〈背景〉
此処は大きな時計塔がそびえ立つ、小さな村。
鬱蒼と茂る森の奥──居場所を追い出された者たちは放浪の末、不思議とこの村に辿り着く。
種族も年齢も異なるはぐれ者達が集う此処はいつしか、迷える牧人の楽園……
“アルカディア”と呼ばれるようになった。
そこにあるのは、ひとりの人間と、ひとつの魂の触れ合い。
〈配役〉♂1:♀1
少女 - Olga / オルガ:♀
アルカディアの教会に修道女として従事する少女。小柄で実年齢よりも幼く見られることも多いが、本人は特に気にしていない。あっけらかんとした性格で、大抵のことをすんなりと受け入れている。誰にでも平等に接するため、人間・魔物の両方から好かれやすい。
人狼 - Ricardo / リカルド:♂
アルカディアで暮らす人狼。狼の姿に自由に变化することができるが、普段は人間の姿で暮らしている。目付きの悪さと口数の少なさ、188cmの図体により、相手に威圧感を与えがち。そんな無愛想な外面とは裏腹に、情に厚い一面がある。
人狼N:異郷の果てのアルカディア。その村に一人の少女が住んでいた。信者がいない教会で、信仰深く祈りを捧げる。彼女の務めはシスターだった。ステンドグラスから差し込む月の光が、琥珀色の頭に、そっと円を描いて輝いている。これはそんな一人の少女と、ひとつの魂の物語。
少女N:それはある日の夕礼の時間だった。誰もいないはずの聖堂のどこかに、何かの気配が漂っていた。姿は見えなかったが、私が祈りを捧げている間もずっとこちらを見つめている。その獲物を射抜くような視線に、それが人間ではないということだけは、わかっていた。
少女:……あれ、いなくなった。なんだったんだろう?……久しぶりだったな、お客さんなんて。
人狼:……ドーモ。
少女:うわっ、びっくりした。どうも、こんにちは。………さっき来てた、……人?
人狼:……さっき?
少女:いえ、なんでも。……ごめんなさい、今日の礼拝はもう終わっちゃったの。
人狼:……そうか。……残念だな。
少女:久しぶりのお客さんだから、もてなしてあげたかったんだけどね。
人狼:久しぶり?……ここは教会だろ。毎日信者とかが来るんじゃないのか。
少女:信者なんか、最近は全然いないわ。ここに務めてるのも私だけ。……って言っても、ほとんど趣味みたいなものだけど。
人狼:趣味?
少女:ええ。街とか村からの依頼は稀にあるけど、特につながってるわけじゃないの。ほとんどは臨時の、懺悔とか治療とか葬儀とか……個人的な頼まれごとの方が多いから、趣味。
人狼:趣味じゃ、儲からないだろう。
少女:そりゃあ。儲けが欲しい人は、こんなところで修道女なんかやらないよ。
人狼:それもそうか。じゃ、なんでアンタはここで修道女なんかやってるわけ……
(少女は遮るように口を開く。)
少女:お兄さん。言ったでしょ?もう今日はお終いなの。
人狼:ッ……。……教会は、無駄口叩く暇もないくらい忙しいんだな。
少女:……そうね、忙しいの。あいにく人手が足りてないから。急ぎじゃないなら別の日でもいい?
人狼:……。
少女:……よかったら、また明日来て。朝と晩、共同礼拝は毎日同じ時間にやってるわ。
人狼:……、わかった。
少女N:次の日、彼は現れなかった。それから朝が来て、夜が来て、また朝が来た。変わらない日々の繰り返し。その中でひとつ変わったことは、礼拝者が増えたことだった。夕礼の最中にふと感じる、人外の気配。不思議とそれは、あの青年がまとうものと、同じものであるように感じた。確かめようとして、目を開けたときにはすでに居ない。足繁く通う様は、熱心な信者のようだと思った。──そして再び、青年が訪れた。
少女:あら、ご無沙汰。
人狼:ドーモ。
少女:ねえ、ここのところ、毎日来てたのってお兄さん?礼拝中に来ても終わる前に帰っちゃって、ろくに挨拶もできていなかったけど。
人狼:……知られてたのか。そうだよ。俺だ。
少女:ああ、なんだ、やっぱり。……でも、どうして……。
人狼:興味があったから見に来てた。……アンタ、本当に修道女だったんだな。
少女:……そうよ。何、疑ってたの?
人狼:いや……。その若さでひとりで教会管理してるなんて、どういうわけだろうと思ってな。
少女:別に珍しくもないでしょう?この村には、ほかで生活できなくなった訳ありな人たちが集まってくる。私もそのうちのひとりってだけ。
人狼:……そうなのか。
少女:アルカディアはそういう村よ。……もしかしてお兄さん、此処らへんの人じゃないの?
人狼:アルカディアは知ってるが、そういう村だとは知らなかった。此処らへんにもよく来るが……詳しくはない。この教会も、歩いていて偶然知った。
少女:ふうん。それにしては熱心に通ってくれてるみたいだけど。見たところお尋ね者ってワケでもなさそうだし、用事もなくこんな教会に通うなんて物好きよね。
人狼:用がなきゃ通っちゃ駄目なのか。
少女:いいえ。教会の門は万人に開かれているわ。
人狼:そのわりに、歓迎はしてなさそうだが。
少女:あら、心外。こう見えて喜んでるのに。
人狼:喜んでる?そうは見えない。
少女:喜んでるわよ。久しぶりに、この教会に足を止めてくれる人が現れてくれて……ちゃんと人の役に立ってるって思えるから、嬉しいよ。
人狼:……まるで修道女みたいな言い草だな。
少女:それ、どういう意味?
人狼:意外にお人好しなんだなってことだよ。
少女:人は見かけによらないってことかしら。
人狼:そうだな。俺の思ってる聖職者とは違った。アンタみたいなのもいるんだな。
少女:あら、そう。じゃあ聞くけど、お兄さんは聖職者にどんなイメージを持っているのかしら。
人狼:え?……実際に見たことはないが、……いつもニコニコして、優しくて親切なんじゃないのか。
少女:……やっぱり、みんなそうなのね。
人狼:ん?なんだよ。
少女:なんでもない。見えないものを証明するのは、難しいのよね。
人狼:はぁ……?
少女:“見えないものを証明するのは、難しい”。これはこの聖ジルベディオ大聖堂に伝わる言葉よ。覚えておくといいわ。ところで、今日はどうしたの?
人狼:ああ。夕礼を聴きに来たんだが……その感じだと今日は、ないのか?
少女:ええ。今日は週に一度のお休みの日なの。せっかくなのに残念ね。次は、貴方に向けて説教でもしようかと思ってたのに。
人狼:説教って……あのありがたい教訓話みたいなやつか。
少女:なに、その言い方。そのありがたい教訓話で救われる人たちがいるから、教会という場所があるのよ。
人狼:まあ、そうかもな。……俺、ちゃんと通ったこととかないから。
少女:それじゃあいい機会ね。通ってくれる信者さんには、しっかり説教を聞いてもらわないといけないし。
人狼:……やっぱり途中で出入りするのはマズかったか?
少女:いいえ。ゲストはいつでも大歓迎。途中の入退室も自由よ。
人狼:ならよかった。
少女:ええ。
人狼:……。
少女:……?ほかに、まだなにかある?
人狼:……アンタ、どうして俺が此処に通うとか、聞かないんだな。
少女:うん、まあね。教会の門を叩く人に事情があるのは、分かってるもの。……これまでいろんな人を見てきたけど、みんな、救いを求めていた。ただそれだけね。
人狼:求めていた?過去形なのか。
少女:来てくれるのは、今は貴方くらいのものだから。前はよく魔族のお客さんとかも来てくれてたんだけど、最近はすっかり。まあ、落ち着いたのならいいことよね。
人狼:そうか。大きな教会だから、通っている人も多いのかと思ってた。……また、来てもいいか。
少女:ええ、もちろん。いつでもどうぞ。
◆◆◆
人狼N:不思議な心地がする少女だった。彼女が修道女であることに救われる人は少なくないだろう。きっと、俺もそのうちのひとりだった。…ある日。俺と少女は、こんな会話をした。
人狼:夢を見たんだ。
少女:夢?
人狼:ああ。なあ…この教会には、魔族も来るんだったよな。
少女:ええ。人型がほとんどだけど、人語を話せる召喚獣や、神話生物も来たりするわ。
人狼:そうか。実はな、俺も魔物なんだ。
少女:そう。
人狼:そう、って。…驚いたりしないんだな。
少女:ええ。…驚いた方が、よかった?
人狼:…いや。驚かないことに、むしろこっちが驚いた。
少女:ふふ。貴方が魔物じゃないことは、何となく気が付いていたから。
人狼:…そんなにわかりやすかったか?
少女:いいえ?貴方の擬態は完璧。どこからどうみても人間にしか見えないわ。
人狼:じゃあなんで。
少女:うーん。うまく説明できないのだけれど、…そうね。強いて言えば、瞳、かしら。
人狼:瞳?……目だけで、判別できるのか。
少女:単に、一対一でじっくり話す機会が多いから、経験から察せられるってだけ。貴方みたいな目付きが鋭い人間でも、何となくあたたかく感じる瞳は、だいたい魔物ね。
人狼:俺みたいに?それは貶してるのか?褒めてるのか?
少女:どっちでしょう?
人狼:……よしてくれ。そういう駆け引きは苦手なんだ。
少女:フフッ。褒めてるわよ。
人狼:…ひとまずそういうことにしておくよ。
少女:ねえ、一つ良いかしら?
人狼:なんだ?
少女:貴方は魔物だけど、これといった特徴もないわよね。……人に擬態しているとはいえ、少し、特殊な気がするんだけど。
人狼:…ああ、まさにそれを言おうとしていたんだ。俺は生物学上、人狼に分類される魔物なんだ。「ひと」「おおかみ」って書いて、いや、説明するよりは聞いた方が早いか。アンタ、見たことあるか?
少女:ええ。
人狼:そうか、なら話が早いな。
少女:今見てるから。
人狼:…………。
少女:どうかした?
人狼:過去に、って話だったんだが……。…、まあいいか。人狼ってのは森で生まれて、森で暮らすのが一般的だ。知っているかもしれないが、昼に人の姿で街に出て、夜に森で一夜を明かす。姿を擬態させて、自然界と人間界の両方で生活しているんだ。“ふつう”なら、俺もそうするべきなんだが。
少女:ええ。
人狼:俺は森で生まれてから、ずっと街で暮らしてきた。ほかの人狼と違って、狼の姿でいるよりも人間の姿で過ごした時間の方が長いんだ。
少女:ああ、だからなの。人間の姿が馴染んでいるのは。
人狼:そうだ。俺を拾ってくれたのは初老の爺さんで……広場で小さな飲食店を経営していた。手伝いをしながら居候させてもらっていたんだ。そのときに、いろんなことを教えてもらったよ。
少女:いろんなこと?
人狼:……ものを渡すときは両手で、とか。人の話を聞くときは目を見て、とか。
少女:そういうこと。
人狼:ああ。俺を人間にしてくれたのは間違いなく爺さんだ。だが、俺は完全にそうにはなれない。夜な夜な民家に忍び込んで、朝まで眠る。……そういう放浪癖は、間違いなく……
少女:人狼としての血によるもの。
人狼:そうだ。……そしてある日、戻ったら爺さんが亡くなっていた。市場の喧嘩に巻き込まれたと、知り合いは言っていたが。
少女:それは、……お気の毒さま。
人狼:……ありがとう。それから俺は、どこに行けばいいのか。どこに帰ればいいのかわからなくなって……そのときに偶然知ったんだ、この場所を。それから、通うようになった。
少女:そういうことだったの。時折、人外の気配がすると思っていたの。鋭い、射抜くような視線……あれは、ひとおおかみさんの気配だったのね。
人狼:そうだと思う。あのときはすぐに言い当てられて驚いたが……ん?今、ひとおおかみって言ったか?
少女:ええ。言ったわ。
人狼:ひとおおかみ、……それを言うなら、「じんろう」じゃねえのか?
少女:「ひと」「おおかみ」って、貴方が自分で。
人狼:あれはわかりやすくするための説明だったんだが。……まあいいか、どっちでも。俺はリカルド。って、呼ばれてた。アンタは?
少女:リカルドね。私は……今は、オルガよ。
人狼:今は?……アンタも訳ありみたいだな。
少女:そうね。ここはアルカディア。訳のない人のほうが、珍しいんじゃないかしら。みんな事情を抱えて生きている。貴方も、私も例外じゃない。
人狼:それは、そうなんだが。
少女:今は、リカルド。貴方が話をしに来たのでしょう?夢を見た……その話の続きをしましょう。
人狼:……そうだな。……俺は爺さんを失ってから、いろんなところを回った。森、川辺、岩山、……人の姿でしっかりと挨拶して、家に泊めてもらったこともあった。だが、どこも長く居続けることはできなかった。……爺さんみたいな人は、もう現れないかもしれない。本能的な不安に駆られて、どうしたらいいのか、わからなくなる時もあった。……実は、この教会を寝床にしたこともある。
少女:そうだったの?気づかなかった。
人狼:……だいたい、深夜だったからな。無断で悪いとは思いながら……でも不思議と落ち着いたよ。それで……昨日見た夢にアンタが出てきたんだ。
少女:私が?
人狼:ああ。……見たことがある記憶を思い返すような、明瞭な夢だ。月明かりのまぶしい夜だった。この教会の、あの像の正面のあたりだ。俺が近寄ったらアンタは、手を差し伸べてこう言ったんだ。
少女(回想):居場所を探してるの?似たもの同士だね、私達。
人狼:ステンドグラスから差し込む明かりが天使の輪っかみたいだった。……目が覚めて、夢に出てきたのがこの教会だってことに気づいた。そして、この話をしに、此処に来た。……確かに見覚えのある景色だった。だけど、そんな会話をアンタとした記憶は、俺にはない。
少女:そうね。私は数年前から此処に務めているけれど……貴方と出逢ったのはついこの間のことだし。そんな風に、……貴方と会話をしたことはないわね。
人狼:やっぱり夢だったのか。だが俺、昔……似たような光景を、確かに見た気もするんだ。同じような言葉を掛けられたような気も……
少女:昔の記憶と、今の光景が混ざった夢なんていうのは、よくあることじゃないかしら。衝撃的だったり印象的だったりする光景は、夢に出てきやすいから。
人狼:衝撃……うーん。考えれば考えるほどわからないな。昔の記憶の中に、アンタが出てきたっていうことに引っかかるんだ。
少女:何かがトリガーになって思い出せるかもしれないし、いつかハッキリするといいわね。
人狼:思い出した。
少女:えっ?
人狼:そういえば、アンタがここに務めている理由、聞けてなかったよな。
少女:……その話ね。
人狼:初めて会ったときも、俺が聞こうとしたらはぐらかされた。……何か言えない理由でもあるのか?
少女:……ここで修道女として務めることが、私の慰めになるからよ。
人狼:慰め?奉仕……とかじゃないのか、普通は。
少女:ううん。……慰めよ。この聖堂で、一日を初めて、一日を終える。私の祈りが誰かのためになることを願う。それが、私がここで修道女をしている理由。
人狼:……そうか。アンタ、根っからのお人好しなんだな。
少女:祈ることくらいしか、私にできることはないってだけ。
人狼:そんなことないだろう。例えば……医者とか、教師とか、ほかにも人の役に立てる仕事はたくさんある。
少女:なれないよ。
人狼:……な“れ”ない?ならない、なるつもりがない……じゃなくてか。
少女:言ったでしょう。私にできるのは、もう祈ることくらいしかないの。
人狼:……どういう意味だ。
少女:私にできることは、この身と心を人々のために捧げること。ただそれだけなの。求める声に与えることで、私も同時に救われるのよ。
人狼:……俺にはよくわからないな。
少女:そう?簡単なことよ。貴方が居場所を求めているなら、この場所を貴方にあげる。
人狼:えっ?
少女:与えることが、私の救いなの。だから、この場所を貴方にあげる。……最近はすっかりお客さんも来なくなっちゃったから、きっと静かに過ごせると思う。寝泊まりがしたいなら、居住区の二階の部屋も自由に使っていいわ。この教会のすべて、……貴方の居場所としてね。
人狼:……いや、そんなつもりで話をしにきたわけじゃ……
少女:ないのは、わかってる。もちろん無理強いはしないわ。私はここに務めているから、好きな時に来ればいい。これはあくまで提案よ。使うのも使わないのも、貴方の自由。
人狼:……、本当にいいのか?
少女:もちろん。タダで居づらいって言うなら、いろいろ手伝ってもらってもいいけれど。
人狼:ああ、……ぜひ、そうさせてもらうよ。……恩に着る。
少女:気にしないで。これが私の務めであり、使命でもある。迷える仔羊を……いいえ、迷えるひとおおかみさんを救えるというなら、修道女として、喜ばしいことこの上ないわ。
人狼:……その呼び方、気に入ったんだな。
少女:気に入ってるよ。
人狼:……それでいいよ。じゃあ、俺はこれから……何をすればいいんだ?
少女:別に、貴方のしたいようにすればいい。今まで通りに。
人狼:……今まで通り……。
少女:もし落ち着かないなら、……そうね。手始めに、夜明けでも待ちましょうか。
人狼:夜明けを待つ?
少女:今日はゆっくり休んで、明日に備える。ちょうどこれから収穫祭の時期だから、忙しくなるでしょうし。
人狼:わかった。……手伝うよ。
少女:そう?頼もしいわね。それじゃ、これからどうぞよろしく。ひとおおかみさん。
人狼:……ああ。こちらこそよろしく、……オルガ。
少女N: 異郷の果てのアルカディア。その村に一人の少女が住んでいた。信者がいない教会で、信仰深く祈りを捧げる。彼女の務めはシスターだった。ステンドグラスから差し込む月の光が、琥珀色の頭に、そっと円を描いて輝いている。これはそんな一人の少女と、ひとつの魂の物語。
人狼N:……修道女オルガ。アンタと出逢えて、俺はあのとき、本当に救われたんだ。
(終話)
融和性アルカディア - 第1話
少女:
人狼: