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夢を、見ていた。まだ自分のことをはっきりと理解出来ないでいた程に小さかった頃の夢だ。
それは少女が、死神と呼ばれ始めた頃の記憶。
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生まれたイタリアの病院から、せんはすぐに夜神家の親族に預けられた。
触れることなく人を殺してしまう能力。優秀な夜神の術者によってその能力は封じられたが、両親を殺したという過去からいつしかせんは『死神』と呼ばれるようになっていた。しかし夜神の親族たちは皆仙月がそのような能力を持っていることを知っていたし、それを引き継いだ彼女を恐れることなく大事に育てていた。
せんはその家で暮らすうちに、様々な人に会った。その代表格が、夜神家が代々引き継いできた六花直属の秘密組織である、現ヴェルベーナファミリーの者。
街でマフィアの抗争に巻き込まれて心臓を弾丸で貫かれ、ほとんど死にかけていた夜神千都。そして同じように深い傷を負った守護者たち。当時の千都は夜神の養子に入って間もなかったし、守護者たちは皆ヴェルベーナファミリーの存在など当然知らないただの人間だった。
しかし彼らはせんの持つ『治癒』の力によって助けられた。せんこそがずっと探し求めていた、月哉の母親の生まれ変わりであると知った彼は、彼女に一生の忠誠を誓い寵愛したのだ。
そんな少女の日常は、ある事件によって壊された。秘密組織であったはずの、千都たちの先代が率いるヴェルベーナファミリーがとあるファミリーに抗争をしかけられ、そのまま街を飲み込んだ大きな戦争となったのだ。
相手は、ボスの正体はファミリーの一部の者にしか分からないという、謎多きファミリー。ヴェルベーナファミリーは街を守り抜き勝利したが、このとき夜神家は『死神を生んだ家』という理由で残党による強襲に遭い、家は全焼。命からがら逃げ出したせんだけが、一命を取り留めた。ヴェルベーナファミリーの者は、秘密を守るために千都や守護者たちを連れ一時国外で身を潜めることとなった。
この事件によって夜神の血を引く者の中で生存が確認されたのは、せんと夜神の養子である千都のみになった。夜神家はほぼ全滅、存続の危機へと陥ったのだった。
家が焼かれ、能力を封印していた術者が死んだことで術も解かれ、生き抜く術を無くした幼いせんは、隣町との境に位置していた小さな公園に身を潜めていた。
そこはまるで火事が起きたかのごとくただの焼け野原と化していて、残っているのは小さな池と、公園を取り巻いていたのだろう、背の高い植木が数本。その植木の根元辺りから、せんは誰かの呻き声を聞いた。
怪我した足を引きずりながら声を頼りに進むと、自分よりも幾らか年上らしい少女が地面に突っ伏して倒れているのが分かった。肩の深い切り傷が原因で熱が出て来ているようで、苦しそうに呼吸をしている。
せんは少女の前にくず折れるように座り込むと、傷口にそっと手を翳した。白く淡い色の光と共にその傷は塞がっていき、数秒のうちにその傷は跡形もなく消えてしまう。自分の身に起こったことに驚きつつも、痛みはひいたのか少女は突っ伏した身体をゆっくりと起こす。
「ありがとう。貴方のお陰で助かったわ」
少女は見たところ14か15歳くらいで、せんに比べると少し年上。通常なら2ヶ月程は消えないだろう深い傷はすでに、まるで元から無かったかのように綺麗に消えている。
自分の肩とせんを交互に見ながら少女は険しい表情をした。せんの身体中に残っている傷を見て。
「もしかして……自分の怪我は治せないの?」
こくりと頷いたせんをそっと抱き上げ、少女はその髪をゆっくりと撫でる。軽い栄養失調を起こしていたせんのあまりの軽さに驚きながら。
「助けてもらったことだし、貴方の怪我は私が手当するわ」
優しく微笑む少女が向かった先は、とてもとても大きな屋敷。少女は躊躇いもなくその建物の中に入ると、迷わずせんを医務室へ連れて行きベッドに座らせた。
その部屋には白衣を着た医師が数人おり、怪我を負ったせんを見るなりすぐさま治療の準備を始める。少女は椅子を何処からか引っ張ってくると、そこに座ってせんに目線を合わせた。
「私は、このファミリーの一員である両親の所に引っ越してきて、一緒にお世話になってる───っていうの。貴方の名前は?」
「……せん。夜神、せん」
「せん!?まさか、あなたは……!」
少女はせんの苗字を聞いて、目をぱちくりさせた。『夜神』の姓とその夜神からの派生である『六花』の存在は、裏社会に関わる者であれば誰もが知っている名だ。そしてせんはその夜神一族の先代、仙月の生まれ変わり。『六花の授かり人』その人なのだ。
ただせんが授かり人であるという事実は、夜神一族と親睦のある者にしか知り得ない極秘事項だ。故にそれを知っているここ、キャバッローネファミリーは少なくとも、夜神一族とは繋がりがあると言える。
何故なら、仙月は初代キャバッローネのボスと従兄妹関係にあったからだ。仙月の力を認めていた初代キャバッローネボスであるアルフリードは、古くから彼女に協力をしていたと伝えられている。
「まさか、こんな所で会えると思っていなかったわ。ロマーリオ、ディーノを呼んできて。彼にこの子を会わせたいの」
「分かりました、お嬢」
「せんちゃん、ちょっと待っててね。貴方に会わせたい人がいるの」
震えているせんを安心させるために、手を握っていてくれた少女。その温かさに安心したせんの視線を感じた少女は、優しく微笑んでみせた。
「せんちゃんは、私の弟に似ているわ」
「……おとうと……?」
「ちょっと臆病だけど優しい子なの。何しろこんな場所でしょ、日本人の友達がなかなかいなくてね。でもせんちゃんとは気が合いそうだし機会があったら会わせてあげるわ」
「……うん」
ようやく笑顔を見せたせんを少女は愛おしそうに見つめる。すると、パタパタと忙しない足音が聞こえてきて、少女と同い年くらいの少年が綺麗な金色の髪を揺らしながら顔を出した。それは、後にこのファミリーの偉大なるボスとなる少年。
「ああディーノ、来たのね」
「……?その子はどうしたんだ?」
「私たちにしか知りえない秘密の鍵。六花の授かり人と呼ばれたあの方の、生まれ変わりよ」
「この子があの……仙月様の?」
「私の傷を治してくれたの。夜神仙月様の力」
頬に絆創膏を貼った金髪の少年、ディーノは少女の隣に椅子をもう1つ並べて座った。
そのうちにせんの怪我の手当ても終わり、医師たちは医務室を颯爽と後にする。部屋にいるのはせんとディーノ、少女の3人だけだ。
「夜神での抗争は激しいものだった。偵察に行ったら私まで貰い火を浴びちゃったの」
「おいおい……大丈夫かよ?」
「せんちゃんのおかげで大丈夫よ。でも、夜神の館は火事で全焼だったわ。この子にはもう行く場所がない……ねえディーノ、なんとかお父様に頼んで、キャバッローネで預かれないかしら」
「そうだな……夜神には昔からの恩を返さなきゃだし、親父に頼んでみるか」
「ありがとう」
もう何も心配いらないから、貴方の事を話して聞かせて?頭を撫でながら言う少女とディーノを前に、せんはぽつりぽつりと言葉を口にする。
生まれて間もなく、自我の無い中で両親を殺してしまったという記憶が残っていること。死神と呼ばれるようになったこと。自分の力のせいで夜神家が襲われてしまったこと。今回の抗争のせいで、夜神一族が断絶の危機にあること。
少女もディーノも、せんの話を黙って聞いていた。
「今、夜神一族で生存が確認されているのはこの子と、夜神千都だけか。酷い話だな……」
「せんちゃんの力がエストラーネオに見つかったりでもしたら危険だわ」
せんは触れなくとも人を殺せる力を持っている。それが原因で両親を殺めてしまい、力を恐れた周囲の人々に死神と呼ばれ始めた。それすらも理由にした、今回の襲撃というところだろう。
頭の中で話を整理した少女は、ディーノと顔を見合わせると、互いに頷き合った。
「大丈夫よ。今はまだ苦しいかもしれないけど、私とディーノで、出来る限りのことはしてみるわ」
「そうだな。こんな小さな子に……これ以上つらい思いをさせるわけにはいかない」
少女とディーノの真っ直ぐな視線。せんは手を握り締めて俯くと、感謝の言葉を口にした。
こうしてせんはキャバッローネファミリーに匿われ、しばらくの間を過ごした。優しい少女とディーノとの毎日の生活の中で、せんは自然と、身を守るための戦術や礼儀作法などを習得していった。ディーノの揚げ足を取って、少女と笑い合ったりもした。
死神と呼ばれた自分に優しくしてくれる2人が、せんにとっては太陽のように思えたのだった。
しかし笑顔に溢れた生活もつかの間。せんは、当時とある特殊弾の製造を繰り返していたエストラーネオファミリーに捕えられてしまう。表向きではファミリー総出で研究を重ねていたが、裏では特殊な能力を持った人間を作り出すために子どもを集めて人体実験を繰り返している、危険なファミリーだ。
別れ際での、優しかった少女の悲鳴に似た泣き声と、それをあやしながらも、唇を噛み締めて涙をこらえるディーノの後悔に溢れた表情。せんの脳裏から、そんな2人の顔が離れることはなかった。
△▽△
連れて行かれた先は、エストラーネオファミリーのとある実験施設。せんはその場所で、実の姉である未那月、実の兄である朧と初めて顔を合わせた。せんが生まれ夜神家に預けられた時すでにエストラーネオに身を寄せ暮らしていた、少し年の離れた未那月と朧。
施設にはいくつか建物があり、3人は別の病棟に隔離されていたが、未那月や朧はどこかに抜け道があることを知っているのだろうか、よく施設を脱走してせんや他の子どもたちの様子を伺いに来ていた。
ある日、未那月のいる施設の子どもがひとり、人体実験を受けた。しかしその実験は失敗。子どもの大切な命はあっけなく散ってしまったのである。
その光景を目にした未那月は、月に一度だけ子どもたちの体調チェックのため1ヶ所に集められるその日に、施設からの脱走を計画しその旨をすべての子どもたちに知らせた。その際せんと朧は、彼女のいる施設を担当しているとある研究者の男を紹介された。
「先生はファミリーの研究者だけれど、人体実験に反対していて私たちに協力してくれているのですよ」
「よろしくな、お前たち。で、お前らが未那月の妹と弟、だな?」
未那月に先生と呼ばれるその痩身の研究者は長い間この施設にいるらしく施設内のあらゆる間取りなどを知っていたため、詳しい脱出経路を子どもたちに教えた。非常用の食べ物なども少しずつ、分けてくれた。
とても優しく心の広い彼は、幼い頃から両親らと隔離され孤独に生きてきた子どもたちにとって父親のような存在だった。自分の父親と会話したことのないせんや、ずっと長いこと施設にいる未那月や朧にとっても彼はとても大きな存在だったのだ。
しかしついに、せんの実験の日が、運命の日がやってくる。一面ガラス張りの冷たい空気が漂う実験室。マスクや手袋を身につけた大人たちが見下ろす中、せんはその部屋の中央に置かれた硬いベッドに寝かされた。
そして何の予告もなしに左目に突き刺された、太い針とそこから繋がれたチューブ。
「……っ、う……がっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「お前の力については、かねがね聞いているのだよ。触れずに人を殺せる能力など、我がファミリーのために使わずして何のために存在する?」
「お前は1000年に1人の逸材だ。金の卵なのだ。お前の力は、我々のファミリーの発展のためにあるのだ」
溢れる、わずかに涙の混じった大量の血液。止まらない叫び声。体中に走る激痛。せんは冷たい手術台の上でひとり、もういっそのこと死んでしまえたほうが楽だとも思えるような地獄のような痛みに耐えた。
耐えて耐えて、それでも苦しくてつらくて痛くて何もかもを捨ててしまいたくて。それでも、時折研究者たちによって打たれる鎮痛剤と薬剤によって死ぬことすらも出来なくて。
「これは、素晴らしい力だ……!もう少しだけ……よし、この力の埋め込みが成功すれば、この子は人類最強の兵器になるぞ……!」
「……いやっ……も、やめ……!」
「お前はただ、我らのために動けばいいんだ!口答えをするな!」
「う、ああああ……っ、がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
もはや声にならないようなせんの叫びを、部屋の外にいた未那月や朧、他の子どもたち、そして医者は泣き崩れながら聞いていた。
やがて10時間もの、あまりにも長い時間を経てその実験は終了。死神と呼ばれたせんへの新たな能力の埋め込みは、成功してしまったのだ。
能力の埋め込みが完了しただけではない。せんはこの実験で、両目の視力を完全に失い盲目となった。目にぐるぐると包帯を巻かれ、壁を伝いふらふらと実験室から出てきた小さな妹を、未那月と朧は、しっかり抱きしめた。
生きた心地がしなかった。暗闇しかない世界の中で生きる価値など、意味など何もなかった。このまま施設にいればもう自分は兵器として、ただの人を殺す道具として生きるしかなくなるのだ。
絶望しか残されていないようなまだ幼い人生。そんなせんにとって唯一の安らぎは、1ヶ月に一度大人たちのの監視付きで施設の外へ出ることが許される日に、暖かい太陽の光の下で日向ぼっこをすることだった。遥か昔に日本人がここへ植えたという、立派な桜の木のもとで。
手術から多くの日数が経った頃、せんはとある自分の身体の変化に気付いた。今までは身体で太陽の光を感じることしか出来なかったのに、いつの間にか目の前にあるものがいったい何なのか、そして目の前にいるのがいったい誰なのかを識別できるようになっていたのだ。
それはせんの、人生での大きな転機だった。人間には1人1人違った風が周りを取り巻いていると、そう考えるようになったのだ。目が見えなくても風や空気、音を頼ればいくらでも生きていける。
絶望しか残らなかったはずのパンドラの匣の中から希望を見つけたせんに、未那月も朧も誇りを持っていた。
そしてまたある日のこと、未那月は窓から外で日向ぼっこをするせんと朧を呼び寄せた。
「せん、朧、今は辛いけど、きっといつかここを抜け出して、3人で暮らしましょう。父様と母様のためにも、私たちは絶対に生きるのです」
未那月はせんに告げた。2人が死んだのはせんが悪いのではない。だから自分を責めてはいけないと、そう言って聞かせた。そして朧には、せんの力になるようにと、心の支えになるようにと、そう言った。
素直に頷いたせんと朧の頭を撫でた後、未那月はストーンで作られた『桜』のモチーフのついたネックレスを、2人に渡した。桜の花びらの裏面にはそれぞれ、名前が彫られている。
「先生が私たち3人に、と作ってくれたんです。世界に3つだけなんですよ」
「………すごい……!」
「これは私たち3人の、約束の証です。大切にしましょう。私たちは、これから何があっても、ずっと一緒ですよ」
「……分かったよ、姉さん。大切にする」
「未那月姉さん、ありがとう。わたし、先生にもお礼言う」
2人の、心からの言葉。未那月は愛しさに満面の笑みをこぼした。
せんは朧に、ネックレスを首にかけてもらう。3人の胸元のそれが日光にあたってキラキラと光るのがせんにも分かった。綺麗だと太陽が言ってくれたような、そんな気がしたのだ。
それから数日後、1ヶ月に一度の体調チェックの日。研究者である彼の協力の下、子どもたちの脱出計画が実行された。
その日は運悪くも、朧がもうこれで何回目かの実験を受ける日でもあった。しかし頭の良かった朧は実験室からのあらゆる脱出経路は完璧に頭に入れていると言い、大丈夫と笑って部屋へ入っていった。未那月もせんも、それを信じたのだった。
子どもたちは、大人たちの監視の目が離れた隙に、計画を実行する。先生が自分の身は自分で守れ、と教えた『神経を麻痺させる手刀』を使い必死に逃げる、すばしっこい子どもたちに、大人たちは焦り為す術もない。未那月も朧もせんも多少の犠牲は覚悟していたのだが、驚くほどにその計画は上手くいったのだった。
施設のほとんどの子どもを外へ逃がしてから、未那月は残っている子どもがいないか確認をしに、そしてもうすっかり自由に歩き回れるほどまでになっていたせんは朧の元へ行くために、来た道を戻った。未那月は元々体術が得意であり、道を塞いで行く大人たちを次々と倒しながら進んで行く。せんも、大人たちの攻撃をかわしながら走った。
やがてせんは実験室へと辿り着く。しかし。
「朧兄さん、そろそろ………っ……!」
扉を開けた瞬間外へと漏れ出した、鼻につく鉄の臭い。大量の血の臭いが嗅覚を可笑しくさせる。部屋で朧に実験を施していたはずの大人たちが1人残らず、首を刈られ内臓を引っ掻き回され四肢をバラバラにされた状態で、殺されていたのだ。
その部屋の隅に、三叉の槍を手に持ったオッドアイの少年が立っている。未那月と同じ施設にいた、輪廻転生の力を持つという少年。せんも何回か話したことがあったが、とてもユニークな人物だというのが印象的だった。
彼が持つ三叉の槍の先には大量の血が付着している。中央の実験台には、実験を終えたらしい朧が縛り付けられていた。
「朧兄さ……」
「せん、後ろだ!」
珍しく大きな声を張り上げた朧に、せんははっと後ろを向く。大人が1人、鈍器を振りかぶっているのに気付き、咄嗟に身を翻し手刀を繰り出そうとするのだが。
「無駄だ、夜神せん」
「…………離、せっ……!」
しかしまだ幼い少女の手は、その大人によって掴まれてしまう。大人の力に、いくら何でも少女の力で適うわけがなく。せんは思わず、掴まれていない逆の手を男に翳しそして禁忌の言葉を呟いた。
「『altola』」
腕を掴んでいた手の力が緩み、男は電池の切れたロボットのように床に倒れこむ。
禁忌の言葉。仙月が持っていた、人としての動きを止めてしまう能力だ。力を失った手を振り払って地面に着地したせんはそこで、クフフ、という不気味な笑い声を聞いた。静まり返った部屋に響いたその声に振り返る。そこにあったのは、惨劇だった。
「……っ……おぼ、ろ……兄さん……?」
さっきまで生きていたはずの、兄。今の一瞬の出来事のうちに彼の身体は血まみれになり冷たくなっていた。
「君がその男に気を取られていたおかげで、この男を始末出来ました」
「………お、まえ…どうして朧兄さんを……」
朧の腹に垂直に突き刺さった三叉の槍。見えなくとも、冷たい金属質のそれはせんの脳を混乱させる。
何故、どうして。オッドアイの彼は未那月を心から慕い、自分や朧にも優しくしてくれていた。それも全て彼の偽りの顔だったとでも。嘘だったとでも言うのか。
「恨みなさい、夜神せん。もっともっと人を殺して殺して、そしてもっと僕の力に相応しくなるのです」
「……どういう、こと?何を、言って……」
その一瞬、そこに立っている少年が違う人物のように思える。
そんな疑問もいざ知らず、彼はそばにいた2人の少年を連れ無言で実験室を後にする。せんは大人たちの屍を踏み越えながら実験台にゆらゆらと近寄り、朧の頬に手を当てる。
しかし完全に冷え切って硬直したその頬は、彼の死を実感させるものでしかなかった。
「朧、兄さん……ど、して……どうして……」
何度呼びかけても、目の前にいる大好きな兄は、もう彼女の言葉に反応することはない。ただただ、彼の首から落ちかかっている桜のネックレスだけが虚しく光るだけだった。
「……いや……兄さんを返してよ……っ……!どうして……!」
もう一生光を捉えてはくれないその目から、次から次へと溢れる涙は止まることを知らない。
しかしひとしきり泣いたところで、ふとせんは思い出す。そういえば朧はつい今しがた実験を受け終えたばかりなのだ。先ほどまでまだ生きていたということは、きっと彼は成功しているはず。そうすれば、もしそうだとしたら彼はきっと。
それに、ついさっきまで生きていた人間がこうも一瞬で冷たくなるはずがないのではないだろうか。もしかしたら能力を使い、精神世界へ逃げている可能性もあるかもしれない。一筋の希望が見えた気がして、せんはハッと顔を上げる。
涙を拳で拭うと、震える手つきで朧の首からネックレスを外し、自分の首にかける。朧の頬にもう一度手を当てるが、やはり人間が持つ温かさは不自然なほどにどこにもない。
と、次の瞬間隣の施設から大きな悲鳴が聞こえてきた。咄嗟にせんは窓を開け、そこから外へ出る。相変わらず実験台の上に横たわる兄を振り返り、視力のない目で精一杯彼を見つめる。
「……朧兄さん、お願いだから、生きてて……!」
せんは涙を拭うと、2つのネックレスを胸に光らせて走り出した。まだ自分はこの足を止めてはいけない。兄を信じて、きっと無事に生きていることを信じてもっと先へ。自分は、生き延びなくてはならないのだから。
反対側の施設の窓を割り、出来た隙間から鍵を開けて中へ入る。悲鳴の聞こえたその場所へは、すぐそこにある曲がり角を曲がったその場所にあるはずだ。履いていた靴はもう擦り切れて走りづらいので、脱ぎ捨てた。
割れたガラスの破片や散乱した注射の針などが足に刺さって鋭く痛むが、今は構っていられない。あの時の痛みに、苦しみに比べたらこんなものはどうってことないのだ。
そして辿り着いた、未那月がいた施設の中で一番大きな研究室。せんはその研究室の扉を両手で、思い切り開いた。
「遅かったな、小娘」
「………せん、せい……?」
部屋に入った瞬間、再び感じた鉄の臭いは先ほど朧の部屋で感じたものと全く同じ。部屋の中には身体が引き裂かれたり頭が潰された大人たちの遺体が大量に散乱している。
部屋の中心に立つのは、計画の中心人物であるあの研究者の男。そして、彼の大きな手が掴んでいるその、頭の持ち主は。
「……………未那月、姉さん……?」
大量の血に濡れた、未那月だった。鼻をつく臭いの一番の原因は、彼女の腹に突き刺さった刀によって出来た傷のようで。
そして血に塗れたその刀を握る人物は、紛れもない、彼だった。細い首を掴みあげていたその手を離せば、ぐちゃりと嫌な音を立て未那月の身体は血の海の上に無残にも落とされる。
「ど、して……あなたは、姉さんと協力して……わたしたちを、逃がそうと……どういう……」
頭が混乱し、そのときのせんにはもう何がなんだか分からなくなっていた。
彼は子どもたちに戦い方も教えてくれたし、脱出経路も詳しく教えてくれた。そして自分たち3人に、お揃いのネックレスを作ってくれた。でもそれは全部、全部。
「……全部、嘘……!?わたしたちを、騙してたの……っ……!?」
「嘘?私は嘘などついていないよ。これも計画のうちだ」
ふとそこで、先程あの少年に感じたのと同じような違和感を感じる。そこにいるのは勿論彼本人なのだが、何故だか違う人物のように思えるのだ。しかし今この状況で、そんな悠長ことを言っている場合ではない。
「どうして未那月姉さんを……っ……あの、オッドアイの仲間だったの……!?」
「始末は完了した。しかし、お前を殺すわけにはいかないのだよ。お前を待っている者がいるんでね」
「……どうして殺したの……どうして、未那月姉さんなの……?どうしてわたしじゃなかったの……っ……!」
せんの悲痛な声を、まるで聞こえてないとでも言うように、彼は未那月の胸にかかるネックレスをブチリと引きちぎった。そしてそれを、窓から差し込む太陽の光に翳す。
「……それを、どうするつもり……!?」
せんの問いかけもそこそこに、彼は透き通って綺麗なその桜を地面に叩きつけて、踵で思い切り踏み潰した。
バラバラに砕け散った、桜のネックレス。それはまるで少女の心の内にある、絶望を示しているようで。
思わず唇を噛んだ。血が滲み出てきても、構わず強く唇を噛みしめる。拳を握り締める。爪が手のひらに食い込むのも構わず、ぎりぎりと、強い力で。
「全く、こんなもの作るべきじゃなかっ……」
刹那、掌の中の欠片を見つめていた彼の言葉が、止まった。そして恐る恐る、目線を少女に向ける。
彼の視線の先にあるのは、両目を、視力を失った両目を真っ赤に染めて両手の拳を強く握り締め、血が滲むほど唇を噛みしめている、幼い少女の姿。普段は綺麗な瑠璃色をしているその目が赤く染まったことは、果たして何を示しているのか。
彼には咄嗟に、それを考えている余裕などは微塵もなかった。ただ唯一思い当たるのは、彼女に埋め込まれた、新しい。
「……許さない……許せない、絶対、許さない、許さない……わたしには、もう2人しか……」
「…………ま、さか………待てせん、お前……!」
彼の目の色が変わる。彼はそのとき敵としてではなく、純粋にせんを止めようとしたのだ。
まるで、取り憑いていた何かが離れて我に帰ったかのように。しかしもうそんな声など彼女には、届いていなかった。そして、刹那。
「『frangersi』」
少女の足が地面を離れ、彼の懐に突っ込んだと同時に部屋の中が眩い光に包まれ、お互いほぼ同時に床に倒れこむ。施設全体にようやく静寂が訪れた。
部屋の中に響くのは滴り落ちる血の、ポタポタという音だけ。
やがてせんは、未那月と彼の血の海の中で目を覚ました。
初めて覚醒した、例の実験で埋め込まれた力。付けられた名は『frangersi』。破壊という意味のこの力は、体内の酸素と自らの寿命を代償に飛躍的に身体能力を上げるものだ。結果、まだ小さなせんでも彼を殺すだけの力を手に入れることができた。
酸欠でふらふらの少女は、手探りで水道を探す。研究室の水道にすがりつきコップ一杯の水を飲むと、せんはそのまま壁伝いにずるずると座り込んだ。
部屋の中央に倒れるのは、姉の亡骸。もう一度水を汲むと、姉の綺麗な顔を汚す血を丁寧に洗い流す。今になって、まだ目が見えた頃に毎日見せてくれた姉の笑顔を鮮明に思い出す。
「……ど、して……未那月姉さんも、死んじゃったの……?どうして……っ……!」
せんは未那月の隣に座り込み、不自然な死に方をしている研究者の男を、光の届かないその目で見つめた。
つい最近まで自分たちに協力してくれ、この辛い現実から逃げて自由になる方法を一緒に真摯になって考えてくれていた人物が、いったい何故裏切りなどを。
「……父さんも母さんも、姉さんも兄さんも……全部、わたしのせいで……」
もう、少女には2人しかいなかった。殺してしまった父と母の変わりに、自分を大切にしてくれた姉と兄。
未那月も朧や自分と同じ能力者だ。生きている可能性が完全にないとは言い切れないが、朧に比べて身体への損傷がひどい彼女が生きている可能性は限りなく0に近いだろう。これから先、道標を失った自分はどうやって生きていけばいいのだろうか。
「……いや……未那月姉さん……朧兄さん……っ……いや……あああああああああ……っ……!」
朧と同じくらい冷たくなった姉の身体に突っ伏し、せんは声をあげて泣き崩れた。
しかしそれからどれほど、時間がたっただろうか。泣く気力を失いぐったりとしている彼女の名を、呼ぶ声が聞こえた。
〈せん……せん、おい、夜神せん!しっかりしろ!〉
「……だ、れ……?」
〈オレだよ!未那月たちの施設にずっといただろ!〉
扉の前に佇んでいたのは、人の形を模したものではなく真っ黒な身体の鴉だった。彼はこちらへと翼をはためかせながらやって来る。
彼には覚えがあった。未那月のいた施設で毎日面白い話を聞かせ、子どもたちを楽しませていた物知りな『喋る鴉』だ。闇より深い鴉の真っ黒な翼はまるで、絶望に打ちひしがれたせんの瞳を映しているようで。
〈今、この目で全部見てきた。オレももうここにいられる身じゃない。早くしないとヴィンディチェが来るかもしれない〉
「……ヴィン、ディチェ……?」
ヴィンディチェ。『復讐者』とは、マフィア界の掟を破った者の、法で裁けない罪を裁く人々のこと。彼らに連れて行かれたものは決して脱獄不可能な『復讐者の牢獄』に幽閉されるという。
きっといずれこの場所は、残酷な実験が行われた場所として永久に闇の中に葬られるだろう。まだ生きている大人たちもいるかもしれないが、彼らもおそらく見つかればすぐに牢獄行きだ。ただそれは大人たちに限ったことではない。油断をすれば子どもたちもその場所へ行く羽目になるかもしれないのだ。
〈オレはせん、お前がここに来る前からずっといるから他の逃げ道も知ってる〉
「……ほん、と……?」
〈ああ。大人たちが意識を取り戻すのも時間の問題だ。早く逃げるぞ!〉
「……でも、わたし……っ……!これから、どうやって生きていけばいいの……!」
少女は両手で顔を覆って、弱々しく呟く。この子にはもう、生き抜くための道がほとんど残っていない。必死で子どもたちを逃がそうとした未那月も、最後の最後まで実験に耐え抜いた朧も、もしかしたら死んでしまったかもしれない。そして目の見えない彼女は、たとえここから逃げ延びれたとしても、一生絶望の中で生きなくてはならないのだ。
鴉は、覚悟を決めた。ならばせめて自分が、人ではないが人の心を持つ自分が、彼女の生きる道標になってあげればいい。
〈……オレが、お前の『瞳』になる〉
「……え……?」
〈お前に見えないものは何でも、オレが教えてやる。この先何があってもずっと、お前のそばにいる。守ってやる。生きていればきっと救いはある。だから早く逃げるぞ、せん!〉
カタリ、廊下で物音がする。時間はもう、ほとんど残されていなかった。
せんは横たわる未那月に近付くと、そっと傷口に触れその深い傷を癒す。そして彼女がいつも着ていたお気に入りのフードつきのローブを脱がせ、それを羽織って顔を隠した。
〈ここに来る前オレの信頼してる医者を見つけた。未那月も朧も、まだ死んだと決まったわけじゃない。2人のことは、そいつに任せるんだ〉
「………わかった」
せんギュッと胸に光るネックレスを握り締め立ち上がる。そして部屋を出る前に、未那月をもう一度振り返る。
「わたし、生きてみせる。だから、未那月姉さん、朧兄さん……お願い、生きていて……!」
〈……行くぞ!〉
「……っ、うん……!」
ぺこりと未那月に一礼した後、床に一滴の涙を残して、少女は鴉に連れられて部屋を飛び出した。
「ねぇ……鴉さん、貴方に名前はあるの……?」
少女は、決意した。2人が生きている希望が0でないなら、何があっても自分は生きていこう、と。それがきっと、殺してしまった父と母への償いになる。未那月と朧の生きる希望になれる。
それを感じ取ったのか、鴉は、笑みを浮かべた。
〈サルビア。オレの名は、サルビアだ〉
「サルビア……いい、名前だね」
〈そうだろ?これは未那月からもらった名前だからな。ほらせん、行くぞ!〉
鴉、サルビアが叫んだその時。せんは急に感じた激しい胸の痛みに、その場に座り込んでしまった。傷など負っていないはずなのに、じくじくと胸から血が滲んでおり、せんは必死で傷口を押さえる。
不審にサルビアが彼女の胸を覗きこむ。そこにあったのはただの傷口ではなく、夜神一族が誇る組織『六花』の、紋章。
『───夜神せん。あなたに今こそ、力を与えましょう』
せんの脳内に響くその声は、もうとっくに聞き慣れた声。せんをこの世界へと導いた、初代六花の長、夜神仙月の声だった。
胸の紋章が、美しい白銀の炎をゆらめかせながら輝く。一瞬強く光ったかと思うと、次の瞬間には炎も、胸の傷や痛みも消えていて、せんの手には一振りの、硝子のような刃の美しいサーベルと、拳銃が握りしめられていた。
〈……それは……六花の、長たる印……せん、お前がこの時代の、六花のリーダーなんだな〉
「わたしが、六花のリーダー……?」
〈ああ、そのサーベルと拳銃を継承したってことはつまりそーいうことだな。とにかく、これで敵に見つかったとしても逃げる算段が出来たな。時間がねえ、走るぞせん!〉
「う、うん……!」
サルビアを肩に乗せて、再び立ち上がったせんはサーベルをしっかりと握りしめながら廊下に出た。しかしその瞬間後ろから声をかけられ、一瞬びくりと身体を震わせる。
〈アーサー。丁度お前んとこに行こうと思ってたところだ〉
「やあサルビア。君が無事でよかった」
振り返ると、そこにいたのはせんもよく知っている、アーサー=ロイという優秀な医者だった。彼はサルビアの信頼している医者の1人で、人体実験計画の反対派だった人物だという。聞けば陰で、脱走計画に協力をしてくれていたらしい。
「せん、君はもう自由になるといい」
「……………!?」
「未那月も朧も頭がいいし、能力者なんだ。骸という少年を知っているだろう?2人もきっと彼と同じように能力で自らの精神をどこかに飛ばすことができるんだ。俺も全力を尽くして2人を探すし、見つけたら保護してきっちり治療もする。だから君は、もう自由になれ」
「じゆう、に……?」
「君は今まで本物の死神のように、鎖で闇の世界に縛り付けられてきた。でももうその必要はない。せん、サルビアと一緒に外の世界に飛び立つんだ」
くしゃりと笑ってせんの頭を撫でたアーサーは、ようやくそこでせんが持つサーベルと拳銃に気が付く。
「……それは君の武器か?」
「うん、そう、だよ」
「綺麗な刃をしているね。でもちびっこがそんなものを持ち歩くなんて危なっかしくて仕方ないな……すぐにホルダーを用意してあげるからちょっと待ってて」
「え……!」
「本来俺の専門は医療ではなく武器や機械を造ることでね。俺に与えられた研究室には、まあ試作段階なんだけれど、色んな物が置いてあるんだ」
そう言って近くの部屋に飛び込みあちこちを漁り始めたアーサー。しばらくして、螺鈿の細工が施された鞘とガンホルダーを探し出した彼は、それをせんに差し出す。
「刃の長さからして、だいたいこのくらいの鞘なら収められるかな。多少大きさが違っても、ないよりマシだよ」
しかし鞘を受け取り、そこにサーベルを収めようとした瞬間、ゆらりと刃を纏っていた炎が揺らめき、驚くことに柄の部分を残して刃が跡形もなく消え去ってしまったのだ。これにはせんもサルビアも、アーサーも驚きである。
「驚いた。まさかこの刃、君の炎を使って出来ているのか」
「炎……?」
「あー、まあ今の時代じゃ炎を使える人なんてそういないから知らなくても無理はないか。それはそれで持ち運びに困らず便利っちゃ便利なんだけどね」
〈アーサー、そんなことはいいから、とりあえずこいつが逃げやすいようにホルダーをつけてやってくれ〉
「そうだね」
使い物にならなくなった鞘をせんから受け取り、アーサーはレザー製のガンホルダーに拳銃を、そして刃の消えたサーベルの柄を、先程の鞘より短い小刀用の鞘に収めると、ガンホルダーを彼女の太ももに、紐で結わえた鞘を腰にしっかりと取り付ける。
「さて、これで大丈夫。サーベルの方はおそらく、引き抜くときに炎を注入することで具現化するんだろうけど、そこは難しいだろうからあとはサルビアと練習することだね。しばらくは銃に頼るといい」
「うん、分かった。アーサーは一緒行かないの?」
「俺は、追っ手が来たらまずいからそれをどうにかするよ。もうこの施設内にほとんど生きている人の気配はないけれど、念には念をおしてね」
〈すまねえな、アーサー〉
「気にしないで。それより……」
ふと、言葉を止めたアーサーはせんの前にしゃがみこむと、大きな手を伸ばして彼女の頭をフード越しにくしゃりと撫で付けた。
「君がこの施設に来たときからずっと、未那月と朧は言っていた。自分たちの願いはただ大切な妹が幸せになってくれることだと。せん、君は2人の誇りなんだよ」
「……誇り……?わたしが?」
「そうだ。死神って呼ばれてもいいさ、その分君はこれからもっと強くなれる。サルビア、あとのことは頼んだよ」
〈ああ、任せろ〉
「未那月と朧のことは任せて。さあせん、行くんだ!」
サルビアがバサバサと、翼をはためかせる。そろそろ本格的に、ここを抜け出さないと危ないようだ。
「……姉さんと兄さんをお願い。もっと強くなって、2人のこと助けに行くから……!」
「ああ、もちろん。サルビア、この子をちゃんと守るんだよ」
〈当たり前だ。せん、行くぞ!〉
せんはアーサーに頭を下げると、ガラスの散らばった床を走り去った。
もう、二度と彼女が後ろを振り返ることは、なかった。
△▽△
「外、出た……?」
〈ああ、もう施設の外だ。とりあえず大人たちに見つからず済んだな〉
やがて視界が大きく開けて、太陽の光が2人を照らす。ずっと施設に閉じ込められて滅多に外に出ることが出来なかったせんとサルビアにとっては、久々に全身で浴びる太陽光だ。
「……これから、どうするの……?」
〈とりあえず、そこらへん歩いてみるか。行く宛もないしな〉
サルビアの言葉に頷き、フードを深く被る。視力のないせんにとっていきなりの強い太陽光は目に辛いのだ。
サルビアに導かれてしばらく歩くと、ひどく崩壊した建物が並ぶ大通りに辿り着いた。キョロキョロとあたりを見渡し安全を確認すると、サルビアはせんを連れ道路を渡る。
〈ビルでもあったんだろーが、全部壊されてグチャグチャだ。何が起きたんだか〉
「……サルビア、誰かいる」
夜神家の血によるものか、施設で培ったものか、殺気に気付くのが早いせんはサルビアに言う。壊れた建物の向こう側で黒服の男たちが屯しているのにサルビアも気づいた。彼らは手に、何か白いものが入った袋を持っている。
〈ありゃあ、麻薬じゃねーか……?〉
「麻薬……危ないクスリ……?」
〈お、よく知ってるな。どーするよ、あいつらやっちまうか?〉
せんにとって、兄と姉を奪ったのは……いや、自分の何もかもを奪っていったのはすべて憎むべき敵、マフィアだった。エストラーネオファミリーという、人体実験を繰り返すファミリーがあったから全て壊れてしまったのだ。
マフィアは全て敵。その本能が、まだ幼いせんの闘争本能を引き出した。
「………サルビア、戦い方教えて」
〈実践演習だな。習うより慣れろってか!〉
せんは鞘に手をかけサーベルの柄を握りしめると、すっと目を閉じる。視力を失ったせいか、全ての感覚が鋭く研ぎ澄まされ、身体の中を巡る炎の流れが、せんには分かった。
ゆっくりと柄を引き抜くと、硝子のような美しい刃が、太陽の光を受けて輝いた。炎を注入する抜刀の仕方を、本能的に理解しているのだ。圧倒的なセンスに驚きつつも、じわじわと身体を支配する高揚感に、サルビアはひとつ身震いをした。
〈……はは、上出来だせん〉
せんは気配を消しながら男たちに近寄って行く。こちらに気付いて襲い掛かってくる頃にはもう遅く、せんはサーベルの刃をまるで使い慣れているかのようにしなやかに男たちの首に滑らせていった。
あっという間に男たちの意識を奪ったせん。サルビアは麻薬の入った袋をくちばしで掴むと、近くで炎を上げていた火の中に入れ焼却処分する。
「……倒せた」
〈戦いのセンスありすぎだな。さてこれからどーするよ、修行の旅にでも行くか?オレももっと、お前のこと知りたいんだ〉
「……わたしもだよ。サルビア」
〈……はは、そうか?〉
嬉しそうに翼をはためかせるサルビアに、せんも少し微笑んだ。
それは、少女にとって何年振りかになる笑顔。久々に心から嬉しいと思えた気がして、空を見上げる。済んだ青い空は見えないけれど、確かにそこにある青はせんの心に開いた穴を少しだけ満たしてくれた。
それから、サルビアはせんに翼を差し出す。まるで握手をするかのように、少女はその漆黒の翼を優しく握り返した。
△▽△
〈……伸びが速いな、お前。さすがだ〉
「そうかな。サルビアが一緒にいてくれるから強くなれるんだよ」
〈ははっ、嬉しいこと言ってくれるじゃねーかよ〉
少女とサルビアが施設を抜け出してから、どのくらいの月日が経っただろうか。2人はサルビアがエストラーネオに来る前に住んでいたという家に留まった。その家の、せんと同じくらいの年の子どもとも仲良くなり、束の間の楽しい日々を過ごしていたところだった。
その間にもせんは毎日のサルビアとの修行の中で自らの戦い方を習得し、どんどん強くなった。サーベルの仕組みや、先代から引き継がれた技を使いこなし、だんだん学習能力もついて来たところで2人は再びその家を出た。もっと強くなるには実践が一番だと、2人の意見が一致したためだ。
そうしてあちこちを練り歩くうちに、せんは初めてサルビアと共に戦ったあの場所へ辿り着いた。そこはまだ整備がされておらず破壊されたままだ。
不意にせんはあの時と同じように、人の気配を感じた。壊れた建物の向こうで、浅紫色の美しい髪を血に染めた青年が、黒いスーツの男たちに囲まれている。わき腹を押さえているあたり、怪我をしているのだろう。
「サルビア、あの男の人、助けようよ」
〈ああ、そうだな。つーかお前、意外と正義感も強いんだな〉
「怪我してるのに、あんな大人数でかかるなんて理不尽に決まってる」
少女は愛用の武器を構え、男たちに向かって行く。峰打ちであっという間に彼らを気絶させたせんは、青年の腕を引っ張り、その場から走り去った。
「ありがとな……危うく、殺されるところだった」
「お礼、いらない。無事でよかったね」
走り続けたサルビアとせん、そして怪我を負った青年は街外れの公園に潜んだ。道路から死角となる場所にたどり着いたところで、青年は大きく息を吐くと、傷口を押さえて苦しそうに座り込む。
その様子を見たせんは腕まくりをすると、青年の傷口に手を当ててゆっくりと翳し、癒しの力を与えていった。
これも先代の仙月がもっていた回復という意味の特殊能力、『guarire』。温かい光が溢れ、傷は見る見るうちに塞がっていく。数秒で、青年の腹にあった大きな傷は跡形もなく消え去ってしまった。しかし治療を終え、軽い酸欠を起こした身体はフラリと彼の上に倒れこむ。
「……この能力……お前、まさか『六花の授かり人』か!?」
「…………!」
彼の口から出た自分の名前。せんは咄嗟に彼の上から飛び起きると、威嚇するように目線を強くする。しかし青年は落ち着け、と呟くと張り詰めた表情を和らげた。
青年は膝を立てて座ると、その間にせんを引き寄せ息を弾ませている身体を優しく抱きしめ背中を撫でてやる。一瞬少女は身体を震わせたが、力強い彼の腕の力とその暖かさに安心したのか、そのまま青年の胸に頭を預ける。
「話はディーノから聞いている。エストラーネオに捕らわれていたと」
「……!ディーノを知ってるの!?」
「俺はディーノの従兄なんでな。キャバッローネとの関わりはねーけど、俺もあの一族の親戚だしお前の話はあいつから聞いてる」
ディーノ、懐かしいその名前を紡ぐ彼にせんはゆっくりと顔を上げた。髪の色も顔立ちも表情も分からないが、少しだけ彼からはディーノに似たものを感じる。人懐っこそうな笑顔も、そしてちょっとした優しさも。
「……なあ、俺と一緒に来ないか?」
「………え?」
「この先に俺の家がある。俺の両親、ついこの間マフィアに殺されちまって今は幼なじみに世話になってんだけど……どうだ、来るか?」
そういって頭を撫でてくれる彼の雰囲気が、大好きだったディーノの面影に重なって胸が高鳴る。
しかしそれと同時に、せんは果てしない悲しみを覚える。彼の両親も、マフィアに殺されてしまったのだという事実に心が痛んだ。やはりマフィアなんてろくでもない存在なのだと改めて思い知らされた気がした。
それでも彼は強く在ろうとしている。その姿にどうしようもなく嬉しさが込み上げて来て、自然とせんは頷いていた。断る理由などなかった。
「俺はリーザ=ライシェルってんだ。そこの鴉はお前の相棒か?」
〈オレはサルビア。喋る鴉なんざ珍しいだろ?〉
「ははは、面白いもの連れてるな。サルビアも、よろしくな」
青年、リーザ=ライシェルは鴉が喋ったことに少なからず驚いたようだ。しかし温厚な性格のせいか、すぐにサルビアとも打ち解け彼を肩に招く。
それからリーザは空を見上げ、そろそろ日が落ちるなと呟く。つい先ほどまで澄んでいた青空は真っ赤な夕焼けに変わっていた。サルビアは、夕日に照らされた彼の浅紫色の髪が輝くのを目にし誰にも気づかれないよう目を細める。
「よし、じゃー行くか」
傷が治り元気を取り戻したリーザは、せんを負ぶって立ち上がった。真っ黒なローブに身を包んだ少女は、歩くスピードに沿ってゆらゆらと揺れるその背中の上が心地よかったのか、そのうちにリーザの背中の上ですやすやと安らかな寝息を立て始める。
せんの肩の上のサルビアは、そんな彼女を見つめ優しい表情を見せた。
リーザが家へ帰ると、1人の女性がひょっこりとリビングから顔を出した。彼女はリーザの幼なじみ、ジェニファー=ライトニング。
「ちょっとリーザ!こんな可愛い子にいったい何したのよ!」
「いや、俺じゃねえって。この子が、俺の命を助けてくれたんだ。こんなに小さな手で、武器を振るってな」
「とにかく、早くベッドに運んで!治療しなきゃ」
「ああ。頼むぜ、ジェニファー」
彼女は、リーザが負ぶったせんを抱えてベッドルームへ連れて行くと、あれこれと世話をし始めたのだった。
それからリーザとジェニファーの家で暮らすようになったせんは、ほとんど独学で修行を繰り返し、強くなった。今となればサルビアと自分にしか聞こえない会話をすることも可能になった。せんとサルビアだけで話したい内容を、動物が持つ超音波のようなもので交換し合うという会話方法だ。
加えて、風や空気、音を使って人物や物を区別するだけではなく、人間の表情や物の形などを確実に判断出来るようにもなっていた。
そしていつしか、死神は人々から『純白の死神』、『第二のユール』と呼ばれるほど強かで、美しい殺し屋へ成長した。彼女は強くなったのだ。自分の力でマフィアの大人たちを翻弄し殺し、自分の兄と姉の安否を探し回る余裕ができるほどまでに。
そんな少女が世界最強と呼ばれるようになるまで、あと少し。
△▽△
せんは浅い眠りから覚め、飛び起きた。その額にはうっすらと汗が滲んでいる。
(懐かしい夢。サルビアと出会った頃の夢なんて、最近見なかったのに)
彼からの問いかけがないあたり、サルビアもコンタクトレンズのまま寝ているのかと思う。
電気が点いていないため、少し暗い室内。ここは職員室のすぐ隣に設けられた、生徒会室の一角だ。
せんは雲雀に言われるまま風紀委員の一員となり、今では真面目に仕事をしている。いや、自分と委員長である彼以外に真面目に書類整理をしている風紀委員なんて居ないんじゃないかと思うくらいだ。
「……ああ、仕事中だったのか……」
身体にブランケットがかかっているあたり、これも今目の前で突っ伏して眠っている彼の不器用な気遣いなのかと思う。こういう気遣いが出来るところも、さっき夢に出てきた朧に本当にそっくりで、参ってしまう。
(完全に、兄さんに溺れてるな)
自分の肩にかけられていたブランケットを、学ランを羽織った彼の肩にかけてやる。呼吸に合わせて上下する彼の身体。それを見ていると、せんは何故か急に虚しくなってため息をついてしまう。
「……顔でも、洗ってこよう」
顔をぶんぶんと振り、せんは立ち上がる。カタンと静かな音を立て、扉が閉まった。