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 笹川や黒川の案内で学校にある様々な教室や施設を大方回り、自分のクラスのある棟に戻ってきたせんとサルビア。仕事柄方向感覚が恐ろしいほどに優れているため校内で迷子になることは避けられそうだった。しかしいざ教室へ戻ろうとしたところで、まだ説明されていないとある教室を2人が何も言わず通り過ぎたことに気付く。

「ねえ笹川、この部屋は?」
「あ……そこは、えっと、生徒会室って言うんだけど、あまり近付かない方がいいよ?」
「……へー、そうなん……いやいや、なんで?」

 笹川の返答に思わず突っ込んでしまうのも無理はない。その教室の前で立ち止まるせんに対し焦りを見せる笹川と黒川。どういうわけだか分からないがここは職員室の隣にある、いたって普通の教室である。

「夜鳴さん、早く行こう?ここは風紀委員会が……」
「え、入らなくていいの?」
「うん。ここは他と違って……」
「ねぇ君たち、扉の前に立たれると邪魔で部屋に入れないんだけど」

 突如響いたのは、笹川のものでも黒川のものでもない、低いテノールの声。耳に響く凛としたその声の主は、朝方桜の木の下で出会った彼のもの。笹川と黒川は彼を見て、何故かひどく震えている様子だった。

「……ああ、君は朝の」
「ひ、ヒバリさん!」
「夜鳴さんまずいよ、早く行こう」

 鋭い目線を飛ばす彼に対し、彼女たちは僅かに震え上がりながらもそう囁く。ふとそこで例の忘れ物のことを思い出したせんは、急いで鞄から畳んでおいた制服を取り出した。そういえばトレードマークである学ランを羽織っていないではないかと気付いた笹川と黒川は、それがまさか転校してきたばかりの少女の鞄から出てくるとは露知らず、思わず言葉を失い顔を見合わせてしまう。

「これ、置きっぱなしにしてったでしょ。忘れ物だよ」
「わざわざ畳んでくれたんだ。ありがとう」
「いや……わたしも、早く返しに行きたかったんだけどあんたの居場所を知らなかったし、時間もなくて」

 彼はせんの手から学ランを受け取る。豪快な音を立てて羽織り畳んだことでついてしまった皺を直している様子を、少女の隣に立つ笹川や黒川は驚いた表情で見つめている。何故そんなにも彼を怖がるのか、せんにはその理由がいまいちよく分からなかった。

「……そうだ。ちょうど君を待っていたところだったんだよね」
「……は?わたしを?」
「他に誰がいるっていうの。入りなよ」

 彼はスラックスのポケットからやや錆び付いた鍵を取り出し鍵穴に慣れた手つきで差し込む。そそくさと部屋の中に消えた彼の足音を聞きながら一瞬ぼうっとしていたせんは、サルビアの一声ではっとし、振り返る。

「……えっと、笹川に黒川、案内してくれてありがとう。なんかそういうことだから、また明日な」
「え?う、うん……」
「ま、またね夜鳴さん」

 せんは丁寧に礼を言うと、心なしか急ぎ足で去っていく2人を見送り、彼の後を追って部屋に入る。
 部屋の中のつくりは、他の教室と然程変わりがないようにも思えた。それより気になるのは、彼が夜鳴零を探していた、ということだ。
 しかし今聞くべきはそれじゃない。座れと促すようにこちらへ椅子を引いた彼は、そのままテーブルを回って反対側の椅子に腰掛けた。さっそくずっと気にかかっていたことを問う。

「……あの、朝言ってた風紀委員長ってどこにいるの?挨拶しろって言うから探してるんだけど」

 椅子に座るよう促され素直に部屋の中心に位置する椅子に座れば、その問いかけに対し何故か彼はクスリ、と笑う。その笑い方はどこか懐かしく、せんの頭の奥底に眠っていたある記憶が呼び起こされる。
 そう、それはとても懐かしく、それでいて愛しいあの人の記憶。

(………ああ、あの笑い方に雰囲気……そうだ、この人、朧兄さんに似てるんだ)

 ぶっきらぼうで冷たいようだが安心する口調や笑い方、纏う雰囲気。そして寂しげなその面影が、記憶の奥深くに眠っている兄、朧の記憶をよみがえらせる。
 いつの間にか部屋の中にいた彼の部下らしき人物が、目の前の机に紅茶を置いてくれる。取っ手を掴む手が動揺のせいか、震えて止まらない。

「………っ……!」
「……どうかなさいましたか?」
「……え?あ……いや、何でもないよ」
「もしかして、紅茶はお嫌いでしたか?」
「や、そういうわけじゃなくて。えっと、いただきます」

 部下の人に気を遣わせてしまったようだ。慌ててカップに口付け紅茶を含ませると、温かさとやや渋みを持った紅茶のフレーバーが口いっぱいに広がる。甘さも含んだ柔らかい味に一息つくと、せんの反対側に位置する椅子に座っていた彼はようやく口を開いた。

「それで、風紀委員長のことだけど」
「あ、そうそう。結局どこに……」
「僕のことなんだよね。それ」
「……………は?」

 しばらくの間、部屋の中に沈黙が走る。いたずらに成功ししてやったり、な笑みを浮かべて真っ直ぐこちらを見つめてくる彼に対し、頭の中で起きた矛盾に必死で対処しようとする。
 ここへ来る前、せんは笹川や黒川に学校について色々なことを教えられた。その話の中で、風紀委員長を筆頭とした風紀委員会はこの並盛を牛耳る最強の集団であり、むやみやたらに近づいてはならない存在なのだと聞いたのだ。しかしもし仮に彼がその頂点に立つ風紀委員長だとしたら、少し矛盾が生じるのではないだろうか。
 なんと言っても、彼は優れた観察眼で盲目であることを見破り、それを黙っていると約束してくれた上、学校の端に咲く桜に目をとめたり、こうして紅茶を出してくれたりと案外人間味のある優しい人物なのだ。

「………その様子だと君、僕についての噂を聞いてるみたいだね」
「………噂?ほんとにあんたが、風紀委員長なの?」
「そうだよ。僕は雲雀恭弥」
「……ひばりきょうや」
「そう。驚いた?」
「いや……驚いたっていうか……なんか想像と違うっていうか」

 想像していた怖い人、という像を壊されて明らかに狼狽えるせんを見て、くすりと笑う彼はやはり兄にそっくりである。

「僕も驚いたよ。噂を聞いて尚、僕を怖がらないのは君が初めてだ」
「まあ、実際にそういう姿を見たわけでもないしねえ……それに本当に怖い人は、季節外れの桜を哀れんだりなんてしないよ」
「……ふふ、それもそうだね」
「人は見かけによらないって言うし。その人がどういう人かは、実際に関わってみないと分からないでしょ」
「………」

 無言に耐え切れず紅茶のカップに口をつけるせん。そのうち中身が無くなりそっとソーサーの上にカップを置くと、ふと彼の視線が自分に向けられているのに気付いた。それは仕事をしている上で幾度となく向けられてきた、品定めをするような、観察をするような視線。

「…………ねぇ」
「なに?」
「君、どこかで会ったことない……?」
「……は?」

 不意に投げかけられた質問。彼、雲雀恭弥はじっとせんの顔を見つめ、何かを思い出そうと思案している。もちろんせんに雲雀と会った記憶は残っていないが、いやもしくは、会ったことはあれど今までたくさんの人に会いすぎてたくさんの人を殺してきて、忘れているだけなのかもしれない。大量の人物像に彼が押し潰されてしまっているのかもしれない。

「人違いかな」
「…………」

 話が途切れる。再び訪れる無言が痛くて、使い物にならない目を動かし視線を空に泳がせたそのとき、部屋の中に1人の男が、ものすごい形相で飛び込んでくる。

「委員長!中庭で乱闘を起こしている生徒を発見しました!」
「乱闘ねえ……ねえ君、名前何て言うんだっけ」

 視線を泳がせていたせいで反応に一歩遅れる。しかし彼のねえ、という一声ではっと我に帰った。

「名前……?夜鳴零、だけど」
「夜鳴零ね。ついでだけど、その中庭で乱闘起こしてる奴ら、君が片付けてきてくれない?」
「………え、なんで?」
「盲目の君が、何故1人で自由に歩き回れてるのか不思議でならないんだよ。なんだか強い殺気のようなものも感じるし、あれだけ普段から気を張ってるってことはそれなりに強いんじゃないかなって、考えただけ」

 随分と驚くべき観察眼だ。なんとなく的を射ているその答えに反論出来ず困るせんとどこか楽しげな雲雀を、瞳の中のサルビアは笑い飛ばしている。うるさい、と例の声で語りかけ瞳の中にそっと指を向けると、サルビアは反省したのか大人しくなった。

『……すっげぇ戦闘中毒』
《間違いねぇな。お前の実力でも観察するつもりなんじゃねーか?》
『冗談じゃないよ。この人はあくまでも朧兄さんに似ているだけで一般人だし。しかもこの人、挨拶した方がいいとか言ってわざとわたしをこの場所に来させたってわけだ。結構な策略家でもある』

 一般人には手を出さない。あくまでも殺す対象となるのはマフィアのみ。それが請負屋の絶対の掟。いつどこで誰が自分を見ているか分からないこの世界で、無闇に力をひけらかしてはいけないのだ。思わず重苦しくため息をつくと、その様子を見てか雲雀も同じようにため息をついた。

「……まあ、いいや。とりあえず君、明日またここに来てよ」
「……は?」
「君に興味がわいたんだよ、夜鳴零。じゃあね」

 雲雀はそう言い残すと、学ランの裾を翻しながら去っていった。中庭で乱闘を起こしているという人物を、始末しにでも行くのだろう。

『…サルビア、観察してみる?』
《賛成》

 何かが、起こる気がする。働いた殺し屋の勘に口元をきゅっと閉じると、せんは雲雀に気付かれないようにそっと、後を追うのだった。

 △▽△

 雲雀の後を追って中庭を訪れると、すでに戦闘は開始されていた。1人の、いかにも弱そうな文学系男子をカツアゲしようとしている男が4人。どうやらそれが獲物らしい。サルビアはそれを見て小さく舌打ちをした。舌打ちをしたい気持ちはせんも同じだ。対して力もないくせに見栄を張る、マフィアのような連中を見ていると反吐が出る。
 柄の悪そうな男たちを前に、雲雀が取り出したのはトンファーだった。4人を前にしても物怖じしない彼からは強い殺気と意思がひしひしと感じられ、さすがに圧倒される。

『すごい集中力……サルビア、どう?』
《トンファーで滅多打ち。只者じゃねえな》
『なんで転校初日にこんな目に合わなきゃいけないのわたしは……』
《つーかよ、あいつマフィアじゃねーよな?雲雀恭弥なんて名前聞いたことないな。独学か?》
『それにしては、なかなかの腕前だ』

 心底楽しそうに戦う雲雀。その雰囲気の中に微妙な憂いが含まれているのにあたしもサルビアも気付いていたが、その正体にまでは気付けないでいた。サルビアとの会話と雲雀の観察に気を取られていたせいで、男たちの1人が自分に気付いたことを知る由もなく。
 サルビアの咄嗟の気付きで意識をようやく逸らせば、トンファーで殴りつけられ表面がボコボコになった金属バットを拾い上げ、ひとりの男がこちら目掛けてそれを投げつけてきたのが分かった。それと同時に雲雀の視線までもがこちらへ向いたことに対し、当然のように受け止めようと思っていたのだが、考えを変える。

『サルビア、当たるフリするから衝撃吸収頼んだ』
《……って、はあ?大丈夫かよ……!》

 バットとはこんなにも早いスピードで飛ぶものかと考えるその間にも、それは風を切りぎゅるぎゅると飛んでくる。
 そのバットが顔に当たる寸前に、せんは反応出来ず当たってしまったふりをしながらも手の甲で弾いた。

「………っ、痛……」
《……ったくよお、初日から散々だぜ》

 バットが当たった右手の甲は、熱を持って腫れてくる。まあそれも当然だ。衝撃吸収をしたとはいえ金属と肌のどちらが強いかと言われたら、そりゃあ金属の方が頑丈に決まっている。

「……ついて来るなら君が倒せば良かったのに。戦うつもりがないのに何で来たの?」
「……1人で行くなんて危ないと思ったから。それに、みんなの言う『怖い人』っていうのがどんなものなのか見てみたかったしね」

 勿論前者は真っ赤な嘘なのだが、今の状況を説明するにはこう言うのが手っ取り早いと思った。自分が今日来たばかりの転校生であること、まだ風紀委員をあまり知らないことが吉と出たか。
 しかしそう甘くはいかなかったようだが。

「……今、わざと当たったでしょ」
「………!」
「咄嗟の思いつきにしてはいい反応だね。手の甲で弾く前に普通なら顔面に直撃だよ」

 雲雀はやや呆れた風にそう言った後、バットを投げた男をトンファーで返り討ちにした。少しだけその人たちが哀れに思える。御愁傷様、だ(リーザがたまに言っているから覚えた)。

「なに黙り込んでるの」
「いや、別に」

 少し顔をしかめながら立ち上がると、バットが当たった手の甲を優しくさする。腫れてはいるが、思ったほど大した痛みではない。
 当たった瞬間にサルビアが衝撃を吸収し外に逃がしてくれたのだ。これもサルビアが持つ能力の1つ。衝撃吸収といってもどちらかというとカウンターのようなものなのだが、逃がした衝撃は大きさによって被害が異なる。
 例えば今は、バットが当たっただけだった為、近くにあった植木の枝が不自然にポキリと折れた程度。サルビアの便利なその能力を使って完璧な演技をしたつもりだったのだが、その完璧な演技を雲雀は見抜いたというのか。なかなか侮れない男である。

「…………男だろうが女だろうが関係ない。強い人間は嫌いじゃないよ」
「…………」
「君、見た目は喧嘩が強そうにはとても見えないけど、きっと強いんだろ。ぜひ手合わせ願いたいな」
「………戦う?あんたとあたしが?冗談じゃない!」

 突拍子もないことを言い出す戦闘狂な彼に、せんは思わず利き脚を一歩後ろに下げる。血の付着したトンファーを手に、じりじりと近付いてくる雲雀。

『何でこうなっちゃうのさ……』
《お前が、盲目なのを見破られたからだな》
『他人事みたいに言わないでよ。それに、わたしは絶対戦わない』
《朧に似てるからか?》
『違う!一般人には決して手を出さない、それが掟でしょ』

 サルビアと会話しながら、更に一歩後ずさる。しかしどうやらせんに全く戦意がないのに気付き呆れたのか、雲雀はため息をつきながらトンファーを1回びゅん、とその場で振るった。
 その衝撃で、トンファーに付着していた血が宙を舞う。嗅ぎ慣れたはずのその錆びた鉄の臭いに、何となく顔をしかめてしまった。

「まあ、とりあえず戦うのはいいや。その代わり、僕の手足になってよ」
「ちょっと待って突然何でそういう流れになるの」
「最近風紀が乱れすぎて、草壁も他の奴らも出払ってることが多いから書類が進まないんだよね。だからそれを手伝えって言ってるの。君暇そうだし」
「え、なにその判断基準」
「そういうわけで、明日からよろしくね。委員会の登録手続きはとっておくから」
「……え、ちょ、雲雀!」

 ふふ、と不気味な笑みを浮かべた雲雀は、トンファーに付着した血を地面に伸びている男のワイシャツで拭い、最後にもう一度こちらを見遣ってから颯爽と校舎の中に姿を消してしまった。

「……完全に油断した……まさか、盲目を見破られた上に興味まで持たれるなんて」
〈一生の不覚だなあ?気をつけた方がいいぜ〉
「そうだね……まったく、兄さんのサディストまで似てるなんて、なんて皮肉」

 なんとなく、雲雀にトンファーでずたぼろにやられ地面に平伏す4人の男を思い切り蹴り上げた。我ながら可哀想な人たちである。
 すると、ポケットの中で携帯電話が振動する。リーザから電話がかかってきたようだが、いつもいつも虫の居所が悪いときに限ってこうして電話をかけてくるのだから不思議なものだ。

「もしもし」
【うおっ、なんだよその暗い声は。鳥肌たつじゃねえかよ】
「うるさい黙れリーザ。で、用件は何?」
【仕事が入った。場所はメールで地図を送るからサルビアに案内してもらえ】
「はいはい、了解」

 ブチリと一方的に電話を切ると、思わず口元がひくりと引き攣り笑いが込み上げて来てしまう。鴉の姿に戻ったサルビアが、寒気でもしたのかぶるりと翼を震わせたのが分かった。

「仕事ねぇ……元の形が分からなくなるまでバラバラに切り刻んでやる」
〈ち、せんの殺し屋スイッチ入っちまった〉
「ったく、なんで俺がこんな疲れるようなことしなきゃいけなねーんだよ……」

 むしゃくしゃしているときは仕事をするのが一番、それは昔からずっと変わらない。いいタイミングで仕事という死語が入ったことに内心喜びながらも、なんとなくスッキリしない、そんな気分だった。




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