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「せん、時には誰かに縋ることだって大切ですよ」
未那月姉さんは、どんなに辛い状況下でも決して、希望を捨てようとしなかった。
「……せん、お前は何でもかんでも1人で背負いすぎだ。俺たち、家族だろ」
朧兄さんは、口数はとても少なかったけど、いつだってわたしを見守ってくれた。
いつだって2人は誇りだった。あの人たちと血が繋がっていることが自慢だった。優しくて気高くて強い2人が大好きだった。あの2人のようになりたかった。ただそれだけだった。それなのに。
いつ、道を間違えたのだろう。
△▽△
ある日。せんは学校のグラウンドに、ジャージ姿で立っていた。現在グラウンドを男女で半分に分け、ソフトボールの授業をしている真っ最中なのだ。
『サルビア、野球って何?』
《お前は野球も知らねえのか?世界的に有名なスポーツなのによ》
『たまにリーザがテレビで見てるのは知ってたけど、声だけでルール知れなんて無謀すぎるだろ』
サルビアやリーザ、ジェニファーは、中学に入る前せんに勉強は教えたものの、スポーツの知識まではさすがに教える余裕がなかったらしい。まず彼らも現実離れな生活をしてきたせいで、そんなにスポーツのルールなど知らないようだ。せんが知っているのは精々走ることくらい。それが、所謂『陸上競技』というものを知っているという意味にはならないのだが。
『はあ……ジャージ暑いなあ』
《お前の仕事用ローブの方が何倍も暑いと思うぞ、オレは》
『……体育めんどくさい……ただ走るだけならいくらでも頑張るのに……』
今は、チームを2つに分けている最中らしい。さして興味のないせんは男子の方から聞こえてくる楽しそうな声が気になり、なんとなくそちらへと耳を傾ける。どうやら、同じクラスの沢田が男子チームの間で取り合いになっているようだった(正確に言えば、どちらのチームにも必要とされていないのだが)。
今日は何故か、スモーキン・ボムが学校に来ていない。長年の殺し屋の勘から推測すると、武器であるダイナマイトを仕入れにでも行っているのだろう。
『まあ、あいつがいないと気を張る必要がなくなるし楽でいいけど』
《………そりゃ、一理あるわな》
それからようやくして、沢田もチームに入れたようだ。男子たちの中心にいて注目を浴びているのは、野球部に所属している山本武。
『……へえ……』
《ま、あーいうのが人気者っつーやつだろ?》
そうしているうちに試合が始まったのだが、当然ルールが分からないせんは体育座りで待機だ。サルビアもサルビアで、男子と女子の試合の様子を、交互に、面白そうに眺めている。
今まで学校に行く機会がなかったせんにとって今の環境はすべてが新しく珍しい物ばかりなので、慣れないというのは通常の考えだろう。しかし同時にそれは、サルビアにとっても同じことなのだ。
「山本くん、頑張って!」
「やっぱかっこいいよねえ山本くんって!」
山本武、と刺繍がされたハチマキをした女子が、試合もせずに男子の試合を見ながらはしゃいでいる。それだけ彼はクラスの人気者なのかと思うが、せんの近くには究極の美形が住んでいるのだしきっとこれから一生彼らの顔を見ることもないのだ、特に気にも留めない。
「あっ、零ちゃーん!次バッターだよ?」
「……ん?」
不意に遠くから声をかけられ、せんは顔を上げた。そこに立っているのは笹川で、バットとヘルメットを差し出している。きっと彼女は今、自分に対して眩しいほどの笑顔を向けているのだろう。
まるで太陽のような、自分とは真逆の優しさが身に染みるとやはり悪い気はしないものだが、自分の醜さに嫌悪感を抱いてしまうものだ。
「えーと、ごめん、わたし野球のルール知らないんだよね」
「そうなの?アメリカにいたって言うから知ってるって思っちゃってた」
せんは笹川がぎこちなくも説明をしてくれているのに耳を傾けた。これも殺し屋の性なのか、教えられたことを覚え吸収するのは普通の人より何十倍と得意だ。説明を終えたらしい笹川は、突然パンッと手を合わせてせんに頭を下げた。
「今ね、私たちのチーム負けちゃってるの。零ちゃんお願い、頑張って!」
「いや、頑張れと言われても……」
「あっちのチームのピッチャー、まだ1年だけどソフト部のエースしてんのよ。だからみんな打てなくてね」
「あ、花!」
黒川がやってきて、マウンドに立つ相手のピッチャーを指した。女にしてはがたいがよく、バリバリ運動系部活に入っていそうだなと分かる外見だ。彼女は次のバッターであるせんがバッターボックスに入らずイライラしているのか、こちらを激しく睨みつけてくる。
もちろん殺気に敏感なせんがそれに気付かないはずがないのだが、目線など元から見えていないのでお構いなしだ。寧ろ、逆に挑発的な視線を送るせんを見てサルビアは馬鹿笑いしていた。
「……分かった。いいよ、やってあげる」
「え、零ちゃんヘルメットは……?」
「いや、いいよ。要はあのボールを打てばいいんでしょ?」
せんは笹川からバットだけを受け取ると、サルビアに促されバッターボックスに立った。ふと笹川の隣でせんに視線を送っていた黒川が周りを見渡してみると、ソフト部1年エースに挑戦状を叩きつけたかのような状態のせんを伺いに、男子たちまでが集まってきていることの気付く。沢田や、野球が得意な山本までもが。
「夜鳴の奴、大丈夫か……?」
「さすがにやばくねーか?あいつ、ソフト部のエースじゃん」
「ヘルメット被った方が……!結構あの子、性格荒いから何するか分かんないし」
(………全部丸聞こえだよあんたたち)
ひそひそと言っているようでも、プロであるせんが聞き逃すわけがない。
視力が無い代わりにせんの聴覚や嗅覚、触覚などは通常の数十倍も特化しているのだ、地獄耳と言っては聞こえが悪いが、それはどんなに小さな音でも聞き逃さず全て拾ってしまうほどに。
「あんた、転校生のくせにでしゃばりすぎじゃないの?目障りなんだけど」
『あー、いるよね。自分より強い奴が気に食わないからって虐めに走ろうとするタイプ』
《ハハハ、まあお前には関係ねーだろうけど?》
『サルビア、手出ししないでよ。このくらいカウンターも必要ないから』
《りょーかい》
「……っ、夜鳴さん危ない!」
ピッチャーの声を聴きつつサルビアと言葉を交わしていたとき。急に男子から自分の名前を叫ぶ声が飛んできて、せんはハッとする。
意識を向けた先にあったのは、白いボール。
「……ちょっと、危ないな突然……」
ピッチャーを見ていなかったにも関わらず、ソフト部エースはせんに向かってボールを投げてきたのだ。しかしそんな脅しがせんに効かないことなど、サルビアが一番分かっている。
せんは素早くボールに反応すると、それをしっかりと、手で掴んで見せた。
「見てもいない相手に普通ボール投げる?エースのくせに」
「うるさい!転校してきたばかりのくせに調子乗りすぎだって言ってんの!」
「それと野球って関係ないよね?でも結構いい球投げるんだね、伊達にエースやってるんじゃないってことだ」
「ちっ……あんたなんか三振してやるんだから!」
「……だからルール分かんないんだって……サンシンって何よ」
せんは今度こそマウンドを見据え、しっかりとバットを構える。ギラギラとした目つきでせんを見つめるピッチャーだが、彼女はいたって余裕の表情だ。なんたって、彼女には絶対の自信があったのだから。
金属バットにボールが当たり、清々しい音がグラウンドに響き渡る。せんが打ったボールは外野手を大きく越え、学校の外の道へバウンドした。
「………すげぇ」
「夜鳴さん、打っちゃった……!」
長年武器であるサーベルを振るってきたせんだ、その腕力やバットにボールを確実に捉えられる俊敏性はかなり特化している。しーんと静まり返ったグラウンドの中で、喜びもせずサルビアに言われるがままベースを一周するせん。
ホームに帰ったせんを待ち受けていたのは、大きな拍手だった。それは女子からも、男子からも。
「零ちゃん、すごいんだね!」
「女子が一発で場外ホームランだなんて……只者じゃないわね」
「……あ」
しかし一方のせんは、笹川や黒川をはじめとしてクラスメイトからすごい、すごいと褒め称えられ、戸惑うばかりである。褒められることに慣れていないのだ。
『……あー、やりすぎたなこれは』
《いんや、挑発には挑発で返すのが一番だろ。あのピッチャー、落ち込んで言葉失ってるぜ》
『いやそうじゃなくて、失敗。目立ちすぎた』
《……ま、いいんじゃねえか?》
まあまあ、とピッチャー以上に落ち込むせんを宥めるサルビア。敵チームのエースからホームランを打ったのだから普通は喜んでいいところなのだが、先の言葉の通り目立つことをしたくなかったせんはショックなようで。
「はあ……笹川、後任せるよ」
「えっ、零ちゃんどうしたの?」
「太陽光苦手でさ、ちょっと頭痛が。とりあえず校舎に戻ってるよ」
「あ、うん。お大事にね!」
バットを笹川に渡すと、せんは適当に理由を作ってそそくさと校舎へ逃げるという行動に走った。その様子を、屋上から見ている人物がいたとも知らずに。
そしてこれは後日談だが、転校生を挑発した挙げ句ホームランを打たれたということで、あのピッチャーは部長からエースを剥奪されたとか。
△▽△
「遅咲きの桜、か……」
せんはその日の放課後、校舎の陰にあるあの桜の木の幹に座っていた。樹齢が長いことと、今年の春先がかなり寒かったことが重なり、満開になる時期がこうして遅れてしまったのだろう。
あの美しく可憐な花びらをもう見ることは二度と出来ないが、それでも桜の柔らかく甘い香りがせんにとって睡眠誘発剤の役割を果たしているようで、つい瞼が重力に伴い落ちてくる。
「いい匂い。このまま寝ちゃいそう」
〈寝ればいいじゃねーか。木から落ちなければな〉
「……いや、絶対落ちるから。でもこうして桜に包まれてると、日本に来て良かったと思う」
〈ま、イタリア生まれとはいえ日本人だしな?お前〉
「うん……でも、この桜もそろそろ葉桜かな」
大きく伸びをしてから、せんは木の下へ飛び降りる。するとそこに、ここ数日ですでに聞き慣れてしまった声が聞こえてきた。どこか胸を擽る、心地のいいテノールボイス。
「目見えないくせに木登り?度胸あるね」
「ああ…………雲雀か」
「何、今の間は。夜鳴さ、初めて会ったときからだいぶ性格変わったよね」
「別に、変わってないよ」
せんの隣に何の前触れも変哲もなく立っているのは、勿論上司である雲雀だ。肩に羽織る学ランの袖と彼の髪が風に揺れ、桜に混じって匂う優しい香りが鼻を燻る。
「さっきの試合、見せてもらったよ」
「ああ………見てたんだ」
「見えないくせにあのエースから場外ホームランか。その細っこい身体のどこにそんな力を秘めてるのか」
クラスで目立つことより何倍も雲雀に目をつけられることが面倒だというのに、どこまで目敏いのだろうかこの男は。そんなところも兄にそっくりで、文句を言ってやろうと喉まで出かかっていた言葉を思わず見失ってしまう。
「……ふふ。まるで、君が来るのを待っていたみたいだ」
「……何が?」
「この桜だよ。昨年は一度も花を咲かせなかったんだ。聞いた話だとここ数年何故か花を咲かせなかったらしい。それが今年になって突然咲くものだから、校長たちも驚いてた」
「………へえ」
「でも、せっかく綺麗に咲いたのに、見られないなんて勿体ないな」
彼はそう言うと、欠伸をかみ殺しながら大きく伸びをした。柔らかい空気を伝って感じられるその動作が大きな猫のように思えて不覚にも可愛いと思ってしまうせんだが、きっと美少年美少女好きのジェニファーの影響なのだろう。それに、やはり自分の大好きな桜の花が彼をも魅了しているのだと思うと嬉しい気持ちになるのだ。
「……まあ、見たことがないわけではないからね。ここに桜があるんだって分かれば充分なんだよ」
「生まれつきじゃないんだ。事故か病気かなにか?」
「……ああ、うん。まあね」
ゆっくりとした口調で言うと、せんは桜の木に背を預け大きく深呼吸をする。そんな彼女の行動にまるで答えるように、ざわりと風が吹き、桜の花びらを空へ舞い上げていく。
「出来ることなら視力は戻したいんだけどね。手術して治るものじゃないからそんな希望持ったところで無駄なんだけどさ」
「……?」
「見えないよりは見えた方がいいに決まってるでしょ。今のわたしじゃ雲雀の顔だって見えないし、この桜も見えない」
「………」
「思い出の木なんだ。家族のね」
ゆっくり目を瞑ると、脳裏に浮かぶまだ少し小さい兄と姉の姿。イタリアにいた頃、まだ視力を失う前、3人で並んで見た桜の木が、まだ鮮明に残っている。小さくて薄いピンク色の綺麗な花びらは、苦しい生活に耐えていた子どもたちに喜ばれていた。
そして、それを見て自分たち3人にあのネックレスを作ってくれた『彼』も────。
「……………っ…!」
《………おいせん、大丈夫か?》
ズキンと鋭い痛みが頭にのしかかってくる。フラリと傾いた身体を雲雀が咄嗟に受け止めるが、その瞬間せんの脳内に蘇るのは、過去の映像。
「あなたのおかげで、彼を始末出来ました」
「……ど、して……どうして朧兄さんに手をかけた…っ!」
「姉さん……っ、未那月姉さん…!」
「家族愛などくだらない。お前も、両親を殺したんだろう?」
「……………る、な……」
「……何?聞こえな……」
「……わたしに触るな!」
速くなる鼓動と額から噴き出る汗、断続的に繰り返される締め付けるような頭の痛み。肩を支えていた雲雀の手を咄嗟に弾くと、彼は驚いたような呆れたような、不思議な表情を浮かべた。
乱れた息を整えて我に返ったときには、雲雀は腕を組み、ムッとした表情で立っていて。
ああ、自分は今この人を傷つけてしまったのだと瞬間的に分かった。
「………あ」
「早速仕事してもらおうと思ってたのに、そんな真っ青な顔でやられても捗らないからね。帰りなよ」
「……仕事?」
「風紀委員になってもらうって言ったでしょ。その仕事」
そう言うと雲雀は、桜の木に寄りかかって息を整えているせんの手のひらに、雲雀のそれと同じ腕章を乗せた。風紀委員会の象徴ともいえる、金の糸で刺繍がされた風紀の文字が輝く腕章だ。
「明日は仕事してもらうからね。溜まっていて大変なんだ」
「………あ、その、ごめん」
「謝る必要はない。具合が悪いときにされたら仕事の効率が落ちるって言ってるの」
「…………!」
そこで気付く。これは雲雀なりの自分への気遣いなのだと。
(そっか。この人も朧兄さんと同じで……気持ちを伝えるのが苦手な、不器用な人、なんだな)
言いたいことをなかなか言い出せず、よく未那月にからかわれて照れていた朧を思い出す。最近兄のことをよく考えるようになったのは、きっと雲雀の影響なのだろうとせんは自嘲気味に笑った。
「……そっか。ありがとう」
「……そういうのいらないから、早く帰れ」
「……はいはい。転校生は大人しく帰ることにしますよ」
せんは腕章をポケットに突っ込むと、木の根元に置いてあったバッグを拾い上げ、一目散に走り去った。そこに1人残った雲雀は、立派にそびえる桜の木を見上げて、その口からため息を漏らす。
「…………不思議な子」
桜の花びらが、ふわりと風で舞い上がる。それが雲雀にはせんの背中を追いかけているようにも見えた。
△▽△
〈なあせんよお、もうHR始まるぜ?〉
「HRくらいサボったって問題ないでしょ。ああもうだめ眠い……」
〈ま、昨日の任務はアジト壊滅だったしな。殺した人数も多かったし〉
「それもそうだけど、考え事してたらなかなか寝れなくてさ」
〈考え事?ああ、昨日の……〉
次の日。せんとサルビアはもうすぐ朝のHRが始まる時間だというのに、屋上で堂々とのんびりしていた。
昨日過去の記憶がフラッシュバックしたことで改めて気付いた、兄と雲雀の相似点。それから、何故か昔雲雀と雰囲気が似た人物に会ったことがあるような気がしてならなくなったのだ。
「んー、記憶力には自信あるつもりだったんだけどな」
〈風紀の兄ちゃんに似てる奴なんて、思い出すだけ無駄じゃねえか?視力を無くす前なら相当小さい頃だろ〉
「わたしの力になってくれた人、のはずなんだけど。あ、そうだ」
せんは何かを思い出したように突然ガバリと起き上がる。まだ鴉の姿でいるサルビアは先程まで彼女の隣に寝転んでいたが、突然の動きにびっくりしてバサリと翼を広げた。
「サルビア、跳ね馬ディーノって知ってるよね」
〈はねうまでぃーの……ああ、キャバッローネのボスのことだろ?〉
「うん。わたしサルビアに、エストラーネオに見つかる前少しだけディーノと住んでた時期があった話したっけ」
〈ああ、聞いた。それがどうかしたか?〉
ディーノ、通称跳ね馬。キャバッローネファミリーという大きなファミリーのボスであり、5000人の部下を従えているという。実はキャバッローネは通常業務の裏で千都率いるヴェルベーナと協力関係を結び、裏社会とせんたちマフィア嫌いの殺し屋との均衡を保つ助けをしてくれている。
マフィアを心から憎むせんだが、マフィアなら無差別に全員嫌いだというわけではないのだ。もしそうであったのならマフィアからの依頼を受けてマフィアを殺す仕事など出来るはずもない。そして、ディーノだって他の何者でもなくマフィアを纏めるボスなのだから。
ボスとして働く彼ではなく、せんは純粋に自分を大切にしてくれたディーノといういう1人の青年が好きなのだ。だから様々な協力をしてくれているディーノがマフィアのボスだったとしても、嫌悪を抱くことがせんには出来なかった。
「ディーノと一緒に住んでた人だってことまでは覚えてるんだよ。だけど、何故かどうしても名前も顔も思い出せない」
〈確か、跳ね馬ってリーザの従兄弟なんだろ?聞いてみればいーじゃん〉
「ああ……あの2人なんか仲悪いらしいから聞いてもあまり期待できない」
大きなため息をつきながら屋上の床にもう一度寝転がると、突然屋上に繋がる階段のドアがものすごい勢いで開かれた。びっくりしてすぐに身体を起こすと、1人の男子生徒がフェンスのほうへ歩いて行くのが分かる。その人とは。
『あいつ、昨日野球で活躍してた……』
《ああ、山本っつったか?何しに来たんだこんなとこに》
『さあね。生憎こっちには気付いてないらしいけど』
山本武だった。しばらく様子を窺うことにして、せんは再び寝たふりをしつつ耳をそばだてる。
屋上の柵に乗り、サルビアは何気無さを装ってその様子を観察し始める。それからすぐに、同じ1Aのクラスの者たちが続々と集まり背を向ける彼に声を掛け合っていた。
『……野球で骨折したから飛び降り自殺?意味が良く分からないんだけど』
《うわあ……こりゃせんに対して随分失敬じゃねえか》
『たかだか怪我で命を絶とうなんて許せないな。わたしは毎日命懸けなのにさ』
《…………いや、お前今までに返り血以外の血身体につけて帰ってきたことあったか?》
サルビアの言葉を無視して、せんは再び寝転がる。さっきから山本を説得させようと試みているのはどうやら沢田のようだ。死のうとしている彼を止めようとしているのか、素敵な友人ごっこだ。
せんは呆れてため息をつくがその瞬間ガシャン、という何かが壊れるような音と、女子たちの劈くような悲鳴が耳に入った。
《……おっ、おい、沢田も一緒に落ちたぜ!》
『…………!』
さすがのせんも急いで身体を起こすと、クラスメイトから少し離れてフェンスへと駆け寄った。潜伏するために来ている学校で死者など出したくないというのが第一の本望だが、この校内で死者が出たらおそらく彼が、雲雀が黙っちゃいないというのも見え透いた事実。
となると、結局自分にとばっちりが回ってくるのは予想出来ることである。
『なあサルビア、どうなっ……』
サルビアに問いかけたその瞬間。響いたのは、激しくガラスが割れる音。そして一発の銃声。
『……サルビア、今銃声が……?』
《お前にも聞こえたか?オレにもだ》
クラスの者たちは山本と沢田の安否に気を取られて、銃声などには気付いていないようだ。
せんとサルビアはクラスのほうにも意識を向けつつフェンスをしっかり掴んで下を覗きこもうとする。2人は屋上から落ちたにも関わらず、無傷。山本が仕掛けたドッキリだったんじゃないかとクラスメイトたちは教室へ戻っていくが、せんとサルビアには、そうは思えなかった。
ガラスが割れる音、聞こえた銃声、無傷な2人、そして。
〈何でだ?沢田の奴上裸だぜ〉
「……どういうこと?」
〈いんや、山本の方は相変わらずだけど、何故か沢田だけパンツ一丁なんだよ〉
せんはフェンスから身を乗り出し、校舎の下を覗き込む。その瞬間感じた強い炎に、せんの中の血が、先代から引き継がれてきた血がざわりと騒いだ。
そのときふわりと、不意に柔らかい熱を感じた。それは、スカートの下に幻術を用いて隠し持っている、自らの大切な牙である武器に灯った白銀の炎の熱。
屋上に誰も残っていないことを確認し、せんはホルダーから柄を引き抜く。このユーデクスというサーベルには、刃がない。使用者が柄を引き抜く際に『炎』を注入することで、硝子のように美しい刃が出現し、自在に長さまで変えられるのだ。この『炎』とは刃を出現させるために必要なものであって、普段は炎を纏うまでの量は使用しない。しかし、現在ユーデクスは、煌々と暖かく純粋な炎を灯し続けていた。そう、遥か下で死ぬ気の炎を額に灯す沢田綱吉に反応したのだ。
「ユーデクスに共鳴している……死ぬ気の炎か」
〈死ぬ気の炎……?まさかあいつは……〉
「マフィア関係であることは、まず間違いない。銃声が聞こえたから第三者の可能性も考えた方がいい」
助かったことによって校舎の下で笑い合う2人の姿に重ねるようにして、せんは自分の手の内にある炎を見つめた。
この一件であの2人の仲は深まりでもするのだろうが、せんとサルビアは内心、焦っていた。
「名前、偽名にして正解だったかもしれないね。リーザに感謝しなきゃ」
〈今日は一旦教室戻ろうぜ。観察も仕事のうちだ〉
「そうだね。家に帰ったら、リーザたちに詳しく調べてもらおう」
難しそうな顔をするせんを見ながらサルビアはため息をついた。周りにマフィアがいればいるほど、彼女の苦労はどんどん増えていくのだ。
サルビアは分かっている。自分自身なんかよりも何倍、いや何十倍も、せんがマフィアを憎んでいることを。
だから彼は、命を懸けて、せんを守ることを決めたのだ。