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「なあ、サルビア」
〈何だ?〉
「学校って、あんなに疲れるものか?」

 一旦帰宅し仕事用のローブに着替えたせんは素早く仕事モード、つまり殺し屋セーヌのスイッチへと切り替えると、まだ夕方ということもあり人目につかないように幻術で姿を隠しつつ、サルビアが案内する通りに任務場所へと足を運んでいた。
 家に誰もいなかったということは、リーザはイタリア語の教室の講師に、ジェニファーは美容師の仕事に行っているのだろう。初めての学校を終えたせん、否セーヌは明らかに疲れていると分かる、そんな表情をしていた。滅多に表情の変わらないこいつの微妙な表情の変化を読み取るなんて造作もないこと、相棒であるサルビアにとっては当たり前のことである。

〈でもよーあの風紀の兄ちゃん、なかなか戦い甲斐があるんじゃねえか?〉
「言っただろ、一般人には手を出さないって。確かに強いかもしれないけど、マフィアだと決まったわけじゃない」

 そうは言うが、彼女には理由があるのだ。雲雀恭弥という人間と戦いたくない大きな理由が。
 彼女の憂いな横顔からそうなのだろうとサルビアは予測していたが、それを口にはしない。きっと彼女も、サルビアがその気持ちを汲み取ってることを分かった上でわざと嘯いたことを言うのだ。

「似てるからっていう理由だけで手を出したくない、なんて思うのは殺し屋失格だろうか。本当に敵になる日が来るかもしれないのにな」
〈別にいーんじゃねえか?なんかあったらまたオレが衝撃吸収するけどな〉
「わざとバットに当たったこと見抜かれただろ。俺がただの転校生じゃないことはもう知られたし、あの様子じゃサルビアの正体を知られるのも時間の問題だよ」

 唯一の肉親だった姉の未那月と兄の朧の安否は未だに不明であり、夜神家の直系一族で現在生存が確認されている人物は1人もいない。今までの歴史の中でも、これほどまでに存続の危機に陥った代なんてなかったはずだ。
 生まれてから様々な人と時間を共にしてきたセーヌ。だが最も長く彼女と共に生きてきたのは皮肉にも人間ではなく、一羽の鴉だったのだ。サルビアは彼女に信頼を寄せているし、逆に絶対的な信頼を寄せられていることだって分かっている。二者の間にある関係性は、きっと他の誰にも真似はできない。
 そんな折、朧とそっくりな雲雀恭弥という人物が現れた。しかも、未那月や朧との思い出である、桜の木の下で。

〈ったく……素直じゃねえなあ〉
「今それ言う?」
〈利用するだけしてみたっていいじゃねえかよ〉

 ここでもサルビアが言わんとしていることは、きっと長い年月を共にしてきたセーヌには理解できているはずだった。
 失った両目の代わりとなり、常に行動を共にしてきたサルビアは、いわば彼女の運命共同体である。生物学上の分類は人間と鴉ではあるが、サルビアにとって夜神せんとはつまり家族であり自分であり、彼女にとってもサルビアは家族で、自分なのだ。故にサルビアには彼女の思うことは大抵理解できてしまうし、逆もまた然りだ。

〈大方俺やリーザたちに面倒かけさせまいとか思ってんだろ〉
「……別に、そんなこと思ってねえよ」
〈お、久々に見たなお前のツンデレ。オレはお前が何をしようと、それに従うまでだからな〉
「……はあ……ああ、そろそろ会話切り替えようか」

 サルビアの言葉に照れて少し赤みを増した顔を隠すようにフードを被ると、セーヌはふと感じた強い殺気に神経を研ぎ澄ませた。血の色に染まった美しい瞳を何回か瞬き開くと、彼女は前方にちらつく影を静かに見据えた。

《あいつら3人が今回のターゲットか?》
『ああ。俺がいるとも知らず呑気に偵察ってか』
《ま、殺しちまえばあいつらも偵察なんてしなくて済むだろ?》
『……それもそうだな』

 今日の依頼は、ギーナファミリーのボスからのもの。仕事の事情で日本に滞在しているのだが、どこかからかそれを知ったとある敵マフィアが自分の命を狙っているため、そいつらを始末してほしいという内容である。今目の前に見えている大きなホテルに依頼主がいるらしく、怪しい動きをする前方の3人の男は、その『とある敵マフィア』ということだ。
 セーヌはわざと靴音を鳴らしながら、3人の男に近づく。気配を消すのが上手いセーヌにようやく気が付いたのか、ばっとこちらを振り返った奴らが手にしているのはノコギリや鉈、鎌とどれも少女の前に立つには少々物騒なものばかり。

「だっ……誰だ、あんた!」
「お嬢ちゃん、俺たちに殺されに来たのか?」
「……ここを通ったのが不運だったなあ?」

 顔を見合わせて笑う男たちに呆れたのか、セーヌはため息をつきつつ憐れみ半分嬉しさ半分、というような微妙な笑みを口元に浮かべた。美しすぎるその笑みは、何度ももう目にしているサルビアでさえ恐ろしいと思ってしまうほど。

「そっちこそ、分かりやすい偵察なんかして馬鹿じゃねえのか」
「はあ!?てめえ、何様のつもり……」
「俺の名前はセーヌっていうんだ。まあ気軽にセーヌとか死神とか呼んでくれ」
「なっ……!?請負屋の、死神っ……!?」
「ま、これからお前らは死ぬんだから呼ぶ機会なんて一生ないだろうけどな」
「くっ……どうして俺たちの情報が漏れた!?」
「まあいい。今は、このお嬢ちゃんを殺すことが先だろっ」

 1人の男の合図で、一斉に武器を構えたやつらはセーヌに襲い掛かろうとする。しかしセーヌにそんなものが通じるはずもなく。
 ローブの下に隠してあったホルダー内の『柄』を握りしめて引き抜く。夕陽に反射してきらりと輝く透明の刃が美しい『ユーデクス』と名付けられたそれは、代々夜神一族に伝わる一振りのサーベルである。
 剣を握りしめて頭上に振り下ろされるそれらを薙ぎ払うと、まるで硝子で出来たかのようなそのなめらかな刃を滑らせ、男たちの腕に傷を残す。一文字に出来た傷は血管や神経を真っ二つに引き裂いていた。長年殺しをしてきたセーヌにとって的確に一部分を狙うことなど容易い。
 奴らは武器を持つ力を失い、血の流れる腕を押さえつつ武器を地に落とした。

「感情的になるのもいいけど、俺にそんな作戦効かないってば」
「……っ、くっそ…!」

 セーヌは血のついていない刃をするりと細い指先でなぞると、ローブの中に一旦仕舞い赤く染まった瞳を見開いた。

「……さすが死神、セーヌ=ヴェルベーナ……!」
「お前ら、計画は中止だ!こいつの首をボスに差し出したほうが喜ばれる!」
「つーわけで、大人しく死んでもらうからなあ?」

 男たちは地面に落ちた自らの武器を血の流れていない手で拾い上げると、再びセーヌに標的を定めた。先ほどの一太刀で実力差は分かったはずだが、一度向き合った敵に対して引き下がれないのがマフィアの性なのだろう。本当に単純で馬鹿らしい奴らばかりだ。
 不敵な笑みを口元に浮かべながら、こちらへと歩みを進めてくる3人。セーヌがローブの中に仕舞った剣をもう一度握り締めると、奴らは一斉に、飛びかかってきた。

「……ったく、まだ日が落ちる前だってのに面倒だな」
《ほんとだな。ってことで一気に片付けるぜ、セーヌ》
『はいよ』

 セーヌは懐に飛び込んできた男をかわすと、いつの間にか2本に増えた剣をしっかりと握りしめながら、衝撃波を纏わせたその柄で強く男の肘を殴る。ぐしゃ、と骨の砕ける音が聞こえたのを確認してから、同じ要領で2番目の男の頭蓋を割る。砕けた腕をだらりと垂れ下げる1番目の男を踏み台にして飛び上がると、ようやく実力差に気付いたのか、震え上がる3番目の男の肩を2本の剣で斬り落とした。ここまでのまるで作業のように淡々とした攻撃、かかった時間はわずか5秒ほどである。
 セーヌは先ほど見せたようなあの美しい笑みをもう一度口元に浮かべると、剣の切っ先を彼らの目の前に向けた。ジロリと彼女を睨みつける男たちの瞳はそれでもまだ、妖しく光っている。

「ふーん、度胸だけは認めてやるけど、俺の首を取ろうなんて100年早いんじゃないか?」
「……くっ……さす、が死神、セーヌ……だな……」

 殺される寸前、敵たちは皆声を揃えて言うのだ。『さすがは死神だ』、と。奴らなりの命乞いなのだろうが、憎むべきマフィアを前にしたセーヌに労りなどという言葉は存在しない。

「……敵マフィアのボスを殺しに来たはずが、今度は殺される側になったのが悔しいか?俺のような子どもに殺されるのが恥か?マフィアってのは相変わらず腐った奴らばっかりだな。殺し屋の世界は、そんなに甘くないんだ」
「くっ……てめえ……!」
「あんたらのボスは俺の首を本当に欲しがっているのか?最優先事項を差し置いて、いい獲物がいたらすぐに標的を変えるのか?そんなのはボスのためでも何でもないだろ。お前らは所詮報酬金が欲しいだけだ」
「……違、う……俺たちはただ……お前を殺せればそれで……!」
「まあ、俺を怨むのは結構だがあの世に逝ってからにしてくれ。俺にはまだ、やるべきことがたくさんあるんだ」

 にやり、セーヌは一段と不気味な笑みを見せると、両手で剣を握り直して居合いのような型をとる。容赦など情けなどかけることなく、一瞬で、相も変わらず血にまみれることのない美しい刃で、男たちの首を斬り裂いた。

 △▽△

〈今回も結構綺麗に斬れたもんだなあ〉
「殺しするならせめて夜にしろって話だ。昼間の殺しは処理が面倒だからな」

 路地裏に3人の無残な亡骸を運びこみ、リーザに場所が分かるように発信機を取り付ける。そしてメールで処理を頼んだ後、セーヌとサルビアは身を隠しながら依頼主のいるという部屋へと急いだ。この男たちが偵察をしていたこの場所はホテルのスイートルームの一室だ。
 辿り着いた部屋の中は真っ白なレースで装飾されていて、例えるならば結婚式場のようだ。部屋の中心に置かれた真っ白なソファーに座る、女性が1人。しっかりと化粧をした彼女が纏うドレスすらも真っ白で、まるでウェディングドレスだ。しかし正直。

《うわ、真っ白な部屋。趣味悪いな》
『止せサルビア。結婚体験でもしたいんだろ、ほっとけ』

 しかして本当に趣味が悪いとしか思えない部屋の内装である。脳内でサルビアと会話を交わしながら、セーヌは閉めたばかりの扉の前に立つ。
 ピンヒールをカツカツ鳴らしながらゆっくりと歩いてくる女性。一般論で言えば美人の部類に入り、服装はそれ相応、といったところか。

「任務は完了した。あんたが依頼主か」
「まあ……!貴女が死神と呼ばれた請負屋?まさか、まだこんな子どもだっただなんて!」

 女性はセーヌの前に立つと、その華奢な肩に手を置こうとした。しかしセーヌはその手を戸惑いもなくひっぱたく。その様子に、相変わらず子ども扱いしてくる奴に対しては昔から容赦がないなとサルビアが思い出し笑いをしてしまうのは仕方がない。
 セーヌは、子どもだとかこんなに小さな子だとは思わなかったとか、そういう類いのことを言われることを嫌う。どう考えてもセーヌのほうが実力は上だというのに、愚かなマフィアたちは口だけ達者なのだ。

「触るなよ。触ったら殺すからな」
「え……どうして?私はこの仕事の依頼主よ?」
「……ああ、お前知らないのか?俺は殺し屋。むやみに正体を知られたくないんでな、殺すって決めた相手の前にしか姿を現さないことにしてるんだ」
「……っ、え……?」
「自分が狙われていることを逆手にとる、か。俺に奴らをわざと殺させてここにおびき寄せ、油断させて殺すつもりだったってとこだろ」

 セーヌはそう淡々と言葉を紡ぎながら目に見えない速さで剣を取り出すと、ドレスに身を包んだ女性、否、先ほど殺した男たちが狙っていた『ギーナファミリーボス』の腕を1本斬り落とした。
 セーヌはいくら依頼主にお礼を渡したい、会いたいと言われても、殺すと決めた相手の前以外には絶対に姿を見せない。それは請負屋の仕事を始めた頃からの掟のひとつ。
 ギーナファミリーの目的は、始めからただひとつ。わざと自分がこのホテルに泊まっていることを敵ファミリーに漏らし、狙われていると装ってセーヌに依頼をし自らは『敵マフィアに命を狙われている依頼者』になりすます。そしてセーヌが彼らを倒して自分の元へやってきたところで殺す。最初からそう計画されていたことだったのだ。

「なっ……腕、私の腕があっ……ああああああああああああああっ……───────!」
「どうして知ってるのか……そんな顔だな。簡単なことだろ」

 セーヌは笑みを浮かべると、ローブから1枚の紙を取り出して彼女に突き出した。そこに書かれていたのは、『本当の依頼主からの依頼文』。
 つまりセーヌは全て先を読んで、ギーナファミリーを殲滅させてほしいと要請してきたまた違う人物の依頼を今、遂行しようとしているのだ。合計3つのファミリーを自由自在にコントロールしてみせたセーヌに、あっぱれとでも言ってやりたいところだ。
 一方、一本腕を斬り落とされたギーナファミリーボスの腕と肩の接続部分からは血がどくどくと流れ続けていた。そこを必死に押さえながら彼女はセーヌを見上げている。しかしそんなものは関係ないとでも言うように、この世の全てを怨んでいるかのようなセーヌの赤い瞳が、彼女を見下ろしている。

「俺たちを見くびったな。こちらの情報収集力を舐めてもらっちゃ困る」
「何っ、よ……まだ、餓鬼の、くせに…っ……!」
「俺がただの餓鬼だと思うなら、そうじゃないことを今から教えてやろうか?」
「くっ……あんたたち、早く出てきてこいつを殺っちゃいなさい……っ……!」

 彼女の声で、スーツを着て銃を構えた男たちが十数人、現れた。しかし彼らがトリガーを引くのも束の間。素早く柄を引き抜いた彼女は、ぽつりと呪文のように呟き、剣を振るう。

「cinque:ボールス」

 自分が放った銃弾を受けて倒れていく男たち。セーヌが、向けられたそれらを全て剣圧で撃ち返したのだ。そして同時に、セーヌの目の中にいるサルビアは、カウンターの力を上手く使ってその銃弾の威力を倍増させる。人間離れしたそんな行動に、まさか自分の攻撃が仇となるとは思わない男たちは逃げる隙さえ無く。
 刹那、セーヌが僅かに表情を歪めた。左足のふくらはぎに痛みを感じゆっくりと視線を床へ移す。サルビアは、斬られていない方の腕を必死に使いナイフでセーヌの足を刺す哀れな姿の女性ボスの姿を見た。ああ、どうしてマフィアというものはこんなにも愚かなんだろうか。

「………おい」
「なっ……に、よ……!」
「その程度で俺を殺せると思ったら大間違いだ。残念だな」

 セーヌは自分の足に突き刺さったナイフを、まるで小さなとげを抜くかのように引き抜くと、女性に残されたもう片方の腕を、そのナイフで斬り落とした。

「ついでに足もなくしてやろうと思ったけど残念、時間切れだ。あんたにはもう、用はない」
「くっ………セーヌ、ヴェルベーナ……覚えてなさい……い、つか……必ず……!」
「そうだな、どうせ死ぬなら俺のことをもう少し知ってもらってからにしようか。お前らが何故俺のことを『死神』と呼ぶようになったのか、お前らは知っているか?」
「……っ、え……?」
「イタリアには有名な『純白の死神の物語』ってのがあるだろ。俺の、死神って不名誉な名前はそこから来てるんだ。光栄だと思えよ?正義の味方、世界を救う『ユール』直々に、ヴィツィオの元へ送ってもらえるんだからな」

 殺すと決めた相手の前でしか語らない伝説を、セーヌは淡々と告げる。きっとボスの瞳には、振り上げたナイフが、命を刈り取る巨大な鎌にでも見えているだろう。死を導く死神の冷たく美しい微笑みが、彼女が見た最後のものとなる。

「せっかくのウェディングドレスが台無しだな。さようなら、血で穢れた花嫁さん」

 バタン、ドアが開いてリーザが顔を見せた。セーヌは彼に見せつけるようにナイフで女性ボスの首を真後ろから斬り落としてみせる。真っ赤な鮮血が噴き出し、目の前にゴトリとまだ温かみを持った生首が転がる。吹き上がる血を浴びて、セーヌの黒髪が忽ちのうちに真っ赤に染まるのを、サルビアとリーザは何を思うでもなく眺めていた。

「ほんと今さらだけど、お前のことを『第二のユール』だとか『純白の死神』って呼び始めたやつらを誉め称えたいくらいだな」
「ただ『死神』って不名誉な呼び方されてた子どもの頃のこと考えたらありがたい限りだな。この世界にとっての死神ってのは正義の味方なんだからさ」

 イタリア本土には、表も裏も関係なく古くから親しまれている絵本があり、その主人公が『ユール』と云う名の少年だ。
 ユールは触れるだけで人を殺すという不思議な力を持っており、その力で大好きな友達のモルテを殺してしまう。しかしある日、悲しみにくれて泣き叫ぶユールの前に、ヴィツィオと名乗る死神が現れる。
 ヴィツィオはモルテを生き返らせることが出来ると告げ、その代償としてユールの持つ不思議な力が欲しいと要求した。本来寿命の火が消えた人間の首に鎌をかけることが死神の役割だが、ヴィツィオは寿命の火が消えていない人間を殺すことに興味を持っていたのだ。それを知らないユールは死神と契約し、力をヴィツィオに奪われてしまう。力を手に入れたヴィツィオは約束通りモルテを生き返らせるが、手にした力で次々とモルテやユールの周りの人間を殺していったのだ。
 それを見たユールは、モルテに自らの罪を告白した後、自ら命を絶って死神となった。そして、死神としての役割を放棄し罪を犯したヴィツィオの首に鎌をかけ、世界を救った。モルテをはじめとする人間たちは、ヴィツィオの手から命を守ってくれた心優しきユールを称え、『純白の死神』と呼ぶようになった。
 そんな物語になぞらえて、裏社会で掟を軽んじるマフィアたちに制裁を加える『請負屋のセーヌ』は、『純白の死神』と呼ばれるようになったのだ。子どもの頃セーヌもその本を読んだことがあったし、リーザもまた然り。ただ尤もその『純白の死神』の素顔を知る者は、本人と親しいものを覗けば全員もれなくあの世のヴィツィオの元へと送られているのだが。

 ひらりとローブを翻すと、サルビアを肩の上に招きセーヌは部屋を去ろうと一歩、部屋の外へと足を踏み出す。そんな彼女の真っ黒な後姿を、死体の後処理を素早く始めていたリーザは呼び止める。

「どこか行くのか?」
「ああ、ちょっと会いに行く約束をしてる人がいるんだ。リーザも来るか?」
「会いに行く約束……?」

 セーヌの生い立ちや本名を知る者は、死人を除けば片手で数えられる程しか存在しない。そんな彼女が自ら会いに行く約束をしたということは、少なくともその指に入る人物ということだ。

「このホテルの屋上で会うことになってるから、来るなら片付けてから来い」
「……ああ、あの人か。今日本に来てるんだ?」
「まあな」
〈あいつに会うのも1年ぶりか?会いたがってんだろうよ〉
「ふふ、そうだな。久々にゆっくりと話もしたい」

 殺し屋モードの彼女の笑みを見るのは久々だったようで、リーザも心から安心したように笑う。亡骸の処理を進める彼を横目に、サルビアは開いていた扉を嘴で閉めた。

 △▽△

 先程までは明るかった空が、セーヌたちが屋上についた頃にはすでに夕焼けで紅く染まっていた。山の向こうに沈みかけている太陽が、セーヌのローブとサルビアの身体を赤く見せている。
 黒いローブのフードを脱ぐと、セーヌの頬の紋章が消える。せんはフェンスにもたれ掛かって景色をぼんやりと眺めている男に、ゆっくりと近付いた。

「久しぶり、千都」
「Buonasera!久しぶり、せんにサルビア。2人とも元気そうでなによりだよ」
〈オレはその『1人』にカウントされてんのか?〉
「人並み以上の頭脳を持った君は、せんの目となる相棒。立派な人間さ」

 スーツを着こなし、分厚い本を片手に振り返る彼はリーザに引けを取らない美しいルックスの青年。名を夜神千都という。
 彼は、せんのイタリア名『セーヌ=ヴェルベーナ』の苗字ともなっている『ヴェルベーナ』という名のファミリーのボスであり、幼い頃からせんを見守ってきた人物。そしてリーザのように、せんの持つ仙月の力によってその命を救われた人物だ。

「ファミリーのみんなは元気?」
「もちろんだよ。君に救ってもらった命だ、簡単にくたばりはしないさ」

 夜神一族、つまり『六花』と『ヴェルベーナファミリー』の起源は元々同じ。どちらも初代六花の仙月が創った組織で、ヴェルベーナファミリーは夜神一族とその関係者しか知らない秘密組織として六花を支え、マフィア界の均衡を保つために生まれたファミリーだ。
 故に、ヴェルベーナファミリーはボスを含めせんと同じくマフィア嫌いの者で構成されている。マフィアでもない、一般人でもない、殺し屋でもない。そんな不思議な存在の彼らは、裏社会と表のバランスが崩れないようにするために活動しているのだ。
 六花とヴェルベーナは2つで1つ、まさに『ファミリー』。千都と現在のヴェルベーナの幹部6人は皆、せんが持つ『仙月の治癒力』によって救われた者たち。中でも、心臓を貫かれ死が確実だった千都は助けられて以来せんに忠誠を誓っている。彼は夜神家と正式に養子縁組を組んでいるため、せんの義理の兄にあたるのだ。

「きっと僕の先代は、一度も話すことの叶わなかった仙月様を大切に思っていたんだろうね。僕が今、せんを大切にしているようにね」
〈確か千都って、仙月さんが亡くなった後に生まれた息子、月哉さんの生まれ変わりなんだろ?〉
「うん、光栄なことにね。だから、仙月様の生まれ変わりであるせんを僕は、月哉様の代わりに守らなきゃいけない」

 彼は仙月の息子、月哉の生まれ変わりで、せんと同様その意思をメモリーとして宿している。母が創りあげた六花を月哉がリーダーとして導いた時期が、かつての六花の最盛期であると言われている。サルビアもリーザも、その話はせんや千都自身から何度か聞いていた。

「でも千都、貴方にはわたしを守る『義務』はない。ただ、ファミリーのみんなも千都も傍にいてくれればいいんだよ」
「はは、マフィア嫌いのせんが僕らファミリーを必要としてくれるなんてね」
「ヴェルベーナはマフィアではないでしょ?どっちかというとわたしたちに近い存在だよ。で、今回は何が土産?」

 千都が日本を訪れるのは、決まってせんに直接渡すものがある時か、彼が年に一度と決めている、日本の桜を見る時だけだ。桜の時期はもう終わっているので、せんは土産、と言ったのだろう。
 彼はスーツケースにかけてある錠前を外して鍵を開けると、正方形の、手のひらサイズの箱を取り出した。真っ黒な箱だが、表面には何かの紋章が刻印されている。現在マフィア界の中で一番の権力を握っているとされるファミリーの印だ。セーヌと同じくマフィア嫌いのサルビアやリーザたちですら知っているそれは、有名な貝殻の紋章。

「……やっぱり、この役目は六花のリーダーが努めなければいけないんだね」
「相変わらず察しがいいね、せん。これは先代から続いている、他とは違う特別な物だから」
「……これが来るってことは、近々歴史を変える大きな何かが起こるってことか」

 箱の中には角度によって虹色に光る丸い石のついたネックレスが入っていた。石の中央には、箱にあった模様とは違う、せんが仕事をする際頬に浮かぶあの紋章と似た複雑な模様が刻印されている。

「これに関われば、少なからずせんは大嫌いな世界に足を踏み入れることになる。最後の判断は、任せるよ」
「……先代から引き継いできたことだから覆せないよ。何より、わたしがこの役を背負うことが仙月様たちの願い。役目は果たすよ」

 顔に苦笑いを浮かべ、せんはその箱を千都から受け取る。無事任務完了かな、と呟く千都は、夕日をバックに大きく伸びをしている。どうやら千都の仕事は、せんにその箱の中身を渡すこと、という単純なものだったらしい。

「リーザ、来てるよね。これは預けておくよ」
「……ああ、分かってるよ。ほんとせんは鋭いんだから」

 屋上のタンクの裏から、死体処理を終えたらしいリーザが顔を出した。彼はせんから箱を受け取って大事にローブに仕舞うと、千都の前に跪き頭を下げる。

「リーザ、久しぶりだね。いつもせんを見守ってくれてありがとう」
「せんを守ることは俺自身の意思でもありますから。俺に与えられた使命だと思ってます」

 普段おちゃらけているようなリーザでも、せんの兄であり、彼女と肩を並べる夜神一族の生き残りである千都にはいつだって敬意を示す。故に、彼は千都にだけは必ず敬語を使っているのだ。普段請負屋のリーダー的存在のリーザが膝を折るのは、せんと千都の前くらいだろう。
 せんはそんな彼らの様子をぼんやりと見えない目で眺めながら、乾いた血でパリパリと音をたてているローブを羽織り直し、すっぽりとフードをかぶった。さっきまで紅かった空は暗くなり始めている。山の向こうへ日が落ちて一番星が輝き始めているところを見ると、だいたい今は6時くらいだろうか。空を見上げれば先程までは見えなかった小さく輝く星がいくつか空に浮いていた。

〈日本に来ると、星の出方もやっぱ変わるもんだな〉
「そうなの?視力を失ってからやってないな、天体観測」
「そういえば昔、よく一緒に星を見たよね。ファミリーのみんなでさ」
「懐かしいな」

 目を細め、まるで星が見えているかのように空を見つめるせんに、サルビアの胸はチクリと痛んだ。いつもせんの肩の上にいるサルビアから、彼女の表情は見えにくい。それでもサルビアには、その横顔に隠された思いが手に取るように分かるのだ。
 表情をあまり変えることのない彼女の淋しさ、悲しみ、恨み、憎しみ。それらが入り混じったような感情。空を見上げて今彼女が考えているのは、行方不明であるたった2人の肉親の安否なのだろうか、それとも。

「せん、心配するなよ。未那月も朧も、まだ死んだと決まったわけじゃないんだから」
「………ん、そうだね」
「リーザ、僕はたまにしか日本に来れない。もう暫くは滞在するつもりだけど、ずっと傍にはいられない。代わりにせんをしっかり守るんだよ」
「当たり前のことを。それが俺の務めですから」

 自信ありげにリーザが言うので、千都はにんまりと笑顔を見せた。千都はせんの頭をフードの上から撫でてから、スーツケースの取っ手を握りしめ、バイバイと手を振る。
 ざっと風が吹いた瞬間、千都の姿はせんとサルビアと、リーザの前から消えていた。

「相変わらず好きだよね千都。幻術使って消えるの」
〈ま、あれが楽なんだろ。あー、腹減ったなあ〉
「リーザ、今日の夕飯は?」
「今日は気分転換にフレンチだ。今はジェニファーに下拵えしてもらってる」
「……そっか」

 空高く昇り始めている三日月を見上げながら、せんはほんの少しだけ、口元を緩めた。

 △▽△

 広い部屋に、電話の呼び鈴が鳴り響いていた。受話器を耳に押し当てると、カナリアの囀りと称される彼女の美声が、耳に響く。

【千都、せんは元気だった?】
「いきなりそれ?勿論元気だったよ。少し痩せた気もしたけど」
【あの小さな身体がまた痩せちゃったの?でも、彼女が生きていてくれることが何よりも私にとっては嬉しいわ。またゆっくりと話したいものね】
「でも、ちゃんと成長していたよ。あのリーザを手懐けるくらいにはね」
【ふふ、たいしたものね】

 彼女は楽しそうに、クツクツと笑っていた。それを聞いて千都の顔にも、会ったばかりのせんを思い出し笑顔が浮かぶ。

「……ねえ、僕はちゃんと、せんの力になれてるのかな」
【……ばかね、何言ってるのよ】

 突然の弱気な発言に、受話器の向こうから怒声が飛んだ。まるでせんに怒られるリーザの気分だな、と千都は肩をすくめる。

【役に立つ立たないなんて考えなくていいの。きっとせんも言うでしょう、ただ傍にいればいいって】
「うん、さっきそんなこと言われたよ」
【ほらね?私たちはせんの支えになればいいのよ。深く考えないの!今一番ツラいのはあの子なんだから、私たちが支えてあげなくちゃ】
「……そうだね。感謝するよ、ミス・キョウカ」
【いいえ。私たちはせんによって縁が結ばれて、今までこうして協力関係にあってきた。普通なら私たち、出会うことは絶対になかったはずなのに】
「君はマフィアだからね。でもせんの恩人に敵意を向けるわけにはいかない」

 千都が言うと、彼女はまた笑いながらありがとうね、と呟いた。夜も更け、あと数時間も経てば朝がやってくるだろう時間だ。

【そろそろ屋敷に戻らないと。私は行かれないけれど、近々彼が日本に行くみたいだから、そのときはよろしくね】
「そっか。リーザがキレそうだなあ」
【ふふ、頼んだわよ。それじゃあね、千都】
「うん、またね。君も早く、弟くんに会えるといいね」
【……そうね。私も出来れば、近いうちに日本に帰りたいわ】

 一方的に切られた電話を見つめ、千都は苦笑いした。昔から変わらない彼女の強引さが、彼にとってはひどく心地がいいものである。

「気付かないうちに、僕らはかなりせんに影響されてるんだなあ」

 デスクの上の写真たてが、窓から入り込んだ風によってぱたりと倒れる。それを元のように起こすと、写っている人物に千都は思わず笑みをこぼした。
 日暮れ前まで言葉を交わしていた彼女がまだ目も見えて元気だった頃の、無垢な笑顔。
 もう、何年前の話だろうか。

「この笑顔を、守らなきゃいけない。それが先代から引き継いだ僕の、僕たちの使命なのだから」

 写真たてをデスクに置き直し窓を閉めると、千都はパソコンの画面に視線を移した。早く、仕事を終わらせなければならないのだ。




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