あれ、ひとり? 王様と名前は?
マスターの同僚である少年が、ひとり廊下を歩いていたサーヴァント、ランサー・エルキドゥに声を掛ける。さらりと靡く緑髪を風に遊ばせ、彼――便宜上の表現である――は柔く微笑んだ。表情の柔らかさをそのままに、此処にはいない2人の動向を口にする。軽く、世間話のような他愛なさを以て。
「やあ、リツカ。ギルとマスターは喧嘩しているところだよ」
あっさりと落とされる爆弾発言に、藤丸立香は絶句した。
衝撃から立ち直れず、口をぽかんと開けている立香を不思議そうな瞳が見下ろす。事実を告げただけに過ぎないエルキドゥには立香の反応が理解できなかったのだ。そこには立香とエルキドゥの間で、話題の渦中である男へ抱いている印象がまったく異なるという致命的なすれ違いがあるのだが、指摘するようなものは当然この場に存在しない。ゆえに気づかない。
認識にすれ違いを生じさせたまま、会話は続く。
「喧嘩!? あの王様と!?」
天と地がひっくり返ったかのように慌てふためく立香に、至極平然な声音でエルキドゥは返答した。そうだよ、と。
「ほとぼりが冷めるまで放っておくつもりだったけど、見に行くかい?」
「ちょ、け、喧嘩って、名前は大丈夫!?」
英雄王と呼ばれるギルガメッシュの苛烈さを知らぬものはいない。理解に程度こそあれ、直接関わる機会がそう多い方ではない立香ですら過激さや苛烈さを見聞するほどだ。
そんな男といくら魔力が桁外れとはいえ人間、しかも身体が弱く臥せることの多い少女が喧嘩とは。
少年の動揺にはなおも変わらず首を傾げ、それでもエルキドゥは来た道を指差した。
「ギルはマスターに甘いから、大丈夫だけど……気になるなら見た方が早い。僕についておいで」
のんびりと歩む様子はまったく焦りを滲ませていない。朋友とは斯くあるものなのか、と妙な感心を覚えながら、小走りでエルキドゥについていく。彼ののんびりは、それでも立香には速かった。
そもそも、どうしてあの2人が喧嘩になど。ギルガメッシュの唯我独尊ぶりは知っているけれど、彼に名前が反抗するというのが意外だったのだ。意外すぎて、どうにも結び付かない。
思ったまま口にすると、エルキドゥは笑った。
「僕たちのマスターは1度決めたら強情なんだ、とても」
だから珍しいことではないよ、と彼は言う。それはまるで、何度もその光景を目の当たりにしたかのような発言だった。語られたことは立香にとって一切心当たりのない話。それは立香と名前が日々を過ごす上で、生活の違いを感じさせた。
――入り口で立香は立ち尽くす。率直に来なければよかった、と思った。
「ええい、何故わからぬ! 貴様の脳には綿でも詰まっておるのか!」
「私なら大丈夫だと申し上げています!」
高濃度の魔力にくらりと眩暈を覚える。ギルガメッシュと名前。片やトップクラスのサーヴァント、もう片方は人間の域を超えた魔力の持ち主。感情が昂っているのだから、場の魔力が凄まじい密度に膨れ上がっているのも道理だろう。
過ぎた魔力は毒にしかならず、人間の身を蝕むものだ。単純に毒ならばいい。毒耐性を持つ立香ならば効かないからだ。けれど、これは毒ではなく、毒のように身を侵していく魔力だ。言い合う2人のうち、少女のほう――窓花名前はいつもこの魔力に身を灼かれているのだと、こんな場面で経験してしまうことになった。
「飽きないね、君たち」
呆れたように、それでいてほんのすこしうらやましさを滲ませてエルキドゥは微笑う。優しさを包容した瞳からは兵器らしさなど微塵も感じさせず、とても人間味にあふれていた。
渦中にいる2人は闖入者の存在に気づいていないようだった。英雄王ならば気づいているのかもしれないが、視線を向ける素振りはない。立香の存在ごとなかったことにされている。
名前は自身の四肢に絡みつく鎖、朋の名を冠する宝具から解放されようと苦戦しているようだった。
「もう……!」
「ふはは、存分に我が友を味わうがよい! 何、我に魔力を提供しているのは貴様だ! 此処で『王の財宝』を展開してやっても構わんがな!」
高笑いとともにギルガメッシュの片手が掲げられ、立香の顔が真っ青になる。此処はカルデアであり、戦場でなければトレーニングルームでもない。
「それってカルデアの被害が甚大ですよね!? やるならシミュレーションルームに行ってください!!」
思わず飛び出した。しかも、盛大に言葉選びを間違えている。喧嘩の続行を煽ってどうするのだ、自分は。すぐさま頭を抱える羽目になった。
「――――む?」
2対の眸が立香に向けられる。名前はともかくギルガメッシュも本気で気づいていなかったのか、とあまりにも場違いな感想が浮かんだ。心なしか、ただでさえ冷たい瞳がさらに冷たさを帯びているのは気のせいだと信じたい。信じたいのだが、先の失言には自覚がある。
エルキドゥが立香を庇うように一歩前に出た。とはいえ彼のことだから、フォローを入れることが目的ではないのだろう、と思うけれど。合理的な彼は、感情で動くことがそう多くない。
ギルガメッシュの眸がすう、と細まる。若干、場に蔓延る魔力の濃度が落ち着いたのか、呼吸が楽になった気がした。
不機嫌そのものの声色でギルガメッシュが言うのと、名前が口を開くのはほぼ同時だった。
「エルキドゥよ。貴様もこれに言ってやれ」
「エルキドゥ。鎖を解いてください」
立香は悟る。双方引く気はない、と。悟ると同時に、矛先を向けられたエルキドゥがどのような反応を返すのかとても気になった。ひやりと冷たい空気をまとう2人に射抜かれ、少年だったら硬直したまま動けないだろう。
話を向けられたエルキドゥはゆったりとした雰囲気を崩すことなく、柔和な表情を浮かべたままだ。怒気も緊張感もすべてを受け流し、ただ穏やかに在る。そして。
「困ったね。マスターの命令には忠実で在るつもりだけど、ギルの言いたいことにも一理ある。だから今回は傍観者に徹しようと思うんだ」
ふんわり微笑んだまま、どちら側にもつかないと言い切った。
じとりとした2人からの視線をものともせず受け流すエルキドゥは、明らかにこの場において1番強い。なんせ、いたく不服そうな眼を向けられても一切動じることはない。どちらかというと彼に隠れる立香の方が萎縮してしまっていた。
ギルガメッシュが目線を名前に戻す。鎖のせいで位置を固定されている少女は、真正面から眼差しを受け止めた。ぱち、となにかが爆ぜる音がする。それは例えるならば火花のような。
「聞いたか、エルキドゥは我の言う事に一理あると言った。それでいて貴様に糾弾しないのは弱き者をあえて打ち負かすこともないという情けに過ぎん! 我には理解出来んが……否、我達が結託すれば如何な貴様とて正論に心を折られかねんだろう。厚情に感謝するがよい」
そういうわけではないのだけれど、というエルキドゥのひとことは、ギルガメッシュによってものの見事に黙殺された。
ギルガメッシュの紅眼から視線を逸らすことなく、ただ見つめ返す少女の瞳がかすかに揺れる。揺らぎは一瞬で、すぐに常の凪いだ眼差しが注がれた。引く気がないのはこちらも同じだと強い視線が訴えている。
「聞いてください、ギル。私は戦えます。意識ある限り、この身は戦いを選び続けていられるのですから……心配は無用です」
「そう言いながら毎度我の手を煩わせるのは誰だ?」
ぴしゃりと少女の言い分を撥ねつける声音はともすれば冷酷なはずなのに。立香には不思議と温かく感じられ、また、穏やかに微笑むエルキドゥも同じ想いを抱いたようだった。まるで愛し子を見守る母親のように優しい顔をしている。
名前はそっと眸を伏せた。
「おっしゃるとおり、あなたには多大な迷惑を掛けているのでしょう。それでも、私は――……」
立香には聞こえない声。聞こえない思い。振り絞るような声音で、少女は呟いた。
「……」
たわけ、と。呆れたような、諦めたような。近い表現としては達観だろうか。普段の暴虐非道さはすっかりなりを潜め、英雄王らしからぬ表情で彼はただひとこと応えた。
「雑種如きの凡俗な思考ではどうにもならぬ事よ。故にただ、貴様は我の威光に酔いしれておれば良いのだ」
どういうことだろう、とギルガメッシュのことばが理解出来ない立香の隣で、ギルは心配なだけなんだ、とエルキドゥは呟く。言い合いに夢中になっている2人には聞こえないようなちいさい音。聞き留めたのは立香だけだった。
「マスター……名前の命の灯火は、いつ消えてもおかしくないから。消えかかる焔を灯し続け、護り抜くのが僕たちなんだ」
だから無茶をしないでほしいというギルの気持ちは理解出来るんだ、とことばは続く。それに関しては立香も全面的に同意見だった。名前に無茶をして欲しくない。無論、名前だけではない。誰であろうと限界を超える真似はして欲しくないというのが立香の率直な気持ちだ。それでも、特に名前に無理は禁物だ。ほんのわずかな油断が死へ繋がる、脆弱な身体を持つ少女には。
「でも、名前の気持ちもわかるからね」
「……名前の気持ち?」
おうむがえしのように聞き返す。すぐにそう、と肯定が返された。
「命が尽きるとわかっていても、いや……、わかっているからこそ、その瞬間が訪れるまでギルと一緒にいたい。共に戦い続けていたい。その願いは、かつて僕が胸の内に抱えたものでもある」
だから名前は僕を召喚出来たんだろうね、とエルキドゥは綺麗に微笑んだ。立香のような異例の召喚ではない、正式な――7体のサーヴァントによる聖杯戦争が起こっていないのに正式も何もあったものではないのだが――召喚を成しているマスターが、どこかしらサーヴァントと似た部分を有すのはよくあるケースだという。むしろ、そういう部分に惹かれて喚び出される場合も少なくない。
「自分の寿命がそう長くはないとわかっていても、名前は生きたいと願っている。一刻でも長く、マスターとしてギルの傍に在りたいと思っている。生きている限り、生きた証を遺し続けたいと――戦い続うのだと、彼女は誓っている」
尊い人間の選択をあの王様が拒めるはずないよね、と微笑んだままエルキドゥは渦中に視線を向けた。
「だから、彼に意思を折ろうと言う気はない。もちろん、これくらいで折れるようなら折ってしまうだろうけど、本気で壊しには掛からない。ただ、心配で仕方ないんだと思う」
ギルは何度か名前を失ったことがあるらしいから、とよく少年には理解の及ばないことを言い、終わりとばかりにエルキドゥは口を閉じた。立香はううん、と頭を悩ませる。聞いていてひとつ、心に引っ掛かったのだ。
なんか、違う気がする。
――否、違うのではない。足りないのだ。
「……俺には難しいこととかわからないけど。名前が一緒にいたいのは、エルキドゥもだと思うよ」
「僕?」
ゆるく首が傾げられる。勢いよく頷いて、立香は自分が思ったことを真っ向から告げることにした。それ以外、気持ちの伝え方なんて知らないのだ。
「エルキドゥはさっき、名前は命ある限り王様といたいって言ったけど。それだけじゃないと思う。エルキドゥだって名前にとって、とても大切なひとだから」
「……。」
エルキドゥは瞠目し、――それきり、何も言わなかった。ただギルガメッシュと言い合う名前を見つめるだけ。
やや置いて、ぽつりと呟きが零れ落ちる。
「……。困ったな。僕は、今の気持ちを……ココロを、上手く表現することばを持っていないのに。どう返答をしたらいいのかわからないよ、リツカ」
立香はくすりと笑う。迷子の子供のような表情で、エルキドゥが戸惑っていたから。さっきまでの平然さが嘘のようだ。それは兵器らしさなど微塵もなく、立香のようにひととしての感情を有した生き物そのものだ。
「大丈夫だよ。今はわからなくても、そういうのは名前が教えてくれるから」
そうかな、と曖昧に微笑むエルキドゥとは対照的に、からりとした笑みで立香は断言した。もちろん、と。
いつしか、あたりが静かになっていることに気づく。喧嘩は収まったのか。見れば『天の鎖』は仕舞われていて、名前は自分の足で立っていた。
――と、ふらりと細身が傾ぐ。あわや倒れるかと思った身体を受け止めたのは当然のように英雄王だ。彼は眉を吊り上げる。
「それ見たことか。だから言ったであろう!」
受け止められながら、浅い息を整えるかのようにギルガメッシュの肩に頭を預けていた名前は顔を上げた。動き過ぎたのだろう、顔色がやけに白い。
「あなたが私を慮ってくださるなら、このような失態は犯しません……!」
「何故我が貴様に配慮する必要がある? そら、動くな。落ちたいなら話は別だがな」
ひょい、と名前を抱え上げてギルガメッシュは歩き出す。邪魔にならないよう、咄嗟に道を開けた。担ぎ上げられた名前は瞬時に悲鳴をあげたものの、それきり抵抗することもなく腕のなかで大人しくしている。『天の鎖』に抵抗した際に力を使い過ぎたのだ。
「もういいの?」
すれ違いざま、エルキドゥが声を掛けた。ぴたりと立ち止まり、ギルガメッシュが口を開く。
「言うても聞かぬ不敬は許し難いが――よい、このまま続けたところで聞き入れる殊勝さは持ち合わせておらぬだろうよ。であれば敢えて死に体に鞭打つ必要もないであろう。今日はこれ以上動かぬ。我の目的は果たせた」
返答を待たず、歩みを再開するギルガメッシュ。背中を見送って、エルキドゥは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「ね、名前には甘いだろう?」
「……甘いですね」
同意するしかなかった。たしかに甘い。普段の英雄王なら考えられないほどの寛大さだ。これが立香だったとして、王の意向に歯向かった瞬間首が飛んでいる。だから立香にとってはギルガメッシュと喧嘩をするなんて有り得ないのだ。
あながち冗談では済まなさそうな可能性にぶるりと身を震わせた立香は、すこし考えて食堂へ向かう。
2人はあのままにしておいた方がいいだろう、という空気を読んだ結果だ。なにもあえて馬に蹴られに行く必要はない。
エルキドゥも行く? と声を掛けると、彼は快諾した。
「是非ご一緒させてほしいな。食堂に赴く機会はそう多くないから詳しいことは知らないけど、彼女の好物もあるのかな」
「んー、たぶんあると思うよ? そうだ! 少し経ったら、名前の好きなものを持って話でもしてくるとか!」
「そうだね。……麻婆豆腐はどうだろう。時々ギルと2人で眺めていることがある。不思議と食べてる姿は見たことがないんだけどね」
「うん、いいんじゃない? きっと喜んでくれるよ」
名前の好物を立香は知らない。それでも、あの赤い外套のアーチャーならば彼女が好むものを知り、作ったことがあるだろうとカルデア随一の料理人の腕を信頼している。
緑髪の英霊を侍らせて、立香は赤い弓兵を思い浮かべた。最初の頃からカルデアの厨房を預かってくれているサーヴァント。彼は未熟な自分をマスターと認め、支えてくれている。
そんな彼に、彼らに、自分は相応しいマスターで在れているのだろうか。わからない。わからないけれど、立香には立香に出来ることを為し続けることしか出来ない。
少なくとも、皆に感謝していることが伝わっていたらいい。
そこまで考えて、立香は笑顔で駆け出した。