それに気付いたのは数ヶ月前。つまり、俺が知る限り相棒は少なくともこの数ヶ月間、どうにもならない問題に直面し続けていた。
里中も天城も用事があるからと席を外し、いつもより二名少ないものの俺と鳴上、そしてもう一人女の子を加えて始まるランチタイム。
昼食時に相応しい包みが鳴上から彼女の手にうつる。途端、わかりやすく紅一点──名字は目を輝かせた。
「鳴上くん、今日もありがとう!」
相棒は料理が上手い。一度味わってしまうと他の食べ物の味が分からなくなるほど上手い。そういったところにも遺憾なく才能が発揮されている男だ。
ほんのすこし目を細めることで表情を和らげる鳴上。わくわくとした様子を隠すことなく彼女は包みを解いていく。
「いただきます!」
礼儀正しく手を揃えて食べ始める名字。今度材料費渡さなきゃ、と呟くのが聞こえた。
「残念ながら、夕食の余り物だから」
俺に聞こえるということは当然、鳴上にも届いてる。やんわりした遠慮の言葉を受け、名字は弁当箱に視線を落とした。
「そうなの?」
「だから気にしなくていい。むしろ助かってる」
購買で仕入れた焼きそばパンを食らいつつ、同じように名字の手元にある弁当箱を見た。
いや、それが夕飯の残りってお前毎日どんだけのメニューを食ってんだよ。もはやパーティーじゃねえか。どう見ても手間暇かけて作りましたと言っているようにしか見えない品々。名字もあっさり納得すんなそこ!
どうにもこうにも突っ込みたくて仕方ない。
けれども、まあ、これが相棒なりの行動なのだ。温かく見守ってやろうと思っている。そういう訳で、決して口を挟むような真似はしない。身をもって知ったのだ。怒らせた鳴上マジ怖えし。
その結果が餌付けとはなんと言ったらいいのかわからないが。いや、女は胃袋で掴め、か…?
「あ、そうだ!鳴上くん」
辺りを見渡して、内緒話でもするように声の音量を落とす名字。何?と、鳴上が続きを促す。
カップルとしかいいようのない雰囲気。誰が見てもわかることだろう。菜々子ちゃんですら気付きそうだ。実際、里中や天城はもちろんのこと、俺らほど関わりのない完二やりせですら気付いている。
ただ一人を除いて、鳴上の『問題』は誰もが知っているところなのだ。
「千枝ちゃんと雪子ちゃん、どっちが本命なの?」
──そう、ただ一人、名字本人を除いては。
鳴上が名字を好いているというのは有名だ。本人に隠す気がないというのもあるし、どんなに告白されても応えないというのもある。そもそもいくらお人好しで頼み事をされると断らない鳴上とはいえ、毎日無駄に豪華な弁当を献上している地点でそれしかありえない。それも頼まれたわけではなく、自発的にといったら可能性は一つだろう。
「…。」
ぐっと引き結ばれた唇。あー、こういう時何て言うんだっけか。心中お察しします…?
「わたし、応援するよ?お弁当のお礼!」
「…。」
これは酷い仕打ちだ。眩しいばかりの笑顔が余計突き刺さって痛い。俺ですらそう感じるのだから、鳴上にとってはもはや致命傷だろう。
だんまりを決め込む鳴上を見かね、苦笑を浮かべながら割って入ることにした。
「名字、さっさと食わねーと時間なくなるぜ?」
「あ、うん!」
素直に食事に戻った名字。かと思いきや、千枝ちゃんも雪子ちゃんも可愛いもんね、と未だ本人の中で終わらせる気が見当たらない話題を呟いている。
「鳴上くんの彼女はしあわせものだよねぇ」
幸せそうな顔をして、名字は言った。よほど弁当が美味いんだろうな、顔が緩みすぎている。
「…そうかな」
「うん!だって、一生美味しいご飯が食べられるんだよ」
それは彼女というより嫁じゃねえ?とか、鳴上と言えば飯なの?とか、突っ込みどころは多々あった。ちなみにこうやって鳴上お手製の弁当は彼女特権に入らないらしい。
けど、そんなのを吹き飛ばすくらいの科白が鳴上の口から飛び出した。
「じゃあ、名字が食べる?」
…一生。
それは、ええと、つまり、おれのかのじょになりませんか、ってことだよな。訳もなく当事者を差し置いた俺が動揺してしまう。軽さに潜ませた本音に、気付いてしまったからだ。
他の人間と接するより目に見えてやさしく、やわらかい顔。人を落ち着かせるための低音。気付け名字。頼むから気付いてくれ。名字『も』ではなく、名字『が』と表現した意図に。
「…それ、浮気にならない?」
がくり。
名字に伝わるわけないか。何がどうあっても鳴上には自分以外の本命がいるらしい。名字の中で。
「ならない方法、あるけど」
鳴上は、今度はばっちり予想していたらしい。ダメージを受けることなく切り返している。
「あるの?教えて!」
「…ないしょ」
ふ、と鳴上は笑った。
少しさみしい感じの笑い方だった。奴が何を思って真実を伏せるのか、それはおそらく俺だけが知っている。
「どうして?」
「あててみて」
あやすように、かわすように、鳴上は名字に言う。
相棒もよりによって難儀な奴を好きになったな、と思った回数は計り知れず。
ただ、いつも俺達のリーダーとしてたくさんの人間を救い、助け、支えとなってきた鳴上個人が求めたものが名字だったのだ。
ならば俺達は仲間として協力するのが筋だろうと思っている。そうでなくとも、俺個人として純粋に応援したかった。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末さまでした」
空になった弁当箱をさらっと回収して、鳴上は立ち上がる。釣られるように俺も立ち、最後に立ち上がろうとする名字の眼前、まるでエスコートするかのように鳴上の手が差し伸べられた。
「…やっぱり、鳴上くんの彼女になる人は幸せだ」
そうだな、俺もそう思う。だからさっさと捕まってしまえばいいのだ。あいつはずっと、待ってんだから。
そしたら名字も幸せだし鳴上も幸せになるんじゃねーのかな。