでくれないかな。サルビアはあたしの大切な相棒なんだよ」

「……そうだったな」

「まだ信用できないなら、あたしの目の前で手でも叩いてみたら?」



 目の中にサルビアを戻すと、リボーンの纏う空気が少し先ほどより柔らかくなったような気がした。どうやらあたしが本物のセーヌだと、夜神せんだと認めたらしい。
 例え彼があたしを認めたとしても、関係ない。時期が来れば、彼はあたしの敵にも味方にもなりうるのだから。



「ま、くれぐれもあたしのことはその胸の中に閉じ込めておきなよ」

「例え言いたくても、俺たちマフィアには掟があるからな」

「マフィアってのは、だからくだらないんだよ。まあ、またどこかで会うだろうね」

「……ああ、『またな』。夜神せん」

「……うん、『またね』。殺し屋リボーン」



 強ち、笹川に偶然会ったからとはいえここに来たのは間違いじゃなかったかもしれない。一応リーザやジェニファーさんに報告しておくべきだろう。近辺の強化をしておかないとこれ以上あたしの情報が漏れるのも困る。たとえ掟があったとしても、人の口約束など紙以下ほどの脆さなのだから。

 踵を返し玄関の扉を閉めたあたしの後ろで、ドア越しにリボーンが意地悪く笑っていたことなんて、あたしは知る由もない。





(アルコバレーノ……か)
(また厄介な奴が現れたもんだな)
(世界最強と言われていようと、あたしの敵になる日が来たら容赦はしないけど)
(……ったく、さすがプロの精神だな)





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