──俺じゃないでしょ、それ。
浮かんだのは随分と自嘲的で、もはや自分の首を絞めるだけの台詞だった。
声に出さなかっただけマシと言うべきか。そんなの結果論に他ならない。
馬鹿だよねぇ、ほんと。誰にも聞かせるつもりのない本音。原因である彼女には教えてやらない。絶対言いたくなかった。馬鹿は馬鹿同士お似合いなんだから、別にいいだろうと。こうも自虐的なことばかり浮かぶのだから手に負えない。
*
大きな瞳が無邪気に問い掛ける。嫌?行きたくない?と。普段生意気で喧嘩を売って歩くのが趣味みたいな彼女にもこういう一面があるのだと、誰が知っていようか。斯く言う自分も知り合い当初は知らなかった。わかるはずがなかった。こうして今理解出来るのは、ひとえに一緒にいる時間が長い証拠である。
ああでも、と心の中で異論を唱える。付き合いの長さに関わらず、あの男なら見極めたかもしれない。本質を見抜く野生の勘とやらを、不躾な程に搭載しているあいつなら。
予定があるならいいわよ、と似合わないほど殊勝に様子を窺ってくる彼女。無言をどう捉えたのか、聞くつもりはないけれど。少しは理解して欲しいものである。自分が気を遣って言葉を選ぶような人間かどうか、普段行動を共にする機会の多い彼女ならとっくに知っているだろうに。胸中に去来した感情を目を閉じて押し殺す。こうしてなかったことにするのは何度目か。それこそ馬鹿馬鹿しくて数える気にもならない。馬鹿は二人で十分だ。
「別に予定はないけど、メンバー次第かな」
事の発端は彼女──名前ちゃんの一言だった。
誰もが一度は名前を聞いたことあるだろう、夢の国。何に感化されたのか突然行きたいと言い出したのだ。他の誰でもない、この俺に。同性の友達がいない『Knights』のプロデューサーは他にあてがなかったのだろうけど、それにしても。他の人間ではなく、よりにとって俺を頼るのかとため息を吐きたくなる。
……否、何割かは嘘だ。
ある程度自信があった。彼女が要望を通すとき、そのいくつかは自分のもとにやってくるのだと。当然の話だ、友達がいない名前ちゃんにとって他愛ない話を持ち掛けられる相手は物凄く限定されるのだから。自分がそこに含まれているという自負はある。彼女は悪くない。悪いのは受け取り手──つまり俺だ。行ってあげる、と素直に言ってあげられないのだから。
俺の言葉を受けて、彼女はにっこり笑った。珍しく上機嫌だ。例えるならそう、大好物のケーキを前にしたときのように。何度太ると注意しても食べるのを止めないのだ。太りたくないと口癖のように言うくせに。どうにも理解できない。実のところ、体重が増加して痛い目見ればいいと思っている。そうでもしないと学習しないだろう。
そんなことを考えているのだと思いもしない彼女は俺にパンフレットを見せ、笑顔のまま口を開いた。
「それなら問題ないわね、他のメンバーなんていないもの。私といずみだけよ!」
「……は?」
あまりにも関係のないことを考えていたから。気が逸れていたのかと耳を疑った。聞き間違いだろうか。そうであってほしい。けれどそうじゃないことはわかる。自分の耳を疑いはしない。あいにく、思考は冷静だし耳は良い方だ。
いったい何を言っているのだ、というのが率直な感想だった。思わず素で返してしまう。何故。
何故、カップル御用達と言わざるを得ないテーマパークに恋人でも何でもない男女が二人で遊びに行かなければならないのか。何故、好きな奴がいるくせにその片想い相手と違う男を無邪気に誘えるのか。馬鹿なのか。そうだ、馬鹿だった。
頭痛を自覚しながらもなんで、と言葉を続ける。なんで。どうして。違うだろう、これは。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、これはあまりにも馬鹿だ。重度の。もはや救いようがないほどである。
「いいじゃない。……一度、行ってみたかったのよ」
呟かれた言葉が磨かれた表面をつるり、滑っていく。そうじゃない。俺が聞きたいのは、大事なのはそこではない。だって。あんたは。ありえない。ありえない。ありえない。有り得てはいけない。何故、俺を誘うのか。馬鹿なのか。馬鹿だ。正真正銘、本物の馬鹿。
だってさあ、名前ちゃん。よく考えてみなよ。
──俺じゃないでしょ、それ。
真に誘うべきは。隣にいるべきは。
そんなこと、わざわざ説明しないと理解出来ないのだろうか。しかもこの俺が?そんなの冗談じゃない。頭を下げられようとお断りだ。そんなお人好しになったつもりはないし、なるつもりもない。
ちくり、刺されたような痛みはため息の音で誤魔化した。馬鹿だろう、本当に。
代わりとばかりになあに、努めて茶化すような声を出す。こういうときアイドル育成学校に通っていて助かった。アイドルである俺たちは、それらしく振る舞うことに長けている。
「『王さま』に断られたの?」
なんなら一発くらい殴ってあげてもいいけれど。彼女の淡い恋心を知る身として、応援のような言葉を掛けてあげるが正解だろう。暗にあいつにも声を掛けたんだろうと確認すると、理解出来ないとばかりの表情が返ってきた。言っておくけれどその態度が許されるのは俺だけだから。
「は? なんであいつが出てくるのよ」
「何で出てこないと思ったわけ……」
ダメだ、何もわかっていない。
うんざりしたような声音に気付いただろうか。むしろ気付け。話の通じない馬鹿は好きじゃない。
名前ちゃんは、まったくわからないわけではないのか──若干、困ったような苦笑を浮かべた。まったくもって似合わない。そう感じるのは理想の押し付けが過ぎているからだろうか。
似合わない表情をさせたいとは思わないけれど、困ってくれないと割に合わないと思う。困ればいいと思っているくせに、困った姿は見たくない。そんなことを考える自分が気持ち悪くて仕方ない。
「あいつが行くとは思わないから誘ってないけど……いずみ、気にする?」
上目遣いで覗き込んでくる小柄な女の子。俺の機嫌を伺う、なんて。そんな真似この子がする必要はないのに。らしくなさすぎるていっそ笑えてしまう。残念なことに、そう考えるだけでにこりとも笑えないのが現状なのだけれど。
「……そういうのはないから」
例えば。
名前ちゃんが、『王さま』に断られて代わりに俺を誘っているのだとしたら。あるいは『王さま』と行くための下調べとして付き合ってくれる相手を探しているのだとしたら。
それだったら最高に腹が立つしふざけるなと思いつつ、けれども付いていってあげるのだろう。自分のことだ、それくらいわかる。
けれど、そうではなく。
あの馬鹿と行くことを端から諦めて、選択肢にも入れてなくて。最初から俺と行くことを考えたのだとしたら。それはどうしようもなく許せなかった。そんな状況を甘んじて受け入れる名前ちゃんも、そうさせているあの男も。どっちもどっち、心から馬鹿と言うしかない。
だいたい、こいつらがこの調子なら俺の立場はどうなるというのか。こうして時折存在を主張する、不穏な感情の行き先は。いっそ完膚無きまでに、二度と芽生えないほどに完全に殺してくれたら良いのに。殺せるのは俺本人ではなく、目の前の彼女しかいない。
そんなこと、この子は知らなくていいけれど。それに。伝えたら良いことを言わない俺も同罪だ。名前ちゃんの誘いなら乗ると思うよ、なんて無責任なことを言えるほど、俺たちの関係は浅くない。
だからだろう。ムカついて、腹立たしくて、ふざけるなと思うけど。許せないのに、許さざるを得なくなる。結局変わらないのだ、彼女が何を思って行動しようと。俺を頼る限り、取ることの出来る選択肢はひとつだけ。嗚呼、腹立たしい。
「……まあ、いいけど。いつかあいつを説得して行ってきなよ」
了承した瞬間、ぱあっと華やいでみせるのだからなんとも言えない気持ちが渦巻いた。この感情に名前をつけてはいけない。だから深くは追わない。本当のところ、俺に白羽の矢が立ったのは誘いやすいというただそれだけで、別に俺じゃなくてよかったのだろう。俺である必要はなかった。それでいい。そうじゃないと、却って困る。
「『王さま』は関係ないわよ。でも嬉しいわ、ありがとう!」
馬鹿だね、俺も。
けれど馬鹿と意思疎通を図るためには馬鹿になるしかない。言い訳めいたことがちらり、頭の隅に浮かんだ。
わかっている。個人名を一切出さずとも会話が成り立っているから。伝わっているから。それくらい、俺と彼女のなかであの男の存在は大きいのだ。非常に残念なことに。疎ましいことに。認めたくないほどに。
「あんたもいつか彼女が出来たら、ちゃんとエスコートしてあげなさいよ? 今回は私が練習台になってあげるわ!」
彼女が出来たら、なんて。どの口が言うんだか。本当のところをいえば一番聞きたくない類の言葉ではあったけれど、そんな様子おくびにも見せてやらない。
綺麗なものは嫌いじゃない。壊れないでいてくれるならそれでいい。美しく微笑む彼女がいつまでも美しくいられるよう、せいぜい俺はその輝きを壊さないであげる。摘み取らないでいてあげるから。それくらいなら、別にいいでしょ。
護ってあげられるのは俺ではない。そこまで手を伸ばしてあげるわけにはいかないからね。
「名前ちゃん」
「なに、いずみ」
なおも変わらず何もわかっていない彼女に、最大限の嫌がらせを込めて真実を贈ってあげよう。つまるところ、ただの憂さ晴らしだ。
証明して見せてよ、壊れないことを。世界で一番綺麗なものは此処に在るのだと。
思いきり溜めて、意味深な表情を作ってみせて。こういうのは思わせぶり上等だ。
「恋は、叶わないからいつまでも美しいんだって」
ふと、大切な弟分を頭に思い浮かべる。あの子に抱く感情は恋じゃないけれど。自分の足で歩き始めたその姿が寂しくあり、それでもかつてと違って無理にやめさせようと思わなくなったのは。俺の手で与えられない輝きを見たかったからかもしれない。彼は、ふたたび輝きを手に入れたから。
だとしたら、彼女は。否、考えてはいけない。考えない。気高くて綺麗なお姫様。俺の、俺たちの青春の一部。それでいい。それだけでいい。大丈夫、まだ殺していられる。
彼女は大きく目を瞠り──やっぱり綺麗に笑ってみせた。
「だったら私、一生美しいわね!」