こたつは冬の魔物と呼ばれているらしい。そう言われるのもわからないではない。ああ、つまりは隼の眷属なのかな。だから隼は一度こたつを出すと──って違う、そうじゃない。
 暖かいこたつの中。思い切り頭の中まで温まったようなことを考えながら、もう一度我らがリーダーに声を掛ける。果たしてこのやりとりも何度目になるだろうか。
「始、ご飯は?」
「…いや、まだいい」
 洋書から目を離すことなく、返ってきたのは数十分前と同じ答え。8割ほど予想がついていただけにそう?と流すに留めた。せっかく葵くんが作ってくれた料理だけど、食べる気がない時に無理に食べさせるわけにはいかない。こういうのはタイミングも重要なのだ。始だって言っているからね、まだいいって。まだということは食べたくなるその時が来るってこと。職業柄、体調管理は人一倍気をつけなければならないわけで。健康といえば早寝早起きと栄養バランスに優れた食事。前者はともかく後者に関して些か信用出来ない黒の王様のため、今日も今日とて仕事前に葵くんが美味しい料理を作ってくれたのだ。忙しいと平気で食事を抜くからなあ、始って。とはいえ今日に限ってはそこまで心配していない。俺の見立てだと、その『タイミング』はもうすぐ帰ってくるはず。
 こういう場に遭遇する割合が比較的高い俺は、真剣に議論を交わしたいくらい考えていることがあった。始とあの子。より健気なのはどっちだろう?名前が始の大ファンで好意を包み隠さず伝える性質なのは周知の事実だけど、始だって負けてないと思うのだ。それこそ今日みたいに。
 まあ、本人達が満足しているならそれでいいのだけど。当人が決めたことに口を出す気はない。何せかつてのすれ違いの数々を思い起こせば、巻き込まれただけの俺が遠い目をしてしまうのだから。あの日々に比べたら、今のなんと満ち足りたことだろうか!
「春?」
「…何でもないよ、始。ココアでいい?」
「? ああ」
 平常を装って立ち上がる。こんなこと、素面じゃ言えませんけどね。俺はいつだって君の味方でありたいと思っているし、そうである為の努力は怠っていないつもりだよ。それはもちろん下の子達も同じ気持ちだろうけど。同い年だから、相方だから。そんな言い訳が通用する俺相手にくらい、言ってくれてもいいんじゃないのかな。
 もしかしたらこたつに居座り過ぎて、本当に頭の中まで温まっているのかもしれないね?うーん、さすがは恐るべし冬の魔物。
 始にココアを渡せば、お礼とともにカップの重みがかき消えた。一口飲み、やがてことんと音を立ててカップがテーブルに置かれる。ふんわり香るいい匂いと立ち込める湯気が出来立てということを表していた。なんて、作ったのは俺なんだから当然わかってることなんだけどさ。
 自分の分の飲み物に口をつけると、遠くでがたんという音が響き渡る。どうやら帰ってきたらしい。やっと、と言うべきかな?
 ややあって、大きくドアが開かれた。
「ただいまー!」
 金色とピンクが我先にと乗り込んで、ばたばたこたつに潜り込む。予想通りに繰り広げられる光景は、微笑ましいとしか言いようがない。
「あああ天国…!」
「幸せ…!」
 苦笑と共にお帰りと返せば、向けられたのは嬉しそうな笑顔。感情が素直に出るから可愛らしいよね、本当。
「二人とも、ご飯出来てるから温めて食べてね」
「はーい!」
 ご飯という言葉に瞳を輝かせたのは金色──駆のほう。さすが育ち盛り、寒さより食事を優先するあたりが彼らしいと思う。早速恋を引っ張るようにキッチンに向かっていった。
「…さ、さっむ…!」
 ようやく姿を見せた残る一人。マフラーに手袋と完全装備のまま震えていて、ご飯より暖めるが先かなとこたつへ促す。始も同じ考えだったのか、軽く手招きをしながら自分の位置をずらし、場所を空けていた。…随分とまあ優しいよねえ、王様?
 おずおずと始の隣に座り、ようやく一息つけたのか大きく息を吐き出す名前。途中で寄り道したらしい証拠に手の中でカフェラテが揺れている。そんな彼女を見て、始は笑った。
「…お帰り。寒かったか?」
「今日は寒すぎですよ!もー、ほんと寒くてですね?」
 凍るかと思いました、と如何に外の寒さが厳しかったかを力説する彼女に相槌を打ちながら、静かにマグカップを名前側に寄せる始。代わりに名前が持っていたプラスチックの容器を取り上げて、ストローに口を付けた。名前もきょとんと瞬いたかと思えば始のマグカップを両手で包み込み、同じように口に含む。あったかい、とちいさな声が耳を打った。
 …あのね君達。いや、いいんだけど。別にいいんだけど!?
 胸中に去来した感情を全力で飲み下し、駆と恋を手伝えばよかったかなあと今になって自分の選択ミスに気が付いた。時すでに遅しである。後悔は後から悔いるから後悔なのだと、先人はよく言ったものだ。
 大人しく飲んでいた始が眉を寄せる。
「…何でお前は寒い中、冷たい飲み物を買うんだ」
 容器の中は冷たかったらしい。そんなものを飲んだら震えるのも当然だろう。ただでさえ今日は寒さ厳しい一日だったのだから。
「だってあったかい飲み物ってぬるくなったら美味しくないですよ!」
「寒いよりマシだろ」
 せっかく買うからおいしいのが…ともごもご呟く様子を見ていた始は、ふと、容器をテーブルに置き。両の手で名前の頬を包み込んだ。
 …あのね!?
 驚いた名前が目を丸くさせたものの、すぐに温かさの正体に思い当たったらしい。鮮やかな紅の瞳が、ぶわり、溶けた。あったかいですねえと、幸せそうに笑う彼女の表情は誰が見ても甘くとろけていて。
 あ、これは放っておくとダメなやつだ。俺の思考より早く、脳が瞬時に答えを弾き出した。
 ごほん、わざとらしく咳払いをして二人の注意をこちらに引く。仲良しは良いことだけど、春さんいますからね?見てますからね?始が読んでた洋書を眺めるふりをしようにも、元々俺が貸したものなんだから内容は全部頭に入ってる。勝手に見せ付けられて後から文句言われるのは嫌なんだけど!
「始も名前も、ご飯食べたら?」
 今日の俺はこれしか言ってないなあ、と我ながら自覚はある。でも、これが今日最後の問い掛けだろうから。文句はそっと水に流して優しく聞いてあげましょう。
 一度俺に視線を向けた名前は、すぐに始を見上げた。
「始さんご飯まだですか?だったら食べましょ、駆と恋が準備してくれますよ!始さんとご飯食べられるの嬉しいですね!」
 にこにこと。それはもうにこにこと無邪気に笑う愛しの彼女からの誘いを、断れる男が何処にいるだろうか。
 ──そうじゃなくたって。始は何度言われようと先に食べることなく、ずっと名前の帰りを待っていたというのに。
 ぽん、と頭を撫でること数回。
 目に見えて甘くなったなあ、と思う。甘やかすことを許されたというのも大きいかもしれない。けれど。許されたら許されるほど足りなくなる、だっけ?ねえ、始。
 名前の言葉を受けた始は、それはもう間違いなく今日一番の柔らかさで。本当は俺が見るべきではない、見てはいけない、名前専用の表情を浮かべて。一目見てそれとわかるものを顔ばせに乗せ、心から慈しむかのように瞳を細めると。
「…そうだな。食うか」
 ようやく。本当にようやく頷いたのであった。

 かくり、蜂蜜を薄めた色が大きく揺れる。傾ぐ度に受け止める始はさすがに苦笑を浮かべていて、何度か声を掛けていた。
 あーあ、これじゃご飯はお預けかな。せっかく始がその気になったのに今度は名前が脱落だ。
「名前?」
「…おきてます」
 声が寝てるぞと言いながら背中を叩く始だけど、その一定に刻まれたとんとんというリズムがより一層の眠気を誘うのだろう。名前に甘いが故のトドメだよねぇ。
 その事実になかなか気づかない王様は、どうにか起こそうとして逆に寝かせに掛かっている。
「起きろ、名前。…寝るなら、部屋で寝ろ」
 俺の部屋でもいいから、と。声をひそめて落とされたささやきは、この距離なら生活音に掻き消されることなく拾えてしまう。とはいえ促す声の甘さには俺が苦笑を浮かべるしかない。…本当に、もう。
 相手が俺だからさらけ出してくれているのだと思っていいものか。そうだったらいいと願う。さすがに日頃人前でこんなことやってるわけじゃないよね?と、信じたいのだけども。俺を信じてくれているんだって。素を見せてくれているんだって。そう、思ってもいいんですよね、始?
「…。」
「…寝たか」
 誰かさんが寝かしつけたおかげでうつらうつらと微睡む状態だった名前が完全に寝落ちたことで、どうやら起こすのを諦めたらしい。どことなく不満そうな顔をしている始だけど、何度でも言おう。寝かしつけたのは他でもない始だからね。
 他の人…というか、この場合は俺だろう。寝顔を見せないように上手いこと隠しているのが面白くもあり、始らしいなあとも思う。
 名前を難なく抱え上げると、共有ルームを後にしようと歩き出した始。その振動で目が覚めたのだろう、名前が目を擦って起きようとする。不用意に動くのを止めようとして──二人の距離が、近づいた。
「いいから、…落ちるなよ」
 ようやく戻ってきた駆と恋がすれ違いざまに目を丸くして問い掛ける。
「あれ、始さんご飯はいいんですか?」
「俺達やれば出来ました!」
 そうだね、がんばったのは葵くんだけどね。二人を呼んで招くと、なんとなく察してくれたのかそそくさとこちらにやって来た。うん、それが正しいよ。誰だって馬に蹴られるのは嫌だろうし。
 いただきます。きちんと挨拶をして食べ始めるいい子達は、始が気になるのかちらちら視線を向けている。始が…というより、始と名前が、かな?
「あー…おやすみなさい?」
「だろうね」
 名前はもちろんだけど。始も、名前を寝かせたまま戻ってこないんじゃないかなと思う。あれだけ待っていたのだし、後は思う存分二人の時間を過ごせばいい。
「春、」
 共有ルームを出る直前。始が俺を呼んだ。
「うん、何?」
「後で食うから、取っとけ」
 …本当に、もう。困った王様だ。
 はいはい、二人分ね。了承の意を伝えると今度こそ始は部屋に戻って行った。残された空のプラスチックはゴミ箱へ、マグカップは流し台へ。
 明らかに糖分過多な俺の心は、一体どうしてくれるんだろうね?

甘露に溺れひたり