〈背景〉
此処は大きな時計塔がそびえ立つ、小さな村。
鬱蒼と茂る森の奥──居場所を追い出された者たちは放浪の末、不思議とこの村に辿り着く。
種族も年齢も異なるはぐれ者達が集う此処はいつしか、迷える牧人の楽園……
“アルカディア”と呼ばれるようになった。
そこにあるのは、ひとりの人間と、ひとつの魂の触れ合い。
〈配役〉♂1:♀1
薬師 - Walter / ウォルター:♂
アルカディアで薬屋を営んでいる一流の薬師。魔法薬学に精通しており、あらゆる魔法薬を調合できる。瞳を覆うほどの長い前髪から覗く泣きぼくろがトレードマーク。口数が少なく陰鬱なオーラを漂わせているため、アヤシイ人物と勘違いされやすい。
人形 - Charlotte / シャーロット:♀
白磁の肌、透き通るブロンドの長髪、色違いの瞳を持つ壮麗な人形。片腕で抱えられるほどの大きさで、背中のゼンマイを巻かれて動く。常に空中を浮遊して移動している。おしゃべり好きで口が軽いのが玉に傷。
人形N:異郷の果てのアルカディア。その村に一人の男が住んでいた。仰ぐ高さの大きな窓には、白衣の後ろ姿が映る。そこは生い茂った植物と大きな本棚に囲まれた、知る人ぞ知る彼の店。今日もまた、噂を頼りに客人が来る。これはそんな一人の男と、ひとつの魂の物語。
薬師:はい。ウォルターです。……はい。……はい。ええもちろん。お作りしますよ。身体の痛みにも、精神の患いにも。万病に効くお薬をご用意できます。……対価のお支払いは現物で。依頼内容に応じて、条件も変わります。永続的な契約が発生することもありますが。……ああ、珍しい物であれば、寿命以外でのお支払いも可能です。………ええ。……はい。……では、お待ちしています。
人形:ウォルター?なあに、また依頼?
薬師:ああ、うん。そうだよ。依頼の電話。
人形:「願いが叶う薬屋さん」。偉大なる魔法使いなんて噂よね。シャロも鼻が高いわ。
薬師:噂でお客さんが来てくれるのはありがたいけど、そんな肩書きは正直、恐れ多いよ。
薬師N:どんな願いも叶える薬。願いといっても、
人形:命を対価にお支払い。……なんだか、コワイお願い事をされているみたいよね。
薬師:実際は、材料として生命力が必要ってだけなんだけどね。でも言われれば、どんな薬だって作るよ。欲しいものさえ払ってくれれば。
人形:あらあら、ウォルターってばアヤシイわ。
薬師:悪かったね。
人形:ウォルターもお人形さんに向いているんじゃないかしら?
薬師:向いている?
人形:肌は血が通っていないみたいに白いし、オーラも不気味なんだもの。
薬師:……僕、君に何かした?
人形:いいえ?なんにも。
薬師:そう。君の目にはいつも、僕がそう見えているんだね。
人形:そうね。シャロには貴方がとっても魅力的に見えてるわ。
薬師:魅力的?
人形:ええ、魅力的。
薬師:それはどうかな。
人形:シャロ、嘘は吐かないわ?
薬師:そうだろうね。でも魅力的というのは、君のようなことを言うんじゃないかな。
人形:まあ、ウォルターったら!
薬師:……?
人形:急に口説かれたら、恥ずかしいじゃない。
薬師:!……口説いてない。だいたい人形は、人を魅了するために作られるものだ。
人形:照れてるのね。
薬師:照れてない。
人形:シャロは、ウォルターのことが大好きよ。
薬師:ありがとう。
人形:ウォルターはどう?
薬師:……その手には乗らないよ。
人形:ふふ、照れ屋さん。
薬師:照れてないって。
薬師N:この村で薬屋を開いてから、どれくらいになるのだろう。彼女とのそんなやり取りも、もうすっかり慣れてしまった。居場所を追い出された者たちが放浪の末にたどり着く、森の奥の、小さな村。そびえ立つ大きな時計塔の鐘の音は、過去を包み込むように、優しく響き渡っていく。ちょうど彼女と出逢ったときも、同じ音色を響かせていた。
(間)
人形N:その日、市場を見て回っていた青年は、ある骨董品屋で掘り出し物を手に取った。シルクのように柔らかい肌。透き通るようなブロンドの髪。申し分ない作りだと思ったが、衣服はボロボロ。ところどころ部品は欠けていた。ひどいことに片目を失い、アイホールの中身は真っ暗。しかし、もう片方は綺麗だった。深海を思わせる、澄んだ碧。光が当たるとキラキラと、まるで意思を持っているかようにきらめいた。
薬師N:もし完璧な状態だったなら、一流品として出回っているに違いない代物だろう。すると、店主が、「それには何か特別な魔力を感じて薄気味が悪い」と言った。半ば押し付けられた形で、僕がそれを引き取ることになった。
薬師:とは言ってもね。人形の手入れなんてしたことないからな……
薬師N:しかし、腕のいい職人には心当たりがあった。彼の手によって、彼女はもとの美しさを取り戻した。片目は失われたままだったけれど、それは不完全な美しさすら生み出していた。どうやら背中のゼンマイ回すことにより、彼女を起こすことができるらしい。僕は恐る恐る、ゆっくりとゼンマイを回した。
人形:ふあ〜……よく寝た。もう夜が明けたのかしら。……ん?
薬師:……え?
人形:……ごきげんよう?
薬師:……ごきげんよう。
薬師N:人形として、一流品。それは間違いないようだ。しかし上品な見た目とは裏腹に、話をするのが好きだった。宙に浮きながら、店内を動き回って、気の向くままにおしゃべりをする。彼女はいろんなものに興味を向けて、そのたびに僕は手を焼いた。
人形N:シャーロットは、ウォルターのことを知っていた。だからこそ、わからないことがあった。シャーロットはボロボロだった。なのにどうして、わざわざ起こしてくれたのだろう?部屋中、本と植物だらけ。この部屋で、ウォルターはいつも薬をつくっている。……もし彼と同じようにしてみたら、彼のことが少しでもわかるだろうか?シャーロットは、窓際のプランターに咲いている、紫色のキレイな花を手に取った。
(間)
人形:ウォルター、ウォルター。
薬師:どうしたの?僕はこれから用事があるんだ、あまりおしゃべりはしていられな……
人形:ウフフッ、ねえ。どうして貴方は、あの時シャロを起こしてくれたの?
薬師:その笑い方……。……今度はアルラウネの花を勝手に食べたのか……。
人形:ねえ、ウォルター?
薬師:シャーロット。アルラウネは解毒剤のもとになるけど、君は口にしちゃいけない。そう言ったよね?
人形:知らないわ?そんなこと。フフ。
薬師:知らなくない、君は
人形:……“お願い”?
薬師:……うっ!しまった……
人形:いいわウォルター。貴方の願いを叶えてあげる。ただし、先にシャロが欲しいものをくれなきゃ駄目よ。シャロの願いは……
薬師:……。
人形:隠れんぼ。
薬師:……隠れんぼ?
人形:最初はシャロが隠れる番ね。日が落ちる前に見つからなければ、次は……シャロが貴方を探しに行くから。
薬師: あっ!シャロどこに行くんだ!……まったく、遊んでる暇はないというのに。……そろそろ時間だ。行かないと……
◆◆◆
薬師N:正直ここに来る前のことは、あまり思い出したくないんだけど。君も知っての通り、僕は中央都市ペンデュリオンでの留学を経たあと地元のミストリウムに帰って、大学を首席で卒業した。そのあとは
人形:……。
薬師N:……そしてあるとき、僕はミスを犯してしまった。1ミリグラムの分量を間違えて、すべてを豊穣させるはずの薬が逆に作用してしまったんだ。農作物は枯れ、水は干上がり、見るも無残な姿になった。当然、ミストリウム協会は壊滅。……僕の、たった1ミリグラムのミスで、優秀な科学者たちもろともね。……それが、今僕がアルカディアにいる理由だよ。まったく、依頼の対価に過去を教えろだなんて、君も性根が悪い。……けど、こうなった以上、僕が失うものはもう何もない。君に修繕を依頼した人形は、彼女にとてもよく似ている。だから僕の手で起こしてあげたかったんだ。……ハハッ。君にだってあるだろう?命を賭けても惜しくない大切なものが。
人形:……。
(間)
薬師:……戻ってきてたのか。見つけたよ、シャロ。
人形:……ウォルター。
薬師:隠れんぼは君の負け。これで終わりだ。
人形:さっきは、……ごめんなさい。
薬師:いいんだ、もう気にしてない。花酔いも覚めたみたいでよかった。約束通り、僕の“お願い”も聞いてもらうよ。
人形:ええ。もう、勝手に花を食べたりしないわ……
薬師:そうしてくれ。
人形:あの、あのねっ!ウォルター……シャロは、……ウォルターのこと、前から知っていたの。
薬師:……え?
人形:さっき、時計屋さんと話していたでしょう?シャロ、たまたまそこに隠れてて……。
薬師:……。君がいたなんて、知らなかった。……まさか、話を聞いていたの?
人形:……ごめんなさい、盗み聞きするつもりは、なかったの。
薬師:君は……
人形:シャロね!ウォルターのこと、一目見た瞬間からわかっていたの。
薬師:シャロ……
人形:シャロは……ミストリウムで作られた
薬師:……
人形:ミストリウムが滅んでから、シャロは協会に一人ぼっちだった。それから知らない人に盗まれて……遠い村に売り渡されて、その途中で、この瞳だって盗られてしまって。……そんなシャロのこと、ウォルターが拾ってくれた。……でも、どうしてそんなシャロを起こしてくれたのか、ずっとわからないままだったの。ねえ、ウォルター。
薬師:……なに?
人形:どうして貴方は、あの時シャロを起こしてくれたの?
薬師:……さっきも同じことを聞いたね。
人形:お願い、教えて。ウォルターの言葉で聞きたいの。
薬師:“お願い”?なら、先に僕の願いごとを聞いてもらうよ、シャーロット。
人形:……ええ、いいわ。
薬師:これからは、勝手に、僕の側を離れないこと。
人形:……え?
薬師:さっき言ったとおりだよ。君が……昔憧れていた人形と、似ていたからだ。……僕の手で起こしてみたいと思ったんだ。
人形:……!
薬師:この瞳に、顔の形。身体の作り。同じ職人が作ったものだろうとは思っていた。だけど……知らなかったよ、まさか、ミストリウムのシャーロット、君自身だったなんて。
人形:ウォルター……
薬師:君はこれまで、多くの人を魅了してきたんだろう。人の心の闇を開き、君が願いを叶えてあげる。でもその願いは、誰かへの呪いの言葉だ。……君は美しいけれど、その美しさは脅威にもなる。君が勝手をすると、僕はひやひやするんだ。また、君が誰かの“願い”を、聞いてしまうんじゃないかって。
人形:……ごめんなさい。
薬師:わかったならいい。もう僕から勝手に離れないでくれ。君がいなくなったら、僕が悲しむ……お願いだよ。
人形:ええ、ウォルター。シャロは、ずっと貴方の側にいる。そう誓うわ。
薬師:それを聞いて安心した。今から少し……お出かけしようか。
人形:お出かけ?
薬師:……君に、プレゼントしたいものがあるんだ。
人形N:ウォルターはそう言って、シャーロットを肩に載せた。向かった先は市場に店を構える宝石商や骨董店。ようやく見終える頃には、すっかり日が落ちきっていた。
(間)
人形:……ウォルター、本当に、いいの?
薬師:……君が悪戯に、人々を魅了しないことを誓ってくれたからね。
薬師N:空洞だったアイホール。そこには、
人形:とっても嬉しいわ。素敵なプレゼントをありがとう。
薬師:喜んでくれてよかった。
人形:ねえ、ウォルター。シャロはウォルターのことが大好きよ。
薬師:……ありがとう。
人形:ウォルターは?
薬師:……そんなこと。言わなくても、わかるでしょう。
薬師N:異郷の果てのアルカディア。その村に一人の男が住んでいた。仰ぐ高さの大きな窓には、白衣の後ろ姿が映る。そこは生い茂った植物と大きな本棚に囲まれた、知る人ぞ知る彼の店。今日もまた、噂を頼りに客人が来る。これはそんな一人の男と、ひとつの魂の物語。
人形N:やさしい手が、私に目覚めを教えてくれた。ねえウォルター。私はきっと、その時から貴方の虜よ。
(終話)
融和性アルカディア - 第2話
薬師:
人形: